第12話 影

直ぐに夜市は見つかった。

 寂れた工場群跡。


 バブル経済時代に、近代化に挑戦しようと余った土地を開発して造られたのだが、不況の煽りで見事に会社が倒産する羽目になったとか。

 確か酒造業。

 その後、土地の買い手も見つからずに工場だけが放置され、今ではすっかりゴーストタウンの如くの様相を呈している。


 地元の若者の間ではちょっとしたホラースポットとして人気を博していた。

 それで、その工場の裏手あたり、元倉庫が立ち並ぶ一角に彼女は確認できた。

 影の姿は見当たらない、既に仕留めたのか身を潜めているのかは判断しかねる。

 宗二郎は夜市の近くへと降り立つ。


「夜市。大丈夫ですか」


 ゆるゆると顔を向けた彼女は、ちょっと疲労の色を顔に見せている。

 頬に一筋の切り傷、それ以外に怪我らしい怪我は見当たらない。

 相応に動き回っているハズだが、白い狩衣には傷一つ、汚れ一つ付いていなかった。


「へいき……だけど。ちょっと、痛い……」


 夜市は頬に滲む血を、手の甲でぐいと拭う。


「ジロちゃんに斬られた……」

「いや、それは……」


 宗二郎には関係ない事なんじゃあないだろうか。

 とは思うものの、珍しく悲しそうな表情を浮かべて告げられ、彼は言葉に窮する。

 その表情が先ほど切った彼女の偽者と重なった。


「冗談」


 彼女の冗談は表情を見せても分かりづらい。


「…………。それで、如何なりました。終わったんですか?」


 改めて夜市に質問を投げかける。


「んーん、まだ。消えちゃった……。たぶん、近くにいる、と思う……」

「こっちが本体でしょう?」

「そうかも」


 夜市が視線を彷徨わせる。

 郊外の廃工場は月明かり以外に光源が無く、その月すら今は雲に隠れていた。

 僅かな土から、名前も知らない草が伸びて手入れもされていない。

 視線の先、建物の影が落ちた所、いつのまにか影のソウジロウが立っていた。


 片手で手招き。

 影が夜市を見て笑った気がした。

 いや、アレは間違いなく馬鹿にした。


 あれは本物のマネをしているつもりなのか、と宗二郎は問いたくなる。

 影の仕草に、夜市がむっとした表情になる。


「本気にさせた……な」

「夜市?」


 そこまで気に障ったのか。意外だ。怒ったようである。


「──薄明」


 黒い羽根が、ひらひらと舞い落ちる幻影を見た。気がする。



 時に、一眼二足三胆四力と言う言葉がある。

 剣を以って敵と相対した時、何よりも重要なのは相手を洞察する眼である。


 トトッ、と彼女が歩調をとった。

 目を見張るのは、頭抜けた速さ。

 それは、脚力と技術を使った歩法術。

 ただの移動と侮るなかれ。それは瞬間移動と言っても差し支えの無い、奥義。



 両者の距離が刹那の間にゼロにと至る。

 ──ヒュッ、と風を切る音がした。

 すれ違い、時間が停止したかのように夜市とソウジロウは止まる。


 敵と対峙した時、相手を洞察する目が結果の命運を分ける。

 ならば、目を欺ける動きが出来るとしたら──即ちそれを防ぐ術は無い。


「鬼ごっこの鬼は、斬られて……お終い」


 ソウジロウの身体が一瞬で何分割にも切り裂かれる。

 ぼとり。ぼと、ぼと、バラバラと切り裂かれた破片が重力に従い地に落ちる。


 それから影に溶けるように消えていった。

 いっそ惚れ惚れするくらいの、見事な手際だ。

 ……それにしても、偽者とはいえ自分と同じ姿をしたモノがああも無残にバラバラにされると、自分が斬られたわけでも無くとも何とも言えない微妙な気持ちにさせられる。


                   ◇


 一息ついて、宗二郎の足に眼をとめた夜市に「また、怪我してる……」との耳の痛い言葉を頂いた。

呆れさせたのか、はたまた心配させたのか。

 心なし、彼女の眉尻が下がっている。


「無事に済んで何よりぢゃの」

「なにより」


 と、頭上から声が降ってくる。宗二郎でも夜市でも無いそのしゃがれた特徴的な声は、フクロウのウロ。バサバサと翼をはためかせて、フェンスの上へとまる。


「すっかり夜が深まったのう。今宵は特に闇が濃いわ」

「どうしました? もう、結界は無いでしょうに」

「なに、これも何かの縁ぢゃろ。別れの挨拶を済ませておこうかと思っての」


 何とも律儀なフクロウである。


「別れのついでに忠告を一つ。アレは所詮、月の光に照らされて出来る影。蜻蛉の命ぢゃ。現実の陰に出来る虚構の存在に過ぎん」


 ──あんまり魔の物に心をかかずらわれていると厄介な事になるぞ。

 眼が、フクロウの無機質な黒い真珠の瞳が宗二郎を見据えた。


「それは……どういう意味ですか?」

「意味は自分で考えるんぢゃの。或いは意味なんてないのかもしれん。言ったぢゃろ、どうせワシは空っぽのウロ。千の言葉を尽くしても其処に込められるものも無し……戯れ言よ」


 散々好き勝手に口出しして、最後にはそんないい加減な事を口にする始末。

 成るほど、確かにこんなの相手にあんまり気負い過ぎても仕方ないのかも知れない。


「それでは、おさらばぢゃ」


 虚は優雅に一礼し、旋風を巻き起こして夜の闇へと消えていった。


「僕たちも、そろそろ帰りましょうか」


 春先といえ、夜は冷える。


「さようなら、夜市」

「ごきげんよう、ジロちゃん。またね……」

「ええ。また」


 手を振る夜市に背を向け、宗二郎達も帰路へとついた。

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