雨のベゴニア、とけたうさぎ

水槽くんは、時々、夢の中でも謝っていた。ごめんね、ごめんねと、彼は誰に謝っているのだか分からないけれど、ずっと謝っていた。

ぼくは謝られる心当たりがあったからすっかりそれに関して、こうして二人で逃げることになってしまったからだと思っていたのだけれど、ほんとうは、どうだったのだろう。

ぼくらはその冷たい建物で寝て、起きてを何度か繰り返して、何度目かの明るい月の下で、隠れるように外を目指した。

これから、どうしようね。なんて、ぼくは彼に笑ってみせた。


「もう、やめよう。ごめんね。ほんとうに。」

水槽くんがそう言って、このささやかな旅の終わりを告げたのはその建物を出てから三回くらい、寝て、起きた時のことだった。まんまるな池のふちに立って、その中にいくらか漂っている真っ白い花を眺めながら。

「ここじゃあないんでしょう。だめだよ、諦めたらだめ。だって二人でならどこまでも行けるって、ぼくは思うんだ。」


ぼくのその言葉が、彼にどんなふうに思われたのだかは分からない。彼はぼくを見てうれなかったし、ぼくは、彼を見ていられなかったから。

ふたりしてただ池の中の花を眺めて、月の白さとは違う、冷たいけれど、どこかあたたかい。ひかりの中で、炎の中で、それを閉じ込めて生まれた鉱石のような白さをしていた。

ぼくと水槽くんは、そのまま、その池のそばに寝転がった。近くに生えていた樹々は背が高くて、枝も元気に伸びていた。

この中なら、月の視線からも隠れられる。ぼくたちを見ているのはきっとあの白い花だけだ。と、思ってみれば、よく眠れた。よく眠れないのは、水槽くんの方だった。


思えば、彼がゆっくりと眠っていることはなかったのかもしれない。

ぼくの知っている限りの彼はずっとぼくか、誰かに謝り続けていたし、もし何も謝ったりしていない夜があったとしたって、きっとゆっくり眠れることはないと思う。

彼はなんで、どうして、こんなにも苦しそうに生きているんだろう。ぼくはずっとそんなことを考えながら、きっと今日も眠れていないんだろうな、と、思いながら彼の寝顔を眺めていた。

彼の寝顔ごしに気付いたのは、この池は、色々な誰かを、ぼくらのように受け止めてきたのかもしれない、ということだった。

一輪だけの、青い花が咲いていた。白い花の根元に、たくさんの手紙が置いてあった。

ここにいたたくさんのひとたちに。ここで過ごした、たくさんのひとたちに祈るように。彼だか、彼女だか分からないけれど、

きっとここで何かを見つけたんだろうそのひとたちと同じように、ぼくらにも、穏やかな時間が来るように。ぼくは毎日、水槽くんが眠るたんびに、その手に口づけた。


彼がぼくの手におまじないをしてくれることはなくなったけれど、ぼくがその分も祈っている。

だからきっと、大丈夫。だから、大丈夫。ぼくらはひとりでもないし、ふたりきりでもない。ここにいたたくさんの人たちが、きっとぼくらを助けてくれる。

祈って、祈って、祈り続けて。水槽くんは、そんなぼくが嫌になったのか。空が明るい間は、どこにいるのかも分からなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る