第23話 この旅が終わったら結婚するんだ。その3

 まだ朝が明けきらぬ時刻。朝靄の向こうに馬に乗った人影をギリアは見つけた。

「やあ、ライラ。こんな時刻に何の用だい」

 内心の動揺を悟られないように馬に乗った人物に向かって語りかける。

「ジルを返してもらいに来たよ」

 馬をギリアより数メートルほど手前に止めて降りる。魔法使いに無意味だとわかってはいるが、つい反射的に間合いを考えて行動してしまう。

「どういうことだ?ここには来ていないぞ」

 ギリアは周囲を指し示す。広大な牧草地に数十頭は収容できそうな厩舎がある。老朽化が進んでいるようでおそらく使われなくなってだいぶ経つのだろう。

「無駄話している時間はないんだ。どうせ兵団に連絡しているんだろう?」ライラは厩舎のほうを見る。「あそこにジルを閉じこめてるのか?」

「よくわかったな。しかし、閉じこめてるとは人聞きが悪いな。ジルは自分からやってきたんだ。ちゃんと客人として扱っているさ」ギリアは認める。「それにしても、どうやってここがわかった?ジルを連れてきた時には尾行けられてはいなかったと思っていたんだが」

「方法はいくらでもあるさ」

「……あたしが教えたんじゃない」

 ライラの背後に隠れているニルファが小声で抗議する。ジルのズボンをずり降ろそうとしたときに「ゼファンの光」を彼に付けていたのだ。

「……姉ちゃんは出てくるなよ。奴に気づかれたらどうする」

 ライラも小声でニルファを諫める。ジルがいなくなったことに最初に気がついたのはニルファだった。急いでライラを起こして「光」の跡をつけてきたのだ。

「なにをブツブツ言ってるんだ?」とギリア。

「なんでもないよ、それよりもジルを返してくれないのかい?」

 ライラはギリアの気をそらしながら馬の陰に隠れるようニルファに合図を送る。ニルファは自分がここでは足手まといになりかねないことを自覚しているので素直に従う。

「さっきも言ったが彼は自分からやってきた客人だ。私の一存では決められないな」

「だったらあたしが直接ジルに聞いてみよう。会わせてもらうよ」

 ライラが厩舎に足を向けると足元に火花が走って彼女の動きを止めた。

「勝手なことをされては困るな。彼は君のために王政府に出頭することを決めたんだ。その意思は尊重してほしいね」

 右手をライラの足元にむけてギリアはそう告げる。

「だからそれを確認するんだ。時間がないと言ったろう。邪魔しないでくれ」

 ライラもギリアを睨みつけてまた足を踏み出す。そしてまた火花がライラの足元に放たれる。

「私の言うことを少しは信用してほしいね。……それでもしジルが君に帰ってくれと言ったらどうするんだ?」 

 ギリアは右手の狙いを足元からライラの胸元にあわせる。

「決まってる。ぶん殴ってでも連れて帰る」

 ギリアは苦笑する。

「あいかわらず野蛮な奴だな。だったらなおさら会わせるわけにはいかない。お引き取りねがおう」

「断る」

 ギリアとライラがお互いを睨みつける。本人たちにしてみれば長くかかったように感じたが実際はほんの数秒の間の出来事だった。どちらが最初に仕掛けたかわからないがギリアの右手から火花が発した時にはもうライラは一足飛びにギリアの元へ鋼の剣をたたき込もうとしていた。

 ライラの剣の切っ先がギリアの鼻先をかすめる。ギリアが雷撃の呪文を唱えようとするより早くライラは剣を返してギリアに襲いかかる。おかげで雷撃呪文は不発に終わる。

「連続攻撃で呪文を唱えさせない気か。……どいつもこいつもバカの一つ覚えみたいに」

 ギリアはテレナとの戦いを思い出す。だが、呪文を唱えるだけが魔法ではない。右手に意識を集中して浮穴を作りだす。

 それに気づいたライラは右足でギリアの腹を蹴りあげる。そして両手で剣を持ち、縦一文字に振り降ろしギリアの右腕の肘を切り離す。

 ギリアが左腕で右の二の腕を押さえる。

 落ちた前腕をライラが蹴飛ばす。

 その隙にギリアは間合いをとり、右腕の傷を癒す。さすがに腕を再生させるのは無理だが出血を塞ぎ傷を消すことくらいならなんとかできそうだ。

「くそっ、あいつ腹を減らしてるんじゃないだろうな」

 ギリアがそう思っているうちに腹をすかせたピンクの野獣が獲物に向かってまっすぐ突進してくる。

「だからバカは嫌いなんだ。雷撃サーダム・ファルス!」

 傷の治療を中断して左腕から雷撃を飛ばす。虚空を舞う稲光がライラの剣を捕らえる。ライラはとっさに剣を放り投げる。

 雷撃が、宙を舞う剣を追いかけ直撃し粉砕する。ライラの直進は止まらない。視線を剣に向けていたギリアの反応が一瞬遅れる。

 その隙をついてライラの右足の蹴りがギリアの腹部を襲う。

 ライラのたたき込んだ蹴りがギリアをさらに遠くに吹き飛ばす。

「本当はあんたを殺してテレナに詫びさせたい。だけど、それをやると邪魔するやつがいるんでな。とっとと帰ってくれないか」

 ライラがギリアに近づきながら言う。ギリアは

「ああ、そうさせてもらおう。……ただし、ジルは……連れて……行かせてもらう……ぞ」

 なんとかそれだけを言葉にする。テレナの召喚竜が折った肋骨がさっきの蹴りでまた折れたようだ。呼吸がまたもや乱れる。

 左手を伸ばし浮穴を作りだす。ライラの歩みが止まる。浮穴が徐々に大きくなっていく。

「ジェリア!」

 その時、なにかがギリアの右側から飛んできて彼の左腕を肘から切断した。

 いったいなにが起きたのかとっさにはわからなかった。痛みすら感じず飛んできた物体に視線を移す。そこには一枚の凍った板が地面にバウンドして粉々に砕けちっていた。

 吹き出す血を押さえることも忘れ飛んできた方角に目を向ける。厩舎の入り口にたたずむジルの姿があった。どうやら厩舎の扉を凍らせて吹っ飛ばしたらしい。

「ギリア、ライラには手を出さないでくれ。そうじゃないと僕がここに来た意味がないんだ」ジルはそう言ってギリアに近づく。「君と一緒についていくから彼女を帰してあげてくれないか」

「ジル!お前……」

 事の成り行きに茫然としていたライラが目が覚めたように呟く。そして彼の前に立ちはだかる。

「ライラ、黙って出てきてごめん。怒ってるよね」

 苦笑いしながらジルが語りかける。ライラは「当たり前だ」と、そんな言葉も吐くことを忘れてしまう。あのジルが殺しはしなかったが、人を傷つけるなんて。

「じゃあ、行くよ」

 ジルは彼女の傍らを抜けギリアの元に向かう。

「……!おい、待てよ」

 ハッと気がついてライラがジルの肩をつかむ。

「お前本当にギリアと一緒にリストリア城に行く気か?」

 ジルはこちらを振り返らずにコクリと頷く。

「あそこに行ったら、殺されるんだぞ。わかってるのか?」

 それには答えずに自分の肩から彼女の手をそっと外す。ライラはもう一方の手で彼の手をつかみなおす。

「あたしと一緒にお前の村に帰ろう。そう約束したじゃないか。破るつもりなのか」

 ジルには答えることができなかった。そのライラを助けるために自分が王政府の元に向かうことを。もし、このまま旅を続けていけば彼女を危険に晒す。今回のように危うく命を落とすようなことにだってなりかねない。そうでなくても彼女にまた人を殺させてしまうかもしれない。どちらにしてもそれはジルが望むことではないのだ。

 だが、それを彼女に告げることはできない。そんなことをしてもライラを苦しめるだけにしかすぎないからだ。

 ライラが自分の正体を告げてくれたことがジルにはうれしかった。できることなら生涯話したくなかったことだろうに自分が彼女を受け入れること信じてくれたことが心底うれしかった。だからこそ、彼女を危険な目にあわせたくはない。自分はやはり彼女を愛しているから。それを昨夜はっきり自覚できた。だからこそギリアの元に行く決意ができたのだ。

「……おい、……いい加減にして……くれない……か。ジル……は……じぶ……んから行く……と言って……るん……だ」

 ギリアが自身を治療しながら絞り出すようにライラに語りかける。肋骨がまだ治っていないから喋るのも辛い。

「ジル……の気持ちを……尊重しろよ。こいつは……お前のため……に……」

 その言葉が終わる前にライラはジルを自分のそばに引き寄せた。そして……彼を抱きしめ、まるで噛みつくようにその唇に口づけをする。

 口づけをされたほうも、それを見ていた者もなにが起きたかとっさに判断できなかった。ただ、口づけをした者だけが、明確な意志の元に実行した。彼女の口がジルから離れると彼の口元に少しの血が流れた。

「……これでいいか?これなら、あたしの元から離れないか?……あたしはもう、仲間がいなくなるのが嫌なんだ。……頼むからあたしを一人にしないでくれよ」

 懇願するように彼の目を見つめ訴えた。ジルはそんな彼女を見ながら

「……ライラは、……バカなの?」

 と問いかけた。

「……バ……バカとはなんだ!」

 赤面しながら思わず怒鳴り返す。

「……だって、僕が口づけしたのはライラと一緒にいるためじゃない。君を魔王との戦いからなんとか助けたかっただけなんだ。だから、その勇気がほしくて思わずしちゃったんだ。僕は君にだけは死んでほしくないんだ」

「バカはお前だ!」

 ジルの主張にライラが真っ向から反論する。

「あたしはあの時、言ったよな。テレナとじいさんを助けるために、お前と一緒に死のうって。『あたしと心中じゃ不満か』って。あたしは……あたしが大好きな人と最後まで一緒にいたいんだ!」

 ライラの言葉にジルは胸が熱くなる。「大好きな人」って。

「お前たちなにをやってるんだ?」

 時間が経ってギリアの治療もほぼ終わったようだ。肺を圧迫していた肋骨も修復しほぼ喋れるようになっていた。さすがに無くなった両腕は返ってはこないが。

「なあ、ギリア頼む。このまま見逃してくれ。あたしたちはジルの故郷に帰りたいんだ。あんたはあたしたちを見なかったってことに……」

「なるわけないだろう」

 ライラの頼みをギリアは一蹴する。

「この格好を見たらどんなバカだってボロ負けして逃げられたってわかる。もっとも逃げられようが見逃そうが結果は一緒だろう。ジルを捕まえてくると大言壮語を吐いたんだ。それができないのだから私は“これ”だ」

 短くなった腕を使って首を切る仕種をする。処刑は免れないのだろう。

「だったら、あたしたちと一緒に来い」

 ライラの提案にジルとギリアが驚く。

「あんたは嫌いだし、憎んでもいる。だけど、みすみす殺されるとわかっているところに戻したりはしない。もう誰も死なせたくないんだ」

 今までだったらジルが言ったであろう台詞をライラが返す。その言葉を聞いたギリアがふいに笑い出した。

「こいつは面白い。リストリアの森で兵士を殺害して、ブラニアを処刑台に送り込んだ張本人がどういう心境の変化だ。つい先ほどまで私と戦ったときは殺す気はなかったというのかね」

 その言葉にライラは何も返さない。なおもギリアは続ける。

「たった数分の恋物語を経験しただけで戦士ライラはそこまで弱くなったか。存外、女というやつは……」

 そこまで言ったときギリアの視界を影が遮った。鈍い音とともにギリアが吹き飛ぶ。ジルが彼の顔面を殴りつけたのだ。

「……申し訳ないけど約束は破らせてもらう。僕らはうちに帰る。君は逃げるか首をはねられるか好きな方を勝手に選べ!」

 殴った張本人はそれだけを告げてライラの方を向いた。

「さあ、帰ろう」ジルが先ほどまでと違う優しい口調でライラに語りかける。

「あ、ああ……」

 ライラは戸惑いながら彼の言うとおりに馬に向かって歩き出す。ジルも厩舎につなげてある自分の馬のところに向かう。

「き……貴様ら」

 背を向けてる二人に向かって憎悪の目を向ける魔法使いはちぎれた両腕に向かい念を送った。正確にはその手で作り出した浮穴を成長させはじめたのだ。

 ジルもライラも気がつかない。ただ、一人だけ気がついた者がいた。

 その時、空間が揺れたような錯覚を覚えた。

 彼方から地鳴りが聞こえたかと思うと、それまで立っていた足元の地面が突然消えた。

 彼らの身体は宙を舞い奈落の底に真っ逆さまに落ちようとしていた。

 ジルは空中浮遊の呪文を唱えてライラの元に飛ぶ。しかし、上に向かわずに暗闇に吸い込まれるように落ちていく。

「……う、うわぁ!」

 ギリアが叫びをあげる。

「ギリア!空中浮遊だ」

 ジルが怒鳴るが暗闇に怯えているギリアにはその声は届かない。

「……そうだ、ライラ」

 ジルはギリアをそっちのけでライラを探す。だが、闇の中にライラの姿は見えない。それどころか彼女が乗ってきたはずの馬も見えない。

「ああああああ!」

 またギリアの叫びが聞こえた。彼の前に彼から離れた左腕があった。その左手には浮穴が人一人が入れるほどにまで巨大化していた。

 ギリアが恐怖に打ちひしがれた形相のままその黒球の中に入っていく。

「え?」

 ギリアを飲み込んだ浮穴はみるみるうちに小さくなってやがて消えた。残ったギリアの左腕が重力に従って闇の中に落ちようとしていた。

 その時、周囲が急に明るくなった。空中浮遊の光の中にいるジルは先ほどまでいた牧草地に佇んでいた。彼は空を飛んでいなかったのだ。

 周囲を見ると地面に倒れ気を失っているライラがいた。

「ライラぁ!」

 空中浮遊を解いて彼女の元へ走る。上半身を抱き抱え声をかける。

「ライラ!聞こえる?しっかりして。ライラ」

 揺さぶり、頬を軽く叩くとやっと気がついた。

「あれ?ここは……。地面の底じゃ……ないよな」

 惚けた頭で周囲を見渡す。

「うん、いったいどういう……」

「すみません、わたしがやりました」

 頭の上から声が聞こえる。声のする方を見るとニルファが申し訳なさそうに飛んでいた。

「わたしが周囲一帯に幻覚をかけました」

 ジルもライラも驚いたようにニルファを見つめる。

「姉ちゃん、そんなことまでできるんだ」

 感心したようにライラが呟く。

「でも、どうしてそんなことをしたの?」

 ジルが問いかける。

「あの男の人がなにかをしようとしていたから、思わず。以前“静かの森”であの人が地割れの中に落ちたことがありましたから、それを思い出してとっさに」

「なにかって……」

 地割れの幻覚の中でギリアの左手から浮穴が大きくなっていたことを思い出した。おそらくあれを使ってジルたちを吸い込ませようとしていたのだろう。それにニルファが気がついたというわけだ。

「ありがとう、おかげで助かりました」ジルはニルファに礼を言った。「でも、どうしてライラの姿が見えなかったの?」

「ライラが地割れに落っこちていかないことがわかったら幻覚だとバレてしまうかもしれないと思ったので、気を失わせて姿を隠しました」

 ニルファの説明に納得するジルと納得できないライラがいた。

「勘弁してくれよ。あたしは死んだかと思ってたんだから」

 ライラが起き出そうとする。

「おい、ジル。なにやってんだ?起きるから手を離してくれよ」

 しかし、ジルは抱き抱えている手を離そうとはしない。

「ニルファさん、ちょっと向こうをむいてもらえますか?」

「は、はい」

 ニルファは身体ごと振り向き、彼らから視線を外す。

「ジル、ちょっと……なにやってん……」

 ライラの言葉が途切れ、無言になる。

 いったいなにをやってるんだろう?そうニルファは背後にいる二人のことを考えていた。

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