Episode38 ~それでも彼女は覆い隠す③~

 カイとアンリのデートは思いのほか普通だった。

 考えてみれば、二人とも目立つのがあまり好きじゃないタイプなのだ。

 道端みちばたでイチャイチャすることもなく、ブティックに入って適当に商品を見て、何も買わずに出ていく。


 道を歩いてまたブティックを見つけたら中に入り……といった、デートとしては無計画すぎないかと思ってしまう。

 だが、カイは細かく予定を組むタイプでもないので、元から成り行きのデートなんだろう。


 たまにアンリが疲れた様子で、喫茶店に入ったりもしたが、やはりは訪れない。

 そうして尾行を続けていると、やがて辺りの雰囲気が強張ったものになっていく。


 人通りも大街路から少なくなり、ぽつぽつと人がいるだけだ。

 道の両端には、シートを広げて骨董品や装飾品、食材や何かわからない物まで売っている商人が所せましと並んでいる。

 ここは恐らく──グラーテの南西付近の外れだ。

 警邏庁けいらちょうとは真逆の方向にあるここは、警邏隊けいらたいの目が届きにくく、色々と黒い噂が絶えない場所。


 ノア自身、噂ていどでしか聞いたことがなく、実際に来るのは当然始めてだった。

 今更になって、カイが隣にいないことへの不安がこみ上げてくる。

 ちらりと正面を見ると、カイはこちらに目もくれず、アンリと真剣に商品を見ていた。


 今のノアの姿は他人なのだ。気を使ってくれているはずもない。

 ──それにしても、何で二人はこんなところに?

 少なくとも、デートで来るような場所じゃない。それ以前に、女の子が寄り付くような場所ではないのかも……。


 流石に身の危険を感じ、ノアが追跡を諦めて大街路に戻ろうとした瞬間。

 何者かがかたわらに来ていた。


「お嬢ちゃん? お嬢ちゃんだよね? ちょっといい?」


 話しかけてきたのは若い青年だった。

 貼り付けたような笑顔をした青年は、手慣れた手つきでノアのフードを外す。

 中に隠れていた顔と髪が晒される。

 その動作一つで、ノアは反射的に危機を感じた。


 走りだそうとして、右手が掴まれているのに気づく。

 決して強い力ではないが、女性であるノアを拘束するには十分すぎる。


「や、止めてください……」


「そう怖がらないでよ。お嬢ちゃんさ、年頃でしょ?

 お金に困ってない? おすすめの所があるんだけどさぁ」


 そう言って、笑顔を近づけてくる青年。

 胸の奥から確かな嫌悪感がこみ上げる。

 近づかれたら終わりだ──咄嗟にそう判断して、数歩下がるノア。

 だが、それを埋めるように青年が近づいてくる。


(逃がす気はないみたい……なら、しょうがないよね)


 力で引き剝がすことは無理だが、ノアは魔術師だ。

 魔術で電撃を少し浴びせれば引き下がるはず。一般人に魔術を使うのは申し訳ない気持ちになるが、緊急時なので仕方がない。


 そして、いざマナを練り上げようとした瞬間。

 ──とんでもない事に気付いてしまった。

 魔術師は、原則として魔術と無関係な一般人向かって、魔術を使うのは禁止とされているのだ。

 例外として、自己防衛の場合は行使することが認められている。


 だが──自分は今、何の危機に侵されている?

 暴行を受けた訳でもなく、無理やり連れていかれるわけでもない。

 腕を掴まれたといっても、別に痛くもないし、暴行には該当されないのではないか。


 つまり、今のノアには魔術を行使するだけの理由がないのだ。逃げるには青年に何かされるまで待つしかない。


(でも、きっとその時にはもう……)


 そう理解した瞬間。

 今まで必死に抑え込んでいた恐怖心で、頭がいっぱいになった。

 全身の熱が下がるのを感じる。顔を蒼白にしながら、必死に青年の手を引きはがそうとする。


「ちょっと、止めてください……止めて!」


「そう警戒しないで。ちょっとお茶するだけだって!」


 今更ながら、ノアはやっと今の状況の重大さを自覚した。

 この青年はグレーゾーンを理解しているのだ。帝則に引っかからずに、相手を逃げられなくする塩梅を。


 すると突如、青年の右手が脇腹に触れた。

 背中に悪寒が走る。思わず引きつった声が出た。

 腕と身体の一点を掴まれるだけで、ノアの身体は完全に拘束されてしまった。

 これでは身体を捻ることも叶わない。

 ──不味い。ほんとに不味い。このままじゃ──!


「おい」


 ぐいっと、ノアの腕が引っ張られる。

 いつの間にそばに来ていたカイが、青年の腕を掴んで上に持ち上げていた。

 咄嗟に「カイ!」と叫びそうになった口を、ノアは寸前でふさいだ。


 涙目になっているノアに目もくれず、カイは青年を睨む。

 みし……と青年の腕から鈍い音がしたところで、青年はやっと手を離した。

 それと同時に、ノアは弾くように青年から距離をとる。


「ぐぅう……!? なんだ、お前!」


「俺の事はどうでもいい。痛い目見る前に逃げた方がいいぞ」


 カイの忠告に対して、青年は貼り付けていた笑顔を解いた。

 卑しく口角を釣り上げて、高らかに嗤う。


「はっ! そんな腕で何ができるってんだ!? こっちは俺だけじゃないんだぜ?」


 そういうと青年の後ろの建物から、凄まじい体躯のスキンヘッドの男性が二人出てきた。

 スキンヘッドが青年の前に並ぶ。

 自分よりも大きい体躯を前にして、カイはなおも勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 その様子を見ながら、ノアは胸の奥でこみ上げるものを感じた。

 ──無理だ。

 流石にカイが格闘術に秀でているとしても、あの巨人を二人も相手にするなんて。

 それに今の彼は、腕の負傷の影響で魔術を使えない。

 喧嘩になれば負けるのは確実にカイだ。

 ノアが「止めて!」と声を上げようとした瞬間。


「──そこまでよ」


 カイの後ろから、颯爽さっそうと現れる人影があった。

 紅の長髪をふわさとかき上げて、決然とした表情を浮かべる彼女は──。

 

(アンリ……!)


 声を出せない代わりに、ノアは心の中で嚙み締めるように親友の名前を呼んだ。

 

 

 

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