第16話 聖龍とはじまりの物語

 旅の目的地は決まった。

 ジョーガ湖と、そのほとりにある街、ジョーガバーズを経由し、北へと向かい、山の中にあるというガッサン村へ。

 マヤ――、王都の日本街の道端で紅花染めの商品などを売っていた少女は、五日ほど商売をすると言うので、その間、我々は旅の準備を整えるとともに、王都を見て回ることにした。

 王都ガーティンは、やはり王都というだけあって広く、かなり見どころ一杯である。五日で全てを見て回るのはちょっと難しいが、できるだけ見てみよう。

 ティオたちを、馬車を待たせてある停車場まで送る。

「旅のお話、聞かせてくださいね。――約束ですよ?」

 馬車に乗り込む前に、微笑みながら言った。

「はい。喜んで」

 わたしが返事を返すと、ティオがすっと手を差し出した。

「……、は?」

「指切りです。約束の証に、日本では指切りをすると、伺いましたので……」

 誰だ、そんなことを教えたのは。春風やちまりが、またも大げさに口の端を上げてにやあっと笑う。

「だよねえ。指切りはしなくちゃねえ……」

「ですよねえ、先輩」

 このメンツの前で、うら若きお姫さまと指切りをする。これまた何とこっぱずかしい行為だろう。しかし、うろたえるわけにはいかない。そして、何よりもレディに恥をかかせてはならない。

 わたしはすっと小指を差し出し、ティオの小指に絡ませた。ティオがはっとして頬を染める。いや、その反応はこちらも意識しちゃうでしょ?我々の指が絡まったのを見て、春風はるかぜとちまりが歌いだす。

「ゆーびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼん、のーまっす!!ゆびきった!!」

 指切った、でティオの指から自分の小指を離す。

「で、で、では、皆さま、ごきげんよう――。旅の安全を祈っております」

 ティオは、赤くなったまま、馬車に乗り込み、お菓子やカレーのルーなどが入ったコンビニの袋を手にしたアルアがそれに続き、二人を乗せた馬車は城へと帰って行った。

「ティオの小指、柔らかかった?」

 春風がにやにや笑いながら訊いてきたので、小突いてやった。


 その日の夜。

「ここに行く」

 我々の滞在している屋敷に、勝道まさみちを呼び、地図を広げてマヤの故郷『ガッサン村』があるあたりを指差して、わたしは言った。

「ふうん?こんな所に村がねえ。地図にも描いてないじゃんか」

「うん。ユウリに頼んで、別の地図を用意してもらって確認したけど、描いてなかった」

「やっぱ、俺たちが直に足を運ばないと分からない村が、あるんだな」

「でも、ジョーガバーズの商売人とは取引があるんだって」

「そうなんだ。じゃあ、他の土地の人との交流はあるんだな?何売ってんの?」

 勝道が、マヤを見た。マヤには王都滞在中にこの屋敷にいてもらうことにした。色々聞きたいこともあるし、世話になることでもあるし、そうした方が良いと思ったのだ。マヤは、この大きな屋敷を見て、目を真ん丸にしてから首をぶんぶん横に振り、

「こんな立派なお屋敷に世話になるわけにはいかねえっす!」

と、慌てて自分が泊まっていた安宿に戻ろうとしたが、それを引き留めた。

「はい……。村で取れた米や野菜や、機織はたおりものなんかを売るんです」

 勝道に訊かれてマヤが答えた。まだ、この屋敷に慣れておらず、そわそわしている。分かる。ここは庶民には似合わぬ場所だ。一晩泊ったわたしでも、まだ慣れない。すっかり慣れ切って、ちまりやリリミアと会話を楽しむ春風が羨ましい。

「これ、うんまいよ、リリみん、はい、あーん」

「ひ、一人で食べられます!」

「あーん、あーん!」

「は、はう、んぐ、んむ!」

「ねー、美味しいべ?」

 口にグミを放り込まれたリリミアがまるで夢の中にいるような、とろけた顔をした。

「山の中にあるのは分かったが、どれくらい人が住んでんだ?」

 勝道に訊かれて、マヤがううんと考える。

「ええっと……、村の真ん中に、二百人くらい?その周りの集落にはどれくらいいるべか?」

「村の周りにも小さな集落がいくつかあるんだね?」

「んだっす。わたしの住んでるのも、小さな方です」

 わたしは、勝道に訊いた。

「どう?行ける?」

「ああ、まず車でジョーガバーズまで行って、さらに北に向かうんだろ?途中まで、この地図に載ってる道を行ける所まで行って、この山からは、道幅が問題だよなあ。どれくらいの道なんだ?」

 勝道の質問にまたマヤが考える。両手を広げ、首を傾げ、もっと広いなあ……、と言うと、

「馬車が二台すれ違えるくらい?」

と答えた。

「あれ?結構余裕じゃね?」

「だなあ。もしかすっと、車で全部行けちゃうかも知れねえな。でも、行けなくても、こんな女の子が一人で荷車引いて来られるくらいの山道だろ?余裕だべ」

「だといいなあ……」

 正直、わたしは体力に自信が無い。お遍路を回り切ったちまりにも到底及ばないと思う。自分で行くと決めておいてなんだが、へばって動けなくなる予感で胸いっぱいである。

「おぶってやったりまでは、しねえかんな」

 勝道が、わたしの胸の内を読んで言う。わたしだって、むさくるしい男におぶられたくはない。

「兄ちゃんが動けなくなったらマヤちゃんの荷車に積んで、運べばいいじゃん」

と、春風が笑って言った。勝道が頷いた。

「だな」

 荷物扱いされないように、頑張ろう。


 翌日、朝食後にマヤはまた商売に出かけた。出かける前によく眠れたかと訊くと、

「びっくりするぐらいベッドがふかふかで、目を閉じて、開けたら、もう朝でした」

と言った。すこぶる快眠だったようで何よりである。その反面、寝不足な者が何人かいる。まず、リリミアである。春風に捕まって夜遅くまで話し込んでいたようだ。

 そして、大きな欠伸をする者が。

「ふわあああ……、あ!すいません」

 ユウリである。わたしは、ユウリを捕まえて、昨夜遅くまでデューワ王国の歴史などについて質問攻めしたのである。ユウリは、大変真面目なので、わたしの質問にできるだけに丁寧に答えてくれた。結果、ユウリは大欠伸を連発している。

「悪かったねえ。昨日は遅くまで付き合わせちゃって」

「いえ、いいんです、お役に立てたなら。――今度はぼくに日本の話を聞かせてください」

「じゃあ、わたしが話してあげっぺした!」

 と、話に割り込んできたのは春風である。

「今夜わたしの部屋おいでよ!」

「ええ!?そ、そんな、女性の部屋になんて!!」

 うろたえるユウリ。眠気もぶっ飛んだ様子である。

「ん?どしたん?お菓子もあるしさ、おいでって」

 ユウリが、顔を真っ赤っかにして首を横に振る。

「だ、ダメです!女性の部屋に、女性の部屋に夜、行くなんて、そんな!!」

 いや、実に初々しい。リアクションもかなり良い。朝から良きものを見た。

「いやあ、やっぱ、可愛い美少年はこうあるべきですよねー」

 美少年アイドル大好きのちまりが頷いている。恥ずかしがるユウリに、春風はくっ付いてけらけら笑って、

「気にすることないって、ねー、おいでって」

と誘い続ける。そんな春風の態度は、やはりユウリには刺激が強すぎたのか、勘弁してくださいと、悲鳴を上げるが、皆、助けることなく面白がってただ見ていた。


 さて、デューワ滞在四日目。この日わたしは、ちまり、春風とは別行動でユウリとともに『聖竜』や、ドラゴンたちを祀る、ある場所へと向かった。

 聖マルミーガ竜殿りゅうでんと呼ばれる場所である。

 我々にとっての寺院や社殿、神殿と呼ばれるものに相当するかと思われる。

 ややこしいのは、神聖視された竜を祀ってはいるものの、竜自体は『神』ではないということである。その為、竜殿を宗教施設と言っていいか判断が難しい。

 まあ、『仏』を拝む寺院も宗教施設なのだから、同じように扱っても差し支えないかも知れない。

 王都には、竜を祀る竜殿がいくつかあるが、聖マルミーガ竜殿はその中でも最も歴史が古く、千年近く前に建てられたのだそうだ。

 ちなみに、もしデューワで人が亡くなると、どうするのかユウリに訊いてみた。

「デューワでは大体竜殿の竜司りゅうしさまに頼んで、竜殿にて葬儀を上げてもらい、遺体をお墓に埋めます」

「りゅうしさま?」

「竜にお仕えする、聖職者を指す言葉です」

「じゃあ、結婚式はどうするの?」

「これも、大体の場合竜殿にて、竜司さまの前で結婚の誓いをします。去年、ぼくの姉も結婚しました」

「あね!?美人か?」

「あの、すでに結婚したんですけど」

「安心したまえ。ぼくは人妻でもオッケーだ」

「ここ、困ります!姉の家庭が壊れたらどうするんですか!」

 そんな話をしながら馬車に揺られて王都の東にある聖マルミーガ竜殿に到着。

「はああ……」

 わたしは、首を大きく上に傾けて、聖マルミーガ竜殿の大きさに感嘆の声を上げた。

 我々の滞在している屋敷からも見えていた。東西に80mほど、南北に40mほどの白い巨大建造物。その建物から、さらに突き出て太く高い塔がそびえ立つ。高さは一番高いところまで目測だが、ゆうに100mくらいはあるのではないだろうか。

 高さというだけなら、ガーティン城を超えている。

 左右の壁には巨大な竜のレリーフ。これは、この竜殿に祀られているゴラージと呼ばれる、叡智ある竜を守護する二頭の兄弟竜なのだそうだ。

「あ、忘れてた。写真、写真」

 今日は撮影係のちまりとは別行動である。写真は自分で撮らねばならない。パシャパシャと、外観を撮り、レリーフの隣にユウリを立たせて記念撮影をした。写真に慣れていないユウリの顔が、緊張で引きつっている。

 一通り写真に収め、その後ぺたぺたと、大きな入り口脇の壁を触ってみた。

「こっちのレリーフと、その周りは石造りだね。でも、こっちの壁は……?レンガ?」

「えっと、日本でいうところの、コンクリートですかね」

「コンクリ?そりゃまた近代的な……、あ。いや待てよ?ローマのコロッセオにもコンクリートが使われてるか。てことは、必ずしも近代的とも言えないのか」

 ローマのコロッセオ。かの古代建造物には火山灰を利用したローマン・コンクリートというものが使われている。わたしたちの世界でも、二千年近く前にはコンクリートが存在したわけだ。あの時代のローマよりも、現在のデューワの方が文明は進んでいるだろうから、自然の材料を利用してコンクリートを作っていても不思議はない。

「それにしても、千年前に、これが作られた?」

「あ、ここに、初めて竜殿が作られたのが千年前という意味で、この建物が作られたのは、三百年くらい前です。だいぶ傷んでいたので、作り直したそうです。そして、隣に見える建物、あれが竜司になる人たちが勉強している学校で、デューワが統一されて、現在の王家によって建てられたものなので、五十年くらいの歴史があります」

 ユウリが指差す方向に、同じく白い建物があった。あちらも、もしかしてコンクリート製なのだろうか。

「三百年でも、でかいよ、これ。ぼくたちの世界なら、世界遺産に無条件で選ばれてるぞ」

「そうですね。竜殿としては、デューワで三番目の大きさだそうです」

「は!?これよりでかいものがまだあるの?」

「はい。王都ではありませんが、西のゴルモ大竜殿と、現在聖竜さまがお住まいになるゴラージ大聖竜殿だいせいりゅうでんがあります」

「よく作ったねえ」

「ぼくもそう思います。魔法を利用したとはいえ、建てるのに何年も何年もかかるわけですから」

 いつまでも、その高さを見上げていては、首がどうにかなってしまう。

 ユウリに導かれて、竜殿内に入った。これまたすごい内装で、左右に巨大なステンドグラスがあり、奥には巨大な『りゅう』の姿があった。

「ん?」

「どうかしましたか?」

「いや、あの竜……。ドラゴンじゃない。『龍』だ」

 そう。聖竜殿奥にあった石像。それはいわゆる西洋風のドラゴンではなく、ぼくたちの住む日本では、十二支の辰としておなじみ、中国などの昔話に登場し、多くの芸術作品に描かれた、体が蛇のように長く、体の割に小さな手足を持ち、頭にシカのような角が生え、口の先から長い髭をたたえた姿がおなじみの、そして、勝道が見せてくれた動画に写っていた、あの龍である。

「これが、ゴラージ聖竜?他のドラゴンと形が大きく違うね」

「はい。このゴラージ聖竜が、この地の人々を長年守護してきた聖竜さまです」

「キューブを作った張本人?」

「いえ。それはまた別の方です」

「だよねえ」

 いくらなんでも、ドラゴンが、ふたつの異なる世界を繋げちゃったなんてねえ。

「それにしても、立派な『龍』だわ。日本のお寺とかに、大きな龍が絵に描かれたものがあるけどさ、こんな大きな石で作った龍の像は見たことが無いね」

 よく見ると、ゴラージ聖竜の下の方に、たくさんの群衆を彫った石像があり、それらは皆聖竜を見上げていた。さらによく見ると、その群衆の先頭にいた者は、身形が良く、杖を持ち、冠のような物をかぶっていた。王などの権威ある者を表しているようだった。つまり、この権威ある者でさえ崇めるくらい、このゴラージ聖竜はえらい!ということを表現しているのだろう。

 ユウリの話だと、ここは大昔から、人々がこのゴラージ聖竜を崇める神聖な場所だったという。と、いうことは。

「ここに、このゴラージ聖竜殿があったから、ガータ王家はここを王都に選んだのかな?」

「鋭いのう!お若いの!」

「うわああっ!!」

 神聖かつ厳かな場所に、わたしの場違いな悲鳴が響く。

「誰!?」

 突然わたしの背後から、灰色のひらひらした衣装を着た、老人が大声で話しかけたのだった。

 手に、杖を持っていて、その杖の先には、赤い石がつけられている。首からは、金の鎖にアルファベットの『F』のような形をした物がくっついた首飾りを下げている。

 これは、聖竜の角の形をモチーフにした物で、聖角せいかくと呼ばれているそうだ。キリスト教の十字架のように、竜を祀る場所では多く見られる。

「お主か?我らがティオリーナ姫をたぶらかしておるニッポンジンというのは」

「たぶらかす!?」

「かかかっ!」

「どちら様で?」

 わたしは、ユウリに尋ねた。

「この聖竜殿で一番偉い、イトゥーカ大司正だいしせいさまです」

「ここの責任者さん?」

「そうじゃ」

 わたしは、深く頭を下げ挨拶をして、名を名乗った。

「うん。霞ヶ城かすみがしろ殿か。話は聞いておるよ。ほれ、あの鼻たれ小僧からの」

「鼻たれ?」

「会ったじゃろ?ジガント・ジーゴ。わしゃあ、あれがちいっちゃい頃から知っておるのよ。今じゃ大臣閣下じゃもの。分からんもんじゃのう」

 あのでかいおっさんを小僧呼ばわりとは。この爺さん、一体いくつだ?

「それにしても、なかなか良い着眼点をお持ちのようだの」

「ああ、王都がここになった理由」

「地理的条件もあるがの、ここに古くから信仰の場があったでの。人がよく拝みに参っておったわけじゃな。するとまあ、それを相手にする商売人も集まる。商売人が集まると、商売人相手に住処を作る職人や食い物を売る者も集まる。勝手に人が増えていくわけじゃ。元々人がいた方が都は作りやすい。それに、ここの地ではあまり大きな戦が起こらんかったから、荒廃することなく、常に穏やかな地だったわけだの。栄えるのにぴったりの地じゃの」

 成程。それなら、王都を整備するのにうってつけだ。

「お主、何故このゴラージ様がデューワで崇められておるか、知っておるか?」

「一応、簡単な昔話は読んできましたが、関係ありますかね」

「ほうほう」

「『始まりの竜』と、その教えを受けた竜たちの話ですけど」

「うん。それ」


 ここで、わたしが呼んだこのデューワ王国がある世界の神話(神様は出てこないが)を簡単に紹介しよう。

 むかーし、むかし。

 この世界に『始まりの竜』または『始まりのドラゴン』と呼ばれる巨大な体を持つ竜がいた。

 その竜は、白銀の蛇のような長い体を持ち、銀色の目をしていたという。

 この世界に、ドラゴンと呼ばれるものはこの『始まりの竜』しかいなかった。

『始まりの竜』は、神さまのようにすごい力を持ち、賢く、この世の全てを知り尽くすほどだったという。

『始まりの竜』は天より、この世界に訪れ、そして、世界の中心である『始まりの大地』と呼ばれる大地に降り立ち、住み始めた。

 そして、しばらくして、『始まりの竜』は、島にやって来た五頭のドラゴンに、強い力と、自分と同じ叡智と授けた。

 神話では五頭のドラゴンは『賢き竜』、『古代竜』などと呼ばれる。

 そしてさらに、ヒトや獣が『始まりの竜』の住む島に生まれた。

『始まりの竜』と『賢き竜』は、ヒトに言葉を教え、文字を教え、火の使い方を教え、様々な道具の作り方、使い方を教えた。ヒトは、ドラゴンたちに叡智を授けられたのだ。

 そして、『始まりの大地』は、ドラゴン、ヒトや、獣、鳥、植物の命があふれる楽園となった。

 しかし、『始まりの大地』は、命で溢れすぎた。手狭になったのだ。

 そこで、五頭の『賢き竜』は、『始まりの大地』から旅立つことにした。新天地へのお引っ越しである。

 そして、『賢き竜』を慕う多くのヒトが、付きしたがって、『始まりの大地』を旅立った。

 こうして、ヒトは、『賢き竜』とともに新天地を求めて世界各地に散らばり、そこで、国を作り、文明を作った。

 この世界の人々は、『賢き竜』とともに歴史を築いてきたのだ。

 そして、島国デューワにも、ヒトは移り住んできた。

 デューワの中心には、ゴラージという名の、『賢き竜』の血を受け継ぐドラゴンが住んでいた。

 人々は、ゴラージを聖竜として崇め、神のように扱って、ともに生きてきた。


 さて、ここでお気付きだろうか。

 我々の世界の神話などでは、がこの世界を作り、そしてこの世の全ての生命はが作られた、となっている場合が多い。

 しかし、デューワのある世界の神話では、大体、命は自然に発生したことになっている。『始まりの竜』は、命そのものを作ってはいない。あくまで、(進化して誕生した)命に力や叡智を授けただけである。これは大変興味深い。

 

「という感じの話でしたが?」

 わたしが、ざっとこの世界に伝わる創世記を話すと、イトゥーカ大司正は満足しながら頷いた。

「そう。ゴラージさまは、この世界に初めて降り立った『始まりの竜』に力を授けられた『賢き竜』の子。人々が崇めるのも分かるじゃろて」

 確かに。この世界に住む人々が、繁栄しているのは、『始まりの竜』と『賢き竜』のおかげである。感謝してもしきれまい。

「世界には、『賢き竜』の血筋の竜が他にもたくさんいるんですかね?」

 わたしが訊くと大司正はまた頷いた。

「おるよ。大きな国には大抵な、その地を守護しておられる、尊き竜がおられる」

「ははあ。というと、その国々全てに、ここのような立派な竜を祀る場所があるのですね」

「あるんじゃろうなあ。わしは残念ながら、海を渡って、よその国に行ったことが無いがの、海を渡った商人たちが言うにはそりゃあ素晴らしい竜殿があったそうじゃ」

 イトゥーカ大司正は、まだ見ぬ異国の聖竜殿に思いをはせているようだった。

「ひとつよろしいでしょうか?」

「うん」

「国や地域によって、崇める竜が違うわけですね?」

「そうだの」

「そんな、信仰する竜の違いによって、争いが起こったとかいうことは無かったのですか?」

 イトゥーカ大司正は、ふむ、と一言発し、考え、そしてはっきりと、

「無い」

と言い切った。

「少なくとも、そんな話は聞いたことが無いのう。霞ヶ城殿の世界では、そんなことがあるのか?

「しょっちゅうですねえ」

 残念ながら、戦争の原因に宗教が絡むことは、我々の世界ではよくあることだ。同じ神仏を崇めている者同士でも、宗派が違うというだけで、争いの火が燃え上がり血が流れる。

「ぼくたちの世界の争いは、大体土地の奪い合いか、権力闘争、そして宗教がらみです」

「ふうん。大変じゃの。まあ、こっちも、土地やら権力やらでは争うがのう。西の大陸ではいまだに多くの国がドンパチ元気にケンカしとるそうじゃよ?あんまりはしゃぎ過ぎるのはいかがなモンかと思うんじゃがの。デューワはほれ、百年も前に戦は終わったでな。こうしてのんびり暮らしとる」

「それが一番良いことだと思いますよ。戦争なんて、何一つ良いことが無い。――ところで」

「何か?」

「ゴラージ聖竜さまが崇められてきたことは分かりました」

 わたしは、疑問に思っていたことを素直に訊いてみた。

「じゃあ、今、皆が崇めている聖竜さまは?キューブを作ったっていう聖竜さまって、ですか?」

 そう。これだ。

 デューワ王国と日本、異なる世界をつないだ張本人。

 石田が言っていたように、いまだ日本の関係者が接触できていない謎多き人物。

「ゴラージ聖竜を崇めている、全ての人たちの頂点に立つ偉い人、という解釈でよろしいので?」

 つまり、王ですら崇拝する、聖職者。そして、絶大な力を合わせ持った魔法使いのような存在を、イメージしていたのだが。

「ちょっと違うかの」

 イトゥーカ大司正はそれを否定した。

 違う?

「聖竜さまは、偉いが、人ではないしの」

――人ではない?まさか……。


「《ドラゴン?》」


 イトゥーカ大司正と、ユウリがそろって、頷いた。

「マジで!?」

「あれ?知らなかったんですか?」

「石田さんからもらったデューワに関する資料には、聖竜さま=キューブを作った『』って書いてあったし!それに、テレビでも新聞でも『キューブを作った』って言ってたし!マジでドラゴン!?」

 わたしが面くらって、興奮し声が高ぶったので、ユウリは少し驚いたようだった。

「はい。聖竜さまは、ドラゴンです。いや、知ってるもんだと思ってました」

 わたしはイトゥーカ大司正に向かって、

「お会いになったことは?」

と訊いた。大司正はあっさり言った。

「あるよ。わし、数年に一度、あいさつに参るし。それに、ほれ、聖竜さまは年に一回は王都に招かれるしの」

「そんな話、聞いたような。でも、招くって言うから、てっきり人間だとばかり……。え?しゃべるの?」

「はい」

「え、マジ?――ちょっと待って?もしかして、このゴラージ聖竜ってドラゴンも、実際にいたの?」

 二人、頷く。

「はあっ!?」

「わし、若い頃に会ったことあるし」

――――!?

「会った!?これに?」

 わたしは巨大なゴラージ聖竜の石像を指差した。

「うん。昔、会いに行ったぞ。今の代の聖竜さまがいる『ゴラージ大聖竜殿』に昔はいたからの」

「その、先代の聖竜であるゴラージさんは、今どこに?」

「死んだ」

「死んだ?」

「そりゃあ、死ぬわな。生きてるんじゃもの。ゴラージ大聖竜殿に墓もあるぞ。参ってきたらどうかの。結構参拝者がいるぞ」

 ああ。そりゃそうか。ドラゴンだって、生きているんだ。命も尽きるか。

「どれくらい前に?」

「亡くなったのは六十年くらい前かのう。で、亡くなる十年くらい前に、そろそろ命も尽きるからと申されての、現在の聖竜さまを後継者に指名したんじゃな。以来我らデューワ王国の者はその聖竜さまを崇めておるわけじゃな」

「え、も一回ちょっと待って―――」

 デューワに人が住むようになった時には、すでにこのデューワの中心にはゴラージが住んでいた。そう、創世記には書かれていた。

「ドラゴンって、どんだけ寿命が長いわけ?街中を歩いてたドラゴンも、長寿?」

「いや、二十年から五十年くらいじゃないですかね。第一、街中のドラゴンと『賢き竜』の血を引くゴラージ聖竜を一緒に考えてはいけません。別物です」

「ああ、そう。でもゴラージ聖竜はすんごい長生きだったわけだ」

「じゃな。デューワの歴史が大体二千年弱だから、少なくともそれくらいは生きていたことになるの。わしも、詳しく聞いたことが無いから、ゴラージ聖竜がどれくらい前からこの地に住んでいたのか分からん。すまんの」

「も一回、も一回ちょっと待って――。ゴラージ聖竜がいたということは……。『始まりの竜』と五頭の『賢き竜』も……、いたの?マジで?」

 わたしが、そっと二人の反応を待つと、

「いたんじゃないかのう?流石にわしも会ったことは無いし、会ったと言う者にも会ったことはないのう。じゃがの、わしはいたと信じておるよ」

とイトゥーカ大司正は言った。

いたのだろうか?神代の昔に世界の中心にいたと言われる、神さまのような信仰の対象が実在した?

「創世の物語ってどれくらい前の話なんですかね」

「さあ、分からんが、気が遠くなるくらい昔々の話じゃの」

「ですよねー」

 人間が文明を築いた時には、『始まりの竜』はすでに存在していたはずだ。ということは、

「五千年前?いや、もっとか?」

想像がつかない。あ。そうだ。『始まりの竜』や『ゴラージ聖竜』が実在したのであるならば。

「もっかい、待ったあ!」

「今度は何じゃい」

「『』!それも実在するっていうことですか?」

 すると、ユウリが地図を取り出した。それを広げてわたしに見せて、海の真ん中を指差す。

「これです」

「どれ!?あ、この海の真ん中にある島?」

 そこには、デューワ本島と同じくらいの面積の島が描かれている。島には名前が書かれているが、文字解読の魔法が効いているはずなのに上手く読み取れない。

「え?これなんて読むの?」

「『ウロア』と書いてあります」

「この、『ウロア』、ここに行けば、まさか『始まりの竜』が今でも?」

「さあ。『始まりの竜』はいつも旅をしていると言われています。だから、ここにはいないかも知れませんねえ」

「わしも、どこに行けば会えるのやら見当もつかんの。やはり聖竜さまに聞かんと」

 そうか。会えないのか。いや、デューワから国外に出る方法をわたしは持たない。いたとしても会いに行くことは叶わないのだ。

 それにしても、分かった気がする。

 デューワのある世界の昔話に、『神さま』が出てこなかった理由。信仰の対象が神さまではなく、ドラゴンである理由。

――それは、実在するから。

 我々は、『神さま』や『仏さま』が実在しているところを見たことが無い。信仰の対象を見ることができない。見ているものはそれを形どった像であったり、信仰のシンボルであり、『本物』ではない。

 しかし、こちら側は違う。神の如き存在が実際にいて、人々を守っているのだ。

 我々と、全く事情が異なる。

 人々が崇拝しているドラゴンは、神仏に匹敵するくらいすごい『始まりの竜』や、『賢き竜』の血筋で、人々にとっては感謝して当然、崇めて当然の存在である。目に見えない、伝承や書物にしか登場しない『神さま』とは違って、実在しているのだから、拝みがいもあろうというものである。

自分たちの崇拝しているドラゴンが違うからと言って、それを理由に争いは起こらない。何故なら、自分たちの崇拝の対象が素晴らしい存在であると同時に、相手の崇拝の対象も素晴らしいことは百も承知。全て尊いのだ。我々の世界のように、異なる宗教間や宗派で争いが起こらないのも道理だ。

 異世界が、我々の住む世界とは全く違う、びっくりの宝庫だということを改めて思い知ったのだった。


その後、イトゥーカ大司正に聖竜殿を案内してもらった。

『賢き竜』が人々に叡智を授けている場面を描いた絵や、竜と人々の歴史を記した書物などを見せてもらい、この聖マルミーガ竜殿の歴史などを簡単に教えてもらった。

 人々に、『ゴラージ聖竜』の素晴らしさと教えを説くために、竜殿が作られたのがおよそ千年前。

 その頃は、小さな建物があっただけだったが、この竜殿を中心に人が集まり、立派な町ができていく。

 その後、この地を治める領主などの援助があって、次第に大きなものになっていく。

 大きな、竜殿が建てられ、『聖マルミーガ竜殿』と正式に名付けられたのが、七百年前。この時、敷地面積だけは今と変わらぬほど大きくなっていたらしい。

 マルミーガとは、この土地の古い名前だそうだ。

 そして三百年前。ユウリも言っていた大改修が行われる。改修というより、一部を除いてほぼ建て替えである。

 竜殿から突き出た高い塔も、この時作られた。これは、塔の頂上に、空を飛んできた『ゴラージ聖竜』が降り立つ場らしい。

 使用されたことはあるのか聞いてみたら、

「昔はちょいちょい遊びに来たらしいの」

とのことだった。来たんだ。遊びに。

 最後に、わたしは、イトゥーカ大司正に、

「聖竜さまに会えませんかねえ」

と、ダメもとで言ってみた。言葉を話すドラゴンである。しかも、国や人の歴史に大きくかかわるドラゴン。おいそれと会えるような存在ではないことは分かっているが、興味は尽きない。

「うーん。いっつもごろごろしてるだけなんじゃけどの、偉いからとかそういうのを抜きにしても、人に会うのを面倒くさがってのう。ここには一度も来てくれんし。一応王家の招きには応じての、年に一回城に来て酒をかっ食らっていくんじゃが」

「酒、飲みますか」

「酒豪じゃよ」

「ですか。ドラゴンですもんね。足りますか、酒」

「たあんと用意するさ」

「日本の関係者も面会を求めているんですが、全く会えないそうです」

「あー。じゃろうなあ。難しくて面倒くさい話はダメじゃ。どうせ、政治がらみの話がしたいんじゃろ?聖竜さまは、基本的に政治には関わらんしの」

 わたしは、石田からその点については話は聞いていない。しかし、外交上お見知りおきくださいと挨拶したいのであろう。

「まあ、挨拶くらいはしておきたいということと、キューブについて聞きたいってとこですか」

「キューブ。ああ。『竜の道』か」

「こちらでは、そう呼びますか」

「うん。まあ、何にせよ、会えるのはそうじゃなあ、やっぱり王家の招きに応じた時くらいかの」

「その時にも、日本の関係者は会ってないみたいなんですよねえ」

「じゃあ、今年の城で行われた新年の祝いの席に来なかったんじゃろか。気まぐれじゃからのう、あの方は。ネコみたいじゃ」

 ドラゴンのくせに、ネコ?さぞかし大きなネコだろう。

「イトゥーカ大司正さんは、会ってないんですか?」

「わし、腰を痛めて、今年の新年のあいさつには行っておらんのよ。最後にガッサンさまにお会いしたのは、一昨年か」

「はい?」

「ん?」

「今、何と?」

「いや、だから、腰を痛めての。これが、魔法や薬でもなかなか治らんでのー」

「じゃなくって、ガッサンとかなんとか」

「うん、ガッサンさま」

「誰?」

「だから、


――ガッサン……?


「ガッサンっていう名前ですか?聖竜さまは」

「あれ?言うとらんかったか?」

 わたしは、ただ呆然と立ち尽くした。今までの話から受けた衝撃とは異なる驚き。

「偶然か?」

 わたしの住む日本の山形にも月山と呼ばれる山があり、これから行こうと考えている村の名も『ガッサン』。そしてキューブを作ったとされる聖竜の名も、――『ガッサン』

「会いたい……」

 わたしはぽつりとつぶやいた。

 会えば、全てがつながるような、気がした。

「姫さまに頼んではどうか」

 唐突にイトゥーカ大司正が言った。

「はい?」

「あの方は、姫さまがお気に入りじゃ。だって、ほれ。人の世の面倒事には関わりを持たんのがドラゴンのはずじゃのに、わざわざ、『龍の道』、キューブをこしらえたではないか。わしゃあ、王家の為とはいえ、びっくりじゃったもの」

 イトゥーカ大司正はしみじみ言った。基本的に聖龍のように人に崇められるような竜が、人の社会に大きな影響を及ぼすような行動をとることは無いのだそうだ。王家の者であろうが、庶民であろうが人は人。姫の命を救う為とはいえ、何故今回は動いたのか?と、大司正は思ったらしい。

「まあ、そのおかげで我らの姫さまが救われたわけじゃし、ありがたいことではあるがのー。とにかく、ダメもとで頼んでみてはいかがか?ガッサンさまに会いたいと。お主、あれじゃろ。姫さまのお気に入りなんじゃろ?将来はあれか?男妾おとこめかけか!」

「はあ!?」

 何言ってくれてんだこのエロじじい、と口から出そうになるのを我慢、我慢。

 しかし、ティオに頼めば、もしかしたら、わたしの疑問が全て解決するかも知れない。

 何故、異世界と日本をつなぐ道が山形に現れたのか。

 つまり、ガッサンさまが、山形に一方の出入り口を作ったのか。

 異世界デューワ王国と、山形に何かしらのつながりがあったのか。

 その答えは、やはりガッサンさまが握っている。

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