第九話

「恵まれない外国の子供たちへ愛の募金を!! 協力よろしくお願いしまぁす!!」


「お願いしまぁす!!」


 高木くんと香奈ちゃんが、肩を並べて声を張り上げる。

 とてもよく通るいい声だった。その声に、はっとした感じで、休日出勤と思われるサラリーマンさんや、子供連れの夫婦などがつられてやって来ては、百円、五十円、五百円と、次々に募金を入れて行く。


 なかなか優秀な募金の回収率に、感心するように他の学校の生徒たちが、こちらを見ているのが分かった。

 しかし、優秀なのはこの二人だけ。


「ぼ、募金、おね、おねがいしまぁしゅ!!」


「……おねがいします」


 私と氷室くん。口下手な二人が並んだそこには、やって来る人は少ない。

 私はてんぱって呂律が回っていないし、氷室くんは、やる気がないのかそれとも素なのか、ぼそりと呟くばかりであった。


 一年生がこれだけ優秀だというのに、なんと頼りのない二年生なのだろうか。


 だが、それでも三年生に比べればまだマシな方。

 彼らはもう、募金の列からその姿さえなくなっていた。


 別に、ばっくれた訳ではない。

 浩一こうさんには、浩一こうさんなりの、募金に対するアイデアがあったのだ。

 ろくでもないけれど。


「おう、こら、今お前景品所から出て来たよなぁ? アトマイザー、持ってたよなぁ? 色はピンクだろ? なぁ、募金してけよ? 金持ってるんだろ、なぁ、おい? 恵まれない子供たちに、てめぇの幸福をおすそ分けしてやっても、罰あたらねえんじゃねえの?」


 二条駅から、少し離れた所にあるパチンコ屋さん。

 そこの駐車場の辺りで待ち構えて、ほくほくとした顔でやって来る人たちに狙いを定めると、浩一こうさんはダイレクトに募金を求めた。


 その埒外な雰囲気と合わせて、完全に募金というよりカツアゲである。


「なぁおい、ちょっと、逃げるこたぁねえだろ!! 自分だけいい目にありついて、それでいいと思ってんのかよ!! 世の中にはなぁ、どんなに頑張っても、報われねえような人生の裏道を歩いてる奴がいるんだぞ!! そういう奴らに施してやろうってのが、人情ってもんじゃねえのかよ!!」


 たいそうなことを言っているようだが、その強面の顔で、そして、ちょっと起こった口調で迫られれば、逃げてしまうのは仕方のない反応だろう。


 浩一こうさん。

 さっきからあんな調子で、誰一人として募金をしてもらっていない。

 大穴狙いもいいところである。


「なぁ、金置いてけよ!! なぁ、金持ってんだろ!! 大勝したんだろ!! なぁ、おい、金置いてけよ、金おいてけよ!! パチンコで勝ったあぶく金だろう!!」


「馬崎さーん!! お願いしまーす!!」


「だっ、馬鹿、馬崎!! なんで止めるんだよ!! あともうちょっとだろう!!」


 あともうちょっとで、恐喝で補導されるところだよ。

 もうちょっと周りをよく見てよ、浩一こうさん。

 お願いだから。


 私が呼びかけると、後ろで待機していた馬崎さんが、浩一こうさんを羽交い絞めにする。

 その隙に、ほくほく顔から一転して、顔面蒼白にしたパチンコ屋さんのお客さんは、急いで浩一こうさんの前から逃げて行った。


 ちくしょう、金おいてけ、と、浩一こうさんの叫び声が二条駅の空に木霊する。


「馬鹿かアイツは。人の善意に訴えかける催し事なのに、あんなことをして」


「……真っすぐなんだけど、時々、その真っすぐな方向を見失うよね、浩一こうさんって」


 ふと、そんな言葉を、私は氷室くんと交わしていた。

 まったくもう。ほんと、浩一さんてば、こういう時までブレないんだから。


 ――あれ?


「……今、もしかして、話しかけてくれた、氷室くん?」


「……話しかけたが? なんだ、何か迷惑だったか?」


 無視され続けているとばかり思っていたけれど。

 なんだ、私の気のせいだったのか。


 普通に、氷室くんが私に話しかけてくれたのに、ふと、妙に心が浮足だった。

 ついつい彼に視線を向けると、また、彼は横顔を私に向けてきた。


 ただ、その表情は、ここ数日の冷たいモノとはちがって、妙に熱っぽい。

 どうしたのだろうか。


 まぁそんなことはどうでもいい。


 よかった。

 てっきりと私は、彼に嫌われてしまったのかと思っていた。

 自分から話しかけてくれるなら、まだ、彼との関係も修復可能――のはずだ。


 すかさず、私は会話を続けることにした。

 とはいえ話せる内容なんてそう多くはない。


 必然、次に出て来る言葉は。


「……ごめんね」 


 謝罪の言葉になっていた。


 やはり、私はリーダーには向いていないらしい。

 こんな返答に窮するような言葉を選んで出すなんて、不器用にもほどがある。


 おまけに、何に対して謝っているのか、これじゃまったく分からない。


 あの夜、料理が苦手な彼を、無配慮に怒ったことなのか。

 それともその次の日、彼のことをじろじろと見てしまったことなのか。

 あまつさえ、昼食の様子を覗き見たことなのか。


 いや、全部が全部、申し訳ないと思ってはいることなのだけれど。

 だからこそ、思わず謝ってしまったのだけれど。


 あぁ、本当に、私の馬鹿。


「……僕も、大人気なかった」


 しかし、そんな私の後悔とは裏腹に、氷室くんは落ち着いた声色で返事をした。

 そしてその内容は、私を許すもの――らしかった。


 あぁ、もう、と、彼は続ける。


浩一あのバカと高木は凄いよな。どっちも、影縛術の使い手として、とてつもない才能を持ってる。僕みたいに、影縛術の使い手として尖った才能がなくて、ただひたすらに先人の技を磨きに磨いてここまで来た人間には、正直言って眩しく見える」


「……そんなことないよ。氷室くんも、十分凄いと、私は思ってるよ」


「……嫉妬してたんだ。あいつ等に」


「嫉妬?」


 その才能にだろうか。

 そっか、真面目だものね、氷室くんてば。


 才能に溢れている二人を前に、そういう感情を抱いてしまうのは分からないでもない。

 それに、そういう話なら私だってよく分かる。


 なんて言ったって、瀬奈姉みたいな天才たちを、間近で見てきた人間だから――。


 少し氷室くんに対して同情的になっていた。

 そんな私の気持ちなど知らないのか、氷室くんは淡々と話を続ける。


「馬崎さんは影縛術の使い手としては一等劣るが、戦闘能力についてはピカ一だ。おまけに、料理もできるし、後輩たちから慕われてもいる」


「うん、それは間違いない」


「僕だけだ。僕だけ、何も魅力がない。それに気づいて、つい、あんな馴れないことをしてしまった」


 あんなこと、とは。

 なんのことだろう。


 心当たりはまったくない。

 何か氷室くんがしたことなどあっただろうか。

 いやまぁ、夜食にごはんをつくったりしていたけれど。あれはそもそも、自分がお腹が空いていたからしたことだよね。


 私が考え込んでいる間に、さりげなくその鼻先を変えたのだろう、いつの間にか、氷室くんが私の顔を見ていた。

 きょとんと、それを見つめ返すと、彼はいきなり溜息を吐き出す。


「これだけ言っても分からないのか?」


「……え?」


「いいさ、別に。なんでもないんだ」


 残念そうに、また、私から視線を逸らそうとする氷室くん。

 待ってよ、と、そんな彼の横っ面に、私は言葉を浴びせかけた。


 そんな風に、自分を卑下するようなことなんて、一つだってない。

 氷室くんは、今のままでも、十分に魅力的な人間だよ。


 いつものシニカルな氷室くんの表情からは程遠い――きょとんとした表情が、気が付けば私の顔を覗き込んできた。

 そんな顔に向かって、私は、その、氷室くんへと抱いていた思いを、言葉にしてみる。

 これもまた、若き『天眼の衛士』を率いる者として、必要なことだと感じるから。


「さっきも言ったよね、私、氷室くんのこと、十分凄いって思ってるって」


「……天崎?」


「私と同い年なのに、流派は違うけど、影縛術の名跡を襲名している。そんな氷室くんのことを、私、とても尊敬してたんだよ?」


「……そうなのか?」


「そうだよ!! すごいじゃない!! 名跡持ちなんて!! 私なんて、天崎の家に生まれたってだけで、特にそういうの持ってないし――って、私と比べてどうこうって訳じゃないんだけれど!!」


 どう、言えばいいんだろう。

 ダメだ。彼に対して思っていることを、きっちりと言語化しようと思ったのに、いざそれをしようとすると、少しも言葉が口を吐いて来ない。


 次の言葉が見つからなくて、目が回りそうになる。

 そんな私の前で――。


「……ふふっ」


 急に、氷室くんが笑ってみせた。

 それはもしかすると、彼が御陵坂学園に来て――かれこれ一年一緒に行動するようになって――初めてみる、心の底からの笑顔だったのかもしれない。


 その彼が使う水の影縛術のように、澄んだ笑顔で彼は笑う。

 笑って、もう分かったよ、とでも言いたい感じに、私の前で頷いた。


 そして――。


「だったら、もっと僕を頼れよ。天崎」


「……え?」


浩一あのバカみたいに派手さはない、高木みたいに才能はない、馬崎さんみたいに甲斐性はないけど、それでも、僕にはたゆまぬ修練で培った水系の影縛術この技がある」


 その力をもっと頼ってくれていいんだ。

 そう、言ってまた、氷室くんは朝露のような瑞々しく眩しい笑顔を私に向けてきた。

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