第28話


 酔っ払って、この街のあり様を考えていた。

 現実と建前、静寂と動、真実と欺瞞ぎまん。……いや、文学的な表現をしても何にもならない。科学的根拠も今は必要ない。


 昨夜、ウーロンと寝た。


 勲は別に、清廉せいれんを気取っていたわけではない。

 下心はもちろんあったし、男としての欲望も人一倍ある。

 だが積上げた会話の多さが、下卑げびた考えを意図的に遠ざけていた。

 行為そのものは、自分の年齢としての倫理観など、それほどの拘りもない。


 ただ、自分がまだ幼い肉体に呆気あっけなく埋没し、のめり込んだことに驚く。

 触れた時ありのままに熱く、指先がどこまでも熔かされてゆく。

      


      こちらの欲望の深さに呼応する、同じ深さの欲望。



 それまでは相手が誰であれ、どこかで歯止めが掛かっていた。

 そのことを、隣で眠る少女に、教えられることになるとは。


 油断すると冷たくなる手を、そっと白いまゆの中に入れる。

 迂闊うかつなうごきに、腕の中の直子が目を覚ます。


「おはよ…う」

 屈託のない笑顔は “直子とウーロン” を重ねるようで、逆にバラバラにする。



 安っぽい浴衣を閉め直し、直子は冷蔵庫からウーロン茶を取り出した。

 洒落のつもりか? それを自分の頬に当て、もうひとつの手でビールを差し出し、無言で “欲しい?” と首を傾げる。


 こちらの無言を “欲しい” と解釈したのか、そのままベッドに戻る。


 飴玉を渡された少年のように、両手で受け取った勲は開け方を忘れた。


「いたいけな……少女に・・何するねん」

 そんな勲におかまいなしに、つんと直子は笑った。









 今にも動きそうな鶏足モミジが怖いが、難民なのでなにか作ってあげようと思った。何気ない一言をお客にいわれてから煮物は苦手だけど、満知子のレシピ通り作ってみる。

 コンニャクは昨日の残りがあったはずだ。


(お母さん、白ご飯も出せばいいのに)

 女性目当てで客は来るが、満知子の味付けと地の食材を楽しみにしている客も多い。私からすれば母と叔母みたいな二人は、女性としては対照的に見える。


 満知子に、携帯のストラップが気持ち悪いと言われた。

 暇つぶしに可愛いと言ったら買ってくれたそれは、私が見ても、ちょっと気持ちが悪い。


 徐々に客も増えだすが、岩ちゃんは一向に来ない。

 このまま店に来ず、どこかに行ったのかと少しイラっとする。


「あ~ら、昨日のお兄さん」

 下を向いて洗い物をしていると、満知子の声が聞こえた……どうやら来たみたい。

 カウンターに座らせ、焼いた(わち)を差し出している。

 酔っ払いじじい垂涎すいぜんのつまみ。


 超弱火で煮込んでいるので “私の煮物” はまだ出来上がらない。

 やっと出来たと思ったら、今度は教授がまだ来ない。


「いらっしゃい教授」

 香織の声で、教授を奥のボックスに誘い込んだ。


 ………………さてと。

 沙織が接客しようとしたが、構わず座った。

 私が座るのは教授の席だけなのだから、権利は私にある。


 口の肥えた教授は煮物は御気に召さないようで、(わち)で飲みながら、満知子が作るふきのとうと牛肉の黄味揚げを待っているようだ。

 岩ちゃんのほうは、がっついて食べていたので、私はそれで満足した。

 変わり者同士、二人は気が合うのだろう。ほうっておいても会話が弾む。


「今宵は月が綺麗じゃのう」

 教授は絶対そんなことはしないが、外でされて実際、苦情もきている。

 手を洗っていないと言うのも、教授のいつものワンパターン。

 くるっと回って、岩ちゃんの隣に座った。


      少し触れる太ももが熱い。








 なぜだか一緒に、教授と帰ろうとする岩ちゃんは右手を軽く上げただけでそのまま出て行く。(なに考えとるん?) 新規の客のはずだから呼び止めて話をするのも、ちょっとおかしい。


|満 知 子 ち ゃ ん 後 片 付 け お 願 い L O V E|

 いっしょに帰ろうとする沙織を振り切って、暗闇の商店街から、いつも使うのとは違うタクシーを呼んだ。

 岩ちゃんに連絡を入れると、コインランドリーの直ぐ先だと言う。

(なにを考えとるん?)

 そのまま岩ちゃんを拉致らちって、市内までタクシーを走らせた。

 車窓の光と影が、眠そうな “勲の顔” に交互に重なる。


 どこかに行こうかと思ったが、川沿いの緩い下りを、道なりにそのまま歩く。


 沙織の言ったことは、図星かも知れない。

 熱は上げても、あこがごいは、実ったことがない。

 これほど甘い相手は、初めてかも知れない。

 

 振り返って自分から腕をつかんだ癖に、少し恥ずかしくなった。


 会話が合っても、どこか違う場合もある。

 単純に、上手い下手もあるのかもしれないが、

 タイミングとそれは複雑でそして不可解なもの。


 ソファーに座ったとき、すでに私は濡れていた。

 飲み物を取る勲の動きを目で追って、自分から動くことが出来ない。


 突然。意味不明の優しい仕草。少し戸惑い、動けない私は目を瞬かせるだけ。


 あとは流れるように。

 相手の重さに身をゆだね、自分の重さを相手に伝えた。

 カシャンと音をたてる感覚に……夢中になった。


 自分に対する予備知識を与え過ぎたと後悔したが、指先が未知の部分に触れた時、私は初めてそれを受け入れた。刹那せつなの感覚と………それ以上は恥かしい。



 勲の腕の中で、私は静かに目を覚ます。


 記憶の中の少年と今が交錯こうさくし、そしてひとつになる。


 意地悪な男に、つんと私は笑った。







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