エピソード4 親愛なる友への悪戯 (#1~#6)

#1 意気地なしの噛ませ犬




 一転寒々として暗くなる一方の空模様ですが、車内は温室にいるようにいたって快適です。晴れてくれれば、と願いました。アイツがこんな頭でっかちの連中と一緒でなるとは考えたくありませんでした。ただ再会を喜びたかったはずでした。


「国際展示場正門」に到着すると人々がごっそりと下車していきます。私もその一人です。いかにこの日を待っていたか、と勇んだ多くの若者が、我慢しきれず走っていくのを歩きながらゆっくりと眺めました。やがて列車のドアが閉まると人っ子ひとりいなくなりました。私はゆっくりと彼らを追いかけました。


 ミスト状の雨で傘を差すほどでもないのですが、服の繊維を徐々に染みついていくのが不快でした。やはり傘を持ってくるべきでした。天気予報を見れば持ってくるでしょうに、なぜかドアノブに吊したままです。私は徐々に苛立ちを覚えましたが、結局は私の判断の誤りだったことですからどうしようもありません。周りを見ていると、みな完全装備といった感じで、ナイロンのリュックから折りたたみ傘やビニルの半透明のポンチョを取り出して開門するのを待っています。コンビニで買うつもりでいた傘は売り切れでした。ため息をつき,まるで世界が終わるみたいな心境になって開門まで濡れながら待つしかないのです。腕を組んだり、全身を貧乏揺すりしたり、踵をならしたり、何とか体温を上げようと馬鹿馬鹿しい運動を、本当に馬鹿馬鹿しいと思いながらしていました。鬱陶しさは募る一方です。冷たい風が肌から熱を奪っていく、様を想像すると今までの人生までも否定してくるようで不快でした。辺りを見回してみると、うきうきと跳ね回っています。きっと夏休みを待ちわびるガキのようです。大きなトートバックやらカートのついたトラベルバックまで持ってきているのが目につきます。半透明の傘を地面つけて器用に枝を肘で挟んで、地べたに尻を突いて座っていました。雨ですっかり変色したアスファルトにはいつの間にかレジャーシートがびっしり敷き詰められていました。パンフレットのようなものを取り出しては、呆れるほど一心不乱に読み込み入念にチェックしていますが、私はいつまで降り続くかしれやしない雨に打たれ続けねばなりません。


「ニッカさんっていいですよねぇ」

「うん、うん、そう、あの俯きがちの伸一郎様のいじらしさに心臓ばくばくですぅ~」


甲高い声を上げ、喋っている声が心にさわり、語尾を上げる半疑問文といった感じの低俗な会話を貪っているようで、延々と質問の回答を促すようなコミュニケーションに終始しています。排除か受容か、否定と肯定か,寛容と非寛容の間で生存している彼らの処世術に連中の生態している彼らを見てニヤリと微笑むと、社会見学している小学生のような好奇心も手伝って優越感に浸りましした。しばし自嘲気味に、少し後ろめたく。


 なにやら歓声が響きはじめました。ふらっと顔を向けると女三人組が現れました。髪の毛が黄緑とピンクと黄色とに彩られた、服は白の地で赤や青のストライプが走っていて、心臓のあたりに月のマークのようなものがあしらわれていました。そして横に三本線があしらわれています。マークは階級章のデザインに似ていて、戦闘服のようなあるいは近未来警察をあしらった出で立ちです。ビームを発するような銃を腰に差していましたが、手首から肩の辺りまでがうまく動かず、銃がとれないようで、首を傾げて両腕を上げて伸びをしていました。縫製の違いで思うように体が動かないようで少しほつれて破けてはいましたが、妙な舞に興じていました。すると指をさし確認しながら、立ち位置を確認して音楽が鳴り響くと銃を両手に構えてポーズをとり、真ん中にいる女性は緑色の髪の毛で右肘を直角にあげて左手で支えていました。左右にいた女性はそれぞれピンクと黄色の髪の毛で膝をついて両腕を伸ばし構えています。


 三人組の戦隊もののコスチュームプレイのようです。雨の中三人はその音楽に合わせて、いろいろと位置を変えながらポーズを変えていると、なぜか何人か太った男たちが近寄って、デジタルカメラでおもむろに撮影を始めました。かなり高級なカメラであるのは写真に疎い私にも分かります。ストーリーも何もない、単なる見せ物のようでしたが盛況で、蛍光塗料を塗ったスティックのような棒を振り回しては、どこにもいるはずのない敵と戦っている様子を、ファインダー越しにキリッとした表情を振りまいていました。カメラマンは小さな鞄から何個かレンズを変えています。その一団はポーズをとってただ撮影されることが満足らしく、カメラマンはただ撮影することで満足しているようです。何の表現なのか、には興味がないようでした。収集にのみ興味があるようでした。見回してみるとあちこちそんな連中ばかりで、「こっち向いて~。うん、グッ」とか「もう少し上目づかいで、そう、いいよぉ」とか、みな満足しているようでしたが、何かしこりのようなものを感じました。ここはグラビア撮影をプロデュースした舞台のような具合で、双方ともそれで満足しているようです。自分たちが被写体であり、演出者であり、監督であり、そして私のような傍観者は観客であるようでした。そんな世界。リトマス紙はどっちを示すかは分かりませんが、きっと極端なpH値を示すことでしょう。


 風が吹いて鳥肌が立ちました。異常気象が進んでいるとかいう余計な心配もして、うるさい脳は勝手に余計なことを喋らせ続けます。それは苛々とした感情の表現でした。その挙げ句、


「国が悪いんだ」と私は無関係に責任をなすりつけ、そして没交渉な彼らをやたら恨めしく思いながらも、私はぶつけようのないこの屁のような空気を吸わされるのを、小声でブツブツつぶやいて燃焼させてやり過ごすことに終始し、すると「キノコ雲、キノコ雲」とまた余計な言葉が心の泉に浮かびあがり、不愉快なネタをまな板に載せて、あの程度の動画ならがあれば、型落ちのパソコン程度の性能とソフトのスキル技術があれば容易かろう。意外と映画のプロモーションかなにかじゃないかとか、嘘くせえなぁとか、なんだかしありふれているなぁとか、類推しては所詮ハリウッドの映画産業が世界を席巻していても、最新鋭の技術革新について私は訳の分からぬもの申しはじめて、生ぬるいとか言い宅なりました。チャップリンやらバスターキートンやらと文化度とかいう言葉を定義して比較しはじめては絶賛するわけです。


 口と声がずれている昔の白黒映像のほうが、実はずっと現実感ある中身の濃い真実なのだ……と、まあ呆れるほど私の脳はまだまだ余計なことを喋り続けます。苛々が募り、とりとめのない英単語を綴り、明日の天気を気にし始めたりすると、急に体の全ての筋肉が脱力し座り込むとウンザリした表情を作ります。ハリウッドでも通用する表情だとか思いながら。


遠く異国の空に巻き上がったキノコ雲の情景をまた改めて重ねてみたりして、このどんよりと曇っている雨雲を切り裂き、ミサイルが飛んできて炸裂する様を想像しては笑んでいる。遙か遠くにいる異星人の世界の妄想。彼らを本気でブチキレさせ、論破していく様子を想像していく……ああまた始まった、と今度は背筋を伸ばします。私の思慮は矛盾に満ちています。




#2 弄る




 手ぶらでいいんだよ、と言ったのはあいつです。ユウジから電話がきたのはゴールデンウィークの最後の日曜日のことでした。


 来てほしいな、とあいかわらずくぐもった声でした。


「いろいろ教えてもらったし、メディアが違うだけで同じクリエイターだと思うし、仲間みたいなものだと思うんだ」


久しぶりの再会というのも悪くはありませんでしたが、疲労はたまっているし面倒でした。しかしそれ以外断る理由も見あたらず、余り興味のないことでも一見の価値はあるのかもしれないと、七月下旬の休日に行くことを約したのです。

 ユウジとは中学からの十年来のつきあいで、なぜか大学にまでもついてきました。クリエイター、と彼のいう言葉は実に青臭い思いを感じさせます。彼はマンガに、私は小説に、新たな地平を描こうとしていました。ただ単純にユウジは手塚賞を、そして私は芥川賞をとる、などと幼げに、単純に、そして愚直に夢見ていたのです。

 キャンパスは同じでも学部が違ったので、滅多に会うこともありませんでしたが、ある日学生食堂で黙々とペンを走らせている姿を見かけた時がありました。よう、と声をかけると、ささっとその紙を隠す素振りで慌てて鞄にしまうのです。


「何だよ」

と私はテーブルの向かいにカレーのトレーを置いて座ると、

「な、な、何でもない」といってユウジは首をすくめました。私はスプーンを手にとってカレーをすくうと笑ってみせ安心を彼に届けました。

「水くさいな」と口にカレー運んで喰いながらいると、

「……ぼ、僕、大学、や、やめようかと、思って」


その文節を区切った話し方で、何かの企みがあることは知れました。私はさっさとカレーを口に放り込みペーパーナプキンで口元を拭くと、

「さっき隠したの、見せてみ」と右手を出すと、終始俯きながらゆっくりと鞄を開き、私にさっき隠した紙を手渡しした。やはりマンガの原稿でした(ヤハリ)。

(私はにんまりとした氷のような笑みを心の奥底で浮かべていました)。

何枚かめくってみましたが、まだ鉛筆書きのネームで、絵のうまいへたも、話の内容も分かりません。原稿を突き返すと、

「どう?」とユウジは俯いた面をちらちらと何度も伺うようにして感想を求めてきました。分からない、と答えるしかありません。水を飲みながら、


「大学やめなきゃならんのか」と続けて「やめなくても通いながら描く、とか」


私は現実的な人生設計を提示しようとしました。しかしユウジはうなだれ、顔を横に振っていうのです。(ヤハリ)


「お、俺、ほ、法律とか向かないと思う。お、親は弁護士とかにさせたいんだろうけど、む、無理だ」

(クックック……)

「それはそうかも知れないけど、司法試験に受からなくても就職とかも有利だと思うし」

「し、し、しゅ、しゅ、就職!」ユウジは驚愕した形相で今にも泣きそうな瞳をし、

「だ、だ、だめだよ。ぼ、僕に向く仕事なんてないと思う」

 彼は両手で頭を抱え、やがて顔面をまるで洗顔するようにごしごしと擦ります。キッとシタ睨み顔を私に見てはいましたが、私の目にはおそらくは寝不足であろう目は充血し赤くなっています。


「こ、こうやって、げ、原稿描いている時が、い、一番自分らしく思うんだ」


その言葉に返す言葉はありません。そうしてユウジはいつの間にかこっそりと大学をやめてしまいました。その時は馬鹿だな、と思いましたが、必ず私を頼ってくるであろう事は知っていたつもりです。事実、彼はこうして私に連絡をしてきました。ちょうど私が卒論を書き終えた辺りでした。私のゼミの連中はもう就職先を決めていましたが、私は就職活動にはまったくノータッチを通していました。四大卒といっても未だ就職難だった頃で、三流大学で文学科というのは、そうそういい就職先がある訳でもないのももちろんでしたが、それだけではありませんでした。私は笑っていました。


(自分ラシイ生キカタ)などと浮き足立った、あまりにも分かりやすいただの逃避を、私は笑っていました。就職して、傲慢な上司に怒鳴られながら、その会社の女を見繕って結婚して、子供を産んで、マイホームのローンと子供の養育費に妻からやっかまれ、サービス残業でもしてやりくりし、上司とか新入社員とか軋轢の関係に苦しんで……あいつの困った様が次々と浮かんできます。鉄板を金型にプレスされていく人生。就活課に毎日通っているうちに、こんなアイツの本性を知っていた私は、俺もまだ若いし……とつぶやきながら手に持っていたエントリーシートを丸めてゴミ箱に棄てました。


「自分の好きを仕事にしよう」


なんと浮ついた言葉でしょう。その情報誌に彼のネガを陽にかざして投影するようにしてニヤリと私は顔筋を緩め、その辺に放り出していた求人広告に載っていた清掃会社に勤めることにしたのです。それからの数年間、働いてはぼんやりとし、ぼんやりとしては働くという毎日を過ごしていました。天井を見上げて、自分が天井を見ているのかそれとも天井が自分を見ているのか、などとつまらない命題を出しては惰眠に耽るという日々です。退屈なのは奴がどこにいるのか分からないことでした。アイツのことだから私だけには所在を知らせるはずだ,と勝手に思いこんでいたのがいけなかったのです。それ以来私はあの、原稿描いている時が一番自分らしく思う、という彼の健気な思い込みを、くずを掬うようにして拾っては笑うという、ダウンロードした動画を巻き戻しては再生するというサイクルを何度も何度も繰り返さねばなりませんでした。待つしかない。やがて自分ははめられたのではないかと言う焦りに変わり、自分の将来設計まで犠牲にした滑稽な創作活動をしようという、かなりリスキーな暇つぶしをしようとしていたのですから。これは誤算でした。くそっと悪態をついては苛々が募りまた両手で頭を叩きました。




#3 不潔さと厳格さへの嫉妬




「あと三十分で開門しまーす」という係員の拡声器の声がかかる時にはすでに大勢の参加者は準備万端整えており、みな今か今かと熱気を帯びたせていました。もうすでに三時間前には、準備を始めていました。ビニルシートに座っていた連中は一斉に立ち上がって片づけ始めました。みな後片付けは馬鹿丁寧なほどで、紙屑やスナック菓子の袋、そしてペットボトルはラベルをはがし分別も完璧です。譲り合い相手を傷つかせないような(これは私の個人的な印象に過ぎないのですが)、差し障りがなく、気遣った丁寧な言葉を使っていました。


 区画されたロープに従って、ずらりと、整然と、そして定規で測ったかのように空いている空間を、きっちりと詰めて、きっちりと、並んでいます。洗っていないようで髪がやたら油っぽくてかてかに光っている男、風呂に入っていないのか洗っていないようで髪がやたら油っぽくてかてかに光っていました。そして風呂に入っていないようなでむっとくる汗の臭い。平和でした。酸っぱい臭いがあたりを漂っていても、鼻を押さえるでもなく、ましてや話題にしようともしませんでした。何となく清潔感のある女性であってもまったくまったく感じていない様でした。もしこのひよった言葉を使ったりして、この不安定な構造を辛うじて構成している、たった一本の細いボルトが外れてしまったら? 決壊した堤防のように一気に町中に襲いかかってくるでしょう。このキリキリとした自制心は崩壊するに違いない。また鳥肌が立ちそうでした。この律儀さや幼さ、そして強い自意識と寛容な言葉遣いが交錯しているこの空間に、ゆっくりと興奮が渦巻きはじめました。自分の前にいた連中は度の強そうな分厚いレンズで四角い黒縁メガネをかけ、青と水色のチェック柄のシャツにジーパン姿で、そんな連中の鼻息を荒く前や後ろからは見えない圧迫感。見通してみてもみな同じような格好で、私は黒いプレイボーイのTシャツにカーキ色のチノパンという出で立ちで多少お洒落にめかし込んだつもりですが、一人浮いているような気がしました。しかしみなそんなことには無関心で、みな独特の抑揚のある声で理解不能の情報交換をしています。もう慣れましたが……、というより順応してしまったのでしょうか。私は待ち続けました。カミングスーン、という何処かのシャンプーのCMを頭の中で繰り返し視聴していました。


 会場の門が開かれ、一斉に人が動きます。それは出火したビルから一斉に出口に殺到する光景のようで、自分は何人もの人に背中や肩をぶつけられるのに、全くの無視です。一般人を代表しているわけではないですが、どこかにある無神経さがあるようで、こみ上げてくる何かを感じてなりません。鼓膜のわきで刺すような鋭利な声で、きゃー、と絶叫して転び泣いています。肥えたブタのような女でした。会場内はすでに異様な熱気を帯びていて、エアコンがかけられていて館内は外よりも寒かったのですが、この熱気でちょうど良くなったように感じます。会場は奥が見通せないくらい遠く広がり、死んだ虫にたかっている蟻のようにびっしりと人が列をなしています。隙間がないくらいにブースがつくられ、床にはテープが貼られ、きっちりと区画整理されていました。




#4 存在理由レゾンデートル




 とにかくユウジのブースに急ぎました。なぜ急ぐのか、感の利く方ならすでにおわかりでしょう? 

 すでに多くの客が押し寄せています。目と胸がやたら大きぐデフォルメされている、デザインの妙な表紙のものばかりです。どうせときめいた男どもで溢れているだろうと思っていましたが、いるのは女性客ばかりでした。制服姿で眼鏡をかけ眼光鋭い男と、黄色い髪にはにかみながら俯いて頬を赤らめている少年のB5版の作品が何冊も平積みされています。生徒会もの、というポップの下にあった作品はそのまま「生徒会」とあり、髪の毛がキチンのまとめられていて頬がすっきりとしクールな眼鏡をかけた男と、黄色で乱れ気味の髪の毛で頬を赤らめている男がはにかみながら目を送っている表紙を見て内容は何となく想像できましたが、それをむさぼり読んでいる女の姿に異様な感を覚えるのは私だけでしょうか? 買ったお客はみな女性なのです。その場で確認するようにページをめくって、にっと含み笑いをしていた所は、性描写のところで、男のアナはあそこにしかない、と単純に思いましたが、いわゆるゲイの話ではなく、あり得ないところに穴があり、そこを攻めています。両性具有、といえばいいのでしょうか。別の女性客は指先で確認するように宙に浮いていました。これと、これと、これと、と続き、十冊以上買い求めています。ものすごい量のコミックを背負っているリュックに押し込み、まるでハンターのような鋭い目線を飛ばしながらのっしのっしと行ってしまいました。掌で顎を捻りながら、この世界の奥深さを感じました。この乾燥した表情は些細な衝撃でぽきっと折れてしまう枯れた枝のようで、あちこちにいやに弱々しい精神がこの空疎な場に招集しているようです。なんだか笑いを伴いましたが、この世界を批判するような言動で笑ってしまったら……という想像が湧き出てきましたが、瞬時に戒めに変わりました。さっきまでの感情をどこへ持って行けばいいのが分からなくなってしまい、


「良いとか悪いとかの問題では……なくて、その……男らしさ……女らしさをそれほど……厳格に区分け出来なくなった。……そ、そういう次元の新たな表現として……つまり……」


 などなど頭では言い訳ばかりしています。自分自身に説得しているような、銃口を向けられ脅迫されている民間人の無力さに似ていました。その場を去ろうと目線をスライドさせると「いらっしゃいませ~」細い針金縁の大きな眼鏡をかけた女が目に飛び込んできました。ワイシャツ姿で大きな乳房を揺らすと、薄暗い笑顔を浮かべながら集客に勤しんでいる看板娘のようでした。その表情は誘う女とは違っていて、やはり何かのキャラの仕草なのでしょう。にこっと笑っているものの、その表情は強ばっており、未だ受け入れ体制準備中、みたいなどこか角のある表情に見えました。寛容さに溢れていましたが、その仮面ようなその表情の内側に何があるのか、私は何か凶暴ななにかを秘めているような、そんな気がしました。おそらくこのカルチャーを非難したら、暴徒化して暴れ狂うに違いありません。どんな仕打ちが待っているのか想像しただけで怖くなり、私はゴクリと唾を呑みこんで、


「ちょっと友達を探しているんで」と言い訳すると、その場を離れました。


 あちこち、右へ左へと目線を揺らしながらユウジを探しましたが、送ってくれた場所がどこなのかさえ分からないような迷宮のようでした。本来の目的よりも違和感のあるその恍惚とした笑顔があるばかりで、怖くなるような思いにとらわれてきましたが、とにかく一目見ようとばかりに教えられた場所をなんとか彷徨っています。とにかく会場全体が無秩序にうねっていて、人の間を縫うようにして何とか歩きますが、周りを見る余裕を作るのにも苦労しました。やはり私は近寄れないこの会場はますます熱気を帯びていきます。ボイラーのような熱がこもり始め、体臭がこの広い整然とした中でありながら出口のない迷宮に籠もっていくばかりです。この戸惑いとどこをどう歩けばどこに着くのかさえわからない、まるで上流に遡る鮭のような気持ちになって、かき分け、かき分け流れに抗いながら泳いでいく……というフレーズが浮かんだとき、デッドスペースで人が引いているスポットがありました。そのまま行ってしまいそうでしたが、すれ違う人の足を踏んでしまい、詫びたその時、その視線上にユウジの顔を見つけました。




#5 ため息




 ユウジは斜に構え足を組んでいました。スタートレックに出てくる宇宙船がプリントされた黒のTシャツを着ていて、床の一点を凝視していました。

「久しぶりだな」

そう声をかけるとユウジは顔を持ち上げ、目を合わせるとしばらくそのままでした。まるで検索作業をしているネットコンピュータのようにその瞳孔はちらちらと振れています。ある瞬間仰天したかのように、

「た、貴司か? 松野貴司、か?」私は笑って応じました。

ユウジは立ち上がって手を差出し、両手で包むような暖かい握手で迎えてくれました。

「す、少し痩せた?」

「きつい仕事してるからな、痩せたかもな」

ふうん、とユウジは頷きながら、

「懐かしいなあ、何年ぶりだろう」


なぜか固い表情でユウジは頭を傾げ、右の人差し指を左手の掌に数字を書きながら計算しているようで、うんうん唸っていました。私は適当に、

「まあ、二、三年ぶりくらいじゃないか」私は言いましたが、ユウジは未だ顔を俯かせ、まだ計算しているようでした。

「そうだ、そうだ、大学二年の時に学食で原稿を見せて三ヶ月後くらいにやめたんだ。えーっと、それが三年前だ。それからずっと会ってないもんね」


ユウジは問題の答えが出すと、面をあげ満足そうに喜んでいました。


「いきなりだったからな、びっくりしたぞ」

ユウジは瞳を魚眼レンズのように大きく見開き口を丸く開け、握手している手を未だにぷるぷる震わしています。

「あの時はゴメン。こっちはいっぱい、いっぱいでね。親にも内緒だったし」

眉毛を下げ、すまなそうな表情を作っていました。私は「親にも内緒」と発した言葉をばれぬよう復唱しました。

「元気そうだな」

「う、うん、まあ、元気だよ。う、うれしいなあ」


ユウジはどこかぎこちない感じがぬけないようで、体全体が石のように固くなってしまい、私はコツコツとユウジの頭を軽く叩くと、その抜け殻のような笑顔を返してくれました。

それは高校の時とは別人のように大違いです。ユウジはバスケット部のエースで、女子から黄色い声援を受けるほどのヒーローだったのですから。それを一変させたのが、結核に罹患したことでした。

 BCG接種はしていたようでしたが、経気道感染した肺結核には効かない場合がままあるらしく、半年ほど入院したのです。その後結核は完治しましたが、その半年の間にユウジの強靱な肉体は失われてしまいました。一番辛かったのは当時交際していた女からも捨てられたことでしょう。白石美怜というその女は、部のマネージャーで長い真黒の髪の毛をヘアゴムで結び、さらさらとした柔らかい髪を揺らしながら汗のしみこんだタオルを洗濯したり、粉末のスポーツドリンクをウォーターサーバーに溶かしたりする毎日の合間を縫って、同じ時間をともに過ごしていたのですから。彼女も体は細いものの体力があり、背も高く、端正な顔立ちと気の利く行動をする快活な女で、学校内でも一目置かれていました。思いやりのある言葉で男をほっと癒し、夏休みの練習など真夏の陽光の中、紫外線対策の腕を長袖で隠して、毎日走り回っていました。しかし部のエースを奪った同じクラスで次点の高槻翔とくっついたことにはあまりいい噂は立ちませんでしたが、ユウジは二人が楽しそうに話しているのを横目にしながら、俯いて教室へ入り一人でマンガやライトノベルなどを読むようになったのです。妙な芸術論のようなことをふっかけ問い詰めるといったことを始めたりして、一人二人と人望を失ってきたのもその頃からです。今まで仲の良かった仲間たちから避けられるようになったのもこの頃でした。優秀な成績はがた落ちとなり、出席日数を何とかクリアし卒業は出来たものの、高槻が有名国立大に入学したのを横目に、私と同じ三流私立文系大学に甘んじなければなりませんでした。


 ユウジに促されパイプ椅子に座ると辺りは飛ぶような売れ行きで金のやりとりに精を出し、笑顔で四方山話に興じていました。売れ行きのある店では人間関係が出来るらしく、客と冗談を言いあったりしているようですが、ここには人が集まりません。

「高槻君すごいね」と改まってユウジは言いました。

 高槻の話をユウジから聞かされるとは思いもよりませんでした。

「外資系証券会社のチーフアナリストだって。経済ニュースとかのテレビに出ていたよ、びっくりしちゃった」

 不憫な気がして聞き流していましたが、やはり周りの盛況ぶりが気になるらしく視線をちらちらそらしながら、僕も頑張る、と自分に言い聞かせていました。ユウジは何かを話し始めましたが、ほとんど覚えていません。あの揚げたての美味そうなカツの匂いや、あの幼児はあのノートを買ってもらえたのだろうか、とかあのお婆さんは店頭で右手の団子を口に運びながら、何の話をしていたのだろうとか、パチンコ玉の弾ける音。ジュースを飲む少年。スマホの画面を指ではじいた女子高生。金を出す出さないでの押し合い圧し合いを演じていた婆さん……ユウジの話は続いています。昔懐かしいゲーム「ポケモン」のゲームオーバーのBGMをユウジは発していました。何の話の結論なのか言葉にもなりません。


ユウジはこのしがない夢を通じて、アイツを見返してやりたいのでしょうか。そうなのだとしたら大学をやめた理由も、結局は美怜のためということになります。少なくともそれを下らないとか無理に決まっているとか、現実を見せつける資格など私は持ち合わせていません。あえて聞きませんでしたが、生活費はどうやって捻出しているのでしょう。何かちくちくと刺される思いで、頭を振りました。どうかした? とユウジは屈託なく聞きました。何でもない、と慌てて返しました。

「今なにしているの。小説を書いているんでしょう?」

この話をしたのはうかつだったと後悔しました。まさかお前のことが題材だなどと言うわけにもいかず、何とも返答に窮してしまいましたが、

「ん、まあ、ぼちぼち書いているよ。一応働いているから、なかなか書けないんだ」

そうなんだ、とユウジは頷いていましたが、

「そんな会社やめて執筆に専念したら?」

ユウジの言葉に悪意はない、と自分に言い聞かせ腹に押し込め、

「これどんな話なの」

と冊子を手にとって話題を変えました




#6 狡猾な女に翻弄される男




 ユウジの顔が幾分赤らませて恥ずかしそうに頭をかきながら、一応SFなんだけど……と細々とした声で言いました。


『ORACLE』とあります。


「『オラクル』って、『神託』って意味なんだ。人類が火星探険に行って見つけた石碑の暗号に隠された地球人へのお告げみたいな……っていうか……」

 聞きながら興味深く思いましたが、ページをめくると、何となくありがちな内容にも思えました。ユウジはいろいろ話していしましたが、私は聞き流して表紙を見たり、ぱらぱらとページをめくったりしていました。表紙の暗黒の中で浮かんでいるような真っ赤な火星。さも冴えている写真を興味深く眺めているかのようにしていると、


「最初は手書きにしたんだけど、なんかリアルさが無い気がしてさ、NASAのサイトで見つけた写真流用しちゃった」

ユウジは笑ったので、私も笑うことにしました。

 そろそろ行ってみる、と早々に話を切り上げました。ユウジの作品を一部買いました。千円札を渡しておつりは取りませんでした。ユウジは千円札を握りしめ泣いて、ありがとう、と言うと、

「絶対頑張るから、貴司も頑張って」

私はああ、とだけ言うと、ユウジは目を擦っていました。それを見届けると背を向けたまま手を振りました。外へ出ると海風の湿った強い風が吹いていました。夥しいビラは紙吹雪のように棄てられて、風に乗って散らばるばかりです。その一枚が顔面にばしっと大きな音を立てて当たりました。手に取ると、


「一度きりの人生。ブレインポリッシャーで脳を活性化し、夢を実現させる!」


とありました。なんとも怪しげな自己啓発機器の説明会のビラが、この何とも特殊な集会と同じ場所で開催されているのに妙に連結しているで思わず笑んでしまいました。

「一度きりの人生なら……」

と私も考えたことがあります。ユウジに同情してしまう自分をおかしく思うのも半分ですが、確かに就活をあっさり止めてしまった理由にそういった夢を追いかけようとした自分がいたのもまた事実だったのです。ユウジに毒づいていた私でしたか、こと、この時だけは罪悪感のようなものを感じたのも確かでした。


 いつの間にか雨は上がり、既に夕方のような赤っぽい日差しになっていました。やがて海岸に出ました。広い海に陽は反射していました。

「狡猾な女に翻弄される男」

と不意に言葉が出ました。慌ててメモをとる自分に気づくとはっとして、やがてそれは苛立ちとなり、この甘ったれ、意気地なし、もう忘れろと鼓膜の奥で叱ります。それば自分とユウジだけではなく私も含んでいます。

 どうやら退学したことを親に知らせていないようです。ユウジはいつまで親に隠していくつもりなのでしょう。ただの甘えん坊の成り下がった男。こんなはずじゃなかった、という言の葉がはらはらと落ちてきて、私は重い体を引きずるようにして歩きました。真夏の海風が耳元で音をたてました。もはや戻ることない時間を恨みました。小さな砂浜でビーチバレーに興じている男女がいます。あの女の眩しさを、この広い海に、射し込んでいる陽に、言葉にできない何かをつぶやきました。そこに美怜が絡んできました。


「翻弄される男」と書いたところがなぜかに気になりましたが、私はそのメモを破り捨て、吹き飛んでいくメモの軌跡も追わず、ため息をついて腰を下ろしました。熱せられたアスファルトに驚いて反射的に手を戻しましたが。


ユウジは創作活動を送っています。どうやら仕送りをもらって生活費と創作代にあてているらしい。個人の自由です。しかし自分の稼ぎでやるならその人の勝手でしょうが、私はしがない仕事ながらも疲労を理由に創作を止めざるをえなかったのです。資料やらなにやら意外と金がかかりますが、それは稼ぎから生活費の食費を引いた分から捻出しています。割に合わない、書き続けることに限界を感じて始めるようになったのはそのためです。肉体は疲弊するばかりです。疲労は寝るほか解決策がなく、そのフィルターでユウジ覗くとユウジを否定したくなります。

「ユウジは甘えん坊だ」

とどこかで馬鹿にしているようですが……自分を制します。

 私は駅に向けて歩きました。今さらになって思うのです。駅に車両が滑りこんできました。あの女への未練なのか、それとも嫉妬なのか。そしてさして気にしてない就活のことをすり替えました。就活していいれば……と重い体を引きずりながら空いている車両に乗りこむと、適当な場所に腰を下ろして、苛立ちがちっぽけな自分を罵倒し始めます。レールの上を走る機関車の車両は静かに動き始めました。そうなのだ、乗ってさえいれば目的地まで時間通りに連れていってくれるのだ。さも後悔をしているようでしたが、その後悔はユウジと高槻に向かっていたのです。キツい仕事。こうした理不尽な扱いが執筆の肥やしになるのだ、と合理化していた過去を思い返しました。全く無視されていた自分に苛立ち、実にちっぽけなあの創作の没入感を、誰に対してあのしがない文章の塊とあのへんに抑揚のある笑い声と、そして可愛らしい笑顔が、どれをとってもかなうものではありません。退廃的で、虚ろで、単に意気地なしだった自分を激しく責めました。


 ガタゴトと車両は定期的なリズムを尻で感じながら、女と男の間を機械的に往復運動し続け、自分はどんな未来を見続けるつもりなのでしょう?  何のための創作か、だれのための疲労なのか、辛気くさいことを心の中で永遠に続くかの如く反復し続け、怒とも哀ともつかぬ感情にすがりつく自分が情けなく、また悲しみの渦へと誘います。その矛先か急に方向を変えユウジと高槻への怒りへと流れていきました。想いは通じるはずという根拠のない自信が、個性的な人生設計をしている実業家やミュージシャンたちのライフスタイルをしている自分を、彼女は何処かで見てくれているはずだ、とえらく斜に構えてハードボイルドをかこつけている自分を、また別の視点から撮影されている俳優のような被写体にやけに恍惚感に浸っている、そして格好のいいブランドものの服の風貌で、目標に向かって走れ、とかなんとかというアホらしい夢を未だに見続けている自分がいかにも滑稽であるのに、未だに呪いの魔法が解けません。騙されているのだと、馬鹿を見たのだという嫌悪感はありません。世間の風潮よりも鈍くさいと言われながらも、ちまちまとした仕事をこなしていく者が羨ましくもあり、馬鹿にもしています。私の存在理由レゾンデートルなどありません。それを保育器にいく赤児のような自身を自覚できないまま、成長してしまいました。倒れれば代わりの誰かが埋め合わせられるだけのこと。そういった駆け引きの中とは別の価値観、現実を直視できないで他方から飛んでくる視線を感じながら、私は髪を掻き上げると心の中ではいかにも冷徹な笑みを浮かべていました。アクセサリーを着飾るだけの能無しどもと決めつけている私は特権を持っているのだと半ば本気で信じていたのです。一発も当たっていないくせに、まるで自分は選ばれた人間だという傲慢さが、私をして「現実」を呪詛し始めました。

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