第10話 三谷雅之の場合

アイツは、いつも「これは人の為だから」と言っていた。自分のことより、人を助けることを優先して生きてるような男だったっけ。


俺は、自分の人生はいつも自分の為にあると思っていたし、人の為にと偽善ぶったような台詞を言う彼の存在に対して苛立ちしか感じられなかった。


きっと、俺は人に好かれるようなことをする人間が個人的に苦手だったのだと思う。理由は、恐らく自分自身が人に好かれるような人間ではなかったし痒くなるような歯の浮いた台詞も言えないような男だったから、アイツのような男に対して嫌悪感しか感じられなかったからだと思う。


アイツは、俺と違っていつも沢山の人々に囲まれて、ずっとニコニコ笑っていて、そして人気者だった。


それに比べて、俺は女からみたら「イケメン」という位置づけながらも人が近寄りがたいタイプだった。


そんな中、いつも1人の俺にお前は話しかけてきたよな。ほんと、お前は人気者の癖に変わり者だった。やがて、俺とお前は正反対の性格の癖して友達になった。


「友達誰もいないから、サークルに入れば友達が出来るかもしれない。そして、何かが変わるかもしれない」と、俺なりに勇気を振り絞って入ったダンスサークルだった。


しかし、もともとコミュ力のない俺がサークルに入った所で、大して友達が出来るはずもなかった。俺は思う。


結局、どんなサークルに入ろうがコミュ力があって人気者になれるタイプの人はサークルなんて入らなくても何処でも人気者になれるし、初対面の人と上手く話せない俺みたいなコミュ障タイプの男は、どこに入ろうが友達も仲間も上手く作れないし、下手にサークルに入ることでストレスを感じるだけだと思ったのだ。


こんな事、サークル入る前からわかってた事じゃないか?と、自問自答してみる。正直、小学生の頃からロクに友達すら出来なかった俺。昼休み、みんなで校庭でドッチボールするという話になっても「俺も混ぜて」の一言が言えない。


「俺も混ぜて」たったその一言さえ言えれば、俺は晴れてみんなとお昼休みを一緒に楽しめる仲間になれる筈だった。しかし、その一言がどうしても喉の奥に詰まって出てこないのだ。俺が恐れていたのは、もし「俺も混ぜて」と言って「えー」って少しでも嫌な顔をされたらどうしようって程度の些細な悩みだった。


きっと、ドッチボールを遊ぶクラスメートからすれば「声かけてくれたらいいのに」といった感じなのかもしれないが、俺は少しでも声をかけて嫌な顔をされたらどうしようと不安な思いの方が強かったのだ。


結局、あの頃の俺は誰にも「俺も混ぜて」が言えずに、教室の隅で一人落書きばかりしていたっけ。落書きには、クラスのみんなで楽しそうにドッチボールをする俺と、周囲には俺と一緒にドッチボールをするクラスメートのみんな。


本当は、みんなと一緒にドッチボールをして一緒に笑い合いたかっただけなのに、どうしてこんなに難しいのだろう。「俺も混ぜて」の一言を言うのが、こんなにも難しいのだろう。


俺は、案の定ダンスサークルでもあの頃と同じように隅で一人ポツンと佇んでいた。きっと、誰かが「一人?」って話しかけてくれる・・・話しかけてくれる筈だ・・・。


そんな俺に、唯一一人だけ話しかけてきた変わり者がカズだった。


カズは、いつも俺がずっとモソモソしていると、隣に寄ってきたっけ。俺が聞いていてもいなくても、お前はくだらない話を飽きずにずっと話していたな。


「シロナガスクジラを二十歳の頃に素手で仕留めたことがあるんだぜ」とか。基本、お前の話は九割位がデタラメ話だったけどな。


俺は、お前と出会ったことで2つの異なる感情が芽生えるようになったんだ。一人の俺に気を使って話しかけてくれるカズの存在に感謝しお前とこれからも友達でいたいと思いながらも、いつも俺はお前と比べながら生きるようになる。


いつも人に囲まれるお前に、嫉妬するようになっていた。


そんな時。サークルに、谷口という男がやってきた。谷口に「絶対何が何でもいい男になれるセミナー」というセミナーに誘われては、ネットワークビジネス理論を教わった。


その講座では、


「なぜ、人間にとってお金は大事なのか。それは、金を持てばありとあらゆる作業の時間をお金によって短縮させることができるからだ。


時間を手に入れることが出来ることで、より余裕をもって人生に取り組む事ができるのだ。


例えば、遠くの友人が困っていたらお金さえあれば新幹線に飛び乗って会うことができる。つまり、お金がある事によって友情も守れるのだ。」


という屁理屈を延々と二時間聞かされるというセミナーであり、実際販売する商品の性能については何も説明しないといった詐欺商法のセミナーだった。


お金に関する屁理屈の下りは、セミナー参加者にお金を稼ぎたいという気持ちを持たせて働かせるために作られた屁理屈だ。しかし、その屁理屈があまりにも稚拙すぎて笑えてくる程だった。果たして、本当にこんな稚拙なセミナーで信者が増えて商売が成り立つのかと思った。


ただ、俺が「なんでこのセミナーで人が集まるのか」と疑問を持たせることも、もしかするとこのセミナーの狙いだったのかもしれない。実際、あまりに稚拙すぎるセミナー内容と熱心にノートにセミナーの話を書き写す参加者の光景が滑稽すぎて、思わず変な興味を示すようになったからだ。


そのセミナーに行くと、商品を気づけば大量に買わされ「知り合いに売りまくれ。」とノルマを課せられるのだ。


俺も、あの頃はどうかしていたのかもしれない。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る