第9話 黒羽根夜市

夜。

 茜色に染まっていた西の空がすっかり暗くなり、反対側には半分欠けた月が見える。

 あと七日も経てば満月になるだろう。


 月は銀色に鈍く光っていた。

 月光は、闇夜で蠢くものを活発にする魔性の輝き。

 月は太陽の光を反射して輝く巨大な鏡の様なものであり、鏡は映すものの性質を反転させる。

 だから、太陽の光で弱まるものは月の光で強くなる。


 街灯が頼りなげに、チカチカと不規則に明暗を繰り返していた。

 その光に釣られた羽虫が蛍光灯の周りを漂っていた。

 人気のない橋梁を行く影法師、宗二郎の姿があった。

 自宅から数キロ離れた月下で、空を見上げる。


 此の所、鬼の様子がおかしい。

 黒く闇夜に紛れる装飾を身につけた彼の表情が、物憂げに曇る。


 別に……、別に何かを斬ることについては今更躊躇いは無い。

 人を斬り神を斬り鬼を斬る。宗二郎は鬼切りだ。

 神様であろうが、なんであろうが、斬らねばならない時がある。


 と、どこからか調子外れの篠笛の音が聞こえてきて、その音色があまりにも場にそぐわなかったので彼は思わず脱力しそうになった。

 聞き覚えのある独特のメロディに、姿を見ずとも奏者がわかった。

 予想に違わず、夜陰から一人の少女が現れる。


 伏し目がちの丸い眼が宗二郎を捉えている。

 妹とはまた違った意味で表情が読めない。

 白い狩衣は、闇夜には非常に目立っていた。


「君は……」

「……あら、その声は」


 米神を押さえて懇願する宗二郎に、少女・黒羽根夜市は篠笛から口を離して首を横に傾げる。


「こんばんは。ジロちゃん」

「こんばんは。その音、頭が痛くなりますよ。夜市」

「……怒っちゃやぁよ、……ジロちゃん」


 夜市は鈴を転がしたような声音で、宗二郎に対し微笑む。

 歳も同じで、縁がある少女だった。


「どうしてこんな所に?」

 君がいるのか、と言う意味で質問する。


 彼女は宗二郎と同じ、理の外にいる存在に近しい家。

 魔を祓う生業の少女。


「だって……私は夜を流れる旅烏、ジロちゃんは……夜に溶ける闇烏、なのよ……」

 夜市は例えて分かり難い表現をする。


 この少女、神出鬼没の面があって、しばしば意外な所で出会う事があるのだった。


「どう言う意味です?」

「う、ん……」

 彼女はコクリと頷いて、曖昧な肯定をした。


「あのね……、今夜は月がよく見えるわ」

「そうですね」

「こんな日は、不思議な事が起こるわ……。カードがが告げるの、よ……」


 タロットカードを見せて彼女は宗二郎にそんな事を言う。

 カードの絵柄は「月」の正位置を示している。カードの月は空のそれとは違い、満月だった。

 何故タロットカードなのだろうか……。

 目の前の少女には全然似合わない。


「……あげる」


 そう言って差し出されたカードを宗二郎はつい反射的に受け取ってしまった。

 何処にでもありそうな一セット二千円程度の量産品で、真円の月は見る者を無性に不安にさせる。

 渡されたカードに宗二郎は困惑する。


「タロットカード……」

「流行ってるから」

「そうですか」

「意味は、危険と隠されたもの、秘密、かな」


 この世の神秘を説明するように、夜市はカードの意味を告げた。

 タロット占いは、基本的に占者の解釈次第で如何とでも取れる。


「当たるも八卦」

 当たらぬも八卦だ。つまりどちらでも結局同じという事。


「……悪い事ばかりじゃ、ないのよ? 月が沈めば、太陽が昇るの。太陽は、幸福な未来の象徴。ジロちゃんは……狭間で揺れる東雲」


 月が巡れば希望が見えるわ、とは夜市の言。その言葉にはどれだけの意味が込められているのだろうか。取り敢えず、カードによると宗二郎には苦難が待っているらしい。


「だから、ね。……がんばって」

「善処します」


 宗二郎はカードを懐にしまう。


「あれ? ねえ、ジロちゃん……。その手、どうしたの……?」

 矢庭に、彼女は宗二郎の左腕を指して不思議そうな顔になる。


 多少痛みがあるが、傍から見ても分かるハズはないのだが。

 これは昼間、攻撃を受けた所為だった。


「これは……ちょっと失敗してしまって」

「霊障、かしら?」

「放っておけばその内に治まります」

「そうだけど……。穢れは放っておくと良くないわ。祓わないと、よ?」

「僕はそう言うの苦手なんです。知っているでしょう?」

「……お兄さんは?」


 夜市はカタリと、不思議そうに少し首を横に傾げた。


「あまり、兄の手を煩わせたくないので」

 人形のような瞳にじっと見つめられて、宗二郎は訳もなく身構える。


「な、なにか?」

「痛いの痛いの、とんでけー……」


 すっと夜市が音も無く宗二郎に近づき、その腕を取ってまじないの言葉を紡ぐ。しかし、感情の籠らない、淡々とした棒読みでやられても非常に反応に困る。


「子供じゃあないんだからさ……」

「由緒正しい御呪いなのに、なー……」


 相変わらず頭の中が読めない人である。ボンヤリとしているようでもあり、そうでもないようであり、結局よく分からない人と言うのが偽らざる宗二郎の本音である。


「大丈夫です、このくらい。でも感謝します」

「そう」


 彼の強がりに、夜市は分かりづらいくらい本当に薄く微笑む。

 それに掌を握って調子を確かめると心なしか、確かに良くなった気がした。

 御呪いがちゃんと聞いた証拠だ。

 案外、馬鹿に出来ないものである。


「凄いね」

「え、なんで?」

 宗二郎が嘆息気味にぽつりと漏らした言葉に、彼女はきょとんとした顔で首を傾げる。


「君は、色んなことが出来る」

 ──剣しか能のない僕とは違って。


「そんなの……意味ない、よ」

 ──何でも思い通りになるわけじゃない、から、と彼女は続ける。


「困ってる?」

「そういう訳では……。自分に出来ない事をアレコレと羨んでみても仕方がない事です。……ただ、思う所がないわけではないと言う事、かな」


 夜市の「贅沢、だね」との相槌に、宗二郎は苦笑する。

 もし仮に宗二郎が夜市と一対一で闘ったら、かなりの確率で勝てる。

 そう言う意味では宗二郎の方が強い。

 けれど、怪異を祓う事に関しては、きっと彼女の方が上手くやるだろう。

 そう言う事だ。


「大丈夫」

 との言葉に続けて彼女は、「ジロちゃんは強いから」と言う。


 果たしてその言葉はどれだけの意味が込められて口に出されたのだろうか……。

 彼女の瞳は、夜空の月のように翳りの無いもので、此方の心中を全て見透かされているような、そんな気がした。

 勿論それが錯覚にすぎない事は考えるまでも無い。

 サトリ妖怪じゃないのだから、他人の考えが分かる人間なんてそうそういやしない。


「ね、少し歩こうよ……」

 提案に、宗二郎は頷いた。

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