第27話

「あの人、面白いな」

 教授がトイレに立ったので、勲はウーロンにささやく。相席になったのをかえって嬉しく思ったか、教授はやたら饒舌じょうぜつだった。他の年配の客とは話が合わないのだろう。


「なにして・・たん?」それには答えず、ウーロンが聞いた。


「たまたまゲーセンの向かいのパチンコ屋に入ったら、777が揃ったんだよ」

「……なあ、やっ・・ぱ・・“味濃い”?」


「ん、いや」

|鶏 肉 が 美 味 い な  細 か く て 味 が 染 み て る|


「な、鶏肉が……違う・・じゃろ」

 店内のざわめきを忘れている。話すたび口元を寄せる教授の仕草を単なる盛り場の光景に見ていた。三人で盛り上がれていたのは、教授にかなり気を使わせていたお陰だろう。

 こんにゃくは満知子ちゃんの自家製だそうで、それも自慢の一つなのだと、言う。



「今宵は月が綺麗じゃのう」

 教授がトイレから戻って来た。


「外で?」

みぞ で し た ら 臭 い か ら 苦 情 言 わ れ る !|


「嘘や嘘、ちゃんとトイレでしてきましたよ。手は洗ってないけどな」

「きちゃない」

 通路側に女性は座らないといけないらしく、席を替わろうとした直子は、教授ではなく勲の隣に座った。


「あれれ、嫌われてしもた」

 教授はわざとしょげたふりをする。



 客も一人減り、二人減り。このあたりでは遅い時刻なのだろう。店の中も静かになってきた。


「やっぱり恵ちゃんこれんらしい。彼氏入院やと。どうしようこれ、邪魔になるな」

「別に苗なんて腐るもんでもないけぇ、置いたままでええよ。ママには明日言うとくけん」

 満知子が沙織に言うのが聞こえる。

 車を出すはず……っとなると、中華太源の娘が来られないから困るという話らしい。勲の記憶にはないが、昔話のひとつでもしたかった。


 かなり酔いも回って、直子が教授とじゃれている。勲も、少し飲みすぎたようだ。


 月でも見ながら帰ろうと、勲は思った。









「月なんか出てねぇじゃねぇーか」

(青年よ大志を抱け!)と、タクシーに乗り込む教授を思い出す。本人が月のような人だった。


 雨も降っていないし、風もそれほど冷たくはなく、酒で火照った体には心地いい。唯一の灯りを、今夜はそのまま通り過ぎる。その直後に携帯が鳴った。


<お~い、岩ちゃん、今どこら辺?> ウーロンからのメール。

 コインランドリーを過ぎた辺りだと返信すると、

<タクシーで行くから、まっちょれ>


 彼女は器用に表現方法を変える。筆談するのも必要に迫られてだけではないようだ。さえ気にしなければ、事は足りるレベル。それを、えて使い分けている。

 その行動の出発点は、恥かしさと、やはり他人を恐れる気持ちからか。


 だが、としても、それを詮索することがいつも正しいとは限らない。


 時に文字だけの羅列られつは、金属のように冷たい。交わされる言葉の奥に感じた小さな影、それはそのまま、彼女の温もりでもある。


「おお~い」

 暗闇に勲を見つけた直子は、タクシーの中から大声を上げた。

 少しもたつきながら乗り込んだ勲の横で、ウーロンは運転手に市内までと告げる。


「今から? 時間遅いだろう」

「酔ったん?」確かに、夜中ふたりが会話する時間は、直子が店を上がってからだったのだろうが……


 腹は空いていない。教授は少しつまんだだけで、煮物は……誰が作ったか気付いた勲が全部平らげたようなものだ。


 ここからならタクシー代もかなり掛かるだろうと、頭の中、距離を掴めないまま。既に酔った勲は、広島郊外の光と影をぼんやり眺める。


 尊い御霊が眠るこの地も、暗い歴史を刻む建物も、現実としてひとつの観光資源として、人々を迎える側面を持つ。


 神聖な想いと、今を生きる人間の泥臭さとが混在した街だと、学生の頃から、そう思う。そんなのは、……当たり前のことではあるのだが。


 川沿いの橋のたもとでタクシーを降り、ふたりは黙って歩き出す。

 もうすでに土地勘を失った勲は、直子の後に従った。


 もしかしたら、この街に一番ふさわしくないあかりが、そこにともる。








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