第7話「闘仙クヌギはここでもこわい」

 有川楓路アリカワフウロは驚いていた。

 避難中に突然、トラックにかれて死んでしまったのだ。

 普段から愛読しているライトノベルのように、これで異世界へ転生GOゴー! とはいかなかったが。

 そんな状況になっても冷静でいられる自分に、フウロは一番驚いていた。

 奇妙な安心感は、自分の先を歩く小柄な男から発している。


「悪いね、若いの。何せ急ぎだ、使えるもんは何でも使わせてもらうって訳さ」


 見た目は少年、それも幼い……紅顔こうがんの美少年という形容を使ってもいいが、その表情はあどけなさや無邪気さが全く感じられない。

 どこか野性的で、危険な香りのするアウトローの顔をしている。

 何より、老成して見える瞳に人ならざる輝きを感じた。

 彼の名は、クヌギ

 それが名字なのか名前なのか、どちらにしろ偽名なのか……それとも屋号なのか。

 ただ、皆が椚先生と呼ぶだけの説得力を、先程からフウロは感じ続けている。

 その椚が、ふと路地で立ち止まった。


「……守和斗スワト、あの莫迦ばかが」

「あ、あの、椚先生……」

「お前さんまで先生、先生、か……よせよせ。椚でいい」

「椚さん、えっと」

「力を持ち過ぎると、せっかちになっていけねえ。……生き急ぎやがって」


 ふと、椚の顔が憐憫れんびんの情にわずかにゆがんだ。

 だが、すぐにいつもの不遜とさえ言える不敵な面構えに戻る。


「まあ、いいえにしに結ばれてゆけばいいんだが……そのへんもぬかりはねえだろうさ。おう、フウロ」

「は、はいっ!?」

「お前さんの縁も、最後にはちゃんとどこかへむすんでやる。この商売はハッタリと看板も大事でね……闘仙とうせん椚が霊魂れいこん彷徨さまよわせてちゃ、様にならねえからよ」

「闘仙……仙人さんなんですか!?」

「ま、見ての通りな」


 フウロのイメージでは、仙人と言えば杖を持った好々爺こうこうやだ。

 だが、鳴り出したスマホを取り出す椚の姿からは、その雰囲気はあまりない。

 ピンとこないまま、フウロは黙って椚の後を追う。

 すると、下町の路地で一人の女性が振り返った。少女と呼んでも通用しそうな若い美人で、綺麗というよりかわいい印象である。


「椚様、あの……ミタチさんが多分ここだって。高くつくぞ、って言ってました」

「おう、木乃香コノカ。面倒かけさせたな。ん、わかった。どれ、ここかい……」


 木乃香と呼ばれた女性の隣で、椚が表情を引き締める。

 そこには、古い日本家屋がある。下町の風情ふぜいに溶け込んだ、平屋建ひらやだての小さな庭付きだ。

 フウロには、一瞬でわかった。

 異様な気配の中で、空気がよどんでいる。

 目に見えないやみで真っ暗だ。

 その玄関に立って、椚は振り返る。


御太刀ミタチってなあ、まあ……同業者とも言えるし、仇敵きゅうてき怨敵おんてき、邪魔者、その他もろもろだ。だが、すじを通せば便利でもあるのさ」

「はあ……それより、椚さん。ここ」

魂魄こんぱくを純化した存在になってんだ、そりゃビリビリ感じるだろうさ」

「まさか、ここって」


 緊張気味に続く木乃香も、大きくうなずいた。

 そして、椚はかしいだ戸をガタガタ言わせながら強引に開けようとする。


「椚さん、仙術で鍵とか開かないんですか?」

七面倒臭しちめんどうくさい、いちいちやってられんだろ。どら、開いたぞ」


 これでは押し込み強盗だが、それならかわいいものだ。

 古いネジ式のかぎを、戸自体を外すような格好で無理やり引き千切ちぎる。さして力を入れたようには見えなかったが、椚の一瞬の膂力りょりょくにフウロは驚いてしまった。

 そして、家屋の中から冷たい空気が漂ってくる。

 ここまでくると、背後の木乃香も異様な雰囲気を察したようだ。


「椚様、ここ」

「お前は外で待ってな。どれ……フウロ、ちょっと付き合え」

「えっ!? いや、俺に何が」


 土足で椚が、どんどん奥へと進む。

 慌てて足早に、フウロも小さな背を追った。

 そこは、まるで時間が止まったかのような場所だった。室内は片付いているが、生きるものの気配がない。そして、瘴気しょうきとでもいうようなにごった臭いが充満していた。

 あらゆる負の感情を集めたような、不可視の暗黒に満ちた世界。

 その奥へと、どんどん椚は迷わず歩く。

 洋間と思しき最奥のドアを、椚は迷わず開け放った。


「やれやれ、そんなことだろうと思ったがね」


 椚が露骨ろこつに嫌そうな溜息ためいきこぼした。

 そして、フウロは見た。

 奥の窓に面した机に、何かが突っ伏している。人間だとわからなかったのは、その黒い輪郭がうごめきながら沸騰ふっとうしているから。まるで、人間であったものが溶け出てたまま、元の姿を思い出そうとしているようだ。

 一際濃密な魔素まその中、かつて人であっただろう男が振り返る。

 そう、耳障みみざわりな低くくぐもる声は男のものだった。


「ホ……シ……カワ、イソ、ウ……ホシ……」


 椚は表情一つ変えずに、再びメールの着信を伝えるスマホを取り出す。それを一瞥いちべつして、再度うんざりした顔で首を横に振った。

 そして、呆気あっけにとられるフウロに説明してくれる。


「こいつぁ物書きだそうだ。小説家なのか詩人なのか、とにかく読み書きで飯を食ってた人間だ。で、食っていけなくなった」

「つ、つまり……えっと、本が売れな、かった」

「ああ。この不景気だ、出版社なんざ時勢に全く対応しねえ、旧態然とした仕事の代名詞だからな。そのあおりを食って……食えなくなって……そして、

われた……何に」


 自分で問いつつも、フウロにはすぐにわかった。

 自分が今、肉体のかせを失った霊魂だからわかる。敏感になった感覚が自然と告げてくる。澄み渡る自明じめいの中、理解できるのだ。

 そこには、怨嗟えんさ憎悪ぞうおが凝り固まった負の念が凝り固まっていた。

 虚無きょむ深淵しんえんに飲み込まれた人間の、成れの果てなのだ。


「人は皆、誰しも心に鬼がみ着いてんのさ。俺だって例外じゃねえ」

「椚さん、この人……助かるんですか?」

「無理だな。同情はするが、ちとこじらせ過ぎだ。耳、すませてみな」


 既にフウロには、五感を感じる肉体はない。

 だが、それでも集中力を眼前の闇に向けると、無数の声が雪崩込んできた。


「カワ、イソ、ウ……ホシ、ホシイ……ミンナ、ホシイ……ホシ、ナイ、カワイ、ソウ」


 冷たく暗い声だった。

 聴いたフウロの意識が凍りつきそうに鳴るほどの、それは怨念おんねん

 そして、僅かな交感の瞬間で知る。

 出版社の都合で収入を失い、不幸が連鎖して何もかも失った。それでも書くのを止めなかった男は、いつしか書く意味も書きたかったことも忘れてしまったらしい。ただ、恨みつらみを込めてつづられた文章は、いつしか評価を切望する気持ちをにごらせていったのだ。

 自分を悲観し、卑屈ひくつな劣等感をつのらせ……そのまま闇にした。

 自分へのあわれみ、かわいそうだという気持ちを世界へも振りまき始めたのだ。


「で、星が欲しいとか抜かして……

「それが、あの……宇宙ステーション!」

「丁度、奴がかわいそうだと思える何かが、その中にいるらしい。で、それが渇望する地球への望郷の念を、押し付けがましい哀れみで引っ張ってる訳だ」


 フウロは全てを理解した。

 この天変地異は、一人の男によって引き起こされたものなのだ。

 だが、一つだけわからないことがある。


「星って、なんですかね? 椚さん」

「さあな。金や地位じゃなく、星ってんだから……まあ、文豪さんにも色々あんのかもしれねえ。それと……星は時にしるべ、時にこころざしだ。その輝きは、自分が濁る程にまぶしくなる。見えないはずの眩しさが、人を狂わせる時もあんのさ」

「……でも、星ってなんか……それは、欲しがるってのは」

「悪いもんか、誰だって同じさ。ただ」

「ただ?」

「星のめぐりは人には動かせねえ。だが、人の動き次第で星は巡ってくる。その星を動かすことが目的になっちまうと……星の熱にかれる距離まで手繰り寄せちまう。どんな小さなもんでも、本当の目的、目標だけを見てりゃ、勝手に頭上に星は巡ってくるもんさ」


 わかったような、わからないのような話だ。

 だが、気付けば椚の手に銀色の棒が現れている。

 彼はそれを、おぞましい姿へと向けた。


「さてフウロ、お前さん……ちと頼まれてくれねえか?」

「あ、はい……いい、です、けど」

「こいつが暗い情念じょうねんで引っ張る先に……例の衛星がある。その中に、奴に利用された生命いのちが、いる。上でもアレコレやってるだろうから、手伝いに行ってくれねえか」

「……宇宙に? 俺が? どうやって」

「何言ってんだ、お前さん。もう肉体がないんだぜ? 次への渡りはつけとくからよ」

「次への渡り……」

せてもれても、こちとら仙道せんどうで飯食ってんだ。お前さん、どう見ても巻き込まれただけだしな……悪いようにはしねぇから、頼むぜ」


 それだけ言うと、椚が手にした錫杖しゃくじょうのような棒を突きつける。

 ドロドロに渦巻く闇の中から、事件の元凶は虚ろな瞳を向けてくる。


「ホシ……ホシ、イ……カワイ、ソウ……」

あわれみも度が過ぎれば、それは失礼ってもんだ。お前さん、あんまし闇にひたりすぎてまぶしさに目がくらんだのさ。今度はお前さんが、誰かの星になってやんな」

「……ホシ、カワイ、ソウ……カワイ、ソウ、ホシイ……」

「じゃあフウロ、行ってくれ」


 椚が複雑ないんを片手で結んで、手にした棒で闇を一突き。

 言葉をかたどらぬ絶叫が響き渡り、高密度の暗闇が弾け飛んだ。

 同時にフウロは、脳裏に念じて床を蹴る。イメージ通り、あっという間に天井を透過して体は空へと舞い上がった。そして……消え行く怨念の僅かな残滓ざんしが、静かに天へと昇っているのを見つける。

 その先にもう、はっきり見える姿で落ちてくる……いびつ世界樹せかいじゅの影が浮かんでいた。





登場人物紹介

☯闘仙クヌギは鬼よりこわい

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054883276139

・椚:大学生。妖魔や怪異に精通し、闇の仕事を請け負い邪を鎮める。

・木乃香:椚の元で働いている女性で、秘めた役目を持って付き従う。


🎯魔法創造者の異世界人生 ~テンプレ世界を謳歌せよ!~

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054884298797

・有川楓路:ラノベが大好きで異世界転生を夢見る青年。

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