第6話 戦う意味

 渋谷にある東方新聞本社ビル。ここで木部は編集長に酷く怒られていた。


「お前は最近何をやってるんだ?!ろくに記事を持ってこなければ、勤務中に勝手にどっかに行く!お前それでも社会人のとしての自覚あんのか?!」


 編集長の声がフロア中に響き渡る。木部は申し訳なさそうな表情で頭を下げている。


「すいません!ルージュを追っていたのですが、なかなか情報が掴めず・・・」


「もういい、お前今日からこの仕事やってろ」


 そう言って編集長が木部に言い渡したのは、所謂事務作業だった。


 木部は新聞記者になりたくて東方新聞に入社をした。それは編集長も知っている。だからこそ、彼はあえて木部にそれとは違った仕事を与えたのだ。それには、木部が勝手にオフィスを出ていかないようにという意味も込められている。


「いいな。勝手に飛び出してくんじゃないぞ。お前は、自分のデスクでこれをやっとけ」


 編集長にきつく言われ、木部はしょぼくれた顔で自分のデスクへと戻って行った。



*****



 丁度その頃、カフェの一番奥のテーブルにスーツを着た篠崎と、ラフな格好をした来栖がコーヒーを飲みながら、話をしていた。


 カフェには彼らの他にもお客さんがいるものの、わざわざ店の奥に座る様な物好きなどおらず、そのおかけで彼らのテーブルだけ独特の雰囲気を醸し出していた。


「何故最近俺の連絡に応えない」


 カップをソーサーに置き、篠崎が低い声でそう言うと、来栖は残っていたコーヒーを飲み干しゆっくりと口を開いた。


「別に、SEEDと戦ってるんですからいいじゃないですか」


 その目線は決して篠崎と交わる事はなく、近くに置かれた観葉植物に視線を落としていた。


「それはそうだが・・・」


「なら、問題はないですよね」


「だったら、せめてSEEDを倒した後くらい俺に会ってくれてもいいんじゃないか?パートナー何だし」


 篠崎がそう言うと、来栖はテーブルに肘を付き、口元で指を組むと今度は篠崎の後ろのカウンターを見ながら応える。


「そうですね、パートナーですもんね───」


 来栖にとって、篠崎のいう『パートナー』とは都合のいい『駒』という意味で捉えていた。


 現状、SEEDに対抗できるのは来栖が変身するルージュただ一人。警視庁が設置している、篠崎も所属しているSEED対策本部ですら名ばかりの組織である。


 彼らはSEEDに対抗するために重火器の使用が認められている。しかし、そのどれもがSEEDに傷一つ付ける事すら出来ない。その為、対策本部がやっていることと言えば、SEEDが現れた現場に一般人の侵入を防ぐ為の規制線を張ることや、現場に残された『殻』の回収と身元特定。そして、SEEDの実態調査である。つまり、対策本部が行っている事は全て事が起きてからの対処であり、SEEDに対抗する素振りさえ見せていない。唯一対策本部の人間でSEEDに対抗しようと考えているのが、篠崎である。しかし、彼がやっていることはルージュである来栖に連絡を取り、SEEDが出現した現場に来てもらうこと。彼もまた、自分の力でSEEDに対抗しようとはしていないのだ。


 篠崎本人からしてみると自分がしている事は、SEEDから人類を守る為の重要な役割だと考えており、SEEDという『悪』に立ち向かう『正義』なのだ。


 しかし、その考えが来栖を更に苦しめていた。『SEEDによる大量殺人事件』の夜から今日に至るまで、来栖は一人で戦ってきた。それは文字通り、単独でSEEDと戦っているということである。来栖にとって、化物態のSEEDを倒すということは、SEEDがなまじ人型ということもあり多少の抵抗はあるものの何とか倒すことが出来る。しかし、人に『擬態』したSEEDを倒すのには抵抗どころか、やめてしまいたいとすら思っていた。見た目は完全に人間。それは勿論、その人の『殻』をSEEDが被っているのだからそうなるのは当然である。それが人間でないのとは来栖も理解している。だからといって、人殺しと変わらない行為に嫌気がさしていた。


「とにかく、次のSEEDが現れた時は必ず俺からの連絡に応えてくれ。これは、人々を守る為の正義なのだからな」


 篠崎は誰よりも正義感の強い男だ。その事に来栖も気付いていた。気付いているからこそ、来栖はこの協力関係を断ち切りたいと思うようになっていた。


 何故俺がこの男の正義に巻き込まれなければならない。そこまでして守りたいものがあるなら、自分で戦えばいいじゃないか。


 来栖の篠崎対する不満は日に日に募る一方だった。



*****



 その日の仕事を終え、木部はオフィスを後にした。慣れない事務作業をしたせいか、木部は外に出るなり大きく伸びをする。


「うーん・・・、疲れた・・・」


 あれほどルージュに対して取材をしたいと意気込んでいた木部であったが、先日東京駅でルージュにあった時、彼の背中を見た時、木部は自分がしていることが何か間違いなのではないかと思い始めていた。


 世間はルージュを『英雄』として称えている。しかし、それが本当にルージュである来栖にとって喜ばしいことなのだろうか。彼は一人であの異形の化物に立ち向かい、人々を救っている。そんな彼の事をどれだけの人が知っているのだろう。


 赤坂でSEEDが出現した時、交通渋滞にはまった車は皆我先にとクラクションを鳴らしていた。まるで、自分にはSEEDの出現が関係ないのだと言うように、彼らは自分たちの事のみを優先していた。そんな彼らにとって、ルージュという『英雄』の存在はあってないようなものなのではないだろうか。テレビの中の化物、テレビの中の英雄。それが自分達の周りで起きていることだと分かっているのかすらも微妙な世間の動き。世間にとって、半年前の『SEEDによる大量殺人事件』は既に過去のことで、終わった事になっているのではないだろうか。そんな人たちにルージュについて知ってもらったところで、一体何になるのだろうか。木部はあの日以来そんな事を考えていた。


 今、世間に知ってもらうべき事はルージュよりも、ルージュに変身している来栖なのではないか。来栖がどんな思いで、何のために戦いっているのか、それを知ってもらうことの方が必要なのではないだろうか。そう思っていた矢先、編集長から言い渡されたの事務作業。もうルージュには会えないのだろうか、木部がそんな事を考えていると渋谷駅に着いた。帰宅時間で混雑する駅前。スーツを着た人や、制服の高校生。様々な人がごった返す渋谷駅前で悲劇が起きた。


 マスクをしたスーツの男性が突然通行人の男性の頭を鷲掴みをすると、頭を掴まれた男性から気体状のものが流れ出る。みるみるうちにその男性は萎れていき、遂には『殻』となってしまった。突然のことに周囲は悲鳴の嵐。道標を失った蟻の様に右往左往する周囲の人達。そんな中で、木部はある人に電話をしていた。


「篠崎さん!大変です!渋谷駅前で擬態したSEEDが現れました!」


 人間を『殻』に出来るのはSEEDのみ。そうなれば、あの男性は人ではなく、人に擬態した謎の生命体SEEDということになる。


「もっと・・・、もっとだ・・・」


 マスクをした男性に擬態SEEDがうわ言の様に呟いている。




 本来人語を話せないSEEDであるが、人に擬態したSEEDは人語を話せるようになる。そもそも、SEEDには発声器官のようなものが備わっておらず、時よりあ奴らが鳴らす奇妙な声はSEED特有の器官からなっているもので、化物態のままでは発声が出来ないのだ。そのため、人の『殻』を被り『擬態』することで人間がもつ機能が使えるようになり、人語が話せるようになるのである。




 そうとは知らない一般の人達は、目の前で起きた異常な現象に慌てふためくばかり。人がごった返す渋谷駅前でそんな事が起きれば、一瞬にしてその場で押し合いが始まる。そう、誰もが我先にと逃げ出すのだ。醜いかと思うかもしれない。しかし、これが人間の本性だ。誰しもが死にたくない。その一心で逃げ回る。そうなれば、他人など気にしている余裕など無くなる。そこにあるのは無秩序だけである。


 木部もその場から離れようとした。しかし、マスクの男性に擬態したSEEDが木部を捉える。ゆっくりと近づくその姿は、木部にあの日の夜の事を思い出させていた。


 死体と呼ぶには奇妙な遺体。乾ききらぬ血で染まった道路。そして、目の前で殺された同僚。あの日、木部が渋谷で目にしたものが次々に思い出され、額には汗が出ていた。


「逃げなきゃ・・・逃げなきゃ・・・」


 すると、空から突如現れた赤い英雄。彼は華麗に着地を決めると、気だるそうな声でこう言った。


「逃げてください」


 その声に半年前の覇気は無かった。それでも、彼は擬態したSEEDに立ち向かう。


「頼むから、その擬態を解いてくれ」


 来栖はぼそりとそう呟く。しかし、擬態したSEEDはそれが分かっているのか、サラリーマンの姿のままルージュに迫る。


 目の前で繰り広げらるサラリーマン対ルージュの殴り合い。けれど、ルージュは攻撃をいなすばかりで自分からは手を出さない。その異様さに、木部も薄々気が付いていた。


 来栖は戦いたくないのだと。


「どうした英雄!所詮お前の力はそんなものか?!」


 擬態をし、人語が話せるようになったSEEDがルージュである来栖に向かって好き勝手に暴言を吐く。それでも、来栖は手を出さず攻撃を躱している。


「これで終わりだ!」


 サラリーマンがそう叫ぶと、背中に亀裂が走り中からカブトムシ型のSEEDが現れた。その瞬間、ルージュは渾身の一撃をそいつの顔面にくわせた。




 その後、ルージュがカブトムシSEEDを倒すと、現場には警察が溢れかえっていた。皆、事件の後処理に来たのだろう。そんな中、一人現場から姿を消そうとする来栖。その後を尾ける木部。しかし、彼女の尾行は来栖には最初から気付かれていた。


「何で尾けてくるんですか?」


 駅前から少し離れた通りを歩いていたところを、来栖は突然振り返り木部に話し掛けた。あっさりバレてしまったことに恥ずかしくなったのか、木部は顔を真っ赤にしながら頬をかいた。


「いや・・・、ちょっと貴方の事が気になりまして・・・」


「俺の事ですか?それなら気にしなくて結構です。俺は大丈夫なので」


 来栖は寂しそうな目で答えると、再び歩き出してしまった。そんな彼の背中は余りにも小さく、木部はそんな彼が心配で堪らなかった。


「この前、どうしてSEEDと戦ってるんですかと聞いたら、貴方はそれが自分の使命だと言ってましたよね?それって、本当に来栖さん、貴方の使命なんですか?」


 木部がそう言うと、来栖は足を止め、木部のことを睨むようにして見詰めた。


「なるほど、この前の人ですか。何で俺の名前を知ってるのかは知りませんが、前にも言ったとおり、戦うことが俺の使命なんです。俺がルージュである以上、俺は戦うことをやめられないんですよ」


 嘲笑するかのように、口角を上げて話す来栖。そんな彼に、木部は尚も歩み寄る。


「でも、何も来栖さん一人が抱えなくてもいいんじゃ──」


「俺以外、誰があいつらと戦うっていうんですか!!」


 突然来栖が吠えた。それまで、一度も怒りという感情を表に出してこなかった青年が、この時初めて自らの感情をさらけ出したのだ。


「あの化物を倒さるのは俺一人なんですよ!?いや、俺じゃない、ルージュだ!俺はルージュになった。そうなってしまったからには、俺はあいつらと戦わなきゃいけないんですよ!誰かに褒められる訳でもない!対価がある訳でもない!他でもない、誰かの為に俺は命を懸けなきゃいけないんですよ!そんな俺の気持ちが分かりますか?!世間が見てるのは俺じゃない!ルージュだ!だからって俺がルージュですなんて絶対に口にしたくない。そもそも、世間はSEEDとかいう化物をさほど問題視してないんですよ。きっと誰かが何とかしてくれる。皆そうなんですよ。他力本願。ルージュという存在がヒーローになったんじゃないんですよ。ヒーローと枠組みにルージュがはめられただけなんですよ。そう、俺はいいように利用されてるだけなんです。俺がどんな思いで戦ってるのかなんてこれっぽっちも興味を持たず、ただ守られるだけの自己中心奴らの為に、俺は戦ってるんですよ!!」


 涙を流す来栖を見た瞬間、木部は咄嗟に木部を抱き締めていた。何故そうしたのかは木部本人にも分からない。けれど、体が勝手に動いたかのように、木部は強く来栖を抱き締めていた。


「貴方は一人じゃないのよ」


 木部が感じていた来栖の孤独。それは、木部が考えていたよりも深く、悲しいものだった。


「俺は・・・、俺は・・・」


 ルージュになってから初めて感じた自己の承認。来栖はそれまで、自分という存在がルージュという存在のせいで消滅しているのではないかと恐れていた。戦いを続け、命を奪い、何者でもない化物になっていく度に、人間である来栖雄也くるすゆうやという存在が消えていくような、そんな恐怖が彼を日々苦しめていた。だからこそ、木部に感謝された時来栖は久々に自分という存在を思い出した。対策本部の篠崎でさえ、来栖雄也という人間を見ていない。彼が見ているのはルージュという『正義』の存在である。篠崎とは違い、自分を認めてくれる木部の優しさが来栖には嬉しかった。


 その日、来栖は枯れるほどの涙を流した。



*****



 その翌日、来栖の本心を知った木部はデスクワークに追われていた。定時を過ぎても終わらぬタスクに、オフィスに残り作業を続けていたのだ。


「あの子は、私が支えてあげなくちゃ」


 木部の中で、ルージュという存在が変化していた。世間のいう『英雄』などではない、一人の孤独な青年なのだと。


「お、木部。まだ残ってたのか」


 木部がパソコンのモニターを見詰めていると、編集長が扉を開き入ってきた。既に帰っていたのだと思っていた木部は驚いた表情で編集長を見た。


「いやあ、この日をずっと待ってたんだよ。あいつが絶望に打ちひしがれるこの日をな」


「あの編集長?一体何を言っているんですか・・・?」


 すると、ゆっくり編集長の背中に亀裂が走り、中からウルフ姿をモチーフにしたウルフSEEDが現れた。


「あ、あの時の・・・!」


 翌日、東方新聞本社ビルには三十代男性の破られた『殻』が遺されていた。




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