第6話 術の代償

 六、術の代償


 彼らが元々居た時代では竹弥が二十七歳、雪音がちょうど二十歳、幸昌が五歳、そして雲之助は三十九歳だった。彼らがあの時代を去って九年の月日が経ったことになるのだが、今年、四十八歳であるはずの雲之助の姿はすでに七十を過ぎた老人のようであった。時渡りの術というのは、人の身体に、それも術者本人に多大なダメージを与え、力を消耗させてしまうものらしい。そのうえ、彼らの時渡りは一度だけではなかった。

 雲之助が幼い幸昌と竹弥、雪音を連れて最初に時渡りをした時、その術を使う準備が完全に出来ていたとはいえなかった。術の理解不足に加え、力の配分、集中が不完全だったのかもしれない。安住の地を求めていた彼らが最初に着いたのは、世の中が再び乱れていたただ中であった。


 時は移っても、場所は移動出来ない術のため、彼らはもと庵のあったはずの場所、小川の近くの窪地に着いた。当時でさえ年代のいった古い庵であった為、今では土台の石がいくつか残っているだけの、ただの窪地のようになってしまっていた。時渡り直後、雲之助はこの術がこのように体力を消耗するものだとは全く予想しておらず、自分たちが不覚にも術に失敗し、瀕死の憂き目にあったのではあるまいかと思ったほどだった。自分では立ち上がることはもとより、腕を上げることも、頭を動かすことも出来ず、目を閉じたまま、他の感覚器官を総動員させて周りの状況を確かめようとしていた。

 数分の後、雲之助がようやく薄目を開けることに成功して最初に目にしたものは日が昇りはじめた青い空だった。

「生きているのか…」

 悪い夢を見たあとの目覚めのように、頭がぼんやりしていた。そして次の瞬間、突然我に帰り、「若は!」と、うめき声をあげた。そしてその声に応えたかのように、雲之助の横たわった顔を幸昌が覗き込んだ。

「雲、大丈夫か?」

 小さな幸昌は心配そうに雲之助の顔を撫でた。

「若さま、ご無事でしたか。良かった」

 雲之助は大きく安堵のため息をつき、不覚にもそのまま、また眠りに落ちていった。

 竹弥と雪音も時渡りの後、幼い幸昌に声をかけられ我にかえったのだった。幸昌は雪音の腕の中にいて、立ち上がろうともがいていた。時渡りの前、一景ら追っ手が迫り、この術について何の説明もないまま雲之助に言われるとおりに幸昌を抱え、目を閉じていた彼らは、もし神隠しというものがあるなら、まさしくこのようなものであろうと思った。

「雪ねえ、竹弥、ここはどこ?じいたちは何処へ行ったのだ?」

 幼い幸昌は雪音に強く抱え込まれていて、その腕を解こうとしていた。

「若さま、ここは…」

 我に返った竹弥が説明しようと試みたが、彼自身どうなっているのか全くわからない。幸昌に問われてもただ口をつぐむしかなかった。

「竹弥、ここは庵があった場所、私たちが居た所よ。ほら、あの木。三つ又になっていて若さまがいつも登って遊んでいたわ。この岩も覚えてる。庭にあったでしょ?猫が来て昼寝をしていたわ」

 雪音も訳が分からないままに、頭の中の知り得る限りのピースをつなぎ合わそうとしていた。その時、彼らの傍らで雲之助が目を覚ましたのだった。雪音の腕からやっと解放された幸昌は雲之助の側に走って行き、その顔を覗き込んだ。でもすぐにまた竹弥と雪音の方に振り向き、

「雲はまた寝たぞ」

 と、内緒話でもするように言った。その可愛らしい仕草に二人は少しだけ救われたような思いであった。


 肝心の術者、雲之助が意識を取り戻すまで何もしないでそこにじっとしている訳にはいかない。時を渡ったことだけはわかったが、それがいつの世で、誰が治めているのか、近くに村があって人がいるのか、敵なのか味方なのか。全く何もわからないのである。しかしそこは竹弥も雪音も忍びの修行を積んだ者としての心得がある。すぐに辺りを調べはじめた。かつて庵があったその場所は今もなお人の住まない地であることがわかった。その上幸いなことに、すぐ裏の川には以前と変わらず清らかな水が流れており、川岸の岩場には四人がしばらくの間、隠れていられるような岩穴があった。二人は眠ったままの雲之助を岩穴に運び、時渡りで疲れた身体を休めるため皆で固まって眠ることにした。近隣の村に調べに行くにしても日が高いうちは見つかる可能性が無いわけではなかったからだ。

 すっかり日が落ちて岩穴に吹き込む風の冷たさで雲之助が目を覚ました時、竹弥と雪音はすでに行動を起こしていた。竹弥は人の住む村を探して偵察に出ており、雪音は過去から持ってきた握り飯と共に食するため、川魚と近くで摘んだ山菜を煙りが立たないように地面に穴を掘り、蒸し焼きにしていた。そして雪音の傍らには幸昌が蒸し火で暖かい地面の上にその小さな手をかざしていた。

「雪音…」

 岩穴の奥から雲之助がかすれた声で呼んだ。

「あ、雲が起きたよ」

 と、幸昌が、続いて雪音が雲之助の横になっている枕元に走ってきた。

「ようやく目覚められましたか。力を使い果たされたようですね」

「うむ。このように精を使うものとは思いもせなんだわ。竹弥は探りに行ったのか?」

「はい、もうじき戻るかと思いますが。今、夕餉を準備しておりますので、もうしばらくお待ちください。何か食べれば力も戻りますでしょう。若さまはご覧のとおり、我らの中で一番お元気な様子ですのでご安心ください」

 幸昌は雪音の言葉に嬉しそうたった。

「雲よ、早く元気になってくれよ」

 と、はしゃぐのを、

「若さま、ここの様子がわからないうちはあまり大きな声をお出しになりませんように」

 と雲之助が小声でたしなめたので、少しばつが悪そうにしていたが、すぐにまた近くを走り回りはじめた。幼子というのはどの様な状況でもまず最初に適応し、その中での遊びを見つけていくものらしい。

 雪音が焼けた川魚を葉の上に乗せて岩穴の中に運びこんだ丁度その時、竹弥が戻ってきた。

「ただいま戻りました」

「おお、竹弥か。ご苦労たったな」

 と労う雲之助を見て、竹弥は安堵した。

「いえ、雲之助様こそ、あのままお目覚めにならないのではと案じておりましたので、今またお声が聞けて安心いたしました」

「うむ、全ての力が抜けてしまったようじゃ。百年も老けてしまったような」

 その言葉通り、雲之助の肉体には変化が起きていた。精悍だった顔は脂が抜けて、疲れ切った老兵のようだったし、実際、黒髪の中にも白いものが混じっていた。一日のうちに劇的に姿が変わってしまったようなのだ。

「腹が減ったよ。早く食べよう」

 幸昌が待ちきれない様子で雪音の袖を掴んだ。

「おお、そうですな、若。まずは腹ごしらえじゃな。竹弥、報告はその後で聞く。いいな」

 と雲之助が答えた。

「承知いたしました。いずれ、ひとことでご報告できることではございませんでしたので」

 と、小声になる竹弥をよそに幸昌、雲之助は美味そうに握り飯と魚をほおばった。


 簡単な夕食を済ませ、岩穴の奥で幸昌が寝息をたてはじめた。添い寝をしていた雪音が持ってきた半纏を幼子に掛けてから入り口近くに戻ってきた。雪音が座るのを待って竹弥が報告を始めた。

「ここから二里ほど西に向かった山の麓に村がありましたので、日が沈むのを待って立ち入ってみました。往来に何人か人が出ていましたのでその時まで近づく事が出来なかったのです」

「通りすがりの旅人を装い、話を聞くことは出来なかったのか?」

 と、雲之助が竹弥の話を遮った。

「いえ…、私も最初はそのつもりだったのですが、よく見ると、その…、村人らの姿が我らとは幾分違っていたもので」

 言いよどむ竹弥に雲之助が尋ねた。

「どう違うのだ?お前ほどの者がその場でなりすますことが出来ぬような姿形なのか?」

「はい、男はみな髪を短く刈り込んでおり、女も髪を結い上げている者は一人もおりません。着物も我らのものとは随分違うようで、このまま私が入っていけば全くのよそ者以外の何者でもなかったでしょう。それでまず、いくつかの家に忍び込んで中の様子を見てみようと思ったのです」

「なるほど。それで」

「ここはどうも我らの時よりかなり後の世であると思われます。そしてなにか大きな戦の最中であるらしいのですが、敵がどこの誰なのかまではわかりませんでした。聞きなれぬ言葉も多くありまして。しかし、その敵がこの地に迫っているようにも感じられません」

 竹弥は他にも見てきたことを思いだそうとしていたが、しばらく沈黙の時間が過ぎた。やがて先に雲之助が口を開いた。

「やはり誰かに話しを聞いてみぬことにはらちがあかぬな」

「はい…。力が足らず申し訳ありません」

「いや、お前はよくやってくれた」

 雲之助の言葉に少し面目が立った思いがした。

「我らはともかく、若さまをこのままここに住まわせるわけにもいくまい。明日、お前たち二人でまた村に行き、どこか我らが入り込めそうな家がないか調べてきてくれ。お前たちが戻るころには、わしの身体ももう少し動くようになっていよう」

「わかりました。では雪音と共に、日が昇る前にここを出ますので、若さまのことをお願いいたします」

「うむ。頼んだぞ」

 そして竹弥は雪音に小刀を渡し言った。

「雪音、髪を刈り上げてくれ。もし村人に見つかったりしたら面倒だからな」

「わかった」

 雪音はそう言って竹弥の髪をほどいた。








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