第26話


 やはり川は流れていたが、イメージとは違い、それは小さなドブ川みたいなものだった。スナック美雪がある場所からそのどぶ川をはさんだ裏手、いやこっちが表なのだろうか? タクシーでは気づかなかったが、小さな商店街がそこにある。

 ゲームセンターがあるからそこで時間を潰せとウーロンは言った。表から魚の見えない魚屋とほこりよけが日焼けしたふとん屋の間にある、このさびれたゲームセンターの経営が成り立つのかどうか、勲には良くわからない。

 テトリスを二回したら、もう何もすることはなかった。

 30分もしないうちに、勲はそこを出る。


「あれ? えーと名前……」

「岩本です。昨日はどうも」

「急に帰ったからどうしちゃったのかと思ったんよ。あ……こんな格好で恥かしい」

 沙織は店とは違い、えらくラフな格好をしていた。


「仕事は、時間いいの?」

「あ、ちがうんよ。満知子ちゃん、昨日、隣に座ったでしょ、おばさん。家庭菜園の苗の植えかた聞くのに、早めに来ただけじゃけん。別に店で苗、貰えばいいから」

 どちらともなく、古ぼけた喫茶店のドアを開ける。


「結構、なんだかんだ自慢してたんじゃけどね。やっぱ浮気とかそう言うの?」

「いや、……性格の不一致だろう。あいつは浮気なんかしないよ」

「あの子、広島帰ってくるんじゃろか。出戻りはきついきね」

「そんな田舎でもないだろ」

「田舎よ、十分。なんかさ、私の親友と仲いいのよね、彼女。短大からの付き合いが続いているのって、その子くらいのもんじゃけ、戻って来たら割り込まれてちょっと嫌かな」

「俺には、仲の良いグループに見えたけど。そんなに性格きついの?」

 勲は、答えの分かっている質問をした。


「大人しいんじゃけど、言うことがちょっと変わっとると言うか……やっぱり変よ。合コンの時とか、彼女美人だからリクエストされて……ふたりでつるんでただけ」

 沙織は、年代物のコーヒーカップを摘んでそっと口元に運ぶ。


 追想ついそうひたるつもりはないが、良い時代だった。みな高い酒を飲み、いい女は誘いをかわしてタクシーで、はいさようなら。ふたりなら、どこでも引っ張りだこだったのだろう。


「お店いらっしゃる?」

「うん、多分行くと思う」

 最初からそのつもりだったが、改めて聞かれ、勲は少し慌てた。











 やまこうのおっちゃんが持ってきた鶏を、直子は必死にさばく。

 農家が自宅で潰したほぼ原形なので、トサカもまだ付いたままだ。

 スナックではあるが、満知子の料理の腕が良いので突き出しを3品も4品も作る。

 白飯こそ出さないが、美雪で食事を済ます客も多い。その内の一人が、気を使って持って来てくれたのだ。


 満知子に習った通り、こんにゃくと一緒に煮込む…………つもり。



「おはよう」

 満知子が両手に何かを抱えてやってきた。


「何それ?」

「あー沙織ちゃんが育てたいんじゃと、苗。家に来るはずじゃったんじゃけど、店に持って来てくれって。ん、どないしたんそれ?」

「やまこうの……おっち・・ゃん」

「ありゃ持って来てくれたんか。わたしがさばいたったのに。気持ちわるぅないか? 直ちゃん」

「だいじょび!」

 直子は、親指を立てる。


「ほたら、わち(魚)焼いて、ふきのとうあるけん、それと何かこさえたら、今日はそれでいけるな」

 満知子は切り刻まれた肉片を、内心どうしようかと思いながら言った。



「おはよう。満知子ちゃんごめんねぇ。重かったじゃろぉ?」

 ドアを開けるなり、沙織がすまなさそうに言う。


「なんちゃぁないって、それよりこれどうやって持ってかえるん。けっこう重いけんねぇ」

「恵ちゃんに車で送ってもらうから。直ちゃん、今日は一緒に帰ろうな~」

「彼氏、大丈夫なん?」

「うん、落着いたから出勤するって、さっきぃ電話あったわ」

「あれ直ちゃんなにぃねこれ、縁起悪い。こんなん付けとったらが悪うなるで」

 携帯のストラップを見て、満知子は顔をしかめた。


?」

 直子は気にせず、味見皿あじみざらを満知子の口元に持っていく。


「んん、ちょうどええわ。ええ味しちゅう」

 レシピは満知子がメモ書きしたものだから、間違いはない。








「これは確かに珍味ですね。酒でも良いけど、白いご飯が欲しいかも」

「ごめんね。ママが白ご飯は置かん主義じゃけ。うちはあくまでお色気重視でぇ~」

 満知子がおどけて見せた。


 開店からだいぶ遅れていくと、店内はほぼ満席で、今度はカウンターの席に座る。

 突き出しは、と呼ばれる雑魚ざこを焼いたものに酢醤油をつけて食べるおつな味で


 ……有名なに似てるだろうか。

 


「水曜日、最近売り上げ良いから、出て来て正解」

 香織が、おしぼりを束ねた紐をひっぱる。


「ママおらん方が、客入るんと違うか」

 すでにいい具合に酔った客がからかう。


 自分が目当てで来たのだろうと、沙織が前に立つが、すぐに別の席に行かざるをない。ほとんど年配の客達だったが、場末のスナックにしては大した繁盛だ。


「いらっしゃい教授」

 入ってきた初老の客に、香織が声をかける。


「教授、奥、奥」

 水仕事をしながら、直子があごでボックスを指した。


|ボ ッ ク ス に 移 っ て|

 ウーロンが勲にメモをちらりと見せる。カウンターで珍味としんみり飲もうと思っていたが、客の整理整頓でもしようと言うのか。


 さっき入って来た客と相席する形になったので、勲は軽く会釈し、教授と呼ばれた紳士は、微笑みながらどこの人かと尋ねてくる。沙織がプロらしいしなやかな動きで勲の隣に腰を下ろした。


 ドン! と、何かの煮込みを大量に乗せた皿をテーブルに置き、直子が教授の横に座る。きょとんとする沙織だが、混雑している店の中で1つのボックスにホステスが二人いるわけにもいかない。



「味、見てよ」

 沙織が席を立つと、直子はふたりの前で腕組みをした。






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