第34話 会話

 不意に目が覚めると視界に映るのは知らない天井――――ではなく、一等客室の天井がぼんやりと目に入る。枕元に置いていた腕時計を手に取って時刻を確認すると、時計の針は朝の5時37分を指していた。



「…………ふぁ〜! まだ5時半過ぎか……」



 ぼーっとした状態で時刻を確認した後、周りを見回す。

 座席を倒すことで寝台ベッドとして機能するそれの上では俺とアゼレアが就寝しているのだが、そのアゼレア本人に目を向けると、彼女はうつ伏せになって少々アクロバティックな状態で寝息を立てていた。



「すごい寝相だな……」



 普段から一緒の布団や寝台で寝ている俺とアゼレアだが、流石に今回は性的に搾り取られずゆっくり眠ることに成功していた。だが、その反動なのか、いつもは寝相の良い状態で寝ている筈の彼女は、よくもまあその状態で寝られるなと感心してしまうくらいに姿勢が乱れている。


 てっきり、ベッドで横になると同時に襲われて徹底的にに搾り取られると思っていたが、そのようなことにはならず、直ぐにお互いが深い眠りへと導かれて行った。



(離れたくない、か…………)



 昨日はカティン市に着いてから色々な出来事があった。

 ベアトリーチェとカルロッタの二人と知り合ってからの食事に始まり、ガーランド保安官との睨み合いから謝罪への流れ、そしてスミスさんらベテラン冒険者達を交えた立ち飲み屋での雑談などなど。


 そして最後に、二人きりとなった酒の席でアゼレアが言い放った心の声。

 彼女の嘘偽りない『離れたくない』という気持ちに対して、俺は思わず「逃げちゃおうか?」と言ってしまった。


 それに対して、アゼレアは驚きの表情を浮かべたままだったが、直ぐに元の顔へと戻って苦笑しつつ「冗談よ」と言った。もし、あの時彼女が俺の提案に対して賛成していたら、今頃どうなっていたのだろうか?


 俺もアゼレアも自分達の肩へとのし掛かっているモノの全てを放り出して逃げることが出来たら、どれだけ楽なことだろう。



(イーシアさんへお願いして……本当にこのまま魔王領から逃げちまうか?)



 今ならばまだ逃げることができるかもしれない。

 アゼレアは魔王領の大使館や本国に直接コンタクトを取ったわけではないので、今までのことは彼女の存在を騙った何処かの女魔族の仕業にして二人で逃避行の旅という手もあるにはある。


 流石に神様の手を振り切ることは不可能なので、このまま予定通りに異世界『ウル』の各地を巡ることになるのだろうが、インターネットや電話回線が存在しないこの世界ならバレット大陸からさえ出てしまえば、少なくとも魔王領の影響力は届かないと思う。


 そういう意味では、このままメンデルに行くのではなく、何処かの途中駅で降りて行方をくらますという方法もある。ベアトリーチェやガーランド保安官達には悪いが、俺にとっては神様の依頼を除けばアゼレアのことが最優先事項なのだから。

 だが……



(いやいや、駄目だ!

 少女漫画の主人公達のように周囲の人達へ迷惑を掛けてまで、お互い一緒に居られるほど、俺もアゼレアも身勝手にやっていける性格でも年齢でもない)



 もし、俺達が未成年で何も恐れるものがない図太い神経の持ち主だったら、さっさと逃げることも可能だろう。だがやはり何回考えてみても、俺もアゼレアもそんな面の皮が厚い傲慢な性格ではないので、お互いの全てを放り出して逃げるという結論には至らない。



(ハァ。

 もう一度寝よう。

 今は兎に角、アゼレアと少しでも長く一緒にいられることを願うだけだな……)



 地球にいた頃、何時ぞや興味本位で読んだスピリチュアル本によると、碌でもないことを考えていると本当にその碌でもないことを引き寄せてしまうと書いてあったことを思い出し、とにかく今は少しでも長くアゼレアと居られるように願って再び眠りに就いた。






 ◇






(ふう。

 いきなり起きてきたから、驚いて寝たふりをしてしまったわ……)



 孝司が再び寝たことを感じ取った私はゆっくりと体を起こす。

 夜中、不意に目が覚めた私は何もすることがなかったので、自分の横で寝ていた彼の寝顔を眠くなるまでの間ずうっと眺めていたのだが、いきなり孝司が起きてきたので反射的に寝たふりをしてしまった。


 別に何も悪いことをしていたわけでもないのに、慌てて寝たふりをしたことで彼にはもの凄い体勢の寝相で眠っていると誤解されてしまったようだ。まさか今更起きていると言うわけにもいかず、そのままの状態で孝司が寝るのを待っていたのである。


 そして今、再び眠りに就いた孝司の顔を私は感慨深く見つめていた。


 数時間前、カティン市内の立ち飲み屋においてベアトリーチェ達が立ち去った後、私と孝司だけ残ってチビチビと酒を飲んでいたのだが、彼のとある行動で内心良い気分になっていた私は酒の力を借りる形で、つい自分の本当の気持ちを吐露してしまう。


 それに対して孝司は私の話を静かに聞いていたが、最後に彼は自分の考えを言ってしまう。恐らく、私の話に釣られる形でつい口から出てしまったであろう、あの言葉。



(「一緒に逃げちゃおうか?」かぁ……)



 この言葉を聞いた瞬間、私は言い様のない気持ちに襲われてしまい、彼が何を言ったのかを理解するのに数秒掛かった。



(もしもあの時、私が頷いていたらどうなっていたのかしら?)



 思わず、彼の提案に対して了承の言葉が口から出そうになったが、自分の心の何処かに残っていた軍人としての責任感と良識がその行動を押し留めたのである。もし、あのとき一言「うん」と言っていたら、今頃どうなっていたのだろうか?



魔王領祖国に戻らずに孝司と一緒に世界を巡る……か)



 魔王領軍人としての責務を全て放り出し、一人の女として彼の隣にいつも控えている自分の姿。孝司と自分の為だけに生きる私は、恐らく両親や姉さえも見たことがない笑顔を浮かべていることだろう。


 他大陸に渡って未だかつて見たことがない街並みや文化、種族に驚き、軍人時代には経験したこともないような事態に対して孝司と私の二人で立ち向かったり、聞いたこともないような他大陸の魔法技術に驚きの表情を浮かべる自分の顔。


 だが、いつものようにそんな有り得ない冒険物語のような未来を思い浮かべるたびに、次の瞬間には魔王陛下や家族達の顔が脳裏を過ぎるのだ。



(駄目だわ。

 私は腐っても魔王領の魔導将官。

 あれだけの騒ぎを起こしている以上、本国や大使館に照会が行っている筈……)



 左右に勢いよく頭を振ってそれまでの思いを頭の中から追い出す。


 帝都ベルサで警保軍や憲兵隊を相手にあれだけの大立ち回りを演じ、発動前とはいえ反魂魔法の術式魔法陣を墓地に敷設したり、地下特区でこの国の有力政治家であるゾロトン議員と面識を持ってしまった以上、自分の身分照会がこの国の外務省を通じてメンデルの大使館へと行っている筈だ。


 恐らく今頃は大使館では大騒ぎになっていることだろう。

 何せ二十一年もの期間、行方不明になっていた魔導将官が実は生きていたとなれば、騒がない方がおかしい。


 下手したら大使館だけではなく、本国の国防省や宮中でも騒ぎになっている可能性が高い。しかも、国際通信社の記者にも自分の生存が知られてしまったのだから、数日以内には新聞の一面に自分の生存記事が掲載されていたとして不思議ではない。



(はあ。

 メンデルに近付けば近付く程、次から次へと未練が出てきて困るわ……)



 殆どは孝司と一緒にいられなくなるという未練だが、軍に戻れば、またあの息が詰まる環境の中へ投じられてしまうのかと思うと気が重くなるばかりである。



(いっそのこと、軍籍を剥奪されていれば楽なのに……)



 魔導軍人として一つの到達点とも言える魔導将官へと昇格し、実質的な中将という身分であるというのに、自分の出自や階級、魔力のお陰で軍内部では腫物を通り越して危険物扱いになっていた私は優秀な人材に囲まれこそしていたわけだが、気の置ける部下や上官とは終ぞ出会えなかった。


 唯一、それに近い存在は魔研の所長であるザウアーだけであったが、あくまで近いというだけで完全に気心が知れていたかと言えば疑問符が浮かぶ。


 現在、自分の魔力や身体能力は魔研での暴走事故に巻き込まれる前の当時よりも数倍以上に増加している。本国に帰還すれば、健康診断や魔力特性の検査を経て、その事実が明るみに出てしまうことだろう。


 そうなってしまえば、当時以上に自分は危険物扱いされてしまい、軍や国防省の中枢から外されて可も無く不可も無いような環境の中で強大な魔法抑止戦力という存在だけで飼い殺しになるのは目に見えている。


 ならば、いっそのこと二十一年間行方不明扱いとなっている間に公式・非公式問わずに軍籍を抹消されていることの方がどれだけ楽だろうか?



(まあ、取り敢えず大使館に行って魔王領の今を聞いて見ないと始まらないわね)



 とはいえ、全ては大使館に行ってみなければ、今の自分が祖国の軍や政府内でどの様に扱われているのかは判らない。だが、それを知るために大使館へ行くと、今度は孝司と別れる羽目になってしまうのだ。


 このどちらも重要でありつつ、相反する状況に私は文字通り頭を抱えることになる。願わくば、私と孝司にとって少しでも有利な状況に転じてくれることを願うのみだ。



「…………お休み。 孝司」



 様々な葛藤を抱えている私は、せめて夢の中だけでも幸せな未来を見ていたいと願い、先に眠っている最愛の男性ひとの頰に自分の唇を軽く当ててから再び眠りへ就いた。






 ◆






 シグマ大帝国の旧ティレノール領カティン市から川を隔てた場所にある『カティン駅』では厳重な警備が続いていた。鉄道省所属の鉄道公安隊に加えて大帝国軍鉄道部鉄道警備隊に所属する兵士らが口から白い息を吐きつつ、手に小銃や散弾銃、槍などの武器を持って駅へ入線している停車中の旅客列車を守るようにして警戒を続けていた。


 もうすぐ夜が明けるというのに彼らはこの寒さを一切気にしている様子はなく、常に鋭い視線で周囲を睥睨して不審者の出入りや魔物の出現に備えている。


 その光景を駅構内のプラットホームに備え付けられている長椅子ベンチに座ってボーッと眺めている一人の男がいた。内務省警保軍の士官服を着用してキャンペーンハットを被りつつ、傍には彼の私物と思われる魔剣が立て掛けられていることから見るに、彼が内務省警保軍から強力な越境捜査権限を与えられている『独立保安官』であることが判る。


 そんな彼に、同じ警保局軍の士官服を着込んでいる保安官補が近付いて行く。

 年の頃は二十代前半で、長椅子に座っている正保安官と比べても二回り以上若い。


 彼の右手には注ぎ口から湯気を立てている琺瑯製の珈琲急須コーヒーポットの取っ手が握られており、左手には同じく琺瑯製の珈琲碗コーヒーカップを二つ持っている。


 若い保安官補である彼――――ビラール独立保安官補は、直属の上司であるガーランド独立上級正保安官の傍まで来るとそこで立ち止まり、持っていた二つの珈琲碗に急須ポットから珈琲を注ぐ。そして二つのカップの内の一つをガーランドへと差し出した。



「ガーランド保安官、珈琲です」


「おう。 あんがとよ。

 うー! 寒ぃなあ……」



 立ち昇る湯気に乗って辺りへ広がる珈琲の香りに鼻腔を擽られ、思わずニヤけた表情を浮かべるガーランド保安官は、ビラールから差し出しされた珈琲碗を受け取って直ぐに己の口へと運ぶ。啜った途端に口の中へ広がるのは良い豆から抽出された香ばしい珈琲の味と香りである。


 淹れた者の腕が良いのか、そこら辺の飲食店や喫茶店で出されるモノよりも美味しい珈琲の味にガーランドとビラールは寒さで引き締まっていた頰が自然と緩んでしまう。己が吐く息が白く見える程度に寒い中ではより一層、温かい珈琲の存在がありがたく感じる。


 お互いに一頻ひとしきり珈琲の味と温かさを堪能した二人は二杯目を飲むべくビラールが碗に珈琲を注ぐ。そして自分の上司の碗に珈琲を注いでいた彼は思い出したかのように口を開いた。



「先程、治安警察軍から連絡がありました。

 公女殿下はあと一時間程でお戻りになるそうです」


「そうか。 まったく、あのお転婆姫様には手を焼かせられるぜ。

 うちの娘よりも手が負えねえったら、ありゃしねえ」



 自分達へ与えられた任務――――隣国の『ウィルティア大公国』の第一公女王女の警護の定時報告を部下であるビラールから受けたガーランドは悪態をつく。


 仕事とはいえ、今まで独立保安官としてシグマ大帝国の広大な国土を転々と巡って来たガーランドにとって、王族というのは苦手な人種の一つである。所謂、特権階級層に位置する王族や貴族は兎に角我儘な者が多い。


 仮に我儘な性格でなくとも、どこか頑固な性格を有している場合が多く、我儘を言わない代わりに自分の意思を最後まで貫き通そうとするのである。今回の警護対象者であるシレイラ第一公女殿下も、そのような例に漏れず、少々頑固な性格をしていた。

 


「それは仕方のないことかと。

 他国とはいえ、相手は王族ですから」



 ガーランドの悪態についてビラールは彼と同じ思いらしく、微妙に頷きつつも相手が王族ということもあり、何処か諦めたような態度を見せている。



「まあな。

 とはいえ、何で見舞いに行くだけなのに鉄道を使うのかね?

 本人が魔法を使えるから転移魔法の陣を潜れねえっていうのはわかるが、それならば天馬や巨鳥、あと最近実用化されたっていう飛行船って言う乗り物を使って行きゃあ良いだろうに……」



 ガーランドの疑問はもっともだった。

 シレイラ第一公女殿下は魔力が高いため、転移魔法を使うことができないのは有名なことではあるが、それにしたって転移魔法の次に早く移動できる筈の航空移動手段を用いずに、鉄道を使ってのんびりと移動する理由が分からなかった。


 特に今回は危篤に陥っている魔法学校の元学友を訪ねるということが最大の目的であるため、移動に掛かる時間の節約が優先されるべき筈なのだ。それなのに、空ではなく地べたを走る鉄道でえっちらおっちらとメンデルへ向かうこと自体が解せなかった。



「まあ、腐っても王族ですからね。

 もしかしたら、空で襲われることを警戒しているのかもしれません」


「空で?

 誰がウィルティアの王族を空中で襲うって言うんだよ?」



 ガーランドの問いに対して、周囲に聞き耳を立てている者がいないことを確認したビラールは彼の耳元に己の口を近付け、ヒソヒソと声を小さくして耳打ちする。



「…………実はここだけの話なのですが、自分の兄が外務省に勤めていまして。

 その兄からウィルティアの話を幾つか聞かされているのですが、その中で興味深いものがあります」


「何だ?」


「どうも、シレイラ公女殿下は何回か暗殺に遭っているようでして……」


「暗殺ぅ?」


(おいおい、ここに来てお定まりの暗殺かよ?

 だが、あのお姫様だったら逆に有り得そうな話だなぁ……)



 ビラールから知らされた内容にガーランドは疑問を浮かべて首を捻るが、直後にシレイラ第一公女殿下の性格を考えると、あながち無いとは言い切れないと内心一人納得する。

 そんなガーランドの考えを知らないビラールは話を進めていく。



「はい。

 ガーランド保安官は、殿下が反リグレシアの急先鋒であることはご存知でしょうか?」


「ああ、知ってる。

 元々、ウィルティア自体が国家単位において反リグレシアで一致している中、親の影響で滅茶苦茶リグレシアのことを嫌っているらしいな」


「はい。

 大陸南方に存在する国々はウィルティア大公国と友好関係を築いている国も多く、中には経済的属領となっている所も幾つかあります。

 ですが、ヘカート大陸より侵攻して来たリグレシア皇国軍によって、それらの国々の安全が脅かされている所為でウィルティア本国の経済は不調に陥りかけています」


「んなの言われなくても知ってるよ。

 俺を誰だと思っているんだ?

 これでもれっきとした独立保安官なんだぞ。

 隣国の台所事情を知らなくてどうするんだよ?」


「失礼しました。

 ですが、リグレシア皇国軍の侵攻でシレイラ公女殿下のご友人も何人か亡くなっていますので、殿下があの国のことを目の敵にしているのは致し方ないことかと」


「そりゃあ、そうだろうよ。

 普通に考えて、自分の友人を殺した相手のきとを好きになる奴なんていねえだろ?」



 ビラールの言う通り、リグレシア皇国の侵攻によってウィルティア大公国と経済的な結びつきが大きかったバレット大陸南方の国々の幾つかは皇国軍によって制圧されてしまったか、いつ彼の国と戦争が起きるかわからない緊張状態へと置かれている。


 その為、ウィルティア大公国は大陸南方からの香辛料を含む各種農産品、石炭や魔法石など各種鉱物資源の輸入に支障をきたしており、その影響で同国の経済事情は衰退の兆しを見せ始めていた。


 これだけでもウィルティア国民の殆どがリグレシア皇国に対して悪感情を抱くに足りる充分な理由なのだが、これ以外にもごく一部の者を除いた貴族達は税収の落ち込みや人口の流出などで、自分達の生活や特権が揺らぐことに対して神経を尖らせている。


 余談ではあるが、シグマ大帝国も大陸南方の不安定要素から来る悪影響はあるのだが、今のところ広大な領土や属領、大陸南方以外に存在する多数の友好国のお陰で被害は最小限で済んでいた。


 その中でも、大陸南方諸国家の王族や政府首脳との付き合いが深いウィルティア大公国の王族は反リグレシア皇国の象徴的な存在となっており、特に皇国軍との戦争で何人もの友人を殺されたり、捕虜として囚われたりしているシレイラ第一公女殿下は反リグレシアの急先鋒として国内外で知られている。


 そのことに拍車を掛けている一因が、彼女が軍属の魔導士官であるということだ。



「確か、あのお転婆姫様は軍属でもあったんだっけ?」


「あ、はい。

 我が国の魔法学校を卒業後、本国に戻って士官学校へ入学していた筈です」


「ってことは、ゾロトン議員やスミスの相棒とかと同じで魔導士官ってことか……」


「だと思います」



 ウィルティア大公国だけではなく、幾つかの国の王族や貴族の子弟達は若い頃に軍隊や戦争という概念を知るために一定期間軍に入隊して軍事教練を学んだり、将来の幹部軍人と繋がりを持つことを目的に同じ宿舎や部隊に放り込まれ、一緒に生活をすることで彼ら士官候補生達と苦楽を共にすることも多い。


 その点で言えばシレイラ第一公女殿下もその例に漏れず、女性軍属として軍隊経験を持つ王族と言えよう。だが、軍隊経験を持つ他の王族や貴族達とは違い、本人は魔法学校を卒業した王族出身の魔導士ということもあり、只の栄誉士官ではなく魔導士官として従軍し、実際に戦場へ行ったこともあるのだ。



「そんなお転婆姫様なら暗殺なんて怖くねえだろうに。

 空を飛んでメンデルまでひとっ飛びで行きゃあ、直ぐ着くのによ」


「まあ、だからこそ空で襲われたら困るのではないですか?

 空中では逃げ場がありませんし……」


「ふーむ。

 仮にあのお姫様を襲ってくる奴がいた場合、そいつはリグレシア皇国の関係者ってことになるのか?」


「恐らくは。

 シグマ大帝国我が国やウィルティア大公国にもリグレシアの息が掛かっている者は当然いるでしょうから、襲ってくる者はリグレシア皇国の人間かそれらの関係者である可能性は充分高いかと」


「仮に襲って来た場合、やっぱり公女の暗殺かねぇ?」


「十中八九、暗殺が目的の襲撃であると思います」



 実はシレイラ第一公女殿下は魔導士官として戦場に立ち、本物の戦争を知っている稀有な女性王族でもあるのだが、その戦争の相手はリグレシア皇国によって征服されて皇国軍へと編入された旧ミネベア共和国軍だったりする。


 督戦隊として後方に控えているリグレシア皇国の外征戦略軍や皇国大陸軍に武装親衛隊、警察連隊などから追い立てられるようにしてこちらへと向かって来る旧ミネベア共和国軍の将兵達に対して、ウィルティア大公国軍の一魔導士官としてシレイラ公女は自軍の防衛陣地より泣きながら攻撃魔法を繰り出し、戦闘終了後は戦友達と共に自身が吹き飛ばした旧ミネベア共和国軍将兵達の亡骸を埋葬したという話は国際通信社発行の新聞記事で広く知れ渡ることとなった。


 王族でありながら、そのような壮絶な経験を持つシレイラ公女が反リグレシアの急先鋒にならない筈もなく、事あるごとに彼女はリグレシア皇国を糾弾し、シグマ大帝国を含むウィルティア大公国の周辺諸国も彼女の姿勢に同調する形で反リグレシアの姿勢を鮮明にしている。


 そのような事情もあり、シレイラ第一公女殿下は国外での移動中に度々暗殺の危機に晒されており、魔王領と同じように天馬空中騎兵や飛竜騎兵以外の航空戦力――――堕天使族や龍族といった航空部隊を保有しているリグレシアの襲撃を常に警戒しているため、空での移動は行わないらしい。


 だが、相手が犯罪組織ではなく国家の場合、敵がそう簡単に引き下がるとは思えないのだ。そのことに対して、ガーランドは何か嫌な予感が自分の頭を過るのを感じて、部下へと問い掛ける。



「…………なあ?

 連中が今回のメンデルまでの道中、襲って来ると思うか?」


「どうでしょうか?

 この列車には鉄道公安官以外にも、少数ではありますが治安警察軍も乗り込んでいますし、進行区間の路線は常に鉄道警備隊帝国軍の軌道車が常に巡回していますから、襲われる心配はないかと思いますが」


「まあ、そうなんだけどよ。 どうも気になってなぁ……」


「何がでしょうか?」


「いや、嘗ての学友であるメンデル市長の娘が急に危篤になった件といい、それを見舞いに行くと言い出したお姫様の我儘がシグマうちとウィルティアの双方ですんなりと許可されたことがな」


「はあ?」



 普通に考えれば、移動中の列車内でウィルティアの王族を襲うのは得策ではない。ということは、列車から降りているときが狙い目ではあるが、シレイラ公女は列車の中では鉄道公安隊がガッチリと守りを固めているし、列車外ならば治安警察軍や警保軍うちの出番である。


 リグレシア皇国は魔族の国ではあるが、幸いにも上級魔族は王族のみで、あのクローチェ魔導将軍のようなバケモノはいない。危険なのは変異種魔族や中級魔族であるが、上級魔族と違って幾分御し易く、シグマ大帝国のような大きな国であれば人海戦術で撃滅することも可能である。



「まあ、考え過ぎか……」



 短い時間ではあったが、あのクローチェ魔導将軍を相手に対峙したことと比べれば、他の魔族――――特に中級魔族など恐るるに足る存在ではなく、実際にシレイラ公女暗殺を目的とした襲撃を受けたとしても、こちらもがあるので、そう簡単に暗殺を成功させるようなことはしない。



(まあ、今回に限って言えばメンデルまでの道中はが一緒なんだから、列車内で襲われることはないだろうが、線路そのものを破壊して列車を脱線させられたり、爆破されるのが怖いんだよなぁ……)


 

 シレイラ公女の暗殺を目的としている場合、何も本人を直接害することではなく列車諸共破壊すればそれで事足りる。それであれば、あの上級魔族や教皇領の特高官が同じ列車に乗っていようとも全く関係ない。


 列車を破壊されたとしてもあのクローチェ魔導将軍は生き残るだろうが、シレイラ公女は魔導士官出身とはいえ、只の人間である。列車ごと発破火薬ダイナマイトなどで爆破された場合、普通の人間ならば軍人であろうが確実に死ぬ。



(不味いな。

 もし、リグレシアの連中があのお転婆姫様の暗殺に形振り構っていない場合だと、俺達まで巻き添え食ってしまう可能性が高いじゃねえか……!)



 そうなれば死ぬのはシレイラ公女だけでは済まない。

 この列車に乗っている者の内、あの上級魔族とその連れを除いた全員が死んでしまうことだろう。



(こりゃあ、今の内に本部へ連絡を入れておいたほうが無難だな)


「ビラール。

 ちょっと俺はカティンの保安官事務所に戻って本部へ連絡を入れて来るから、ここを頼むぜ」


「は? はあ? 了解しました……」



 ガーランド保安官はおもむろに長椅子から立ち上がると、碗に残っていた珈琲を飲み干し、ビラール保安官補に断りを入れて、そのまま駅からカティンの街へと歩いて行った。






 ◆






 朝、他の乗客達より一足先に街から旅客列車へと戻って来た国際通信社の女性記者である『ナノセラ・ヘルメス』の足取りは若干重い。それは明け方近くまで酒場でという名の飲食が原因ではなく、もっと別のところにあった。



「はあ。

 結局、クローチェ少将の姿は見つけられなかったなぁ……」



 列車がカティン駅へ停車した後、夕食の時間帯を狙って食堂車内で張っていたのだが、見事に肩透かしを食らった。魔王軍の魔導将軍という身分なので、てっきり街へは入らずに列車の中だけで過ごすと思っていたのに、相手は躊躇いもせずにカティン市へと入場したらしかった

 


「最初からいきなりがっつき過ぎたのかなあ?」



 この列車に乗っている記者は自分だけなのと、移動中の列車内であれば相手は逃げられないと思い、つい強引に迫ってしまったが、どうやらそれが警戒感を抱かせてしまったらしく、クローチェ魔導少将は自分の前から姿を消してしまったのである。



(でもなぁ、せっかくの特ダネだし……)



 多大なる恐怖を味わう羽目になってしまったが、よく考えてみればそれを差し引いても有り余る特ダネとしてクローチェ魔導少将の存在は魅力的だった。何せ二十一年もの間、事実上の死亡扱いとなっていた魔王領が誇る最大魔法戦力であった魔族将軍が実は生きていたというだけで、紙面の一面を飾るに足るネタなのだ。

 しかも……



(あの不気味な魔法陣は間違いなくクローチェ魔導少将の仕業よねぇ……)



 列車内でクローチェ魔導少将を探しているときに突如足元に出現した赤く光る魔法陣によって列車の内外は大騒ぎになった。自分だけではなく、乗客や乗務員、警備中の兵士達を捉えて離さない魔法陣は暫くの間現れていたと思えば、何の前触れもなく消え失せたのである。


 偶然食堂車に居合わせたギルド魔法科所属の二級魔導師によると、あのような魔法陣の使い方は未だ嘗て見たことがないと言っていたが、それはそうだろう。自分も以前はギルドの普通科に所属していた冒険者ではあるが、動いている人間をずうっと補足し続けて一緒に移動する魔法陣の存在など聞いたことがない。



(あの魔法陣、間違いなく大規模攻撃魔法の一種よね?)



 人間を標的として補足し続けるということは攻撃魔法の陣なのだろうが、あれだけの数を現出させることができる魔力量を考えても、人間種の魔導師にできる芸当ではないことくらいナノセラにも理解できる。聞けば、あの不気味な魔法陣は列車や駅構内だけではなく、カティン市街地内にも出現し、住民達を補足し続けていたのだという。



(でも、クローチェ少将は何故攻撃魔法の陣を現出させたのかしら?)



 あの魔法陣のお陰で一時的ではあるが、駅と列車周辺の警備は厳戒体制となり、カティン市内も治安警察軍や憲兵隊が増強されて警備が強化されたそうだが、暫く後に何故か治安警察軍や憲兵隊ではなく警保軍の保安官事務所から安全宣言が布告され、現在は街も駅も平静を取り戻している。


 だが問題なのは、何故クローチェ少将が大規模攻撃魔法を発動させようとしたのかである。これだけでも、かなりの特ダネなのだが、ナノセラはその理由が何なのかが知りたかった。


 もしかして、大規模攻撃魔法を発動させなければいけない不味い事態でも発生したのであろうか?


 

「なーんて、そんなことあるわけないか……」



 あの魔法陣が出現したことで、ナノセラはおっとり刀でカティン市内へと入場してクローチェ少将を探し回ったのだが、結局は空振りに終わり、様々な場所で聞き込みを行った後は酒場で自棄酒を飲みまくった挙句、明け方近くになって列車へと戻って来たのだ。


 カティン市の城門から駅まで一直線に舗装された道を若干フラつきながらも、彼女は真っ直ぐに駅を目指していた。途中、警保軍の猟犬ことガーランド独立保安官とすれ違ったときは少し驚いたものの、ここの道を彼のような治安組織の人間が頻繁に往来しているお陰で、自分のように酔っ払っている女性一人でも安心して歩けるのはありがたいことである。


 そのままナノセラは駅へと辿り着き、鉄道公安官や帝国軍鉄道警備隊の兵士らに誰何を受けつつも、駅のプラットホームへ出て自分の部屋がある一等客車の車両を目指して列車の横を通り過ぎて行った。



「ん?」



 と、そのとき視界の端に何か気になるものが過った気がして立ち止まり、そのまま彼女は踵を返して先程気になった場所へと戻る。



「何しているのかしら?」



 そこに写っていたのは列車の連結部で作業を行う鉄道省の作業達の姿だった。鉄道警備隊の兵士に守られるようにして作業を行う彼らの様子は至って普通であったが、何か違和感を感じずにはいられなかったナノセラは彼らへ声を掛ける。



「あのー? 何しているんですか?」


「ん? ああ、連結器の調整だよ。

 走行中、簡単に連結器が外れたら困るからね」


「ふーん……」



 ナノセラの問い掛けに対して、数人いた作業員の内、人の良さそうな中年の男性が答える。どうやら、彼の言う通り、作業員達は連結器の調整を行なっているらしく、質問に答えている彼以外は黙々と作業を行なっていた。


 だが、記者としてのナノセラの勘は彼らの作業の様子を見て違和感抱かずにはおられず、彼女は黙々と作業をこなしている彼らを暫く凝視していたが、その視線に耐え切れなくなったのか、先程答えてくれた中年の作業員は少々不機嫌そうな感じでナノセラに立ち去るように話し掛けてきたのである。



「そこで見られてると気が散るから、どっか別のところに行ってもらっていいかな?」


「あ、すみません……」



 あからさまに不機嫌な物言いに酔っていたナノセラは謝りつつも、ムッとした表情になってその場から立ち去ることにしたが、彼女の脳裏には先程見た彼らの作業内容に対して、未だに違和感を覚えていた。



(何で連結器を鎖で固定していたのかしら?)



 幾ら連結器が不意に外れないようにとはいえ、鎖で連結器同士を固定させる必要があるのだろうか?初めて見る作業に対してナノセラにはその理由がさっぱりわからなかった。


 だが、彼女は運が良かったと言えるだろう。

 酔っ払って注意力が散漫になっていたお陰とはいえ、作業員の一部や傍にいた鉄道警備隊の兵士が所持していた短剣へと密かに手を添えている状況に気付くことがなかったのだから……






 ◇






「孝司、新聞を取って貰えるかしら?」


「はい」


「ん。 ありがとう」



 アゼレアに言われるままに座席の傍らに置かれていた国際通信社発行の新聞を彼女へと手渡す。コーヒーを飲んでいたアゼレアは新聞を手に取ると、国際欄のページを開いて真剣な目付きで記事を読んでいた。


 だが、暫く後にとある記事を読んでいた彼女の眉は歪み、苦味走った表情へと変わる。


 現在の時刻は朝の8時過ぎ。

 俺とアゼレアは一等客車のコンパートメント内で特別に配膳してもらった朝食を摂っているところだったが、既に列車はカティン駅を出発し、次の駅を目指して走行中である。



「ふう。

 やはり、大陸南方の情勢は混沌としているわね…………」


「混沌?」


「ええ。

 私の諸外国に対する記憶は二十一年前で止まっていたけれど、当時と現在の社会情勢を比べてみても、この大陸の南方はかなり混沌とした状況にあるわ。

 ほら、この記事を見て」


「ん? 何々?

 『シュタージ自治共和国、リグレシア皇国との安保・通商条約を締結』って書いてあるね」



 記事の内容では一週間程前に条約を締結と書いてある。

 この記事を読んだ直後にアゼレアの機嫌が悪くなっていたのだが、記事を一通り読んだ限りでは『シュタージ自治共和国』という国はバレット大陸南方――――正確には大陸中部のすぐ下辺りに存在している魔族国家らしく、この国とリグレシア皇国とが安保・通商条約を締結したらしい。



「シュタージは大陸南部と言うよりは大陸南方にある小さな魔族混成国家よ。

 国民の半分が魔族で占められていて、二十一年前はザハル諸部族同盟やミネベア共和国らと共にルガー王国を密かに支援していた国なの」


「へえ?」


「でも、そんなリグレシアと間接的敵対関係にあった国家が彼の国と事実上の同盟を結んでしまったわ。

 悪いけれど、孝司。

 世界地図を見せて貰えないかしら?」


「はい。 どうぞ」


「ありがとう。 ほら、これを見て」


「んん? どれどれぇ?」


「以前、地下特区の入り口で見たときよりもリグレシアを表す赤色が増えているでしょう?」


「……本当だ」



 アゼレアに言われるままにタブレットPCの地図アプリを開いて彼女に画面を見せると、慣れた手つきで画面をスクロールしてバレット大陸南方の場所を表示させる。


 すると各国の勢力図が表示されているのだが、アゼレアの言う通り、リグレシア皇国の勢力圏を表す赤く染められた地域が以前地下特区で地図を見たときよりも明らかに増えていた。


 あのときは大陸南部の沿岸国が一部を除いて赤く染められていただけだったのに、今は沿岸国は元より、そこから北に位置する南方方面の内陸国の内、数カ国が赤く染められているのがはっきりと確認できる。


 

「この地図の勢力図を見るに、リグレシアは本国があるヘカート大陸だけではなく、バレット大陸においても版図を拡大し続けているわ。

 このままだと、大陸南方に存在する国々は全てがリグレシアに制圧されるか同盟への仲間入りよ」


「ふーむ……」



 アゼレアの話を聞きながら、再度記事を読み進めるとシュタージ自治共和国とリグレシア皇国との安保・通商条約締結はリグレシア有利のまま話が進められているらしく、自治共和国内への皇国軍駐屯施設の建設と皇国軍部隊の駐屯、皇国から自治共和国内への輸出品の関税免除や皇国民の自由渡航、外交官や軍人への治外法権を条約に盛り込むことが明記されている。


 このような内容の記事を読んだ俺は嘗て地球に存在していた鎌と槌の紋章が描かれている赤い国旗を有するとある国家の存在を思い出し、思わず国名を呟いていた。



「まるでリグレシアは地球のソ連みたいだな……」


「何? その『ソ連』って?」


「ソビエト社会主義共和国連邦。

 嘗てアメリカ合衆国って言う自由主義連合の雄と火花を散らしていた、超強大な共産主義の連邦国家だよ」



 個人的にはソ連やその同盟国であった旧東ドイツやチェコスロバキアのことは武器も含めて様々な面で興味深く、好奇心を唆られる存在なのだが、それはあくまで武器や文化、技術、軍事面に限ったことであり、思想や政治的な方面は生粋の日本人である俺には理解できないし、理解しようとも思わない。


 これは俺だけではなく、旧共産圏の武器や兵器が大好きな同志達も同様だろう。

 日本人でありながら旧ソ連製のAK47やAKM自動小銃、T-72戦車が大好きだからだと言っても、政治思想がガチガチの共産主義者ではないのと同じである。


 最近では旧共産圏の料理や文化を特集した漫画や同人誌が一部で人気を博しているが、読んでいる読者達の殆どが共産主義に染まった人間ではない。だがそれでも、旧共産主義陣営の武器や文化を研究していれば、自然とある程度までは共産主義国家やその政治思想がどのような紆余曲折を経て、現在へと続いているのかは大体は把握しているつもりだ。


 だからこそ、俺の目にはリグレシア皇国の動きが嘗ての旧ソビエト社会主義共和国連邦と重なって見えたのである。


 そして、その旧ソ連の構成国の一つであり、ワルシャワ条約機構軍の一翼を担い、西側諸国との最前線に立っていたドイツ民主共和国・国家人民軍の制服にそっくりな魔王領国防省保安本部の軍服を着用しているアゼレアは次の瞬間、俺にこう言ったのであった。



「…………ねえ、孝司。

 そのソビエトという国のことをもっと詳しく聞かせてくれないかしら?」






 ◇






「あら? タカシさん、おはようございます」


「おはようございます。 エノモト殿」



 一等客車専用食堂車の一画、窓際の席に座ってコーヒーを飲みながら窓の外を流れて行く朝の田園風景を眺めていた俺だったが、不意に聞き覚えがある2人の女性から挨拶を受け、声が聞こえてきた方向へと目を向けると、そこには昨日知り合ったばかりのベアトリーチェとカルロッタが立っているのが目に入る。


 まさか朝の段階から彼女達と顔を合わせることになるとは思ってもみなかった俺は、内心少し驚きつつもそれをおくびにも出さずに笑顔で挨拶を返す。



「おはようございます。 ベアトリーチェさん、カルロッタさん」


「アゼレアは、ご一緒ではないのですの?」



 俺と一緒にいる筈のアゼレアがいないことを疑問に思ったのか、周囲をキョロキョロと見回すベアトリーチェだったが、生憎と彼女はここにはいない。



「ああ、彼女は部屋で新聞を読んでいますよ」



 今頃、アゼレアは地球の神様である御神みかみさんからソ連を含めた旧共産圏とアメリカを頂点とした自由主義連合が繰り広げた対立の歴史を学んでいる真っ最中なのである。


 朝食時にアゼレアとリグレシア皇国のことで話をしていた俺は、シュタージ自治共和国と彼の国との間で締結された安保・通商条約の批准やバレット大陸南方でのリグレシアの動きを見て、「地球のソ連みたいだ」と言ったのだが、それに興味を示したアゼレアがより詳しい内容を求めてきたので、俺はタブレットPCを用いて説明を行なっていた。


 だが、ソ連と対立していたアメリカの同盟国である日本国の国民だった俺では知識に偏りがあると思い、アゼレアには正確な知識を身につけて欲しいと思った俺は、人間と違って政治思想や人種、文化などに対してしがらみがない御神さんに連絡を取って解説をお願いした次第でなのである。


 そのため今現在、アゼレアはこの列車どころかこの世界にすら居らず、イーシアさんの自宅へと移動しており、御神さんから冷戦期から現代を中心に地球の歴史を学んでいる筈だ。



「そうなのですねえ。 ところで、昨日はご馳走さまでしたわ。

 四人での食事はとても楽しかったです」


「こちらこそ色々な話を聞けて楽しかったですよ。

 そう言えば、ベアトリーチェさんにちょっとお聞きしたいことがあるのですが、今お時間はありますか?」


「ええ。

 大丈夫ですわ。

 それで、どのようなことを聞きたいのでしょう?」


「実はリグレシア皇国とヘカート大陸の情勢について聞きたくて……」


「リグレシア皇国ですの?」


「はい。

 それとヘカート大陸のことについてですね。

 昨日、ベアトリーチェさんはこの大陸各地を巡り歩いていると言っていたので、色々と知っているのかなと思いまして」



 実ところ、この異世界『ウル』を管理している神様ことイーシアさんの説明と地図によって大体の概要は把握しているのだが、この世界に来てみると、どうも事前に行われた説明と食い違う部分が多々見受けられるのだ。


 それは銃だけではなく、魔法や国家間の戦争などにも当て嵌まる。


 本来ならば、イーシアさんに問い合わせて問題点を見出したり、齟齬が生じている部分を修正すべきだと思うのだが、いかんせん管理している神様自身が体調不良に陥っているが為に、遅々として進んでいないのが現状である。


 ならば直接現地の人間に聞いた方が早い。

 とは言え、誰彼構わず行き当たりばったりで聞くわけにもいかない。


 アゼレアは21年前で知識が止まったままであるし、ゾロトン議員やガーランド保安官達はシグマ大帝国とその周辺国のことには詳しいが、海を隔てた先にあるヘカート大陸のことは新聞や噂程度に見聞きしたことしか知らなかった。


 となれば、質問できる人は限られる。

 ガーランド保安官と違ってシグマ大帝国だけではなく、バレット大陸全域を巡り歩いているベアトリーチェとカルロッタの2人しか聞く相手がいないのだ。



「そう言えば、タカシさんはこの大陸東岸の先にある国からやって来たのでしたわね」


「はい。

 実はアゼレアがリグレシア皇国のことをえらく気にしていまして……」


「成る程。

 そういうことですのね。

 ええ。 私で良ければ、お話しさせていただきますわ」


「よろしくお願いします」



 ベアトリーチェは俺のお願いを快く引き受けてくれるようだ。

 最初は俺がリグレシア皇国とヘカート大陸のことを知らないことに対して訝しむ表情を浮かべていた彼女だったが、この大陸の出身ではないことを思い出したベアトリーチェは納得した顔になり、俺が座っている席とテーブルを挟んで向かい側の席へと座る。



「最初に断っておきますが、今からお話しする内容はあくまで特高官である私の主観によるものなので、参考程度に留めておいてくださいね?」


「分かりました」


「では先ず、ヘカート大陸の情勢からお話しさせて貰いますわね。

 カルロッタ、珈琲を三人分注文してきてもらえるかしら?」


「畏まりました」



 始めに自分の主観が入ることを断ったベアトリーチェは早速レクチャーを始める気らしく、直属の部下に人数分のコーヒーを手配するように申し付け、起立したままだったカルロッタはコーヒーを注文するべく、食堂車のカウンターへと歩いて行った。






 ◇






 シグマ大帝国の帝都ベルサからメンデルへと向かっている高速旅客列車『リンドブルム四号』の一等客車専用食堂車の一画で、俺はベアトリーチェが話すヘカート大陸の情勢を真剣に聞いていた。テーブルを挟んだ向かい側の席には彼女の隣にカルロッタが座り、時折コーヒーを飲みつつレクチャーしてくれている。



「では、ヘカート大陸はここ40年程はずうっと戦乱の中にあるんですか?」


「そうですわね。

 正確にはヘカート大陸の北部から中部の地域においてと言った方が適切ですわ。

 とは言っても、ここ十年程は国境周辺での小規模な紛争が多く、国家の総力を賭けた大規模な戦争は起きていません。

 ですが、今のヘカート大陸は何処で火の手が上がるか分からない情勢下にありますわ」


「なるほど」



 要するに地球における嘗てのバルカン半島やパレスチナのような、その地域全体が火薬庫状態になっているということだろう。今のところ、各国の国境周辺での低強度紛争がメインだが、いつ国家総力戦の大規模戦争に発展してもおかしくないということだ。



「リグレシア皇国の台頭によって、ヘカート大陸に存在する各国では軍備の増強や新兵器の開発が進んでいます。

 当初はバレット大陸の方が技術的にも進んでいるところが多かったのですが、今はヘカート大陸の方が進んでいるかもしれませんわね」


「そうなんですか?」


「ええ。 これをご覧下さいな」


「これは……」



 ベアトリーチェが修道服の左脇に腕を差し込み、素早くある物を取り出してテーブルの上に置く。“ゴトリ”という重たげな音を発しつつ置かれたのは、一丁の回転弾倉拳銃だった。拳銃の銃身や回転弾倉、フレームなどには植物の葉や蔦を模したレリーフが彫り込まれており、更に彫金が施されている。



「私とカルロッタが護身用として携帯している『六十一年式回転弾倉拳銃』ですわ。

 実はコレ、ヘカート大陸製の拳銃ですの」


「え?」


「ヘカート大陸北部の『セリア王国』という国で作られていた拳銃で、嘗ては我が教皇領と密接な関係を築いていました」


「嘗てはと言うことは……」


「今はリグレシア皇国の領土になっていますわ」


「ああ……」



 ベアトリーチェの話を聞いて俺は力が抜けた声を出す。

 予想通り過ぎる展開を聞いて「やっぱりね」という思いが頭を過ぎった。



「セリア王国は金属加工を含めた工業力が非常に高く、この拳銃は教皇領軍の部隊指揮官や衛士達の武装用として採用されて輸入していたのですが、リグレシアの領土となった今はこの拳銃を模した物が教皇領で製造されています」


「なるほど」


「ですが、銃の製造に用いられている鉄の熱処理技術においてはセリア王国の方が秀でていたようで、教皇領製の同型銃と比べて銃身内に施されている旋条ライフリングの磨耗や内部部品の耐久性、銃弾の命中精度はセリア製の銃が段違いに優れていますわ。

 もちろん、この拳銃を作っていた国営のスター兵器工廠はコレだけではなく、他にも様々な銃器を作っていましたし、教皇領軍にもそれらの銃器が正式兵器として多数採用されています」


「と言うことは、リグレシアはその兵器工廠を接収した可能が……」


「高いですわね。

 実は少し前にこの国のハーベスターという村でカルロッタが持っているのと同じ銃が見つかったということで、少し話題になったそうですわ」


「同じ銃?」


「こちらです。

 ベアトリーチェ様の拳銃は特注品なので、こちらが教皇領の各公的機関で正式採用されたスター兵器工廠製の六十一年式回転弾倉拳銃になります」



 椅子に座ったままのカルロッタが右腰に吊っているホルスターから拳銃を取り出し、先にテーブルの上に置かれていたベアトリーチェの拳銃の隣に自分が装備している拳銃を置く。彼女の言う通り、ベアトリーチェの拳銃と外観が少々異なる。



「触っても?」


「少々お待ちを……どうぞ」


「失礼」



 カルロッタは己の拳銃の回転弾倉から全ての実包を取り出した直後に素早く銃の向きを変えて銃身を持ち、ピストルグリップをこちらに向けて拳銃を差し出す。俺はそのままグリップを持って拳銃を受け取り、銃全体を軽くチェックする。



「ただし、そちらカルロッタの持つ銃とは違ってスター兵器工廠の刻印や製造番号の打刻が無い、全くの無銘の銃だったとか」


「無銘……」


(昨日の夜は気付かなかったけど、口径がでかいな。

 9mm以上……44か45口径はありそうだ)



 この六十一年式回転弾倉拳銃の口径は大きく、目測で45口径前後はあるだろうか?

 口径が大きいため、シリンダーもそれなりの大きさを誇っている。


 滑り止めのチェッカリングが施されている木製のグリップパネル以外は全ての部品が鋼鉄で構成されていることと、ブルバレルタイプという肉厚の銃身は6インチ程の長さということも相まって重量は軽く1キログラムを超えるだろう。


 一方でベアトリーチェの拳銃はグリップパネルこそ同じだが、カルロッタの拳銃と比べて銃身が1インチほど長く、フロントサイト・リアサイト共に大型化されて照準がし易くなっている。どちらの拳銃もガンブルーの美しい色合いを保ちつつも、全体的に磨き抜かれて良く使い込まれており、これらの拳銃が只の飾りでないことを物語っていた。



「6発弾倉か……」



 地球の一般的な回転弾倉拳銃と違って中折れ式のフレームである為、シリンダーラッチを操作して回転弾倉を開放させると、銃弾を装填するための6つの薬室の存在が確認できた。



「この拳銃はシグマ大帝国でも使用されているのですか?」


「いいえ。

 シグマ大帝国では個人が輸入した場合以外を除いて公的機関ではこの銃は正式採用されていませんわ。

 ガーランド保安官のように、好みの武器を自らの装備として使用できる権限を持つ独立保安官以外は各機関から貸与された銃器を使用しているので、この国ではセリア王国製の回転弾倉拳銃はとても珍しい存在ですの」


「ほう?

 因みに、先程仰られていたその無銘の拳銃というのは、どのような状況で発見されたのですか?」


「実はハーベスター村を警備する為に駐屯していた治安警察軍の検問を突破した何者かが、同村の外れにあった帝国軍鉄道警備隊の駐屯所を襲撃し、巡回警備用の装甲軌道車を強奪するという事件が起きたのです」


「装甲軌道車……」


(『ウィッカム装甲軌道車』のような車両なのか?)



 一瞬、全共闘や安保闘争時代に活躍した機動隊の特型警備車に通じる角張ったデザインのボディを持つイギリス製の軌道車両を思い出したが、まさかこの世界において地球でも使用されていた『軍用装甲軌道車』が実用化されているとは思わなかった。



「ええ。

 シグマ大帝国では広大な国土に張り巡らされた鉄道網を警備する為に、この装甲軌道車が使用されています。

 一部の地域では魔物や魔獣が出没することもあり、これらの生き物から鉄道や列車を守るためにも多数の装甲軌道車や各種軍用列車が作られ、帝国軍によって運用されて頻繁に各鉄道網を巡回していますわ。

 恐らく、昨日の夜もこの旅客列車が通る予定の路線を帝国軍鉄道警備隊の車両が巡回していた筈です」


「へえ。

 でも、何でそのような物が盗まれたんですかね?

 強奪犯の目的は何なのでしょうか?」


「それは分かりませんが、盗まれた車両は今も見つかっていないらしく、治安警察軍や憲兵隊が捜索中しています。

 ですが、これといって手掛かりは見つかっていないそうですわ。

 車両が奪われた際、治安警察軍や帝国軍鉄道警備隊の兵達数人が死亡しているので、彼らは血眼になって犯人と車両の行方を追っているそうですが、どれもなしのつぶてでお手上げのようですわね」


「それにしても、ベアトリーチェさんはこの国の人間ではないのに、えらく詳しいですね」


「おほほっ。

 私も伊達に特高官という職に就いていませんからね。

 この仕事を長く続けていると、色々な方面に伝手ができるものですから」


「なるほど」



 要するに、この国の治安機関の人間――――それもかなりの地位を持つ者と繋がっているということだろう。


 しかしながら、何で犯人は鉄道を走る装甲軌道車を盗んだのだろうか?

 相手は道を縦横に走れる自動車ではなく軌道車である。


 仮に盗み出せたとしても、鉄道そのものをシグマ大帝国が管理している以上、使い道があるようには思えない。もしかして装甲軌道車をバラして装甲板を何かに用いるのが強奪犯の目的か?


 それにしても装甲軌道車とはいえ、兵器を盗み出すとは正気の沙汰ではない。しかも、強奪犯は拳銃などの武器を用意して軌道車を盗み出しているところを見ると、かなり用意周到に計画を立てているとしか思えない。



「まあ話は戻りますが、例の無銘の銃はその現場に落ちていたものらしいですわ。

 治安警察軍や帝国軍鉄道警備隊の兵達を退けて軌道車を奪った手腕といい、無銘とはいえ、この国では高価で珍しい旧セリア王国製の拳銃を持っていたということを鑑みて、相手は只の犯罪集団や傭兵達ではないことだけは確かですわね。

 あくまで私個人の見解ではありますが……」


「目的は何でしょうかね?」


「さあ?

 わざわざ危険を冒してまで、軍の車両を奪う魅力が何処にあるのか流石に見当もつきませんわ。

 ただ一つ判っていることは、旧セリア王国製の銃器はスター兵器工廠がリグレシア側に接収されて以降、同国軍の装備に加えられていることですわね」



 装甲軌道車の強奪といい、旧セリア王国こと現リグレシア皇国製と思われる出所不明の銃器といい、何かが引っ掛かる。



「そのリグレシア皇国のことなんですが、国力や軍の強さというのはどのくらいなんでしょうか?」


「そうですわね……一言で言えば、強大かつ均整バランスのとれた国家と言えるでしょう」


「均整……ですか?」


「ええ。

 リグレシア皇国は元は魔族主体の国家でしたが、周辺国を次々と平定して今は魔族を中核とした多民族国家へと変貌していますわ。

 それは国家の暴力装置たる皇国軍も同じです。

 ところでタカシさんは上級魔族について、どこまでご存知でしょうか?」



 ベアトリーチェから発せられたいきなりの質問で戸惑ったが、俺は思ったことを口にする。



「上級魔族ですか? 

 うーん……自分は上級魔族という存在についてはアゼレアしか知らないので何とも言えないのですが、彼ら彼女達が国を滅ぼしかねない力を持っているということだけは知っています」


「なるほど。

 確かにそれはあながち間違ってはいませんが、それはあくまでごく一部の上級魔族だけですわ。

 世間一般では『上級魔族は歩く災害』とよく例えられがちですが、一口に上級魔族と言っても彼らの持つ力はピンキリで、その差が激しいのです」


「はあ……?」


「まあ、ここでは上級魔族達の持つ強大な魔力は脇に置いておくとして、彼らが魔族社会の中でどれだけの割合で存在しているかはご存知ですか?」


「うーむ、2割から3割くらいですかね?」


「違いますわ。 正解は一割です」


「たったの1割なんですか!?」


(ええっ!? 本当かよ?)



 流石にこれは驚きである。

 上級魔族は魔族社会の中で希少な存在であるとアゼレア本人から聞いていたが、まさかそこまで珍しい存在だったとは思わなかった。



「はい。

 これはあくまで、魔王領に住んでいる魔王を含めた上級魔族達の総数を魔王領の国家統計局が算出した数字ですが、魔王領以外の魔族国家の場合だとその存在数は極端に低くなりますわ」


「はあーーっ!? そんなに希少な存在なんですか?

 上級魔族というのは」


「ええ。

 特に魔王領以外の魔族国家において上級魔族というのは、魔力の強さに拘らず基本的に王族ですからね。

 しかも、これはヘカート大陸やキャリバー大陸に存在する魔族国家にも言えることですわ」


「へえ。

 でも、何で魔王領には上級魔族達が一割とはいえ、纏まった数で住んでいるんですかね?」



 これは確かに疑問である。

 上級魔族の中でも特に高貴な身分にあるアゼレアからは、その経緯は聞かされていないので尚更疑問が残る。



「実は以前、魔族の歴史を長年研究している長耳エルフ族の研究者の方とお話しする機会があったのですが、元々魔族はこのバレット大陸にのみ存在していたそうです。

 場所は今の魔王領がある大陸西岸の地域と海域にそれぞれ種族毎に別れて住んでいたそうですが、ある日、自らを魔族の王である『魔王』を自称する存在が現れて、各種族の族長達を己の持つ強大な魔力で次々とねじ伏せて服従させ、それまでの集落単位で別れて存在していた地域を纏め、国として発展させたそうですわ」


「はあ……?」


「もちろん力だけではその内離反する者が出てくるのは目に見えてましたから、各種族の代表である族長達を魔王を補佐する存在として大公の地位を授け、魔力の強い者達や知恵に秀でた者達を上級魔族という特権階級を持つ存在に位置付けて人間種と同じ貴族として迎え、それ以外で平均的な力を持つ魔族達を平民である中・下級魔族に指定したと言われています」


「へえ?」


(なんか聞いてるだけだとえらく大雑把な気がするが、実際には様々な問題や障害を乗り越えた末に今の形に落ち着いたんだろうなぁ……)



 これだけ聞くと、当時の初代魔王が力でゴリ押しする脳筋魔族のように思えるが、そのやり方が上手くいき、国として『魔王領』が誕生したのだから驚きである。



「でも、その中で一部の上級魔族が魔王の存在を良しとせずに配下の魔族達を引き連れて大陸西岸の地域や海域から離脱を図り、それぞれがバレット大陸やヘカート大陸、キャリバー大陸の各地に行き着き、そこで国を起こしたのが魔族国家誕生の起源と言われています。

 まあ中には魔王を嫌ってではなく、将来的に航海技術の発達や各大陸の街道網の整備が進むことを見越して当時の魔王自身が新たな魔族国家誕生を夢見て、一部の有力な上級魔族に新たな魔族国家の建設を目指すように促したという話もあるようですわ」

 

「なるほど」


「そのため、魔王領以外の魔族国家では王族である上級魔族の殆どが堕天使族や龍族といった種族で占められていますが、これは移動における海や陸の制約を最小限に留めることができるのが、これらの有翼種族であるというのが大きな理由であると言われています」


「まあ確かに空を飛べるというだけで、地べたを歩くしかない種族に対してかなりの優位性アドバンテージが生じますもんね」


「その通りですわ」


「ということは、魔族国家の中には親魔王領と反魔王領の国があるということになるんですかね?」


「仰る通りですわ。

 バレット大陸に存在する魔族国家の内、『トリプト公国』以外は全て親魔王領国家ばかりですが、他大陸の魔族国家はリグレシア皇国も含めて反魔王領国家になりますわね」


「なるほど」


(要するに過去の歴史が関係している訳かぁ……)



 新たな国名の魔族国家が出てきたが、やはり力技だけでは全ての物事は解決できないということだろう。それが証拠に、初代魔王の意向に逆らって反発する上級魔族が出てきてしまっている上、反魔王領の魔族国家が誕生してしまっている。



「リグレシア皇国は、その中でも早くから魔法と科学の推進を平等に進めている国家なのですわ。

 魔王領と違って上級魔族が王族だけに限られている同国はアゼレアのような強力過ぎる魔法戦力を有している魔族が極端に少ないですから、尚のこと魔法戦力の不足を補う目的で国家事業として科学による工業化を推し進めていますわね」


「へえ?

 因みに、その工業化は何処まで進んでいるんですか?」


「ハッキリとは分かりませんが、最近では『飛行船』なる鳥のように空を飛ぶ飛行物体や『自動車』と呼ばれる地上を曳き馬無しで移動する馬車のようなものも作られて実用化されたという話です。

 まあ、飛行船や自動車はこの大陸の列強国でも試作はされていますが、未だ実用段階には達していませんわ」


「へ、へえ……?」


(飛行船に自動車だとぉ!?)



 予想外の単語を聞いて俺は驚きのあまり、声がどもってしまった。

 ここに来て『自動車』と『飛行船』の登場である。


 イーシアさんから聞いた説明と食い違う部分がドンドン出てきている事態に俺は不安になってしまう。この世界を管理している神様が知らない事象が現在進行形で増えているということは、十中八九、例の無名の神がこの世界に干渉している証拠ではないだろうか?



「……因みにですが、ベアトリーチェさんは飛行船や自動車なるものを見たことがあるのですか?」


「はい。

 と、言いたいところなのですが、残念ながら実物は見たことはありませんわ。

 私が見たのはセリア王国からエルフィス教皇領我が国へと亡命して来た技術者が持っていた図面だけですわね」


「そうですか」


「一応、我が国でも試作が始まっていますが、今迄の魔法技術とは真逆の科学技術に対して詳しい者が限られているので遅々として開発は進んでいませんわね。

 これはエルフィス教皇領だけではなく、シグマ大帝国やウィルティア大公国といった同じことが言えますわ」


「なるほど……」



 これを聞いて安心した。

 少なくとも、この大陸では列車以外での動力を用いた地上移動手段や航空機は大々的に実用化されていないらしい。


 だが、もしかしたら国家ではなく、個人レベルでの開発は進んでいるかもしれない。


 何せ、今この話をしている場所が移動中の列車の中なのである。自転車などの簡単な構造を持つ軽車両類は何処かで走っているかもしれないし、ベアトリーチェが知らないだけで既にこの大陸の何処かの国では密かに開発が進んでいてテスト走行を行なっていないとも限らない。


 先程聞いた『装甲軌道車』という装甲車両が存在していることや、この世界に日本人が一定数以上転移・転生してきている状況を勘案するに、銃器類だけではなく『戦車』や『戦闘機』といった大型兵器も近い将来の内に出現すると考えて良いだろう。


 そのようなことを考えていた俺のことを他所にベアトリーチェは話を進めていたが、彼女は一つ気になることを口にする。



「ですから、この大陸では別の角度から科学技術への対応アプローチが始まっています」


「別の角度から……ですか?」


「ええ。

 具体的には魔法技術との融合ですわ」


「融合……」



 ある意味で真っ当な状況が生まれていることに俺は怪訝な面持ちで眉を寄せる。確かに、魔法と科学が共存する世界ではそれらの異なる分野が融合するのは必然なのかもしれない。


 だが魔族とはいえ、アゼレアのような個人単位で戦略核兵器に相当する魔法が使える魔導士が一定数存在する世界では、魔法と科学の融合技術は危険な未来しか生まないように思えるのは俺の気の所為であろうか?



「特にアゼレアの祖国である魔王領では、魔法技術と科学技術を融合させる研究が盛んで、その技術はこの大陸随一と言っても過言ではないでしょう」


「魔王領が?」



 てっきりシグマ大帝国のことかと思って聞いていた俺は、『魔王領』という予想していなかった国の名前を聞いて背中に冷や汗がジワリと滲む感覚を覚えていた。

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