エレベーターの女

 俺は大手商社の営業マン。毎月トップ争いをしているエリートだ。


 月の給料も普通のサラリーマンの年収くらいある。


 その代わり、休暇も取らず、彼女にも別れを告げられ、私生活は悲惨だ。


 田舎の両親も、俺が過労死するのではないかと心配しているらしい。


 しかし、その心配は無用だ。


 俺にとって仕事はストレスを感じない。そう、娯楽なのだ。


 楽しいのだ。取引先との商談も、ワクワクしながらしている。


 普通の人間が俺の感覚を知れば、異常だと思うだろう。


 確かに、ある意味俺は異常かも知れない。


 でも俺の人生だ。何も後悔はしていない。


 俺は高級マンションの最上階に住んでいる。


 いつか住みたいと思い、念願叶って手に入れた。


 でも、今は誰も待っていない。


 最初は寂しかったが、今はもう慣れっこだ。何も感じない。




 そんなある日の夜。


 しばらくぶりに俺は定時で退社し、マンションに戻った。


 エレベーターホールで扉の開閉ボタンを押す。


 チャイムが鳴り、扉が開く。


 ハッとした。誰もいないと思っていたのだが、女性が一人乗っていたのだ。


 俺はその女性が降りると思い、脇に退いた。


 しかし女性は降りない。それどころか、


「ご利用階数をお知らせ下さい」


と、エレベーターガールみたいな事を言い出した。


「は?」


 俺は何となく怖くなり、その女性から離れたところに移動した。


「ご利用階数をお知らせ下さい」


 同じ事を言う。その女性はどう見ても、部屋着のまま出て来たんだろう、という服装だ。


 上下スウェットだ。間違ってもエレベーターガールには見えない。


 まして、このマンションにはエレベーターガールはいない。


 日本全国で考えても、すでにその職業は「絶滅危惧種」に分類されるくらい珍しいだろう。


「ご利用階数をお知らせ下さい」


 更にそう言う女性に、俺は恐怖を感じた。頭がおかしいのだろうか?


「に、二十階で」


 俺の部屋は最上階の二十六階だ。本当の事を言う必要はない。


 何かのきっかけでつけられ、部屋を知られたら恐ろしいと思ったのだ。


「扉が閉まります」


 女性は、如何にもそれらしい口調で「閉」のボタンを押し、扉を閉めた。


 扉が閉まった時、恐怖のレベルがドンと上がった気がした。


 この女が突然暴れ出しても、俺は逃げ場がないのだ。


 エレベーターが、独特のモーター音を立てながら、ゆっくりと稼動する。


 幸いと言うべきか、途中で乗り込んで来る人もおらず、俺は無事に二十階で降りた。


「嘘つき」


 背後でその女性がそう言うのを確かに聞いた。


 しかし、振り返った時、もう扉は閉じ、エレベーターは更に上に上がって行った。


 俺は溜息を吐き、階段を上がった。


 何でこんな目に遭わないといけないんだ?


 自問する。答えなど出る訳もない。


 俺は二十一階に辿り着き、ふとエレベーターを見た。


 エレベーターの階表示のランプが、二十六階で止まっている。


 まさか? まさかね。


 俺は妄想を振り払い、階段を上がった。


 運動不足が祟り、膝が辛い。


 だが、またあのエレベーターに乗るほど怖い物知らずではない。


 息を切らせ、膝を抱えるようにしながら、俺はようやく二十六階に辿り着いた。


 エレベーターは扉を閉じたままの状態で、まだ止まっていた。


 どういう事だろう?


 俺は首を傾げて、自分の部屋に歩き出す。


 その時、チャイムが鳴った。扉が開く音がする。


「え?」


 振り返ると、あの女が俺に向かって走って来るのが見えた。


「嘘つき」


 女はまたそう言うと、俺をドンと突き飛ばした。


「うわ!」


 俺はよろけた。いつもなら踏み止まれるはずなのに、その時の俺は足がボロボロだった。


「うわああ!」


 俺はそのまま外廊下の手すりを突き破り、転落した。


 転落しながら俺は思い出した。


 あの女、同じ二十六階の住人だ。


 確か、今の俺と同じように手すりが壊れ、転落して死んだんだ。


 でも何故?


 答えなど得られようもない。


 そして俺は地面に激突した。

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