第30話

柊さんはショーケースを開けると、撫子を数本取り出した。そして、レジの横に持ってくると、真っ白な包装紙で花を包み始めた。


「大和撫子は、撫でたくなるほど可愛らしいという花言葉だったな。妻はまるで大和撫子のように奥ゆかしく、美しい女性だった。時に大胆で、才能溢れる器用な女性はそう簡単にはおるまい。」


元さんは撫子を愛おしそうに見つめながら言った。


「俺も、元さんの奥さんに会ってみたかったな。」


柊さんは撫子を元さんに渡すと優しく微笑んだ。


「お前はもう、大和撫子に出会ってるはずだがの?いつも一緒にいた大和はどうした?」


元さんの言葉に柊さんはハッとして、手を止める。


「本当に元さんにはかなわないなー。」


柊さんは額に手を当てて俯いてしまった。


「だれが、お前に花占いや、人の感情を読み取ることを教えたと思っているんだ。」


元さんは柊さんの肩を優しく叩いた。


「店もだいぶ家から離れてしまったし、そろそろわしも、葵に配達を頼まんといかんかもな。じゃあ、帰るとするかの。大和と葵にもよろしく言っといておくれや。」


元さんは花を肩に担いで店を出て行ってしまった。


「元さんが柊さんに花占いを教えてくれた人だったんですね…。」


私は元さんの後ろ姿を見送りながら、ポツリと呟いた。


「そうなんだ…。元さんは、親父が店をやっていたころ、花を仕入れていた人なんだよ。だから、花にも詳しいし、店が移動していることも知っているんだ。たまに、ああやって顔を出してくれて、亡くなった奥さんの為に撫子を買っていくんだよ。」


元さんと話した柊さんはなんだか少し、吹っ切れたような表情をしていた。


「元さんの言う通り、撫子って大和さんみたいですよね。」


「うん…。そうなのかもしれない。」


柊さんは少し遠くを見て言った。ついさっきまでいた大和さんのことを思い出しているようだった。


「私、柊さんのことが好きだったんです。」


「すみれちゃん…。」


柊さんは驚いた顔をして私を見つめた。


「柊さんは、自分に自信がなかった私に、プリザーブドフラワーに出逢わせてくれて、それで私、少しですけど変われた気がするんです。もっと自分に自信が持てるようになったら、柊さんに想いを伝えようと思ってました。でも、大和さんの存在を知って、あんなに素敵な彼女が柊さんのそばにいるなら潔く諦めようと思ったんです。だから、海外に行ってしまうことだけが別れた原因なら、大和さんのこと諦めないで下さい。店のことだって、きっとなんとかなりますから。」


「すみれちゃん…。」


一気にまくし立てたせいで、私は息が荒くなっていた。


「俺からもお願いするよ。」


いつのまにか裏口から葵さんが戻ってきて、私たちを見つめていた。


「葵?大和は?」


柊さんは葵さんに駆け寄った。


「大和は飛行機に乗れなかったよ。兄貴のことまだ忘れられないみたいだ。」


柊さんは目を見開いて立ちすくんだ。


「柊さん!まだ間に合いますよ!」


私は柊さんの背中を押す。


「兄貴、本当は大和とパリで花の勉強したいんだろ?前にパリの話を聞いた時、兄貴、目を輝かせてたよな?」


「店はどうするんだよ?お前1人でやっていけるのかよ?この店には昔から、花以外のことで迷い込んでくる人がたくさんいるんだぞ?」


柊さんは葵さんの肩を掴むと激しく揺さぶった。


「俺1人じゃねーよ。すみれがいるだろ?」


葵さんは柊さんの手を払いのけると、私の肩を抱き寄せた。


「店のことなら、俺とすみれでなんとかするから。長男だから親父の店を守らないといけないと思っているなら、行ってこいよ。」


柊さんはギュッと拳を握りしめた。


「俺、空港に行ってくる!」


葵さんはレジに残っていた撫子を手に取ると、店を飛び出して行った。表のドアを勢いよく開けた弾みで、店のベルがカランカランと大きな音を立てて鳴った。まるで、柊さんと大和さんを祝福している鐘の音のようだった。


「柊さん行っちゃいましたね。2人とも大丈夫でしょうか?」


「きっと大丈夫さ。それより、柊が好きだったのに、よく背中押せたな。」


葵さんは私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。


「あ、葵さんだって、大和さんのこと好きだったって、柊さんから聞きましたよ!」


「兄貴…。また余計なことを…。」


葵さんは頬を赤らめる。


「それは学生の頃の話だからな。まぁ憧れの存在ってヤツだな。だから、大和には幸せになってほしいんだよ。それに、今は他に好きなやついるからな。」


「え?」


「お前も知ってるだろ?」


私は思わず葵さんの顔を見上げる。葵さんはニヤリと笑うと、私の頬を思いっきり引っ張った。


「イタタタ。もう、何ひゅるんですか!」


頬を引っ張られたまま、私も負けじと葵さんの頬を引っ張る。


「お前やったな!」


葵さんはさらに私の頬を引っ張る。しばらく2人で頬を引っ張り合っていると、葵さんの顔がスッと近づいてきて、唇が私の唇にそっと触れた。


「え?」


私は驚いてサッと体を後ろに避ける。背中が棚に勢いよく当たり、棚に置いてあったリボンが勢いよく床に転がり落ちる。


「お前、あらかさまに、そんなに避けることないだろ…。さすがの俺も傷つくわ。」


葵さんは、ため息を吐くと、しゃがみこんでリボンを拾い集めた。


「わ、私、そんな風にいきなり、キスされたの初めてだったから驚いて…。」


顔が熱くなり、みるみるうちに赤くなるのを感じた。


「そうだったのか…。」


驚き固まり床に座り込む私を見て、葵さんはクスクスと笑い出した。


「これからが楽しみだな。」


葵さんは私を見てニヤリと笑うと、拾い集めたリボンを棚に戻す。


「え?これからって?」


葵さんは座り込んだ私を引き起こすと、そのまま強く抱き寄せた。


「これからって、これからの俺たちと、俺たちのMy Little Gardenのことだよ。」





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不機嫌なフローリスト @michaki

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