第10話 ずぶ濡れ公園 下

 大声を上げたびしょ濡れ男の子──薄オレンジ色のTシャツを着た、どちらかというと背の低い子──は、すぐさま私と距離をとると、「ご、ごびんなさいい!」と慌てた声で頭を下げた。

 何に対してごんなさいいなのかは少し分からなかったけれど、その男の子はずいぶんと礼儀正しいようで、私を慌てさせた。

「だ、だいじょうぶですよ」

 男の子に返した私の声も上擦っていて、どちらとも混乱したような顔をしていたと思う。やがて男の子が私に上目遣いのまま、すごすご退こうとしているのを見つけたので、私はついつい──助けにも配慮にもなっていない言葉を口にしてしまった。

「どうぞ、いいよ……?」

 隣に座ることを促すような仕草でその言葉を放ってしまった。男の子も、断るに断れないような苦渋の表情を一瞬見せたが、そのままおろおろと私の隣に腰を下ろした。

 男の子を座らせたのはいいものの、思っていたよりも気まずい空気になってしまった。私は心中で男の子に謝ったが、そんなこと、気休めにすらならない。どうにかして話題提起しようと、逡巡の末、私はオレンジTシャツの男の子に問いかけた。

「鬼ごっこをしてるの?」

「ううん、違う。ケイドロ」

 どうやら鬼ごっこではなかったらしい。どっちでもいいのではあるけれど、何せ私が訊いたのだから、多少の興味は見せないと。

「じゃあ君は──ドロボウのほうか」

「ううん、違う。ケイサツのほう」

 またもや外してしまった。まあ当てが外れるのは別にいいのだけれど。──果たしてケイサツがこんなところでサボっていてもいいものなのか。

「ドロボウを捕まえに行かなくても、いいの?」

「見つかったらやばいから、ここで休んでんの」

 どうやらこの屋根の下へは、ケイドロからの逃亡──棄権ではないけれど、こっそりの休憩といったところか──ということらしい。私の予想はどこまでも間違っていたようだった。

 それはそうと、『見つかったらやばい』とは、どのくらい大変なことになるのだろうか。気にはなったけれど、訊かなかった。

「よくこんな雨の中、走ってるよねえ。……寒くないの?」

 私が男の子の着るオレンジ色のTシャツを指差しながら問うと、男の子は顔を思いっきりしかめて、

「走ってるときは寒くなかったけど──今はむっちゃ寒い」

 と吐いた。よく見ると、その腕に鳥肌が立っていた。それだけに男の子の言葉は事実なのが感じられた。

 放っておけなくなって、男の子に上からかけてあげるものでもないものか、と私は鞄を漁ったが、肝心なときに、タオルや、上着──この季節にそれはないか──などは手元になかった。震える男の子を前に、なにも出来ない自分が酷く思えてしまって、他意ない言葉が口から転がり出てしまった。

「両手を温めてあげようか」

 両手を差し出して提案する私を、男の子は驚いたように両目を開けて見つめた。男の子はしばらくそのまま固まっていたが、やがてはっとして、答えた。

「嫌だ」

 それは決して、別にいい、とか遠慮します、とかのものではなかった。『嫌』と言われてしまった。それはそれはかなりのショックとなって私を襲ったが、すんでのところで耐える。

 このまま引き下がるのもばつが悪いので、と私は、次なる提案を私は持ちかけた。

「暖かい飲み物でも──」

 少し大人な人間として、年下になにかを奢るのはありだろう。自分で言うのもあれだが、我ながら大人な一言だと私は自負した提案だった。

「いらない」

 間髪入れない即答、瞬時の直答、ワンデーレスポンスだった。

 事務的な男の子の真顔も、それに拍車をかけて拒否していた。もしかするとこの子、私よりも大人かもしれない。虚しさというか、悲しさというか、申し訳なさが溢れてきた。

 こうなったら──と、私は最後の手段にでる。

「じゃあ、抱きしめてあげようか」

 男の子はついに、私をなみするような視線を送るようになった。──この人、思っていたより危ない人間だ。とでもいったところか。とりあえず、私は恐ろしい形相で睨む男の子の目の前にいた。

 というか、睨まれていた。

「ごめんなさいごめんなさい! どうか忘れて……?」

 私の必死の謝罪をも全く気に介さない様子で、男の子は私との距離をゆっくりとり始める。ゆっくりではあるが、しかし確実に私から引いている。この際、私が百パーセント悪いのだが、男の子ももう少し私の言い分を聞いてほしい、と思う。もちろんただの要望だけれど。

「本当にごめんなさいごめんなさい! だからもう引かないで──」

 男の子はしばらく固い表情で、私の弁解に耳を傾けていたが、あるとき突然、なにを思ったのか、ニヤリと悪い顔でその口角を釣り上げた。

「じゃあさ、僕が今の一通りのやり取りをわすれる代わりに──」

 男の子は先ほどの睨み顔から一転、弱者を甚振いたぶる強者の顔になっていた。私からすると──とても恐ろしいものだった。

「僕らのケイドロに、入ってよ」

 つまり、この子たちのケイドロに参加せよ、ということだろう。

 いったいどうして、この男の子くらいの年頃男子は、大人年上を自分達の遊びに入れたがるのだろうか。それは──不思議な好奇心が働くのか、それがいかに面白いことなのかを理解しているのか、それとも自らの能力の確認なのか──わからないけれど、何かしらの魅力を感じているのは確かだろう。その感情の手助けを、自らの身体をもってするのは気持ちが乗らないけれど、この際仕方がない。

 というか、拒否出来ない立場にいるので。

「わかった。ケイドロすればいいんだよね」

 そう訊くと、男の子は一層笑顔を深くして、うん、と頷いた。

 荷物と傘を、その屋根の下において、私は男の子に連れられて子供らの輪の中に入った。

 雨に濡れながら走りまわるのは、体力も精神力もいるもので、とっても厳しいものだった。子供とはいえど、男の子たちは足も速かったし、やっぱり口も悪かった。

 途中で雨は止んだけれど──このケイドロがとてつもなく面白かったのは言うまでもない。

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ひと息ついて話をしよう 芹意堂 糸由 @taroshin

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