Episode34 ~罪の所在~

 カイが目を覚ますと、そこは知らない天井だった。

 胡乱な意識で天井を眺めながら、断片的な記憶を繋げる。

 ──そうだ。俺達はアライト遺跡に見学しに行って……どうなった……?

 思い出せない。記憶が雲がかったみたいだ。

 しかし、その雲は瞬時に晴れた。

 目線を下にやった時、包帯が巻かれた自らの体を目撃したからだ。


「──ッ!」


 弾かれるように起き上がった。刹那、


「……ぁぁぁぁァァあああッ!?」


 全身を串刺すような激痛に、カイは口から飛び出す声を抑える余裕もなかった。

 ギプスが巻かれた右腕を左手で押さえつけて、体を小刻みに振るわせる。


 ──思い……出した。完全に……。

 目線を上げて、過呼吸を必死に押さえつける。

 ハーレスに単身で突っ込んだ時点で、重傷は覚悟していたが、腕を切られた時以上の痛みにカイは身を震わせるしかない。

 戦闘時特有の覚醒状態というやつだろうか。

 集中していて感じなかった痛みが、今になって倍増して降りかかっているようであった。


 その時、最初から傍にいたのだろう、飛び起きたノアがカイに寄り添う。


「カイ⁉ 大丈夫⁉ 今すぐ先生呼んでくるから!」


 慌てて部屋を出ていくノア。

 ……数分後、忙しなく登場した女性医師が白衣に腕を通しながら、カイに寄り添った。


「カイ・フェルグラントさん? 大丈夫ですか? 大丈夫なら私の手を握ってください!」


「………」


 いわれるがまま、カイは震える手で女性医師の手を握り返すが、


「──ッ、力が弱い! 鎮痛剤を打ちます。ノアさん、そこの棚から注射器と注射液を!」


「は、はいっ!」


 女性医師は慣れた手つきで、注射器に液を入れていき、針先をカイの腕へあてがった。

 少し我慢してください。という声かけと同時、右腕に鋭い痛みを感じる。

 次第に冷たい何かが全身を巡る感覚がして、全身から震えと痛みが引いていく。

 呼吸も収まり、カイは改めて女性医師の顔を見上げた。


「ありがとうございます……シェリー先生」


 奇しくも、カイは女性医師の顔には見覚えがあった。

 薄い黄金色の髪を後ろでくくり、整った容姿。

 清楚な雰囲気を漂わせるその姿は、グラーテの住民で知らぬ者はいない。

 グラーテで唯一の医療所を経営している若き成功者、シェリー・メイソニンである。


 定期的にグラーテ魔術学園に来ては、保健室の先生として学園を手助けしているため、生徒達にも顔は広い。

 おそらく、今回の合宿でも助っ人として雇われたのだろう。


「先生……カイは大丈夫なんですか……?」


 シェリー先生の後ろでずっと佇んでいたノアが、重たそうに口を開いた。


「……はっきり言って、芳しくはないです。

 正直ここに来た状態に比べれば、五体満足な分良くはなっていますが……」


「え、俺ってどんな状態で運ばれたんですか……?」


 残念ながら、カイにはハーレスの爆発に巻き込まれてからの記憶がないのだ。

 その瞬間。ノアが辛そうに目を伏せた。

 目の前のシェリー先生も先ほどまでとは違う真剣な表情で、カイを見つめ返す。


「辛いとは思いますが、私は事実を話す義務があり、貴方は知る権利がある。

 カイ・フェルグラントさん。貴方がここに来たときは、とても生きているとは思えませんでした。

 両足骨折、肋骨も複数折れていて、左腕は何かの爆風に巻き込まれたように焼けただれ、骨まで損傷していました。

 そして何より、右腕の肘から下の切断。これが一番重症でした。

 正直に言って、生きていたのが奇跡です。ここまで運んできてくれたアンリさんが応急手当をしていなかったら、確実に死んでいましたよ」


「え……そう、なんですか……」


 先ほど感じた痛みから、自分がよほどの重症だと自覚していた。

 しかし、面と向かって事実を告げられると、カイは冷や汗が止まらなかった。

 元は右腕損傷だけの予定だった。

 まさかハーレスが自ら自爆するとは思わなかったのだ。

 それほどの覚悟しかしていなかったし、もしそれを眼前で目撃したアンリがどれほどの衝撃を受けたのか、計り知れない。

 その場にいて、冷静に応急処置をしたアンリには、流石としか言いようがなかった。


「あとでちゃんと彼女にお礼を言ってあげてください。彼女は貴方の命の恩人なんですから」


「あ、はい。それはもちろん……」


「話を戻します。

 アンリさんが応急手当をしくれたおかげで、大体の傷は手遅れにはなりませんでした。

 骨折も魔術で修復できましたし、傷も大体はふさげました。

 ただ……」


 シェリー先生が視線を落とす。


「切断された右腕だけはそうはいきませんでした。

 何とか手術で魔回コードごと繋ぎ留めましたが、以前のように腕を動かして魔術を起動できるようになるかは、これからのリハビリ次第です……」


 …………。

 シェリー先生が話を終わって部屋から出た後も、室内には重たい空気が流れた。

 その空気を破るように。

 カイは傍の椅子に腰かけたノアに話しかけた。


「すまん、ノア……またこんな事になっちまって……」


「……ううん。カイは私や、クラスの皆を助けるために命を張ったんでしょ? 謝る必要なんでないよ」


「いや──あ、ああ……」


 カイは言えなかった。

 本当はこんな重傷を負わなくても済んだのだと。

 あの時、カイがハーレスを始末していれば、こんな事にはなっていなかったのだと。


「私も助けになれればよかったんだけど……」


「そうだ! クラスの皆は!?」


 思い出したかのように問う。

 あの時、クラスの皆はハーレスの作った空間に閉じ込められていた。

 そこで恐らく──マナを吸い取るゴーレムに襲われていたに違いない。人が何人も死んでいてもおかしくない濃いマナが部屋に充満していたで、気がかりだったのだ。


「大丈夫だよ。大分危なかったけど、皆生きてる。ロイン君が皆を先導して負傷者を減らしてね……。

 それに後からスィート先生も来てくれたし、こっちは問題なかったよ」


 それを聞いて、カイはほっと胸を撫でおろした。

 カイが命を懸けて行動した意味は、少なからずあったということだ。


「それで……クラスの奴らは今どうなってる?」


「その日にグラーテに帰ったよ。強化合宿も中止になったの。

 今オーシェンに残っているは……私とカイ、シェリー先生、それにアンリだけ」


「え、アンリも残ってるのか⁉」


 てっきり先に帰ったとばかり思っていたので、カイは驚愕の声を上げた。


「そりゃそうでしょ……アンリだってカイの事心配してたんだよ?

 そうだ! 多分フロントの何処かにいると思うから、アンリにも意識を戻ったって伝えに行ってあげて」


 確かにそうだ。

 今回の件でもアンリにはかなり世話になった。

 できるなら早くお礼を言いにか無ければ。

 そう思いながら、カイは傍に置いてあって松葉杖に手を伸ばすと、たどたどしく立ち上がった。


「……ん?」


 その時、カイは扉の横に置いてある籠が目に入った。

 円形の籠の中には布が入れてあった。

 細長いもの、薄く大きいものと、その形はどれも異なり、そのどれにも血がべっとりと付いてあった。 

 それに布の端に強引に破ったようなほつれがある。


 ──あの布の柄、どこかで……。


 そう持った瞬間、カイの後ろにノアが歩いてきた。

 

「ほら、早く早くっ」


「わ、わかってるって……」


 ノアに少し背中を押されながら、部屋を出る。

 外に出ると、床にカーペットが一面に敷かれた廊下に出た。

 恐らくさっきの部屋は、ホテルに備え付けられている医務室だろう。つまり、ここはホテルの中だ。

 フロントはどこだっけ……と、カイは来た時に頭に叩き込んだホテルの地図を思い浮かべて、廊下を進んでいった。


 数分後、何とかフロントについた。

 フロントは荘厳なシャンデリアで照らされ、道標に赤いカーペットが敷かれている。

 中央の噴水には天馬の彫刻が彫られており、その周りには椅子が並べてある。


 しかし、フロントを見渡してもアンリの姿は見えない。

 医務室にいたカイを待っているなら、ここにいると思ったのだが。

 フロントを歩きながらアンリを探していると、ふと窓の外に目が行った。


 日の出だ。果たしてアライト遺跡の騒動から何時間経ったか分からないが、遺跡に入る前は日中だったので、少なくとも半日は寝ていたことになる。


「……!」


 その時、ベランダの奥の人影に気づいた。

 遠巻きだったが、あの特徴的な赤髪はアンリだ。ただ制服ではなく、その上に薄茶色のポンチョを羽織っているが。

 確認しようと、ベランダに続く扉に手をかけ──ようと思ったが、今は左腕が動かせない状況だと気づいた。


 右手は松葉杖を支えるので手一杯である。しょうがないと、カイは肩で扉を押して外へ出た。

 ぶわっ! と外気がカイの髪を揺らす。潮の匂いが鼻を刺激する。

 そこでやっとベランダに出てくるカイに気づいたのか。

 ベランダの奥で佇む赤毛の少女が、目線だけをこちらに投げた。


「……ああ、起きたの? アンタ」


「おかげさまで……」


 松葉杖を動かし、カイがあもむろにアンリの隣に並ぶ。


「……ありがとうな、助けてくれて。あの時アンリが応急処置してなければどうなっていたか──」


「──あたしじゃない」


 アンリが遮るように言った。

 えっ? と、カイは反射的に聞き返す。

 アンリの顔は見えない。手すりに肘を付けて、そっぽ向いている。

 表情が読み取れなければ、嘘をなのかすら分からない。

 故にカイは生唾を飲み込んで問いかけた。


「それって、どういう……?」


「あたしが助けた訳じゃない。

 ……あたし一人じゃ助けられなかった」


 顔は見えない。

 だが、夕日に当てられたアンリの背中には悲壮感が漂っていて……。

 アンリが手を握りしめる。悔しそうに。悲しそうに。

 少し前置いて、厳かな声がベランダに響いた。


「私は確かに貴方を助けようとしたわ。

 でも……私の力じゃあ、応急処置もできなかった。

 魔術の技術が無かった私には……マナを大量に消費して、貴方の傷口を塞ぐしかなかった」


 恐らく、アンリが言っているのは治癒術ディアルの欠点の事だろう。

 治癒術ディアルというのは、もとより対象者のマナを活性化させ、身体の自然治癒力を底上げして傷を塞ぐものだ。

 高度な治癒術ディアルになれば、魔術で疑似的な血や細胞を作り出し、応急処置をして後から身体が適応させる方法がある。


 だが、これは専門な知識が必要であり、学生であるアンリには難しかったのだろう。

 なので、カイの身体にマナを直接送り込み、自然治癒力を上げるため活性化させるマナの量を増やす方法をとったのだ。


「でも──治癒術を無駄に行使した私の身体には、もう使えるマナは残ってなくて……。

 見捨てるしかない。そんな時に──セーレが来たの」


「セーレが……?」


「駆けつけてくれたセーレがマナを分けてくれて、何とか応急処置はできた。

 けど……あの時、セーレが来てくれなかったら…………きっと今頃……」


 そう言って、自らの未熟さを告白するアンリの肩は、酷く震えていた。

 アンリは誰よりも魔術に本気だ。

 もとより、学園で教わるような治癒術は「負傷した兵士が少しでも早く戦場に戻れる応急処置」なので、酷い重傷は直せなくて当然である。

 しかしそれよりも、アンリの中では『カイを助けられなかった』悔しさと『魔術の技術が足りなかった』という未熟さが勝ってしまっているのだ。


「………」


 カイはどうするべきか分からなかった。

 励ますべきだろうか? だが外部保有アウターであるカイに、何を言われても響きはしないだろう。

 ただの励ましではダメだ。もっと現実的な──。

 その時、アンリが突然口を開いた。


「……でも、何より気に食わないのは、アンタの行動よ!」


 ばっ! とアンリが振り返る。

 薄紫の瞳でカイを睨み上げ、音を立ててカイに近づいて、


「アンタは──自分が何をしたのか分かってる⁉」


 両手で胸倉を掴んだのだ。


「ぐえっ⁉ あ、アン──」


「──命を投げ捨てようとしたのよ⁉

 怖かった……ッ! 私のせいでカイが死んだらどうしようって──ッ!

 震えが止まらなくて、泣きたくて……!」


 アンリがぶつけるように叫ぶ。

 その両目には涙が溜まっていた。


「でも泣いてもどうしようもないって分かってたからッ! 必死にアンタを助けようと……したのに……!」


 胸倉をつかむ両手が弱弱しく震える。やがて、両手はずるずると下へ落ちて、アンリは床に座り込んでしまった。

 その時、座った衝撃でアンリが羽織っていたローブが脱げた。

 ローブの下にあったアンリの姿に、カイは驚愕する。


 ぼろぼろだった。

 制服の上着は無くなり、袖、ブラウス、スカート……その全てが、限界まで破られていた。以前まで着ていた制服の原型はない。

 それどころか、最早服とすら呼べるのか分からないほどだ。

 血みどろの身体は、その時の悲惨さを否応なく物語っていた。

 アンリは文字通り、懸命にカイを救おうとしたのだ。

 マナを限界まで消費し、止血する布が無ければ自らの服を破って止血して。


 ──そうか……見た布はアンリの──。


 その時、やっとカイは自らが犯した事の重大さに気付いた。

 カイはノアを助けるためなら、いざとなればこの身を投げ出そうとも考えていた。


 『ノアを守る』という使命ばかりに気を取られて、それ以外の事を失念していたのだ。

 即ち──自分が死ぬことで、泣いてくれる人たちの事を。その気持ちを。

 ノアはああ見えて精神的に強い。

 心配させぬようにと、カイの前でも涙を堪えられる。

 だが、アンリは違う。

 もし、今回の件でカイが助からなかったとして、その責任を受け止めるのは誰か。まぎれもない、その場に居合わせたアンリだ。


 ノアは責めはしないだろうが、アンリの心の中に大きな傷を残す事になりかねなかった。

 ──俺はなんという罪を犯したのか。

 自分勝手な行動の結果で、一緒に戦ってくれたアンリに罪の所在を全てなすりつけようとするなんてな……。


 カイは松葉杖を置き、肩膝を付いてアンリと向き合った。

 するとアンリが、カイの胸に飛びついた。

 衝撃で尻もちをついてしまうが、それでもアンリはお構いなしに叫んだ。


「こんな……身体になってまでノアを守りたい……⁉ 少しは自分の身を案じなさいよ、ばかぁ……ッ‼」


「…………」


 感情のままに胸を叩いてくるアンリに、カイは頭を撫でて宥めるしかなく……。

 そんな二人の姿を、昇る朝日が包み込むように照らした。

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