第7話 里に隠れて

 七、里に隠れて


「お里さん、賑やかになって良かったなぁ。なに、疎開者だって?」

「ああ、町子さんかね、おはようさん。そだよ。死んだじいさんの遠縁だがね。まぁ、いっぺんに四人も増えて大変だぁよ」

 と、朝早く畑に出て作業をしていた老婆が、やはり畑に出ようとしていた近所の女に言われて大きな声で返事をした。

「大変だっていうわりにゃ嬉しそうだねぇ」

 老婆に話しかけた村の女は畑の畦によっこらせと座りこんだ。少し話しでもして隣近所で油を売るためのネタ話でも仕入れていくつもりなのだ。

「あの人たち、どっから来たんね?かあいい坊やもおったね」

「松本だとよ。あっちは街が大きいから空襲の心配があるんだろうね。うちの倅も戦争なんかに借り出されなけりゃ今頃はあんな子がおったろうにさ」

「めったな事言わん方がいいよ、お里さん。近頃は疎開者も増えて、誰が聞いとるかわからんよ。でもまあ、この辺りは不便な分まだまだましだけどね。鉄道駅から近いとこなんか、人が増えすぎて食べもんが足らんとこもあるらしいからの」

「そうけぇ、そりゃ大変じゃのぅ。この辺は田圃と畑ばっかりで、お天道様さえ機嫌がよけりゃなんとかなるだろうけどな。そういえば、お前さんちの牛よぉ、まだ乳出てるか?もしあれば、少し分けてもらえねぇかな?うちに来たじいさんが病気持ちでさ。ちょっと滋養つけてやらねばと思ってさ」

「ああ、あるよ。後で持ってくよ。坊やの顔も見たいしね」

 と言って女は笑いながら立ち上がった。その時、お里の家の方から小さい子供が転びそうになりながら一生懸命走って来た。

「お里おばちゃん、手伝うよ〜」

 そしてその子供のあとを着物にもんぺ姿の若い女が駆けてきた。

「あれ、お前たち。もう朝めし食べたのか?幸坊、転ぶなよ」

 と、お里も腰を浮かした。


 雲之助たちは滝家から盗み出した巻物の一つにあった人心の術を使い、今はこのお里の家に入り込んでいたのだ。雲之助自身は未だ体力が充分に戻らず、家の奥に布団を敷いてもらい、寝たり起きたりしながら過ごしていた。そしてお里といろいろ話すうちに、日本というこの国の状況がだんだんとわかってきた。ただ、江戸時代初期からいきなり第二次世界大戦の末期に来たらしい彼らにとっては驚くことばかりだったが、このお里の家のある村は人柄も土地も昔からあまり変わらないところで、それが唯一彼らにとって救いだった。


「お里さん、あの子かい?」

 と帰りかけていた町子がお里に尋ねた。

「そうだよ。幸昌っていうんだと。かわいい童だろ」

「まぁ、立派な名前だねぇ。どこかのお殿様みたいだね。それで幸坊かい?」

 やっとお里のところまで駆けてきた幸昌が息を切らせながらお里にしがみついたので、お里はひょいと幸昌を抱き上げて言った。

「この人は町子さんていうんだよ。挨拶はちゃんとしなきゃいかんぞ、幸坊」

 そう言われて幸昌も、

「おはようございます。幸昌と申しまする」

 と、お里に抱えられながら町子に挨拶をした。

「あれまあ、上手に挨拶できたこと。おはようさん。本当にお殿様みたいだねぇ」

 ホホホと笑い合っているお里と町子に、遅れて追いついた雪音が加わり、しばらくの間笑い声が響いていた。


 親身に世話をしてくれるお里と、素朴で親切な村人たちに囲まれて雲之助たちはようやく平和で静かな生活を送ることが出来ていた。半年も経つ頃には時渡りで弱った身体もお里の作る滋養ある食事でかなり回復してきた。しかし村には次第に戦争の影が忍びよってきており、働き手の戦死の知らせが届く家も出てきた。お里の家は四十年程も連れ添った亭主が病死した後、一人息子と二人で二反ほどの田畑を耕し暮らしを立てていたが、昨年ついに息子にも招集令状が届き、今は九州の方にいるらしい。南方に送られてないだけましだとお里は言うが、慶長の時から来た雲之助たちにはまだぴんときておらず、皆の話すことにもただ頷くだけで精一杯だつた。あの時までは…。


 それは村に初雪が降った翌日の昼で、お里と雪音は一緒に台所に立って昼の支度をしており、竹弥は裏で薪割りをしていた。雲之助も気分がいいので縁側に座り、幸昌が溶け残った雪で遊ぶのを眺めていた。

 そんな田舎ののどかな風景の中、遠くの方から虫の羽音のような音が近づいてきたかと思うと、それがすぐに空気を振動させるような轟音に変わった。それは雲之助たちのいた時代にもあった大砲のようでもあり、それ以上のものは思いつかなかった。

 竹弥が何の音かと、表通りに飛び出した時、通りのあちらこちらから「飛行機だぁ!」と叫ぶ声が聞こえ、それに呼応するように南西の方向から黒くて大きな鳥のような爆撃機が村の西側をかすめるように飛んでいった。

「アメリカの飛行機だぞ。爆撃機だ」

 と、皆が口々に言うのを、あれが話に聞いていた飛行機かと雲之助は身震いした。そしてその爆撃機は一機ではなかった。最初の飛行機に続いて六機が編隊を成して北の方角に飛んでいったのだ。初めて目撃した巨大な空を飛ぶ物体とそれに対する恐怖感で喉の奥までカラカラになっていた。だが、好奇心旺盛な年頃の幸昌にとっては恐怖心より興味の方が勝り、表通りに飛び出して飛行機を追いかけて行ってしまった。同時に他の家からも何人かの子供たちや、アメリカの爆撃機を一目見ようとした者がバラバラと通りに出て来た。

 すぐに飛行機は爆音を響かせながら飛び去って行ってしまったが、皆はその方向を向いたまましばらく立ち尽くしていた。新聞やラジオで空襲の話は知っていたが、こんな所まで爆撃機が来たのは初めてのことで、その恐ろしさをまだ実感していなかったのだ。ハッと我に返った雲之助が幸昌を追いかけて抱き上げたが、その胸中には不安の渦が夏の嵐のように沸き起こっていた。

 翌日の新聞にアメリカの爆撃機がとうとう内陸までやって来たが、応戦して追い払ったと書かれてあった。しかし、その折に爆弾を落とされて何人かの死者が出たとも。昨日見たあれは何処から来て、何処を攻撃したのだろう。雲之助と竹弥、雪音はあれからしばらく言葉を失っていた。戦にあのような兵器が使われるのであれば、雲之助たち忍者に何が出来るのだろう。はげしい無力感が彼らを襲っていた。


 その日から村には緊張した重い空気が漂い始め、否が応でも戦争のただ中にあるのだと思い知らされた。そんな中、雲之助はお里の家にあった書物を見たり、村の長老たちと話しをしながらこれまでの日本の歴史や外国との関わりを調べはじめた。これからこの時代で生きていくためには必要なことであり、幸昌を育てあげ、お家を再興させる本来の目的を果たすためにもすべてを理解することが急務と考えたからである。竹弥と雪音は幸昌と並んで手習いをはじめた。これまで読み書きをする機会があまりなかった彼らにとって、これは忍術の修行よりも大変なことであったろう。しかし、これもまたこの時代に生きていくうえで絶対に必要な事であると、彼ら自身が考え、自ら進んで始めたものだ。

 その後も何回かアメリカの爆撃機が飛ぶのを見たが、雲之助たちがいる村の上空にまで来ることはなかった。しかし、日本の戦況は次第に悪くなってきており、ついには首都東京の一部も空襲でやられたというニュースが伝わってきた。そのせいか、その頃には都会からやって来る疎開者が増え始め、村のどの家にも遠い親戚だとか、そのまた知り合いが戦火から逃れてやってきていた。そして人が多くなると小さないざこざも起こるもので、中には人の畑で盗みを働く者まで出てきた。そのため村人たちは集まって話し合いをし、自警団を作ることになったのだが、もともと疎開者として入り込んだ雲之助たちもその頃にはすっかり村人の一員のようになっていて、竹弥も自警団の一員に選ばれた。村の若い男のほとんどは戦争に行っており、竹弥のようなよそ者でも、信頼できそうなら良し、ということであったのだろうか。

 自警団の見回りは二人一組になって交代で行われていた。畑の作物はほとんどが既に収穫されてしまっていて、残った作物は僅かであったのたが、ある夜、こんな事があった。

 村の男衆の中でも腕っぷしが強いと言われていた栄作と竹弥が村のはずれを一緒に見回っていたとき、

「栄作さん、あの一番はずれの畑に誰かいるようだぞ。おれ、先に行って見てくるわ」

 と竹弥が走り出した。

「え?竹弥よ、なんも見えんし、聞こえんぞ」

 と栄作が言い終わるのを待たずに竹弥は走り出していた。栄作もあわてて走り出したが、竹弥はすでに遥か先に行っており、もうそのはずれの畑に差し掛かっていたのだ。栄作がやっとたどり着いた時、畑から黒い影が飛び出してきて栄作とぶつかった。栄作はあわてて逃げようとするその影の襟首をつかんで引き戻し、地面に組み伏せて腕を後ろにねじり上げた。走ってきたのと、捕り物で少し息が荒くなっていた栄作に、畑の中から竹弥が声をかけた。

「栄作さん、大丈夫か?」

「竹弥よ、盗っ人がおるってようわかったなぁ」

 息を整えながらなんとか返事をした栄作の前に、竹弥がもう一人の男を捕まえて畑から出てきた。息もきれておらず、汗ひとつかかずに盗っ人を後ろ手に縛り上げて立っている竹弥を見て、栄作はなぜかゾッとしたと、後に長老に話したそうである。まず、忍者として修行をし、戦乱の世を生きていた竹弥にとっては当たり前のことだったのだが、このことをきっかけに雲之助たちは改めて村人たちの興味を引いてしまい、居心地の悪い状況に追いやられてしまった。

 この捕り物の盗っ人は幸いにもこの村にいた者ではなく、近くの町に疎開してきていた者達であった。その町では疎開者が多く、食べる物が不足し始めているらしかった。そして雪に埋もれる冬がやってきた。


 長野の山間にある村は冬の間は雪で人の出入りもままならず、つかの間の平和が戻ったようであった。しかし、この恐ろしい戦争のことを考えると、雲之助は今一度、時渡りをすることを考え始めていた。幸いにも雲之助の体力と気力はかなり戻ってきていたが、今では家族のように暖かく世話をしてくれているお里が、昔に、置き去りにしてきた家老たちと重なって見え、ふんぎりがつかずにいた。お里もまた竹弥と雪音を本当の子供のように、いろいろと教え、幸昌のことは孫のように可愛がっていた。

 そうこうしているうちに年が明け、この頃までには雲之助は世の中の仕組みなど、多くのことを学んでいた。そして学んだことは竹弥、雪音にも教えると同時に、再度の時渡りについても話し合っていた。

「お里さんやこの村の人たちのことを考えると離れがたいものがあります。若さまも懐いておりますし、同じ年頃の友もできましたので」

 と、雪音は老いた母を想う娘になりきってしまったようだ。

「まず、しばらくはこの戦争の行方を見てみるが、命に関わるような事態になるようであれば時を渡るぞ。それにお里さんには本当の倅殿せがれどのがおる。いつまでもここにおるわけにもいくまい」

 と雲之助は自分自身に言い聞かせるように呟いた。


 このような話し合いを何回重ねたであろうか。そのうちアメリカの爆撃機が以前より頻繁に現れるようになった。そしてとうとう村から遠くない街が爆撃を受け、夜空が不気味に赤く染まるのを村人らは不安そうに見ていた。

「おい、昨日は松本がやられたってよ」

「あれは松本だったんか…。だんだん近くなってくるようだの。この先どうなってしまうんじゃろうな」

「こんな戦争、早く終わってくれればいいのにな」

「ほんとじゃ。こんなんじゃ、おちおち畑にも出られんわ」

 こんな会話が村のあちこちで聞こえていた。しかし、村人たちの願いとは逆に状況は益々悪くなってきているのは明らかで、雲之助たちもいつその時がきてもいいように、密かに準備を始めていた。

 そしてその時は突然やってきた。

 どの家も朝食の後片付けをしたり、仕事に出る準備で忙しくしていた時だった。南の方角からまた爆撃機の轟音が近づいてくる音がした。

 気づいた者達が口々に叫んだ。

「爆撃機だ。敵が来たぞー。隠れろ」

 すでに田や畑に出ている者たちを除いてみな家の中で息をひそめて敵機が通り過ぎるのを待った。

 やがて、飛行機の音が通り過ぎたのを聞いて、村人たちはいつもの仕事に戻る準備を始め、お里も片付けを雪音にまかせて農作業に出かけていった。雲之助もいつものように幸昌の手習いの準備をしながら飛行機の飛び去った方向を見つめていた。

 しかしその日はそれで終わらなかった。飛び去った爆撃機の編隊から一機が隊を外れて引き返してくるのが見えた。それは雲之助の勘だったのだろう、決断は早かった。

「竹弥、雪音、逃げるぞ。急げ」

 雲之助のあわてた声に、竹弥、雪音の行動は素早かった。雪音が準備しておいた物を取り出すや、竹弥が幸昌を抱え上げ、最初に時渡りをした庵跡に向かって三人は走り出していた。走っていく雲之助たちを見た村人が彼らの常人らしからぬ走りに驚くと同時に、爆撃機の音にも気づいて大声で何かを叫んでいる。

 それから数分の後、雲之助たちの後方で大きな爆撃音がした。

 庵跡の川原に着いた時、村の方角に真っ黒な煙が立ち登っているのがはっきりとわかった。畑に出ていたお里は無事だったろうか?長老は?栄作は?心の中で皆の無事を祈ってはいたが誰も口を開かなかった。幸昌だけが目をぎゅっと閉じて竹弥にしがみつき泣いていた。

 そして数分の後、川原に雷のような音が響き、四人の姿がかき消えた。





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