エピローグ 親の心子知らず



 メロディア王国の源流は音楽にある。元は芸術の神を信奉する巫女を時の王が妾として、生まれた子供に領地を与えたのが始まりである。当時は何も珍しい事ではなく、現在の隣国のハーモニアとアーティアも似たような経緯で一貴族領から始まっている。

 時が過ぎ、かつての王国が内乱によって幾重にも分かれ、三百年前にようやく三つの国として安定し、現在に至るまで存続し続けているが、どの国も問題が無いわけでは無い。

 理由はそれなりに簡単なものである。西と東の大国に挟まれた大陸中部の国々は、常に大国の影響を受けており、綱引きの綱として扱われ始めていた。特にここ五十年間の、西のドナウ帝国の発展は目覚ましく、蒸気機関の発達により生産力の桁が文字通り一つ上がるほどになってしまい、安価で高品質の商品が津波の如く押し寄せて、国内産業を根こそぎ破壊した。挙句、経済破綻の末に、身売りせざるを得ない国が続出。一滴も血を流さず五つの国を傘下に収め、大陸中部にまで版図を広げた。幸いと言って良いかは判断に困るが、自ら膝を折って臣下の礼を執った王家はそのまま存続を許されて、変わらず統治権を保持している。

 その波は三国にも押し寄せ、直接帝国と面しているアーティアとメロディアには、毎日のように蒸気機関を用いた工場と蒸気機関車がドナウ帝国の金で普及している。日々発展して便利になる祖国を受け入れる者も多いが、いずれ国ごと呑み込まれると危惧する者とで対立が年々激しさを増していた。



 メロディア王都の王宮の一室。深い海を思い起こさせる青い瞳の中年男が、書類片手に帝国産の葉巻煙草をふかして物思いに耽っている。憂いを帯びた相貌の眉間には、長年の心労からくる深い皺が彫りのように刻まれていた。

 ただし、ぼんやりと書類を眺めているわけではなく、きっちり目を通してから了承のサインを記す所から、態度と仕事はきっちりと分けているらしい。全く表情を変えずに煙草を吹かしてサインする様は、まるでここ数年都を席巻し続けている、決められた動作を繰り返す蒸気機械を連想させた。

 変化があったのは扉を叩いて入室を求める声に対して返事をした為、葉巻が口から零れ落ちて、椅子の布地を焦がしてしまい、隅に控えていた使用人が慌てて駆け寄ったためだ。


「政務中、失礼いたします陛下。早急にお知らせしたい事がございます」


「そうか、お前が来たという事は馬鹿娘の所在が分かったという事か。それとも自分から腹を空かせて戻って来たのか?」


 勤めて冷静に振る舞っているが、実は内心早く話を聞きたくて仕方が無いのを部屋に入って来た壮年の男は長年の付き合いから熟知していた。青い瞳の中年男―――――メロディア王国唯一人の国王、イアソン=ジェイ=ビザンティンは表面上は何事も無いように振る舞っているが、半月前から家出している三番目の娘の安否が気になって、夜も眠れない有様だった。おかげで随分仕事の効率が落ちてしまい、家臣団から家出娘以上に心配されていた。

 入室した壮年の男、秘書官のソロンもその内の一人だった。そして長年仕える王に実りのある報告が出来る事が喜ばしい。


「残念ながらクラリッサ様のお姿は未だ拝見出来ません。ですが、確定的ではないものの、有力な情報は得られました。

 一時間前に、ある村の平民が王宮を尋ねてきまして、話を聞くにある女性から手紙を預かって来たようです」


 そう言って王に手紙を差し出すと、まず目に入るのは封蝋に押された王家の印璽。そして見慣れた筆跡と差出人の名前だった。

 逸る気持ちを務めて押さえ、腰に差した短剣で封を切る。そして一字一句見逃すことなく熟読した後、溜息を吐く。それは決して落胆ではないが、安寧ともつかない複雑な感情からくる仕草だった。

 ソロンも手紙を持ち込んだ村人から断片的な情報は得ているが完全ではない。故に手紙に書かれた情報とすり合わせを行って、今後の仕事を決めたかった。


「姫様は何と?」


「勝手に王宮を抜け出した事への謝罪と、しばらく旅を続けて見聞を広めたいそうだ。

 それから、北の都市ヴェルディの代官が盗賊と結託して私腹を肥やしているから対処してほしい。大雑把に言えばそんな所だ」


「手紙を持ってきた平民から聞いた話と一致します。ですが如何に姫様の証言があっても、一応審議せねばなりませんので、代官は治安維持を怠った職務怠慢により事情聴取した後、逮捕という形でよろしいでしょうか?」


 ソロンの進言に、ただ一言『任せる』と告げて、王は再び穴が開くほどに娘からの手紙を凝視している。事情を知る部下は無理ならぬ事と思い、共感の姿勢を示した。

 村人の話では、手紙は若い行商夫婦の奥方が書いたと言う。つまり、ビザンティン王家の第三王女が家出して、見ず知らずの男と一緒に旅をしているわけだ。これは駆け落ちと言われても反論のしようが無い。国中を揺るがす大問題、かつてない醜聞である。こんなスキャンダルを作ってしまったクラリッサ王女は、例え今から王宮に戻っても、一生嫁の貰い手の居ない不良品扱いである。手紙を書けるぐらい元気なのは喜ばしいが、王族としては死んだも同然。イアソン王が複雑な想いを抱くのも当然だった。


「それからクラリッサ様は如何いたしましょう?今から追跡すれば、五日後には件の村に着きますので、そこから捜査すれば遠からず見つかると思いますが」


「よい、本人が旅をしたいと申しているのだ。このまま放って置け。――――『可愛い子には旅をさせよ』帝国の格言に倣うとしよう。

 それより、同行している者の事は何か知っているか?」


「村人の話では、まだ声変わりも済んでいない15~16の少年だとか。あとは帝国人らしい事と、盗賊を捕縛したのも、その少年の策によるものだそうです。一切の犠牲を出さずに十数名の盗賊を捕まえる手腕は評価してよい物と思います」


 一応村人の語った言葉そのままだが、少しでも王の心労を和らげたかったソロンは、無理のない範囲で同行者を持ち上げておく。それに、この話に偽りが無いのなら、ソロン自身も少年を手元に置いて教育した後、部下にしたいぐらいだと思っている。

 しかし、その程度でイアソンの心は晴れなかった。確かに自分とさほど歳の変わらないグレゴリス公爵へ後妻として嫁がせようとしたのは悪いと思っているが、それもこの国を思っての決断だ。

 かの公爵は数少ないペルト王国派。大多数がドナウ帝国にすり寄る姿勢を示している中、無視出来ない反対勢力である公爵家への配慮として王女を差し出すことで、敵であっても配慮する姿勢を内外に示すのが目的だった。これも王家に生まれた者の宿命、娘もきっと理解してくれる、そう信じていたが、結果は無残なものである。だからと言ってクラリッサが憎いとは微塵も思っていない。それどころか、生きていてくれた事が心から嬉しかった。

 ただし、今さら娘が返って来た所で全ては遅い。公爵家の方はまだ内々の話だったので、真相は知られていない。仮に知られた所で、正式な話ではないので公爵本人が多少心情を悪くする程度。メロディアにとって致命傷ではない。だが、醜聞を作ってしまった娘と二度と会えないのが、父であるイアソンにとって悲しいだけだ。


「せめてもの救いは、その少年が凡愚ではないことか。

 なあ、ソロンよ。その少年が実はドナウ帝国の皇族、最低でも貴族と言う可能性は如何ほどにあろうか?」


「陛下のお心を害するようで大変申し上げにくいのですが、そのようなありもしない願望に安寧を求めるのは逃避でございます。そのような縁は歌劇の中でしかお目に掛かれないでしょう」


 せめて娘の体面を取り繕いたかったイアソンの願望をソロンはばっさりと切り捨てた。最初から計画された家出であり、手引きした人物が国内貴族ならばそういう事もあるだろう。しかし王女の出奔は突発的な物であり、おそらく偶然に知り合い、そのまま同行している可能性が高い。そんな商人が実は隣国の貴種だったなどと正気で語ったら、そいつは歌劇や小説の読み過ぎである。

 もし仮に、万が一そうであれば、二人の出会いを脚色して虚飾で塗り固めて美談に仕立てた上で、王が許すと言えば、問題は多いが、一応丸く収まる。惜しむらくはそんな偶然は非現実だということだが。


「――――何がいけなかったのだろうな」


 娘を一人失ったも同然の、父にして国王の呟きに答えられる者は一人も居なかった。


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星の旅人 卯月 @fivestarest

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