7 二人目と三人目と四人目の亡霊


「エマがこんなところにいるなんて知らなかったわ。らせん階段の方から来れば会わないと思ったのに」

 ジュリアは目に見えて青くなった。


「エマって誰? 今しゃべっていた女の人? なんだか意地悪な感じがしたけど」、眞奈は心配になってジュリアの顔をのぞき込んだ。


「べつになんでもないのよ」、そう言いつつも、ジュリアの表情は暗かった。


 もっとも彼女は元々亡霊で死んでいるのだから、多少顔色が悪くても心配する必要はないのだろう。それでも友達になった以上、眞奈は気になった。


 エマは何者でジュリアとどんな関係なんだろうか? 何かトラブルが起きようとしているのだろうか。


 眞奈はドアの向こうの会話に耳をそばだてたが、エマと三人目の亡霊のその後のセリフは、エマが興奮を抑えたのか声が小さくなり聞き取れなかった。


 そして、さらに追いうちをかけるように眞奈の目に入ったのは、向こうからやってくる四人目の亡霊である。


 紺色のワンピースにレース飾りのついたエプロン。典型的なメイド服を着ている少女だ。

 いや『メイド服を着ている』というより、昔のイギリスの亡霊なのだから、彼女はパン屋やカフェのウェイトレスとかコスプレ女子とかではなく、正真正銘、本物のメイドにちがいない。


 オースティン校長先生が話してくれたウィストウハウスの伝説では『大昔に死んだ女の子の亡霊』一人だったはずなのに、なぜ、こんなにわらわら亡霊がわいて出てくるのか、ウィストウハウスは今や亡霊だらけなのだろうか……。


 メイドの少女は、眞奈やジュリアよりも少し年上だった。

 体調が悪いらしく、青白い顔をして時おり咳も出るようだ。彼女に関しては確かにちゃんと亡霊らしく見えた。


「まぁ、グラディス!、どうしてここにいるの?」、ジュリアはメイドの女の子に言った。


「エマ様たちに用事を申しつけられたのです」と、グラディスと呼ばれたメイドの女の子は答えた。


「私たちがここにいたこと、エマに言わないでね、絶対よ。立ち聞きしたって誤解されちゃう」、ジュリアはグラディスに頼んだ。


「もちろんです」、青い顔をしたグラディスは弱々しげに微笑んだ。


 ジュリアは眞奈に手招きした。

「マナ、村の子どもがこんなところでエマに見つかったら大変だわ。早く逃げなきゃ!」

 そして、グラディスに向かって聞いた。

「ウィストウハウスから外に出る簡単な方法ってどういうのだったかしら? 屋敷に慣れていない村の子でも迷わない行き方よ。マナに教えてあげたいの。ほら前に男の子が迷い込んだとき、あなたが教えてあげたじゃない」


「ああ、そうでしたね」、グラディスは思い出したようだった。

 彼女は眞奈に聞いた。

「カメリアハウスはご存じですか? 椿を栽培している園芸館ですけど……」


 運のいいことにカメリアハウスは眞奈の時代にもちゃんと残っていた。


 その建物は石造りの園芸館で、独立型コンサバトリーともいうべきか、日差しを効果的に取り込むようふんだんに窓があしらわれている建物だった。

 眞奈の時代では、理科の授業で生徒たちが育てた観察用の植物が雑多に並べられている。なるほど、ジュリアの時代では建物の名前どおり、椿が栽培されているらしい。


 グラディスは指さした。

「あそこの窓からカメリアハウスが見えますよね?」


 眞奈は言われるまでカメリアハウスだと気がつかなかったが、よく見ると間違いなくカメリアハウスであった。でも、屋根の部分だけは現代のものとちょっとだけ違っているみたいだ。だからぱっと見でわからなかったのだろう。


 グラディスは続けた。

「カメリアハウスをずっと左に見ながら窓づたいに一階を目指してみてください。窓は三回途切れます。一回目と二回目は通路を曲がるとき。最後は窓のない階段通路の中です。そうしたら出口がありますから」


 眞奈は謎につまされたようだったが、グラディスが真面目顔だったので、黙ってうなずいた。

「でも、ジュリア、あなたは本当に平気なの?」


「私は平気よ」


「でもエマっていう女の人、なんだか嫌な感じだったよ、意地悪されるの?」


「エマは私の義理のお姉さまなの。だから私は大丈夫よ」


「義理の姉?」


「そうよ。エマと一緒に話していたのはお兄さまのリチャードよ。エマはリチャードの妻なの」


「え、つまりお兄さんも一緒に何か企んでいるってわけね? 五月って何なの? 侯爵が来たとき相談して最終的に決めるって何のこと?」


「そんな、企んでいるなんて……。五月には舞踏会があるの。きっとパーティの計画のことよ。今年の夏に予定しているイタリア旅行についてヴィッテッリ侯爵に相談したいんじゃないかしら」


 ジュリアは、それ以上質問するスキを与えないように眞奈をぎゅっと強く抱きしめた。

「マナ、早く行った方がいいわ。村の子が忍び込んでいるのが見つかったら、お姉様は烈火のごとく怒るわよ、きっと罰としてひどいことされちゃう。私だって困ったことになるわ。マナ、さぁ、早く!」


「罰! 罰って何?」


 眞奈はエマの人柄が心配だったためなおも聞き出そうとしたが、ジュリアは何も言わなかった。

 眞奈はしぶしぶその場を離れて、グラディスの指し示した通路に足を向けた。


 眞奈が振り返ったとき、反対の廊下を足早に立ち去って行くジュリアの後ろ姿

と、エマたちがいる部屋に入るグラディスが見えた。


 不意に、ジュリアも一度振り返った。ジュリアは『大丈夫よ』と言いたげににっこりした。そして行ってしまった。


 眞奈はメイドの女の子の言葉を思い出して、カメリアハウスを確認しながら窓のある廊下を歩いた。


 眞奈にとってはマーカスの論理的な説明よりもジュリアたちの謎のような説明の方がわかりやすかった。


 三度廊下が分かれていたが、眞奈は常に窓がある廊下や階段を選び、順調に一階に向かった。やがて廊下は行き止まりに。


 しかし、よく見るとつきあたりを右に曲がる通路の先に小さなドアがある。

 

この時代は現ウィストウハウスにいたるところに存在している防火扉はまだできていなかったので、その小さなドアは廊下の行く手をさえぎる初めての扉だった。


 ドアには小窓がついていて、小窓から先の様子をうかがったが、向こうは暗くて何も見えなかった。


 眞奈は一瞬ためらったものの、思い切ってその扉を開けた。狭い下り階段になっている。


 『窓のない階段通路』とメイドの子は言っていたが、これのことだろうと納得した。


 階段は暗闇につつまれていた。

 今開けているドアから漏れる光で、階段を下りた先にもドアがあるように見える。

 でも、扉を閉めたら小窓からかすかに差し込む光以外に明かりはない。階段は文字通り真っ暗になるはずだ。


「大丈夫。ジュリアを信じよう」、眞奈はつぶやいた。


 眞奈は黒い闇の中、手探りで一歩ずつ階段を下りた。暗闇の果て、やっと階段の一番下にたどり着きドアを開ける。


 突然明るい空間に身を置くと、まぶしさに目がくらんだ。


 目をぱちぱちさせて窓から目印のカメリアハウスを再度確認すると、園芸館の屋根はいつもの形に戻っていた。


 そういえば遠くでサッカーに興じる生徒たちの声がする。どこかの教室からはブラスバンドの練習の音が聞こえる。急に世界はいつもどおり動き出したみたいだ。

 眞奈は周りの空気がさっきと少し違っているように感じた。


 きっと過去の世界から現代に戻ってきたんだ!


 そのとき突然、黒猫が廊下に現れた。


 あまりに黒猫の現れ方が唐突だったため、眞奈はびっくりしてじっと猫を見つめた。


 凜としたかわいい猫だった。猫の方でも眞奈に気がつくと不思議そうに黄色い目でじっと眞奈を見つめた。


「学校で飼われているの?」、眞奈は黒猫に聞いてみた。


 黒猫はミャオと鳴いた。


 いくら亡霊と会話した経験ができたとはいえ、残念ながら猫とはまだ会話したことはない。亡霊語よりも猫語の方が難易度高そうだ。


 ウィストウハウスでは馬も飼っているらしいので、猫の一匹や二匹だって飼っているのだろう。眞奈はたいして気に留めなかった。


 少しすると黒猫は廊下の奥に去って行った。


 なんか猫がふっと突然消えたような感じがするのは、気のせいだということにしよう、そうしよう、眞奈は思った。


 今日は道に迷ってクタクタだし、亡霊にも四人会って来たし、本日分としてはもう十分だ。不思議な黒猫の登場を受けとめる心の余裕は残っていない。


 しかし、面倒なこととはこちらの都合おかまいなしに、たたみかけて起こるものらしい。


 やっと気持ちが落ち着いてきたのもつかの間、眞奈は廊下を曲がった瞬間、大きな悲鳴をあげるところだった。

 いや実際悲鳴をあげたのだが、驚きのあまり喉の中に悲鳴を飲み込んだのだ。


 今度は亡霊ではない。亡霊ではないが眞奈を一番驚かせる人であった。


 どうしてこんな辺ぴな場所にいるのか、窓ガラスの向こう、屋根の上でマーカス・ウェントワースがスケッチブックに絵を描いていたのだ。

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