第24話 この旅が終わったら結婚するんだ。その4

 大陸の西の外れ、ジルの故郷であるマーゴッドの村のある“遠吠えの山”への近道になるヒルレキア山を越えようとしていた。狭いけもの道を通らなければいけないため馬は麓に置いてきた。

「ダットンの村でジルの仲間になって最初にここを抜けるのに苦労したよな」

 もう一年以上経っているが昨日のことのように思い出せる。

 ライラは急勾配の山道を歩く苦労を紛らわせるために話題を提供しようとした。しかし、ジルはさっきから黙ったままだ。ニルファは疲れが出たのかジルの懐に潜り込んで眠っているらしい。

 突然、ジルがボソリと話しかけてきた。

「ライラ……あの、謝りたいことがあるんだ」

 謝りたいこと?さて、何のことだろう?ライラは訝しんだ。クリシュナで凍り付けにされたことか?だけど、それはその時に謝られてるし。今朝の牧草地でのことだろうか?それは謝られるようなことでもないと思うのだけど。

 ライラが歩きながら懸命に考えているとジルがさらに続けて話し出した。

「魔族が妖精の変身した姿だったんだから、ライラはずっと仲間を殺し続けてきたんだよ……ね」

 ああ、そのことか。ライラは合点がいった。

「そんなのお前が謝るようなことじゃないよ。悪いのは魔王なんだから。あいつがのこのこと復活してこなかったら、あたしが魔族を殺すことなんてなかったんだから」

「でも、もしかしたらその中にはライラの知ってる人がいたかもしれないんだろ?」

 ライラの歩みが止まった。小さく深呼吸をしてジルの方を向いた。

「もしかしたらあたしが殺した中に親や兄弟、友だちとかもいたかもしれないな。だけど、それは仕方ねえだろ。魔族になったら二度と元に戻ることはできない。だったら一刻も早く魔王を倒して、これ以上魔族になるやつを増やさないようにするしかない。だからあたしはあんたと一緒に旅をすることにしたんだ」

 ライラの言葉にジルは小さく頷く。

「だけど、僕は人を殺したくないとか言って、まるでライラを否定するようなことを……」

「別にあたしは否定されたとは思ってないよ。よく考えたら別に人間は殺さなくても問題ないんだよな。むしろジルを尊敬してるくらいさ」

 そう言うとまた振り返り山登りを再開した。

「ライラがダットンの村に住んでたのは、もしかして……」

「ああ、勇者が遠吠えの山にある村から出てくるのは妖精ならみんな知ってる。あたしたちの仲間が極力魔族になるのを防ぐには勇者の力が絶対必要だからな。あたしは妖精の国を出なくちゃいけなくなったときに、勇者の仲間になろうって決めてた。だから、その近くに住むことに最初から決めてたんだ」

「ずっとダットンの村に住んでたの?」

 ライラは少し考え込んで

「……まあな。たださすがにずっと住んでるわけにはいかなかったけどな」

 と答えた。

「どうして?」

「あたしはこんな身体だから、他の妖精のように長生きできるわけじゃないらしい。他にも何人か奇形になったやつはいるんだけど結構短命だったそうだ。たぶんあたしもそんなに生きられないと思う。ただ、それでも人間と比べると寿命は桁違いなんだ。だから、同じ場所にずっと住んでると怪しまれる、あいつ全然歳を取らない、ってな」

「それで余所に移ったりしたの?」

「二十年ほど別の土地に住んでたことがある。それからダットンに戻った。同じ名前を受け継いだ娘としてね」

「バレたりしなかったの」

「ああ、あたしのことを知ってる人ほど信じてくれたよ。『お母さんにそっくりだね』とか言ってさ」

 ジルは感心した。

「その余所に移ってた二十年間は気が気じゃなかったよ。その間に魔王が復活して勇者が旅立ったらなんのためにダットンで見張っていたかわからないだろう。かといって誰かに頼むわけにもいかないからな。……おっ、見えた。あれがお前の故郷だな」

 山の反対側にやっとたどり着いた。崖の上に立つと周囲が展望できる。目の前に見えるのがジルの故郷のある通称“遠吠えの山”だ。山というより岩で作り上げた塔の趣がある。見ている限り平地と呼べそうな場所が見えない。いったいこの山でどうやって二百人ほどの人間が生活できるのか、ずっと麓の村から見続けてきたライラはいまだにわからないでいる。

「ここからさらに迂回しないと山を降りられないんだよな。面倒くさいな。ここから空中浮遊で一気に降りられないか?」

 ライラがジルに尋ねる。崖下には川が流れていてその川下に遠吠えの山やライラの住んでいたダットンがあった。

「僕の魔法力がそんなに回復してないから『安全に降りる』より『ゆっくり落っこちる』ことになると思うけど、それで良かったら」

 ジルが少し皮肉を言う。

「ねえ、ライラ」

「まだ何かあるのかよ」

 うんざりといった口調をライラが返す。

「村に帰ったら……僕と、結婚してくれないか?」

 ライラが驚いてまた振り返る。

「……お前、人の話を聞いてないのか?あたしは女でもないし、ましてや人間ですらないんだぞ。そんなのと結婚したって……。そうだ!お前、村に帰ったら子どもを作らないといけないんじゃなかったのか?あたしとじゃムリだろ」

「そんなの誰かが代わりにやるよ。それとも僕と離れたくないって言ったのは嘘だったの?」

 ジルが反論してさらに問い詰める。

「嘘じゃないさ。だけど……」

 結婚となったら話は別だろう。そもそも排他的な村に余所者が入って生活することができるとは考えてはいなかった。だから、ジルが故郷に帰ると同時に別れることになると覚悟していたのだ。

「僕だってライラと離れたくない。自分から出ていっておきながらこんなこと言うのは変だけど、君から離れようと思った時にどうしても辛くなったんだ。やっぱり僕は君が好きなんだ。だから、これからもずっと一緒にいてほしい」

 ジルのまっすぐな視線がかえって辛い。自分も一緒にいたいと心の底から思う。そしてそれが無理なのもわかってる。純粋な「一緒にいたい」という思いを叶えるためにはあまりにも障害が多すぎる。

「あたしは妖精だから人間のような早さで歳を取ることはない。たぶん一緒に暮らしてもあんたの方が早く歳を取って死んでしまう。そんな二人が一緒になったって幸せって言えるのか?」

「そんなの人間同士の夫婦だって一緒だろう。二人そろって死ぬことなんてめったにあることじゃない。たいていどちらかがどちらかを看取ることになるよ。それは不幸なことなのかな」

 ジルの言うことはいちいちもっともだ。ライラは返答に窮する。ただ理屈は通っているが理屈通りにことが運ぶわけではないこともわかってる。いつか見た目の差が広がり、死を迎える瞬間にその境遇を呪わないと言えるだろうか?この時の選択を後悔しないと言い切れるだろうか?

「わかった……。とにかく今はジルの村に行くために全力を尽くそう。あとはそれからのことだから」

 ライラは諭すように答える。そして

「ジル、好きになってくれて、ありがとう」

 と言った。魔王との決戦の時に告白してくれた礼がやっと言えた。

 ジルが返事をしようとした時、周囲の様子が変わったことに気がついた。

「……誰かいるのか?」

 ライラが木の影に散らばるように隠れている人影たちに声をかける。

「デリダスか」

 現れた十数人の男たちの中の一番大柄な男に向かって言った。声をかけられた顔に大きな斬り傷をつけたデリダスと呼ばれた男は

「久しぶりだな。そんななりをしているから気がつかなかったぜ、ライラ」

 と、低い声で唸るように話し出した。

「……誰?」

 ジルがライラに問いかける。どうやらライラの知り合いらしいがどう見ても友好的な関係には思えなかった。

「ガダリア・デリダス。この辺一帯を荒らし回っている山賊の親玉さ」

 ライラの答えにデリダスと呼ばれた男は

「まさかお前さんが王政府に追われるほどの大物になっているとは思わなかったぞ」

 と、ニヤつきながら王政府が発行した手配書を見せつけてきた。

 まさか、こんな奴らにまでこれが配られているなんて思っていなかった。王政府の力を侮っていたな。そうライラとジルは思った。

「……で、あたしたちになんの用だい?先を急ぐんで、あんたたちと思い出話を語ってる余裕はないんだよ」

 ライラがジルを背中に隠すように一歩踏み込む。

「お前との思い出なぞろくなものがないからな。それよりもお前たちを王政府に連れて行った方がずいぶんな儲けになるらしいじゃねえか」

 デリダスの背後にいる子分どもがにわかに殺気立つ。

「ライラ、下がって」

 ジルがライラを押し退けて前に出る。背中に背負った勇者の剣の柄に手をかけている。

「こんな奴ら、これで一捻りさ」

 その言葉を聞いた時、ライラの背筋に冷たいものが走った。ギリアの左腕を厩舎の扉でぶった切ったことで彼の中でなにかが変わったのか。一度人間を傷つけるという垣根を越えてしまったから今度は山賊の集団を殺すことも躊躇しなくなったのか。

 いや、あたしが妖精だった魔族を殺しつづけてきたことに気がついたことが原因なのか?自分も人間を殺さなくちゃいけないのかと考えたのか。

 とにかく今、彼に人殺しを覚えさせてはいけない。ライラはそう思った。


「ジル」


 ライラが右手で彼の左肩を持つ。


「必ず後から行くから」


 その手を後ろに引っぱる。


「先に帰って」


 彼の小さな身体はそのままライラの後方にまで吹き飛ばされる。ジルの目にライラの不敵な笑みが映る。


「おとなしく待ってろ」


 ジルの身体を崖まで飛ばしたライラは山賊の群れに向かって駆けだしていった。


 ジルが崖下に向かって落ちていく。

「フーリアン!」

 光の玉がジルの身体を包みこむ。

「上がれ……。上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれ、上がれっ。上がれえぇぇぇぇっ!」

 だが、術者の命令とは裏腹に光の球はゆっくりと安全に崖下の川の中に静かに落下していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る