第6話 死に損ないと神庭裁判


 二十分の休廷を経て、法廷はなんとか落ち着きを取り戻していた。


 未だ、さざ波のように残る傍聴人の動揺を断ち切るように、裁判長が一つ木槌を叩く。


「では、これより判決を再開する。今一度確認するが、異議のある者は?」


 弁護側はもちろん、検察側からも声は上がらない。オバサンの方は相変わらずの鉄面皮だが、蝶子はお通夜のように黙りこくっている。


 裁判長もまた厳しい表情で検察側を見ていた。


「天界管理局の逐次データと天界データベースに差異が認められた件に関しては、これからの調査で詳細が明らかになるだろう」


 次に、その視線は弁護席にいる和奏へと向けられる。


「望月判事補に関しては、降格のうえ業務停止の処分を下す。以後、一定期間の特別研修を受けるように」

「——はい」


 凜とした返事が法廷に響く。休廷中、裁判長に呼び出された和奏は控え室にいなかった。きっと処分についてはあらかじめ話があったんだろう。


 俺が隣に目を向けると、和奏は清々しい笑顔を返してきた。


「では、判決に移る。被告第〇二五番・柊木奈津雄は前へ」


 今度こそ、俺は法廷の中央に立つ。


 高い天井から降り注ぐ光を受け、胸を張り、真っ直ぐ法壇を見上げる。


 裁判長は鷹揚に頷いた。


「——被告人は無罪。また、その『死』は天使による作為的な殺人であったため、被告人の『死』自体を天界が責任を持って撤回することとする」


 瞬間、法廷全体から歓声が響いた。


 驚いて周囲を見渡す。傍聴人のほとんどが立ち上がって、俺に拍手喝采を浴びせていた。


 最後、ゆっくり弁護席を振り返る。和奏は目尻を拭いながら、鞠ちゃんは満面の笑みで、俺を祝福してくれている。


 僅かに残っていた肩の力が完全に抜ける。俺はほっとして口元を緩めた。


「——た・だ・し」


 突然、リズミカルな木槌の音と共に、裁判長が続けた。


「裁判中に色々問題行動があったのは事実であり、その責任は取ってもらわなければならない。よって特別に被告を——『天界弁護人』の任に命ずる!」


 法廷中がぽかんと口を開けた。


 どうやら誰も見たことも聞いたこともない言葉らしい。物問いたげな法廷の総意を汲み、俺は掠れた声で尋ねた。


「……は? なんて?」

「だから、まぁ、急に弁護人交代したり、偽証まがいのことをしたワケじゃん? こっちとしてもタダで生き返らせるのは惜しい——げふん、いや、面目が立たないというかさ? 現にうちの望月も処分したわけだし、連帯責任っていうことでさ?」

「はあ?」

「あっ、ちなみに『天界弁護人』ってのはさっき思いついたんだけど、要は半分人間半分天使みたいな感じでさ、これからは下界と天界を行き来してもらって、裁判に十回勝訴すれば晴れて完全に生き返ることができる……みたいなのどう?」

「はああああああ?」

「うん、そうしよう! じゃあ、天界弁護人。以後励まれたし」


 このにーちゃん……信じられないことに、本気だ!


「ちょ、ちょちょっと、待っ——」

「では、これにて閉廷!」


 詰め寄る俺をよそに、無情の木槌が振り下ろされる。


 かくして——


 死者の魂を裁く、神の庭での裁判は——混乱の内にその幕を下ろしたのだった。





「な、ななな、なんなんだよ、アレは!」


 控え室に戻った俺は早速地団駄を踏んだ。そりゃーもう大層な大理石の床を踏み抜く勢いで。


 言うに事欠いて、天界弁護人だと? まさかまた俺にあの地獄みてーな法廷に立てってか!?


「冗談じゃねーぞ!」

「でも、またなっちゃんとお会いできるってことですよね。こんじょーのお別れじゃないってことですよねっ」


 無邪気に腕を取ってくる鞠ちゃんに、俺はうっと言葉を詰まらせた。


「なっちゃんは……嬉しくないんですか?」


 うるうると大きな目を潤ませられると、途端に何にも言えなくなる。


「い、いや、そんなことは、ないけど」

「ですよねですよね!」


 くそう、ころっと笑顔になりやがって……。


 と、控え室の入り口ががちゃりと音を立てた。和奏が戻ってきたのかと思いきや、


「——よっ、弁護士センセ!」


 扉から滑り込んだ黒い影はあっという間に俺の首を腕で捉えた。


「ぐえ、くるし」

「なかなかやるじゃねえか。見直したぜ、もじゃもじゃ頭」


 上機嫌に首を締め付けてくる柴乎の腕をなんとか振りほどき、俺は乾いた笑みを返した。


「はは、そっちこそ。最後はあんたがいなきゃ、マジでヤバかったよ」

「ま、あんなのは朝飯前よ」


 柴乎は得意気に鼻を鳴らした後、思い出したように続けた。


「しっかし『天界弁護人』ねえ。お前が弁護士やるってんなら、また会うこともあるかもな」

「でも天使が証人ってことは、敵なんじゃ……」

「おう、次は負けねーぞ」


 頼むから、勝たせてくれよ……


「——奈津雄さん」


 涼やかな声に、慌てて振り返る。


 ちょうど和奏が法廷から戻ってきたところだった。裁判長と連れ立って控え室に入ってくる。処遇についてまた何か話があったのだろうか、それにしてはやはりなんの陰りもない様子で、俺に笑いかけた。


「この度は無罪判決おめでとうございます。本当に良かったです」

「あ、あぁ、ありがとう。でも……なんか迷惑かけちまったよな、俺」

「とんでもないです。全て私の意思でしたことですから」

「……そっか」


 和奏があまりにも晴れやかに言い切るので、俺もしけた面は引っ込めた。


「その、あとですね。研修として……私、奈津雄さんの補佐役を命じられました」

「補佐役?」

「はい。ただこちらでの仕事もあるので、下界にいる時は鞠についてもらって、私は主に天界での補佐を務めることとなります」


 目を丸くする俺に、和奏ははにかむように微笑んだ。


「法廷に立つ際はまたお役に立ちたいと思っていますので、鞠共々、よろしくお願いしますね」

「しますね!」


 にこにこと嬉しそうな二人を見ていると、理不尽だと憤る気持ちも絆されてしまう。


 やれっつーんなら、しゃーない。


 生きてるだけでもうけもん。そうやって、今までもやってきたんだから。


「うん。こっちこそよろしくな」


 手を差し出すと、和奏は何故かわたわたと慌てた後、俺の指先をちょこんとつまんだ。……これ握手っていうのか? ささやかすぎねーか?


「あ、あのう、奈津雄さん。突然なんですけど、実は私、昔からのあだ名がありまして。僭越ながらそちらで呼んでいただけると嬉しいと申しますか……」

「へえ、なんつーの?」

「その……『わーちゃん』と」


 唐突といえば唐突なその申し出だったが、俺はとりあえず言うとおりにしてみた。


「わーちゃん」


 和奏はぴゃっと肩を竦めた。……それからしばらくそうしていたが、やがて首を傾げて、怪訝そうに尋ねる。


「……ええと、何か、その。思い出したりしませんか?」

「え? いや、よく分かんない……」

「たとえば、む、昔、似たような名前のご友人がいらっしゃったりとかなんとか」

「うーん、渡辺くんとかはいたかな。あとは『まーちゃん』っていう幼なじみがいたけど」


 考え巡らせるように顎に手を当てていると、和奏はつと唇を尖らせた。


「……もう。ま、じゃないのに。何度言っても直してくれなかったから……」

「え?」

「うう……なんでもないです。やはり和奏とお呼びください」


 しゅんと肩を落とす和奏に、俺は首を捻りつつも、内心笑いを噛み殺すのに精一杯だった。


 ……そうやって必死に訂正するのを、よくからかってたっけな。確か、最初の聞き間違いが定着しちまったんだったか。


 ちょっと気の毒にも思うけど……不幸中の幸いか、別にこれが最後ってわけじゃない。


 懐かしい話はまたいつかできるんだから、な。


「さぁさぁ、弁護人。こんなところでぐずぐずしてちゃいかんぞ。ちゃんと生き返れなくなるぜ?」

「うえっ、裁判長——」

「ほら、帰った帰った。天宮くん、悪いけど後頼むぞ」

「しゃーねーな、送ってやるか。ちっとトロいスクーターだけど、いいよな?」

「あ、ちょ、ちょっと」


 柴乎に背中をぐいぐい押されつつ、俺はなんとか肩越しに振り返る。


 名残惜しそうにしながらも、和奏と鞠ちゃんが手を振ってくれている。


「なっちゃん、またね!」

「ええ。きっとまた」


 控え室を出る前にした返事は、はたして間に合ったのかどうか。


 それでも俺は言わずにはいられなかった。


「——ああ、またな!」




 ◇ ◆ ◇




 瞼の裏に透ける赤い光、その眩しさに顔をしかめる。


 うっすら目を開くと、一面真っ白い世界に俺はいた。


 どうやら横たわっているらしく、背中がふわふわとして心地いい。あれ、俺、まだあの雲の上にいるのかな……。そう訝しんだのも束の間、微かに鼻を掠めた消毒液の匂いが俺を現実に引き戻した。


 ぱちぱちと瞬きを繰り返す。白い天井と窓から差す朝日、清潔なシーツが広がるベッド、それから……


「ようやくお目覚めか。今日も大遅刻だな」


 聞き慣れた声に俺はかろうじて首を巡らせる。


 窓際の椅子に腰掛けていたのは、西崎だった。制服を着ているところから察するに、登校前に病院へ寄っているらしい。


「俺……どんぐらい寝てた?」

「丸三日だな」

「うわぁ、そんなにか」

「何が、うわぁだ。のんきなヤツめ」


 西崎は呆れ顔で肩を竦める。


「学校じゃ、お前が飛び降りたって大騒ぎだぞ。門脇先生なんか、後を追いかねないほど錯乱してたんだからな」

「……はは、やっぱそうなんのね。ちなみにお前もそう思ってんの?」


 西崎は学生鞄を手に取りつつ、即座に首を振った。


「馬鹿馬鹿しい、お前が自分から死ぬようなタマか。どうせ調子に乗って足でも滑らせたんだろ」


 さすが、悪友。俺のことをよく分かっていらっしゃる。


「そうだよな。そんなの、裁判するまでもないよな」

「なんだって?」

「いや、なんでもねー」


 西崎は俺の戯れ言を受け流すのに慣れている。眉一つ動かさず、淡々と現状を説明し始めた。


 ビルの屋上から落ちたが、幸い下に植え込みがあってほとんど無傷だったこと。入院時の検査に問題はなかったから、ほどなく退院できるだろうということ。あと今日から中間テストだが、多分受けられないから地獄の補習が待っているであろうこと。


「……くそー、マジかー」

「人生から落第しなかっただけマシだと思え」


 相変わらず歯切れ良く言ってくれる。……まぁ、実際は落第ギリギリのところまで逝ったところを、還ってきたわけだけど。


「じゃあ、俺は行くからな。誰かみたいに遅刻はゴメンだ」


 そう言い残し、西崎は大股で病室の扉に向かう。普段からこういうあけすけな物言いだが、今日は態度に少しトゲがあるように思えた。


「なぁ、西崎」

「なんだ」

「——お前、俺が死んだら悲しむか?」


 すると西崎は肩越しに振り返り、心底不愉快そうに眉をしかめた。


「くだらないことを聞くな、気持ち悪い」


 そして、病室のドアはやや乱暴に閉められた。


 俺はベッドに横たわったまま、堪えきれずにくつくつと笑う。


 ずっと一人だと思っていた。


 それで構わなかった。だって俺みたいなのが生きるには、この世はそこそこに厳しくて、だからこそ誰にも頼らず自分一人の力でどうにかやっていくと決めていたから。


 だというのに、やっと帰り着いた家はいつも静かで、狭いはずなのに広くて、どこまでも殺風景だった。


 でも、今日からは違う景色が見られるだろう。


 あの世にもこの世にも、俺には——頼りになる友人達がいるのだから。


 柄にもない思考に自分で少し恥ずかしくなり、俺は逃げるように窓の外へ視線を投げる。


 そよぐ秋風の向こうに、雲一つない青空が広がっていた。


「そういや、今日は晴れてんな」


 あの日の曇天とは、まるで正反対だ。


 まぁ、三日もあれば天気なんてすぐ変わる。




 ——そう。そんなもんだ。

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