Episode35 ~いつもの日常~

「……約束して。もう二度と命を投げ捨てるような事はしないって」


 アンリが囁くように言う。

 松葉杖を端に置き、ベンチに腰を掛けたカイは力強くうなずいた。


「ああ。ノアにも心配させたし、こんな事になるのは二度とごめんだ」


 カイが自分の身体を見下げ、肩をすくませる。

 そんな軽率な態度に、アンリは目尻の涙を拭いながら口を尖らせた。


「そんな軽いことじゃないんだけど……」


「分かってる。すまんな、制服も弁償するから……」


「いいわよ。あたしの制服で人一人の命が助かったなら安いものだもの」


「でも、さすがに──」


 弁償させてくれ、と言おうとしたその時。

 ガチャ、とベランダの扉が開いた。


「あ~! こんな所にいた」


 ノアであった。ホテル中を探し回ったのだろう、少し肩で息をしていた。

 どうした? とカイが聞くと、


「シェリー先生が呼んでるよ。明日グラーテに帰るから、色々診察しときたいんだって」


「そうか。分かった。向かうよ」


 言いながら、ベンチに立てかけてあった松葉杖に手を伸ばす。

 まだ立ち上がるのが慣れていなく、少しふらつくカイの肩を傍に寄ったノアが支える。

 「助かる」とノアに囁くと、彼女も仕方がないなと言うように、微笑みを浮かべた。

 そのまま、カイ達はホテルの中に入り、部屋へ戻っていくのであった。



※ ※ ※



 翌日。カイ達はグラーテ行きの駿馬に乗り込んだ。

 荷台で揺らされること数時間。何事もなくグラーテに帰還できた。

 しかし、グラーテ魔術学園の雰囲気は今までとは比べものにならないほど、張り詰めていた。


 今回の強化合宿で起きた生徒の謎の行方不明。そしてそれにより、負傷者の生徒が二人。

 この結果は、学園側にも重傷を与えたらしく、日々事後処理に追われているらしい。さらには、教師間の間で責任を擦り付け合う事態になったという。

 そんなこんなもあって、カイやアンリの処分や事情聴取は後回しにされ、事態が収束に向かう頃には、誰も気にしなくなっていた。


「ねぇアンリ~! 明日の攻撃術のテストどうしよう~! 高得点出さないと披露祭の参加に響いて……あわわわわ……!」


「落ち着いて。貴方はそう焦るからいけないのよ。明日は時間もあるし、休憩の間にでも練習に付き合ってあげるから」


 ──まるで何事もなかったかのように、いつもの日常は戻ってくる。

 しかし、そうともいかない者もいる。

 グラーテに帰還した途端、シェリーに診察に来るように釘を刺されたカイは、言われた通り毎日通い続けていた。


 一度失った右腕は、数日程度では治りはしない。

 二人の少女をしり目に、カイはため息をつきながら帰路とは逆方向の診療所へ向かう。

 カイにとって、いつもの日常が戻ってくるのはもう少し先になりそうであった。

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