第33話 悪夢

 シグマ大帝国旧ティレノール領カティン市は名前の通り、かつては『ティレノール伯爵家』が治めていた貴族領であるが、現在、シグマ大帝国では領主制度はごく一部の地域を除いて軒並み廃止され、中央集権制へと移行している。


 貴族達は企業経営者と議会議員を務めている者とで別れており、旧ティレノール伯爵家当主は皇帝に伯爵位を返上後、下野して公人から私人となった今は他の元貴族出身者達と同じように企業経営を生業としていた。


 そのため旧ティレノール領カティン市を治めているのは領主ではなく、カティン市議会より選出された市長がこの街の行政を司っている。


 代々、ティレノール伯爵家によって善政が敷かれていた旧ティレノール領は領主制度廃止時に伴う混乱は最小限に留まり、広大な森林地帯を利用した製紙産業に大きな打撃を与えることなく、帝都から比較的近いことと、大帝国東部と南部への分かれ道という立地もあり、この街は以前と変わらぬ繁栄を謳歌していた。


 最近は鉄道の駅が建設されたこともあり、距離的にも帝都とグッと近くなったことや部分的に実用化されている転移魔法の活用による金融取引や各種情報のやり取りに、鉄道技術の発達による貨物の大規模輸送など経済と技術の発展による恩恵もそれなりに受けている幸運な街であると言えるだろう。


 そのような経緯を持つ街であるため、ここには様々な人々が訪れる。

 獣人や長耳族、魔族といった他種族は帝都が近いこともあり、その数は極端に少なく街の住民の殆どが人間種ではあるが、経済活動だけに限って見れば大帝国内でも上から数えたほうが早いくらいだ。


 その為、この街の住民は人間種か人間種と見た目が殆ど変わらぬ種族には特に関心を払う輩は少ない。これは一般市民だけではなく、行政や治安機関所属の者達にも同じことが言え、余程不自然な言動や奇抜な格好をしていない限り、怪しまれることはないだろう。


 元々、街の北側以降には標高の高いパシック山脈とその麓に広がる深い森が広がっており、そこに生息する魔獣や魔物からの侵入を防ぐために堅牢な城壁と水堀が建設されてこのカティン市をずっと守ってきた。


 領主制度廃止後、かなり後になって敷設された鉄道とそれに伴い建設されたカティン駅では、現在メンデル行き高速旅客列車『リンドブルム四号』が停車し、鉄道省鉄道公安隊と大帝国軍鉄道部鉄道警備隊から派遣された部隊が列車と駅を警備する中、機関車を含む各車両の整備や点検、水や食料の補給が行われている。


 そんな駅を他所に城壁の内側、カティン市内中心部の広場と繁華街は二十二時を回ったというのに明るく、地元の市民と列車から降りて来た乗客達とで賑いを見せており、市内の飲食店も盛況だった。


 飲食店の中には個室を備えている店舗もあり、そのような店はゆっくりと食事をしたい者や身分の高い要人や名士にも人気で、料金が高い分、従業員の教育も行き届いており、快適な環境で美味い酒と料理に舌鼓を打つことが出来る。


 だが、客の全員が提供される料理や酒を楽しむ際、他の客達が奏でる喧騒に邪魔されたくないがために個室を利用するわけではない。

 中には他人に聞かれたくない話を行う目的で個室を利用する者もいる。


 美味い料理と酒を手頃な値段で味わえることで、地元では有名な店舗面積が大きい『向日葵亭』とは道を挟んで斜向かいにある、同店と比べてこじんまりとした作りの『創作料理屋 ピートル』で食事をしている一組の客も同じ理由でこの店の個室を利用していた。


 ピートル店内に用意されているいくつかある個室の一角には、銀糸のような輝きを放つよく手入れされた銀髪をひっつめ、灰色の礼服ドレスを着ている少女と彼女の付き人と思われる三十代前半と思しき男性が静かに食事をしている。


 彼女達が食べているのはこの街の特産品でもあるキノコを用いた料理で、少女にはキノコと牛肉の香草焼とライ麦のパンが供され、男性には豚肉と野菜とキノコの合わせ炒めと白米、味噌汁が供されており、二人とも黙々と食事をしていた。



「それにしても、貴君はそろそろいい歳だというのに、よく食べるなぁ……」



 静かな個室の中に少女の呆れたような声がやんわりと響く。

 先程から、ゆっくりと上品に食事を続けていた少女の目には奇異な光景が写っている。

 その原因は自分と机を挟んだ向かいで繰り広げられている男性の食事にあった。


 白米が入っているお椀を片手にモリモリと食事をしている男性は正に「がっつく」という言葉がぴったりな食べっぷりを披露している。時折、箸休めとばかりに傍の小鉢に入っている漬物を摘んだかと思うと味噌汁を啜り、それが終わると再び飯とおかずを掻き込むという光景は、一口大に千切ったパンを形の良い口へと放り込もうとしていた少女の手を止めるのに充分な威力インパクトを持っていた。



「それはもう! 昼以降、水以外に何も口にしていませんでしたから。

 食える時にしっかりと食っておかないと体が持ちません」


「まあ、働き盛りだからな。 沢山食べたまえ……」



 見ているだけで胸焼けしそうな光景ではあるが、彼の言う通り、食える時にしっかりと食っておかないと体が持たないというのは少女自身がよく知っているため、彼女もまた気を取り直して食事を再開し始める。






 ◆






「ふう! 美味かったです。 ご馳走様でした」


「うむ。 こちらも、ご馳走様だな」



 食事後の至福な余韻が二人を包む。

 既に食器は店員によって下げられており、卓には温かな珈琲が淹れられたカップと緑茶が注がれている湯呑みが置かれており、少女は珈琲を飲み、男性は緑茶を啜っていたが、不意に扉を叩く音が聞こえ、返事をすると、外から聞き慣れた声が室内へと響く。



「ベルグマンです。 只今到着しました」


「うむ。 入れ」


「失礼します」



 少女の許しを得て入室して来たのは、背広スーツを着込んだ男性だった。年の頃は今座っている男性と同じ三十代前半ではあるが、中肉中背の彼と比べて背が高く若干細面の印象を与える。

 


「ご苦労。 直前で待ち合わせ場所を変更してしまい、すまなかった」


「いえ、大丈夫です。 



 本来であれば入室の際には自分の名前だけではなく階級も伝え、敬礼をした上で彼女を『お嬢様』ではなく『少佐殿』と呼ぶべきなのだろうが、ここは移動中の列車内でもなければ、自分達が待機している根拠地でもないので恥ずかしながら、互いにこのような呼び方を行なっているのである。


 古い諺に『壁に目あり、扉に耳あり』という例えがあるように、このような場所では何処に誰の耳目があるか判ったものではない。


 だからなのか、待ち合わせ場所を急遽変更したことを詫びつつ、男性からお嬢様と呼ばれたことに苦笑した少女は戯けたような態度をとる。



「まあ、仕方がないことですわよね。

 あれだけのが駅の各所に配置されているのですもの。

 私、とても怖かったですのよ?」


「おやおや、そうだったのかい?

 怖かっただろうに……よく頑張ったねえ。

 そんな良い子には、おじさんから素晴らしい贈り物をあげようね」


「で、これが例の物か?」


「はい。 対上級魔族用の『魔力逆流発生装置・試作乙型』であります」



 普段少女からは絶対に想像できない『少女らしい少女の姿』に対し、背広の男性も同じように『気の良いおじさん』という体で応じるが、それもほんの一瞬のことで、少女はすぐさま本来の態度で彼に接し、鞄の中から取り出されたある品物を手に不安そうに首を捻っていた。



「ふーむ……使い物になるのか?」


「はい。

 この装置は対象者の魔力に同調し、一定の段階へ至ると対象が放出している魔力を文字通り逆流させ、魔法術式そのものを使えなくさせるという仕組みになっています。

 仮に対象が強力な攻撃魔法を放とうとしている場合、相手に術式や魔力の暴走を促すことも可能であると聞いています」


「なるほどな」


「自分がコレを受け取りに伺った際に、開発責任者であるシュナイダー博士は『開発当初はこの装置自体を魔導回路そのものに組み込む必要があるために、こうして持ち運べる大きさになるまで長い年月が必要だった』と苦言をボヤいていました」


「まあ、それはしょうがないことだろう。

 こうやって鞄の中に入れて持ち運べるようになっただけ、マシというものだ」



 そう言いつつ少女は鞄の中から取り出されて卓の上に並べられた四個の品物――――小型の照明魔道具ランタンに見える『魔力逆流装置・試作乙型』の一つを手にとって様々な角度から眺めていた。



「で? コイツの肝心な性能はどうなっているのだ?

 まさか、ぶっつけ本番にならないと解らないということではあるまいな?」


「いえ、それは大丈夫かと。

 シュナイダー氏の話では二十一年前の実験では成功したとのことです」


「ああ……例の『殲滅魔将』を消した件か。

 しかしなあ……二十一年前の成功を実績として持ち出されても、使う側の不安は拭い切れんぞ?」


「それは仕方のないことかと。

 我が国には上級魔族と言えば、皇族の方々を含めて極少数しか存在しません。

 これは魔王領以外での魔族国家でも同じことが言えます」


「まあな。

 魔王領の上級魔族は大使や総督などの外交関係者を除けば国外に出て来る者は極一部の駐在武官や、紛争地に派遣される野戦軍指揮官程度であるからなぁ……」



 本国では上級魔族と言えば、それは皇帝を含めた皇族達とその近親者のことを指す。

 いくら魔王領の対上級魔族戦を念頭に置いた装備や兵器の開発の為とはいえ、皇族らを被験者として実験に用いることはできないし、言葉に出すことさえも憚られる。


 そのため武装親衛隊が発足するより以前、皇国軍情報部が実験に用いる為の被験者を得る目的で他の魔族国家に属する上級魔族を狙ったことがあるのだが、作戦は悉く失敗していた。


 特に王族以外で上級魔族が多く居住している魔王領には情報部から多数の人員が派遣されたが、誰一人として帰って来なかった。


 派遣された人員の中には上級魔族並みの魔力を持つ変異種の中級魔族数人も含まれていたのだが、やはり相手は腐っても上級魔族である。


 軍人であるか否かでその強さは大きく変わってくるとはいえ、底力だけで言えば普通の中級魔族の比ではない上に、国外で活動する魔王領の上級魔族達には常に腕利きの中級魔族達が護衛に就いている場合が多い。


 拉致しようにも上級魔族の殆どが魔王領内から出てこない上に、国外にいる上級魔族達は公務で活動しているため、常に中級魔族以上(時には上級魔族を含む)護衛が居るとあっては拉致する側が全滅してしまうのは予想出来て然るべきだった。


 その為、対上級魔族用の装備や兵器の開発は困難を極める。

 実験をしようにも被験者となる上級魔族を用意できないのだ。

 

 その点で言えば、魔王領国防軍研究施設での上級魔族が参加する魔法実験は正に千載一遇の好機チャンスであった。


 拉致が不可能な上級魔族の軍人が軍の命令で大人しく魔法実験に参加しているのだ。しかも被験者は只の上級魔族ではなく、『殲滅魔将』という二つ名を持つ当時最強と謳われていた高位上級魔族の魔導将軍である。


 この情報を魔王領国防軍内に潜ませた『枝』から事前に入手した皇国軍情報部は、あらゆる手段を用いて研究施設内の関係者数名にをつけることに成功し、漸く実験室内に対上級魔族用を主目的とした『魔力逆転流発生装置』の設置に成功したのだ。


 そしてもたらされた成果は正に上々のものだったと言えるだろう。

 殲滅魔将の魔力は装置との同調後、実験目的であった転移魔法陣の魔導回路を通じて魔力が逆流して将軍本人の魔力が暴走。結果として研究施設は木っ端微塵に吹き飛び、殲滅魔将本人も行方不明という事実上の死亡扱いになり、計画は成功裏に終了する。

 

 それ以降、魔王領における上級魔族を被験者として魔法実験は行われなくなってしまい、計画はあのときの一回限りではあったが、魔王領の最大魔法戦力を排除出来た上に貴重な記録データも入手できたのだから、皇国側としては表に出せないものの、最大の戦果を挙げたと言っても過言ではない。


 そして、その貴重な記録を基に作り上げられたのが、今卓の上に並べられている四個の装置である。見た目は水晶を用いた照明魔道具に見えなくもないが、これは意図的に偽装されたものであった。


 これをあの上級魔族が乗っている一等客車内の要所に配置し、魔力特性を特定後に何らかの高魔力反応を起こさせればそれで終わりだ。


 後は装置が勝手に放出される高魔力反応に同調し、一定段階後に術者である上級魔族本人に自分自身の魔力を逆転・逆流させ、暴走を促して自滅させれば終了である。


 殲滅魔将ほどの実力を持つ高位上級魔族で実験が成功している以上、魔王を含めたあらゆる上級魔族に対応可能だとは思うが、万が一失敗しないとは限らないだろう。だが、仮に失敗したとしても、相手も相応の深傷を負っている筈なので、その時は自分が直々に引導を渡せば良いだけの話だ。


 列車内の通路ですれ違ったほんの一瞬ではあったものの、威圧感こそ尋常ではなかったが、魔力は中級の変異種である自分に多少毛が生えた程度の魔力しか感じられなかった。だが、腐っても上級魔族であることには違いないので、念には念を入れて予め排除しておく必要がある。


 そして排除後は計画通りに各車両を制圧し、目標を奪取した後に列車を破壊後、現場を離脱して友軍が密かに待つ飛行船まで移動して夜を待ち、夜陰に紛れてシグマ大帝国の領空を抜けることが出来れば任務達成という手筈だ。



「…………ところでお嬢様は先程の魔法陣はご覧になりましたか?」


「ああ、見た。

 恐らく、あの魔法陣の正体は例の上級魔族が生み出したものだろう。

 あのような魔法陣の使い方など始めて見た」



 ふと思い出したかのようにベルグマン中尉が少女に街中で突如出現したあの不気味な魔法陣について質問する。


 あの魔法陣が出現したお陰で街の中は一時的に大きな混乱に陥り、治安警察軍の部隊が出動する騒ぎになったが、その後何故か治安警察軍ではなく警保軍によって安全宣言が布告されて、一時間ほど前に騒ぎが収束して街は平静を取り戻している。


 が、問題はそこではない。



「貴君はあの魔法陣をどう見た?」


「あの魔法陣ですが、本来ならば血液を触媒として機能する筈の術式を、魔導士本人が施した魔法論理の改良によって触媒を不要とした状態で自律的に発動を可能にした大規模魔法の一種かと見受けました。

 間違いなく、上級魔族――――それも吸血族による魔法術式かと愚考します」


「なるほどな」



 ベルグマン中尉自身は下級魔族ながら、その魔法知識は一介の魔導士官を凌駕する程の博識だ。元々は下級魔族故に魔法に対する憧れから趣味で魔法を研究していた何処にでもいるただの尉官だったのだが、『好きこそ物の何とか〜』と同じで今やその知識は武装親衛隊の中でも右に出る者がいないくらいに魔法への知見を深めている。


 そのお陰で彼は皇国でも一二を争う魔法研究の権威であるシュナイダー博士お気に入りの士官として、時折彼の研究所へと出入りしており、博士と皇国軍や武装親衛隊との連絡係兼助手として活動していた。


 下級魔族であるため魔力が低いことが目下彼の悩みどころであるらしいが、反面魔力が低いお陰で自由に転移魔法の陣を潜れるため、転移魔法を利用して少女が指揮する部隊の派遣先と本国を自由に往き来して、このように装備の輸送や情報のやり取りを担当している。



(それにしても、彼がここまで成長するとは思わなかったな……)



 あのお方直々に皇国軍から武装親衛隊へと引き抜かれ、任された部隊に在籍する先任将校の一人としてベルグマン中尉の姿があったのだ。


 当時は中尉ではなく少尉であったが、自分と同じ皇国軍出身者として目を掛け、彼の魔法知識が相当のものだと知った少女は優秀な助手を欲していた旧知の仲であるシュナイダー博士にベルグマン中尉を紹介した。


 部隊からの出向という形で博士の研究所と部隊の間を行ったり来たりしていた中尉は、次第に頭角を現して今はシュナイダー博士率いる魔法技術庁第三研究所と親衛隊省及び古巣の軍務省との間を取り持つ唯一の連絡係パイプ役を担当しており、近々大尉への昇進が決定している。


 ベルグマン中尉の直属の上官である少女も魔法戦に関して相当の実力者であるということもあり、親衛隊省上層部の覚えも良く、現在、大隊の所属は本部直轄という位置付けになっていた。


 その彼があの魔法陣を発動させた術者は吸血族であるという分析結果を言っているのだから、確かなのだろう。ということは、列車の中で見たあの上級魔族の出身種族は吸血族ということだ。



(アレは間違いなく魔王領の上級魔族だ。

 だが、魔王領国防軍で現在将官の地位にある女性魔族は准将も含めて確か六人だった筈……)



 素顔は全く知らないが、殲滅魔将自身も女性魔族だったという。

 女性でありながら国防軍唯一の魔導将官として当時、魔族最強の名を欲しいままにしてきた殲滅魔将。


 もし生きていたら七人目の女性将官として数え上げられていたことだろう。聞くところによると、魔王領国防軍での魔導士官は軍人としての志がとても高く、殆どの者は野戦将校や現場での活躍を熱望するため、将軍職などの魔導参謀へと昇進する者は非常に少なく、しかも女性の魔導士官はともなると数は極端に少ない。


 魔王領国防軍の女性将官は全員が情報部や鉄道部、兵站出身者で占められており、実戦部隊出身者はかの殲滅魔将を除いて一人もいないが、それでも油断は禁物である。魔導将官や実戦部隊出身でなくとも、現役軍人の上級魔族というだけで非常に危険な存在なのだ。


 只の貴族階級の上級魔族とは訳が違う。

 今回の作戦は極秘且つ最重要な作戦であるため、危険な因子は予め取り除いておく必要があるのだ。


 だからこそ、わざわざベルグマン中尉に連絡し、本国から転移魔法を使ってまで彼にこの装備を持って来てもらったのである。



「あの……お嬢様?」



 ベルグマン中尉の声が耳に届く。

 この装備を前に、どうやら思考の海へと深く潜っていたようだ。

 急速に現実の世界へと浮上した少女は笑顔で彼に接し、彼に新たな任務を課す。



「うん? ああ、悪かったな。

 ところで本国へ直ぐに戻る貴君には悪いが、ついで仕事を頼みたいのだが?」


「何用でしょうか?」


「魔王領国防軍に在籍している女性将官達のことを調べて欲しいのだ。

 ここシグマ大帝国に派遣されている女性将官が一体誰なのかということと、女性将官の内、濃い灰色の勤務服を着用している者がどの部署に所属しているかということをな」


「畏まりました」


「頼むぞ」



 少女から賜った新たな任務の内容を手帳に記したベルグマン中尉は、肝心な報告手段を何通りか脳内で想定しつつ、上官に確認を問う。



「報告は何処かの停車駅で行なって宜しいのでしょうか?」


「いや、そこまで重要度が高い内容ではないので伝送器での報告で充分だ。

 分かり次第、私かそこで茶を飲んでいるクルーガー大尉に報告してくれ給え」


「分かりました」



 苦笑しながら顎で指し示す少女の目線の先には先程から二人の会話を黙って聞きつつ茶を啜る男性――――少女から『クルーガー大尉』と呼ばれた副官の姿があった。


 元々、野戦将校出身者は何時如何なる時も物事に動じない神経の図太さを養っている者達だが、ここまでの図太さを見せられると逆に清々し思えるから不思議なものだ。



「では、私達は荷物を持って列車に戻るとしようではないか。

 さすがの私でも初日から予想外の出来事が多過ぎて疲れた。

 早く自室に戻ってゆっくり眠りたいよ……」


「自分も同感であります」



 そのことに互いに苦笑する少女と中尉はそれが合図となって、それぞれに帰り仕度を始め、大尉もまた彼女の言葉に同意しつつ椅子から立ち上がって素早く室内の様子を確認し、中尉が持ってきた装備を手早く鞄へと戻す。



「では、お嬢様、お気をつけて」


「うむ。 貴君もな……」


「はい」



 中尉は少し扉を開けてから外で誰も聞き耳を立てていないことを確認し、少女達へと向き直って礼をして部屋を去り、数分置いて少女と大尉もまた部屋を出て会計を済ませるために店の出入り口へと向かって行った。






 ◆

 ◆






 息が苦しい。

 何時もならば全力疾走しても息が上がることなどないというのに、今は体が重く単に足を前に出すことさえも億劫になりそうなほど、気分が優れないことに気付く。


 

「ハァ! ハァ! ハァ! あっ!?」


「少佐殿、大丈夫ですか!? 自分に掴まって下さい!」


「……すまぬ!」



 樹木が生い茂り、獣道同然の整備が行き届いていない林道を部下達と共に進み、息を整えようと傍の木に凭れ掛かった途端、不意に体から力が抜けてそのまま地面へと倒れそうになったところを我が副官が咄嗟に腕を伸ばして体を支えてくれた。



「我々は今、何処にいるのだ?」


「地図上では位置的にマニューリン半島の先端部、ヴォルテック岬の付近の森の中かと」


「と言うことは道を見誤ったか。 アッピア港に行く筈が道に迷うことになるとは……」


「しかしながら、我々の戦力で敵の封鎖を突破するのは困難だったかと。

 仮にぶつかっていた場合、全滅までとはいかなくとも、残っている中隊の半数以上は脱落していたかと思われます」


「そうだな。 であれば、ここで味方の救援を待っていた方が利口か……」



 現在、我々が立っている場所は地図によるとバレット大陸の最南端であるマニューリン半島の更に先に位置しているヴォルテック岬の付近にある森の中らしい。


 外征戦略軍の壊滅に伴い、属領化された旧ルガー王国を含むバレット大陸南部の数ヶ国に配置されていた統治機構は防衛能力を失って機能不全に陥り、反皇国政府組織らを中心とした破壊工作と『連合諸国軍』という名の多国籍軍による武力侵攻により、この大陸を追われて本国へと撤退するために友軍の将兵達は港へと一目散に向かっているところだった。


 だが、敵軍による街道の封鎖を受けて撤退中の部隊のいくつかは突破が叶わずに各個撃破の憂き目に遭っている。それは我々武装親衛隊にも同じことが言え、敵は空から地上から容赦の無い攻撃を加えて友軍部隊の数はみるみる内に削られている真っ最中だ。


 この大陸に移り住んで来た一般皇国民達は戦況の悪化を受け、極一部の民間人以外は既に海軍の輸送船で無事にヘカート大陸へと送り届けれているが、それ以外の者達――――バレット大陸へと派遣されて来た外征戦略軍や皇国大陸軍、武装親衛隊に警察連隊の者達は一部の部隊が遅滞行動を取って友軍の撤退を支援しているものの、殆どの部隊は組織的行動が出来ずにバラバラになって港を目指していることだろう。



「ん? 何だ? この匂いは?」



 木々の匂いに混じって、一瞬だけ何かが焼ける臭いが鼻に香る。

 っと、次の瞬間遠くから何かが爆発する音が聞こえ、次いで地面に振動が伝わって来た。



「おい! 港が燃えているぞぉー!!」



 異変を察知した部下が何処かへ走って行ったかと思うと、直ぐに戻って来て恐れていたことを叫ぶ。それを聞いた自分と副官を除く全員が森の外へと走って行き、岬の見晴らしの良い場所まで辿り着くと、港が存在する方向を指差して叫び声を上げ、次いで絶望の呻きを漏らす。



「そんな……! こんな馬鹿なことが…………」


「くっ! 魔王軍めぇー!!」


「ああっ、何ということだ……」



 森を抜けて部下達に追いつき、副官と共に見たのは昼間だというのに炎によって赤く染まる港の光景だった。


 旧ルガー王国領だったアッピア港湾施設はリグレシア皇国の属領へと編入された後、同港は軍港としても使用できるように長年に渡って改修工事が行われてきた経緯がある。


 港湾内の海底は海洋性魔族らによって浚渫工事が行われて水深が深くなり、護岸はコンクリートで補強されて鋼鉄の船体を持つ大型の艦艇や輸送船などが接岸できるように改修が施された。


 本来であればこの港は多数の艦船が行き交い、港に直接乗り入れている鉄道によって陸揚げされた貨物が素早く各属領へと輸送され、今度は逆にバレット大陸で手に入った鉱物や魔導具、各種資源が貨物列車で港に運ばれて本国があるヘカート大陸へと輸出されて行くのが我々皇国人の見慣れた風景だった筈だ。


 だが、今はその港に敵の大軍が押し寄せて熾烈を極める戦闘が各所で繰り広げられていた。


 港に次々に着弾する敵砲兵隊が放つ各種魔導砲弾の爆発によって味方の将兵達が吹き飛ばされ、殺到する敵兵らに向けて銃身が焼き付きかねないほど、切れ目なく射撃を行う友軍の掃射銃。


 埠頭には装甲艦構造の輸送艦が停泊して出港の時を今か今かと待っており、乗船口に殺到する友軍将兵達とそれに追い縋る敵兵との間では熾烈な肉弾戦が繰り広げられている。


 殴り合い掴み合いによる徒手格闘は元より、至近距離における銃の発砲や投擲魔導弾を抱えての自爆行為、銃剣やサーベルに魔導刃での斬撃と思い着く限りの接近戦が展開され、中には地面に落ちていた煉瓦を敵に投げつける者や穴を掘るためのスコップで殴り掛かる者もいた。


 と、その時、港を見下ろせる位置にある高台から高魔力反応が発生したかと思ったら、馬車程の大きさの魔法陣が出現し、直後に陣の外周が高速で回転して一条の太い光が放たれる。



「あっ!?」



 部下の誰かが叫んだ声と共に光が出港間際の輸送船に直撃し、船体に光が吸い込まれて行ったかと思ったら、船が内側から膨れ上がるように一瞬だけ膨張した直後に大爆発を起こす。


 恐らく、機関室を直撃されたのだろう。

 文字通り木っ端微塵に破壊されて出港する間も無く撃沈された輸送艦からは、誰一人として船内から逃げ出して来る者はいなかった。


 僚艦が次々に撃沈されていることに対し、これ以上埠頭に留まれないと判断したそれぞれの輸送艦達は舫綱を解くが早いか、次々と出港して行き、港に取り残された友軍兵士達が海に飛び込む覚悟で輸送艦の船体側面の縄に飛び付き、船員である海軍兵士が船体にしがみ付いている兵士達を船内へと引き上げる。


 敵兵に追われて海に飛び込んだ兵の内、運の良い者は友軍である海軍所属の海洋性魔族達が水中での救助活動を行なっているが、海に飛び込む者が後から後から増えて始めて救助が間に合わず、海の底に沈んで逝く者が続出し始めた。


 だが、敵は救助活動を行う海軍将兵達にも容赦なく牙を剥く。

 魔導爆雷を装備した敵軍の天馬空中騎兵や堕天使族が湾内上空に展開し、次々に海中へと爆雷を投下し、陸からも砲兵隊が爆雷を投射し始めたのだ。


 爆雷の威力は効果覿面で、沈み行く陸の友軍将兵を救助していた人魚族や水龍族達が水中での爆発に巻き込まれ、彼等もまた暗い海の底へと沈んで逝き、海面は流れ出た味方将兵達の血で真っ赤に染まる。


 また、港を脱出できた輸送艦群にも空からの脅威が降り注ぐ。

 対地攻撃装備で身を固め、空から埠頭を制圧していた堕天使族が目標を輸送艦へと切り替えて、獲物へと殺到して行く光景はまさに悪夢だった。


 鳥のような巨大な羽根を持つ美しい顔立ちの堕天使族が高空から急降下して行き、輸送艦からの対空防御を掻い潜ると手に持つ長大な槍を船体へと向ける。すると槍の穂先に魔法陣が出現し、陣の外周を取り囲むように数珠繋ぎに並んだ小型の魔法陣が時計回りに高速で回転し始め、次の瞬間、大人の拳ほどもある魔導光弾がまるで銃弾のように連続で撃ち出されていく。



「よせっ! 止めろ!!」



 思わず叫んだが、時すでに遅しとばかりに収容された将兵らを満載した輸送艦が艦橋を含めた船体上部が蜂の巣のように穴だらけとなって破壊され、甲板にいた兵は血塗れになって亡くなっており、魔力光弾から逃げる為に海に飛び込んだ者達の内、水泳の訓練を受けた海軍兵士以外の兵らは溺れて、そのまま海底へと沈んで逝った。


 かと思うと、今度は堕天使族が空域から離脱するのと入れ替わりに上空から地上を睥睨していた龍族部隊が姿を現し、その巨体を見せつけるように輸送艦群の上空を旋回し、思い出したかのように急降下を開始して襲い掛かって来たのだ。


 攻撃目標である輸送艦それぞれの振り分けが終了して黒や赤、青といった体色を持つ巨大な龍達が口を開け、それぞれの顔前に魔法陣が展開されたかと思うと次々に巨大な光弾が生まれ、高速で射出されたそれが輸送艦へと到達し、次の瞬間には海上に地獄絵図が出現した。


 黒い龍から撃ち出された光弾は輸送艦の船体を黒く変色させながらボロボロに腐食させ、赤龍の光弾は船体を火達磨にして鉄をも焼き尽くし、青い龍の光弾は輸送艦そのものを真っ白に凍りつかせる。


 魔王領国防軍が誇る航空戦力の中核を成す龍族航空部隊からの対艦攻撃により、輸送艦の半数以上が出港後間も無く撃沈されるという悲劇に見舞われていた。


 運良く沖まで出て友軍戦闘艦隊と航空部隊の庇護下に飛び込めた輸送艦は敵堕天使族や龍族部隊からの攻撃から難を逃れていたが、それ以外の艦船は軍民の所属を問わず軒並み撃沈されている。


 特に出港間際だった輸送艦が港を見渡せる丘より撃ち下された高魔力の光線によって次々に沈められており、輸送艦群の半数が出港前に撃沈されたのは衝撃的な光景だった。

 が、悲劇はそれだけではない。


 未だに港の一角では友軍による組織的抵抗が唯一行われている防御陣地が一箇所だけあり、周囲を敵の大軍に囲まれ、味方の支援が期待出来ない状況下で彼等は掩体壕トーチカの中から延々と銃の引き金を引き続け、術式を起動させて敵に痛打を加えつつ、刻一刻と迫る破滅の時を待つだけの状態を双眼鏡で見ていた少女は自身が助けに行けぬことに歯噛みし、唇から血が出てしまう。



「くうぅぅっ! …………ああっ!?」



 恐らく魔法的な防御が整っていたのだろう。

 連合諸国軍の兵――――特に人間種だけで構成されている軍の部隊相手に頑健な抵抗を続け、魔導士による攻撃魔法を弾き返していた半地下化されていた防御陣地の前に悪魔が舞い降りる。


 友軍の防御陣地目掛けて殺到する敵兵の群れを掻き分けるようにして現れたのは、濃い灰色の制服を着用した女魔族。彼女は前に出ようとする己を止めようとした人間種の兵達の制止を構わずに進み、遂に最前列へと姿を現したのである。


 身なりからして将官――――それもこの戦闘を指揮しているであろう、連合諸国軍司令部前線指揮官の一人であると認めた防御陣地に籠る友軍将兵達は道連れとばかりに彼女に対して猛攻撃を加え始めたのだ。



「止めろ! そんなことよりも早く武装を捨てて投降するんだ!」



 双眼鏡で見ると比較的近くに思えるが、実際には自分達と激戦となっているアッピア港とは数キロの距離がある。自分の叫ぶ声が届くはずもなく、陣地内に残るありったけの砲弾薬と攻撃用術式を持って攻撃を行う防御陣地であったが、その攻撃は女魔族が展開する赤い魔法障壁によって何事も無かったように全て防がれてしまう。



「くそっ! 副官、あの陣地に連絡を取る手段はないのか!?」


「残念ながら、あの掩体壕防御陣地は皇国陸軍と海軍共同の管理下にある施設です。

 我々、武装親衛隊とは指揮系統が違うため、こちらの持つ伝送器での相互通話は出来ません。

 少佐殿が個人的に所有していた皇国軍の伝送器は先の戦闘時に敵の攻撃によって壊されています……」


「なっ…………!?」



 恐らく副官自身も自分と同じことを思ったのだろう。

 通信兵が持つ可搬式の長距離用伝送器で通話を試みたところ、指揮系統が違うため通話が出来ない状態だった。


 本土防衛を行う皇国軍と外国の制圧が主な任務である外征戦略軍は基本的に『軍務省』の管轄下にあるため、司令官こそ違うものの、大元の指揮系統は同じであるため、通信装置は同一の物を使用している。


 しかし、武装親衛隊は軍務省とは別の『親衛隊省』の管轄下にある軍事組織だ。親衛隊将兵の何割かは元皇国軍出身者で占められているが、指揮系統が違うことや相互干渉を防ぐことを理由に通信装置も皇国軍とは別の物を使用していた。


 彼女のように気の回る元皇国軍出身将校達はこういう事態を予め想定して、皇国軍用の通信装置を密かに手に入れて部隊の装備品として所有していたが、その通信装置はここまでに撤退する過程の戦闘で壊れている。



「くそっ!! 何とか連絡する手段は……ん?

 一体、何をする気だ?」



 防御陣地に向けて右手を翳した女魔族は術式を起動させて高魔力反応を示し始めた。

 てっきり上級魔族が持つ強大な魔力による力技で掩体壕を叩き潰すものと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 先程見た高魔力の光線や堕天使族が使用していた光弾など、物理的な攻撃魔法を用いらない代わりに防御陣地を取り囲むように巨大な魔法陣が出現したのだ。


 魔法陣によって赤く照らし出された防御陣地の掩体壕内部では立て籠もっている守備兵達からどよめきが漏れ、次第にそれは恐怖となって兵達に次々と伝播して行くが、それはこれから始まる地獄への序章に過ぎなかった。


 魔法陣は次第にその輝きを増し始め、術式を操っている女魔族が獰猛な笑みを見せたかと思った瞬間、真っ赤に輝いていた魔法陣が太陽のように周囲を明るく照らし始めたかと思うと、直後、掩体壕に変化が現れる。


 掩体壕の下部から上部に向かって急速に熱されて次第に赤くなり始めると共に、周囲には凄まじい陽炎が発生して遂には隙間から火を噴き出し始め、中から火達磨になった友軍兵士達が断末魔の叫び声を上げながら出口を求めて掩体壕の外へと這い出て来たのだ。



「何と惨いことを……!」



 遂に掩体壕全てが赤く熱されてしまった防御陣地はいとも容易く陥落してしまう。内部から火山のように炎を噴き上げつつ燃え盛る壕は、あまりの高温に耐えきれなくなったのか形成されていたコンクリートが鉄筋ごと燃えて溶け落ち、最終的にソレが元は何だったのか判らないほどになってしまう。


 後に残ったのは逃げきれずに中に残った将兵達の死体と共に崩れ落ちて判別不能になった『嘗て防御陣地だった物』と、外で炭のように炭化して黒い物体へと成り果てた友軍兵士達の焼死体に、それらを前にして勝利の勝鬨を上げる敵の姿であった。

 


「おのれぇーー!!」



 友軍に対する余りにも惨い仕打ちに、少女の感情が昂ぶって己の魔力を高めてしまう。できることならば、このままあの港に突撃して一人でも多くの敵を討ち取って華々しく散って逝きたいところだが、中隊規模の人数になってしまったとはいえ、今も部隊を預かる指揮官として無謀な突撃に部下達を参加させるわけにはいかない。


 それを思い出して昂ぶっていた感情を無理矢理落ち着かせ、高めていた魔力を急速に霧散させる少女かぶりを振って突撃を止める。


 勇敢と無謀は天と地ほどの差がある。

 その意味を知っているがために、部下達も突撃や援護を行おうという意見が口から出そうになる寸前のところで飲み込んでいるのだ。


 向こうには上級魔族を始めとした各種族から選抜された精鋭部隊が戦闘を行なっているのである。魔族だけではなく、人間種や長耳族、獣人などの部隊から構成された諸兵種連合部隊である多国籍軍団は自分達が突っ込んで行っても鎧袖一触で蹴散らされてしまうに違いない。


 しかも、上空はすでに敵の天馬空中騎兵や堕天使族、龍族兵達が制空権を抑えており、アッピア港に着く前に殲滅されてしまうだろうことは戦闘の素人でも分かることだ。



(仕方ないが、今は生き残ることこそが我々に課された任務だ。

 生き残って祖国の土を踏み、いつか必ずこの地に戻ってきて友軍将兵らの無念を晴らしてみせる!)



 今、副官が念写魔法で記録している内容は先程まで見ていた戦闘の一部始終が写っており、この記録を基に対策を立てて、今後のバレット大陸再攻略時に備えるのだ。


 だからこそ、彼女達はこのマニューリン半島から生きて帰らなければならない。

 しかし…………



「ぐわっ!?」


「ぎゃあぁーー!!」



 だが、その望みは一瞬で粉々に砕け散る。

 突如としてアッピア港の埠頭からこちらへと向けて発射された巨大な光弾は物凄い速度で一直線に飛翔して来て付近に着弾し、部下達を地面ごと耕すかの如く吹き飛ばしてしまい、彼女もまた副官に庇われながら元来た森の中へと吹き飛ばされて行く。


 攻撃を受けた原因は自分が思わず高魔力反応を表してしまったことは明白だった。

 防御陣地を陥落させたあの女魔族はこちらの高魔力反応を探知して、即座に長距離砲撃用術式で大型の高魔力光弾をあの距離から叩き込んできたのだ。



「な、何が……」



 「起きたのだ?」と言葉に出す前に木漏れ日に混じって大きな影が過ぎった。

 付近の上空から地上にいる敵兵を捜索していた魔王軍の堕天使部隊が、先程の爆発を目撃して降下して来たのである。



「に、逃げろ……っ!」



 爆風によって吹き飛ばされた少女は息も絶え絶えに部下達に逃げるように声を上げるが、その甲斐もむなしく爆発から生き残れた部下達は自分達のいる位置を敵に把握されてしまい、上空から急降下して来た堕天使族の対地攻撃で次々と狩られて行く。


 その光景を見た彼女は自分が行なった無謀な行動に責任を感じ、副官の制止も聞かずに森から飛び出して行こうとした。



「は、放せ! 私の責任なんだ! 私が助けなければ皆が死んでしまう!!」


「いけません、少佐!

 いくら少佐殿の魔力でも、上級魔族が率いている堕天使共が相手では犬死してしまいます!」


「だが私が! 私の魔力反応を敵に悟られなければ、部下達は……!!」


「今は悔やんでも仕方がありません!

 我々だけでも生き残ってこの記録を本国に…………」



 ありったけの力で上官の無謀な行動を止めていた副官の声が不意に途切れ、直後に生温かい何かが頭から降り注いで目が見えなくなってしまった。


 何かと思い、携帯している水筒に入っていた水で目を濯ぎ、震える手で顔に掛かったを手で拭うと、頭髪が付着した頭蓋の破片が目に入り、一瞬で何が起きたのかを彼女は悟る。


 部下達を狩っている堕天使族の放つ光弾が流れ弾となって副官の首から上を吹き飛ばしたのだ。



「ああ、何で? 何でこんなことに……っ!」



 最早立っているのはいつの間にか自分だけになっていた。

 このまま森の中に隠れていれば、もしかしたら上空に展開している堕天使族や龍族兵に見つからずに生き延びられるかもしれない。


 軍人でありながら、そんな淡い期待を思い浮かべてしまうほどに彼女の精神は追い詰められていた。今までも辛い任務を課されてきたが、部下を負傷させたことはあっても戦死させたことなど一度もなかったのである。


 その為なのか、『敗軍の撤退戦』という状況下において部下を失うかもしれないということに少なからず覚悟はしていたものの、まさか部隊員の全てを失うという異常事態に理解が追い付かず、彼女は半狂乱に陥りかけていた。


 だが、狂っていた方がどれほど良かっただろうか?

 死神は決して少女だけを放っておくことはしなかったのだ。

 


「あらあら? まだこんな所に敵が残っていたとはね」



 煉獄から遣わされた死神が赤金色の目を爛々と妖しく輝かせて森の中を歩いて来る。

 自分達が歩いて来た道を辿るようにこちらへと向かって来る女の姿をした死神は少女の姿を認めながら、未だ自分の刈るべき獲物が残っていたことを知り、楽しそうに言葉を紡ぐ。



「き、貴様は……!?」


「悪いのだけれど、敵である貴女には死んでもらうわ。

 投降するのであれば、捕虜としての待遇を保安本部付魔導中将として約束しましょう」


「何が約束だ! 私の部下達をこんな姿にしておいて、その言葉を信用すると思ったか!」


「信用してもらう他ないわね。 それとも?

 やっぱりここで部下達と同じように散るつもりかしら?」


「ふざけるなぁ!!」



 顎に手を当てて困ったように呟いている上級魔族を相手に精一杯の虚勢を張るが、部隊ごと全ての部下達を失った彼女には最早何も無い。出来ることと言えば、せめてこの女魔族の将官と刺し違えて、先に逝った部下達への手向けとすることしか思いつかなかった。



「死ねえぇぇぇーーーーっ!!!!」



 女魔族に右手を翳して狙いを定め、魔力切れによる死亡覚悟で体内に残る全ての魔力を振り絞り、貫通術式を用いて至近距離から攻撃を加える。変異種魔族である自分の瞬間的な最大魔力は並みの上級魔族を凌駕しており、上級魔族の将官とはいえ、この距離からの魔法攻撃であれば、只では済まない筈だ。

 だが…………



「なっ!?」


「その程度の魔力では、私を傷付けることは出来ないわよ?」


「あ…………え?」



 防御陣地の守備兵から受けた攻撃を防いだときと同じ赤い魔法障壁が展開し、少女がありったけの魔力を振り絞った攻撃がいとも簡単に防がれてしまう。そして魔力切れが起きた体――――腹部に熱を感じて何が起きたのかと思い目を向けると、自分の腹が真っ赤に染まっていたのだ。


 魔力切れによる悪寒と腹部から伝わってくる激痛で体から力が抜けていき、地面に膝を突いて己の腹を抱えるまで気付かなかったが、正面を見ると例の女魔族がいつの間にか拳銃嚢ホルスターから見たこともない形状の拳銃を抜いており、その銃口からは僅かに硝煙が漂っているのが目に入る。


 あの拳銃が少女の腹部に銃弾を撃ち込んだのは明白だった。

 その銃口が上へとゆっくりと動いて行き、自分の額へと照準を合わせ………………






 ◆

 ◆






「ひぃああああーーーー!!!! むぐぅ!?」


「しぃーーっ! 大丈夫ですか? 少佐殿」



 恐怖のあまり叫び声が出てしまったと思ったら、いきなり誰かに口を塞がれ、枕元に置いていた拳銃を取ろうと思い、右手を伸ばしたらそちらも抑えられて動けなくなってしまう。


 どういうことかと思い、目だけを動かして周囲の状況を確認すると、堕天使族の光弾で頭を吹き飛ばされた筈の副官の顔が見え、先程までの惨劇が夢であったことを少女は悟り、口を塞がれたまま彼に大丈夫だと合図を顔をゆっくりと縦に二度振って答える。



「むぅ? んん」


「ふう……! うなされていましたよ?

 すいません。 いきなり大きな声を出したので、口を押さえさせていただきました」



 副官の判断は的確だったと言えるだろう。

 列車内、それも深夜の一等客車内は完全に寝静まっており、あのまま恐怖に身を任せて叫び声を上げっぱなしだった場合、異変を察知した鉄道公安官が自分達のいる客室へとやって来たかもしれない。


 念のため懐中時計を取り出して時間を確認すると、時計の針は深夜二時十六分を指している。

 確かにこんな時間ではいくら相手が上官とはいえ、彼が私の口を思わず塞いでしまうのも致し方のないことなのかもしれないと、未だぼんやりする頭で少女は思った。



「いや、こちらこそすまない。

 …………私はそんなに魘されていたのか?」


「はい。

 最初は静かに眠られていましたが、途中から酷く魘されていて……見ているこちらが辛いほどでした」



 座席を倒すことで寝台へと早変わりした場所の傍に置かれた折り畳み式の机まで歩いて行った副官は、水筒を手に取って戻って来る。


 水筒をこちらへと差し出す彼の顔は若干憔悴し、自分と違ってあの悪夢を見ていないにも関わらず、辛そうな表情を浮かべて話す姿は少女の方が気の毒に思えて頷くことしかできない。



「そうか……」


(夢……だったのか?)



 自分の下腹部を摩るが、もちろんそこには銃弾の痕は残っておらず、血も出てはいない。


 だが、あの激痛は確かに本物だったし、目の前にいる副官の血を頭から浴びた感覚も夢とは思えないほどに現実感があった。


 だが、何よりも重要なのはアッピア港と埠頭が『連合諸国軍』なる多国籍軍に制圧されていたことと、あの女魔族の将官が港の制圧戦において重要な役割――――出港前の輸送艦撃沈と皇国軍の港湾施設防御陣地の陥落に関わっていたことである。



(くっ! 絶対に排除してやるからなっ!!)



 『あの女魔族は今の内に潰しておかないと、皇国の将来において確実に大きな障害となって立ちはだかることだろう』という確信めいた予感が少女の中に芽生え、祖国と部下を含む友軍将兵達の為にも今作戦の中で必ずや排除してみせると、彼女は部下に悟られることなく内心強く意気込むのだった。






 そして、その様子をこの世の何処かではない場所から静かに眺めていたは、少女には決して聞こえない声でこう言ったのである。



『期待しているぞ? エルザ・ディレット親衛隊少佐』


 

 文字通りの悪夢を見せられた少女が自分の用意した脚本シナリオ通りに、あの女魔族を亡き者にしようと意気込んでいる姿を見て、は暗い笑みを浮かべ、誰に知られることもなく密かに彼女を見守るのだった。

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