第10話 一夜

夜の道路は、生ぬるい不気味な風が吹いていて、月がほの灯りとなって光を落す。

電線に並んだ烏の鳴き声が悲鳴のように闇夜の静寂をつんざく。

 宗二朗は夜市と連れ添って、人気のない道路を二人で歩く。

 隣の夜市を眺める。


「……? 今夜は月が綺麗だね」

「そうですね」

「うふふ」

「どうかしましたか?」

「なんでもない、よ」


 彼女は、時たま思い出したように篠笛を鳴らしながらテクテクと付いて来ていた。

 笛の澄んだ音色が、夜の不気味さを払拭させているかも知れない。


「夜は好きですか? 夜市」

「ん、静かなのは……好き」

「……そうですか。僕は、その静かさに怖さを感じます」


 静寂は死に似ている。

 音のない世界は冷たく、それだけで死んだように何も感じない。

 生きていれば、宗二郎の隣を歩く彼女のように温かさを感じる。


 夜のしじま。

 子供のころは、こんな風に夜に出歩くのが怖かったような気がする。

 それが平気になったのは、何時からだったろう……。

 子供のころには感じられたことが、今では感じられない。

 小さな頃と比べて、鈍感になってしまった。

 それが大人になると言うことなのだろうか。


「ホー。夜は怖いかい? ホーホー」


 その時、頭上からしゃがれた声が降ってくる。

 視線を向けた先の街灯には、一羽の梟が羽を休めていた。

 梟は翼の毛づくろいをしながら、人間のよう笑っている。


「何ですか、あれ」

「知らない……。フクロウには、あんまり知り合い……いない」


 普通は、梟に知り合いは「あんまり」どころか「一羽も」いないのが当然じゃないだろうか。

少なくとも宗二郎は「一羽も」知らない。

 特に、喋るヤツなんて猶更知らない。


「何か御用ですか」

「ホッホッホ。せっかちじゃな、若き鬼切りよ」


 梟はすっと音も無く羽ばたき、宗二郎たちの近くにあるガードレールのパイプに降り立った。


「斬りますよ?」


 宗二郎は直刀に手を掛ける。

 昼間使った仕込み刀とは違い、名は無いが確かな腕の鍛冶師が打った業物だ。

 簡単に壊れることは無い。


「君には出来んよ」

「試してみますか?」


 鯉口を切り、剣呑な目つきで挑むように梟をねめつける。


「いやいや、折角のところ申し訳ないが遠慮しておこうかの。それに、手を怪我してるぢゃろう? あまり無理をすると、治るものも治らんぞよ」

「何故知っているんですか?」


 言ってからしまった、と宗二郎は押し黙る。

 相手の言葉を肯定してしまった。


「フクロウは何でも知っておるのぢゃ」


 なんだか物凄く既視感のある台詞だった。


「見てただけ」

「知り方は問題ではないと思わんかい?」


 流石森の忍者と称されるだけは有る。気配の消し方だけなら並ではない。

 話しかけられるまで、存在に気付けなかったのだから。


「……だあれ?」

「ワシは骸の梟、ウロぢゃよ、お嬢さん」


 夜市の問いかけに、ご丁寧にも梟は名乗りを上げる。

 骸の梟。

 死んだ梟の成れの果て、虚ろで伽藍同な魂の無い躰だけの怪異だと言う。


「フクロウなのに烏鷺って、変なの……。面白い」

「夜市」

「大丈夫、だよ……」

「なんで」

「なんで、も」

「根拠は?」

「なんとなく」


 咎める宗二郎に対して、夜市は呑気な物である。

 宗二郎は嘆息した。

 どうにも斬る気にはなれなかった。

 甘いのだろうか。


「近頃よくよく変なのに絡まれますね」

「ホー、そりゃまた災難ぢゃの」


 まるで他人ごとのようにウロは「ホッホッホ」と笑う。


「あんまり貴方がたのようなのを相手にしていると、剣のキレが鈍るんですが……」


 こうも親しげに話しかけられても困る。

 剣を振るうことに迷いが生じてしまう。

 それでは鬼切りの心得が全然守られていない。


 神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬り、鬼に会うては鬼を斬る……。

 その言葉の意味は、例え相手が誰であろうと斬らなければならない時があるということだ。

 姿形に惑わされてはいけないと言う。


 例え相手が誰であろうと切れなければ鬼切りとは言えない。

 確かに、斬る理由も無いが斬らない理由もまた存在しない。

 しかし狂犬じゃないのだから、自分から斬りかかりに行くのも如何かと思う。

 もっと何も考えずに叩き潰せるのを相手にしたい。


「悩みが多いの、若人。存分に思い悩め。艱難汝を玉にす、それも青春ぢゃて。どうせ悩み事なぞ己自身で解決するしか道は無いのだからの。他人の言葉に従えば己を失う」

「……はあ、ご忠告痛み入ります」


 如何して自分は畜生類に青春の何たるかを教授されているのか、と宗二郎は微妙な面持ちになった。

此奴、一体何がしたいのだろうか。


「……お喋り、好き?」

「フクロウ故にの」

「変わってるね」

「なあに、御嬢さんには負けるわい」


 夜市もひたすら自分の調子を崩さない。

 しかし、宵が深まり、いよいよもって魔性の時間になっている。

 こういうのが釣れるという事は。


「そろそろ、本題が網にかかるんじゃないですか」

「なんだっけ?」

「夜市……」


 宗二郎はがっくりと肩を落とす。


「冗談、だよ?」

「……。君の冗談は分かりにくい」


 もう少し表情筋を動かしてくれれば分かりやすいのに。


「ホー。それは若しや、夜に現れる悪魔。月の出る夜に出会う影法師。恨み辛みが募って鬼となる。噂は、ワシも耳にしたことがあるがの。それを探しているのか、少年」

「貴方本当はサトリ妖怪なんじゃないですか?」

「知ってることが多いだけじゃの」

「そうですか」

「なら、ワシャア、そろそろ帰りたいんじゃがの」

「逃げちゃダメ」


 ウロの言葉に、夜市がそれを引き留め空中に跳ぼうとした彼の足を掴む。


「わかったわい。どっちにしろ、御嬢さんの所為で此処から離れられんしの。仕方がないのう」

「仕方ない」


 夜市は鸚鵡返しに言葉を繰り返し、それから篠笛を鳴らす。

 先ほどから彼女が篠笛を鳴らしているのは、怪異を排するための七里結界を作るため。


 音が響き渡る七里を囲い、それを境にして魔性の物を通れなくする境界が築かれる。

 結界は境界だ。境が重要なのであり、それが内と外とを決める。

 例えば生け簀の網、この場合は網が境界の役割を果たしている。

 その網の範囲を段々と狭めていくとして。それで、仮に限界までそれを縮めたとしたら。


「お出ましですよ、夜市」

「籠の中の、鳥……」


 言い得て奇妙な夜市の言だった。

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