第9話 ずぶ濡れ公園 上

 地面には大小様々な染みができて、空には曖昧模糊の滲みが浮かんでいた。

 ──その日は雨が降っていた。

 朝はそんなことはなかったのだけれど、少なくとも帰宅部の私が学校を出た──つまりは午後の適当な時間──時には、空は雨模様で、道行く人は皆傘を差して歩いていた。

 傘を忘れた私は憂鬱そうになりながらも、仕方なく近くのコンビニにて安い透明のビニール傘を購入する。安いとはいえど、少しかなしい出費ではあった。

 傘を差すと、視界が悪くなる──なんて言葉をよく聞いたけれど、改めて私はそれを感じた。なんでも、空に目を遣れない。太陽が眩しくて天を仰げないときと同じ様に、雨が降っているときに天を仰ぎ見ることは難しかった。実際、歩きながら空を仰ぎ見ることは滅多にないけれど、空という背景がないと、屋外に出ているという感覚も自然と薄れる。そのせいで気分も良くならないのだろう、なんて独り勝手に私は考えていた。

 駅に入り、電車に乗り、また駅に着いた。

 最寄りの駅から、家まではおよそ一キロ。長くはなく──むしろ短い距離ではあるから、私はよく寄り道をしてしまう。

 かといって、近頃の若者──私も若者、なのだけれど──がたむろするようなショッピングモールでもなく、小学生たち──念のため、私は小学生ではない──が騒ぐような小さな駄菓子屋に寄り道をする訳でもない。

 ──こう言ってはなんだけれど、私は人だらけの所は好きではない。

 楽しかったり、居心地が良かったり、気分が高揚したり、幸福を感じたり、それらの感情は理解できるけれど──むしろ同感できるけれど──、私は好きではない。

 そうそう。前にも言ったけれど、私はどこまでも生意気な人間だった。

 故に、私が寄り道をする場所は、逆に人気ひとけのないところ。

 ときに大きな公園だったり、ときに建物の陰だったり、ときに川や池のほとりだったり。

 そしてそれらの場所は大抵、草が生えていたり、独特のにおいがしたり、空がよく見えたりする。

 そんな風に聞こえはいいけれど、とてもみすぼらしく、汚くもある所。

 私はそんな場所が、とても好きだった。



 前置きが長くなってしまったけれど、私はその日も、ある町の一画に、腰を下ろして寄り道・・・をしていた。

 正確には、屋根のある公園のベンチ。正直、ここに座ったのは初めてだった。

 空全体が見渡せる・・・・・・・・いつものところ・・・・・・・は、こんな雨の日には行けない。その分、雨の日にはこんな屋根がある所がとても大切なのだ。

 ベンチの端に立て掛けていた傘を見ていると、ふと、どこかで観た映画と酷似しているように思えてしまって、思わず頬が緩んだ。実際、その映画ほど素敵でも美しくも深くもない光景だったのだけれど、私はそんな偶然には滅法弱く、その笑みはなかなか消えなかった。

 それからしばらくして、私は退屈を感じ始めた。いつもなら、空を眺めているだけで私は満足するのだが、今日は私の上に屋根が付いている。かといって、屋根から出るのは気が引ける。仕方がない、と石畳の地面をぼんやり観察していたが、どうも面白さを感じなくなって、私は顔を上げた。

 ただでさえ人気のない場所、そしてその上に雨が降っている今は、全くと言っていいほど人がいなかった。ほんの時折、傘を差した人間が見えたけれど、どれも足早に、雨から逃げるように歩いていた。

 しばらくしてその中に、数人の子供が見受けられた。どうやらこの雨の中、傘も差さずに走っているようで、全員が半袖に半ズボンだった。

「元気だねぇ」

 まるでお年寄りのような言葉を呟いて、私は目を凝らした。

「いち、に、さん、よん、ご、ろく……」

 見た限り、六人ほどの人数で、鬼ごっこのようなものをしていた。

 てけてけ、とことこ、てんてんてけん、てんってん。それぞれがそれぞれのスピードで、ときに危なっかしく道路にはみ出ながら、好き勝手に走りまわっていた。

「ここに公園があるのに……」

 そうは言ったものの、走りまわるにはこの公園はいささか狭いようにも思えた。彼らもそのせいで、あそこまで危なくも遊んでいるのだろう。独り納得して、私はそれらを見続けた。

 てけてけ、とことこ、てんてんてけん、てんってん。軽そうなその体を、好き勝手に動かしているようだった。それを見ていると、雨が降っていることすら、忘れてしまいそうなくらいだった。

 そんな中、一人の男の子が、こちらの公園に向かって走ってきた。そのびちょびちょの服を揺らしながら。

 そしてそのまま、私のいる屋根の下に入り込んできた。

「ふうーー」

 びしょ濡れの男の子は、そのおでこに浮かぶ雫を拭いながら、大きく息をついた。

 ……どうやら、不思議にも不可解なことに、私に気付いていないようだった。

 目は他の子供たちに向けながら──おおよそ、ここに逃げて・・・きたのだろう──私の座るベンチに近づく。

 そして、ベンチ座ろうとしたとき、男の子は叫んだ。

「うっぎゃああ!!」

 その驚きに、私もびっくりした。

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