産金報告

 四月一日、聖武天皇は、光明皇后や公卿百官を率いて、産金報告のために東大寺を訪れた。

 聖武天皇は車駕を下り、皇后と皇太子を連れてゆっくりと歩き出した。天皇一家の後ろには橘諸兄以下、公卿百官が従う。

 麦は美しい黄金色に色づいて、一足先に産金報告を行っている。何羽もの雲雀が上空にとどまって、ピーチクと祝いの歌を歌う。気持ちの良い風が三人を包み、仮の大仏殿の筵壁をゆらした。仮の大仏殿は雨風にさらされて傷みが出ていた。柱の皮は剥け、水が垂れた跡がくっきりと付いていた。茅葺きの屋根はすっかり変色し、ところどころに草が生えている。壁の代わりをしている筵は、新しい物と古い物が混在していた。古い筵は煤で黒くなっている。いずれも、大仏を造立し始めてからの月日を語っていた。

 大仏は鋳造のために作った土手に埋もれている。土手は仮の大仏殿の内部を占領していて、行事を行うだけの空間はない。土手から延びる荷物運搬用の坂道が、仮の大仏殿を突き抜けて西に延びていた。

 仮の大仏殿の南側の広場は掃き清められて、臨時の祭壇が設けられている。祭壇は黄色い造花で飾られ、中央に供えられた三方の上には、砂金が山形に盛ってあった。

 聖武天皇は北面して大仏に向かった。

 紫香楽のときとは違って、大仏造立は順調に進んでいる。仏様は土手の中に姿を隠していらっしゃるが、朕には金色に光り輝くお姿が見える。朕と民の知識が実を結びつつあるのだ。本年中に鋳造が終わり、本体の仕上げと螺髪の製作にかかる。朕が生涯を掛けてきた鎮護国家が実現するのだ。

 今日は、公卿百官と共に日本国内での産金を報告しよう。

 草むらから、鮮やかな羽を持った雉が飛び立ち、産金供養の開会を告げてくれた。

「三宝のやつことして仕えている天皇として、盧舎那仏の御前にて申し上げます。日本国には天地開闢以来、黄金は出ないものであると誰もが思っていましたが、陸奥守である百済王くだらのこにしき敬福が、管内の小田郡にて黄金を見つけました。黄金は盧舎那仏様がお恵みくださったものであり、本日は公卿百官を率いてお礼に参りました」

 聖武天皇が頭を下げるのに合わせて、参列した全員が一斉に頭を下げる。

 民に君臨する天皇として百官に向かい合うときは南を向いて座るが、今日は沙弥勝満であり、師である仏に対して百官と同じく北を向いて座らなければならない。朕は三宝(仏法僧)の奴なのだ。日本国の主である朕が仏弟子となれば、公卿百官、民もまた三宝の奴となる。鎮護国家として仏教をいよいよ盛んにし、国と人民に安寧をもたらしたい。

「朕は鎮護国家のために、諸国に最勝王経を置かせ、都には盧舎那仏の大仏を造ることを心に念じてきました。朕が金が足りないと考えていたところ、仏様が恵んでくださいました。拙く頼りない朕には勿体ないことです。そこでこの大きな喜びを天下の民と分かち合うために、年号に「感宝」という文字を加え、天平感宝とすることにしました」

 天皇に続き、皇后、皇太子、橘諸兄左大臣、各氏族の氏上うじのかみと祝辞が続いていった。

 特に、越中守・大伴家持おおとものやかもちが任地先から送ってきた「陸奥国より金を出だせる詔書を賀く歌」

  葦原の 瑞穂の国を 天降あまくだりり 知らしめしける

  皇祖すめろぎの 神のみことの 御代重ね……

  海かば 水漬みづかばね 山行かば 草す屍

  大君の にこそ死なめ 顧り見はせじと 言立ことたてて……

  梓弓あずさゆみ 手に取り持ちて 剣大刀つるぎたち 腰に取り佩き

  朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り

  我をおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる

(反歌)

  天皇すめろぎの 御代栄えむと 東なる 陸奥山みちのくやまに くがね花咲く

を、石上乙麻呂いそのかみおとまろが代読したときには大きな拍手が起きた。

 三百人の僧による読経、女官による舞踊と宴会が終わる頃には宵の明星が輝きだしていた。

 産金報告を終えた聖武天皇は正式に出家して皇太子に譲位する。阿倍皇太子は孝謙天皇として即位した。

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