第六話

 翌日。五月二日。


 朝から寮内は騒がしかった。

 その喧騒により、私は目覚まし時計のアラームが起床時刻を告げるより早く、目を覚ましたくらいである。それは他の寮生――文学部のメンバーについても同じようだった。


 理由は言うまでもない。


「なんで朝から部屋でラジオ体操なんてし出すんだ!! 相部屋の人間の迷惑も少しは考えろよ!!」


「六時に起きてラジオ体操することの何が悪いって言うんだ!! 当たり前だろうが、夏休みの小学生だってやってる!!」


「夏休みの小学生くらいしかやってない!!」


「というか、お前、寝るのが遅すぎるんだよ!! なんで日付またいでまで机で勉強してんだ!! 活動のない日以外は、早めに寝ろよな、成長期なんだからさぁ!!」


「僕たちは『天眼の衛士』の前に学生だろう!! 学生が勉強することの何が悪いと言うんだ!!」


「どうせ特待生枠で進学先なんて無難なところに入れるだろ!! 就職先だって、OBが斡旋してくれる!! なんでそんなにマジになる必要があるんだよ!?」


「それとこれとは話が別だろう!! 将来が約束されているからといって、勉強しなくていい理由にはならない!! まったく、これだから野蛮人は!!」


「あんだと!? こるぁ、やる気か、水月亭!!」


「やるか、駄目太郎亭だめたろうてい!!」


 浩一こうさんと氷室くんである。

 ラジオ体操の音量がどうこうと激しく罵りあっているが、正直、そのラジオ体操の音源が聞こえないくらいの舌戦を繰り広げている。


 まぁ、二人が同じ部屋になった時点で、ある程度想像できたことだ。

 というか、よく今日の朝まで持ってくれたものだと思う。


 繰り広げられる二人の口論に、すぐに香奈ちゃんが、もう、あの二人は、と、憤りの声をあげた。すぐに彼女は、二段ベッドの下から飛び出すと、その勢いのまま部屋の外に飛び出していった。

 遅れて、私も枕もとの眼鏡をかけて外に出る。

 すると、ちょうど前の部屋から出てきた、ジャージ姿の高木くんと鉢合わせた。


「あぁ。先輩。おはようございます」


「おはよう高木くん。大変だね」


「ですね。夜型と朝型の人間が一緒になっちゃった悲劇っていうか。そもそも、あの二人が一緒になった時点で悲劇なんすけどね」


 そう思うのなら、どっちか一人を君が引き取ってくれればよかったのに。

 いやけれど、それはそれで、今度は違う諍いが起こっていたかもしれない。


 とにかく、この穏やかではない朝を放っておくことはできない。

 私と高木君は頷きあうと、すぐに浩一こうさんと氷室くんの寮室の前へと向かった。


 その間も、二人の口論は続く。


「あんだよ、昨日の夜はなんだかしおらしかったから、なんかあったのかなと心配してやったらこれかよ!! まったく、心配し甲斐のない後輩だぜ!!」


「……悪かったなぁ!! だいたい、お前に心配してもらう筋合いなんてない!!」


「あぁん!? 先輩の厚意をなんだと思ってんだ!! この敦賀の山猿が!!」


「京都の狒々ひひ――いや、マントヒヒが吠えるな!!」


「はーい!! 二人とも、そこまでたよー!! 朝から煩い!! 他の寮生の迷惑も考えてよ、火男かなん師匠も、氷柱つらら師匠も!!」


 香奈ちゃんが、二人の間に入ったらしい。

 それきり、煩く朝の寮内に響き渡っていた叫び声は、ぴたりと止んで聞こえなくなった。


 彼女に遅れて、私たちも彼らの寮室へと入る。

 二段ベッドを前にして――パジャマ姿の氷室くんと、ランニングウェア姿の浩一こうさんが、ばちばちと火花を散らしていた。


 あぁ、朝から胃が痛い光景だ。

 と、思った矢先に、浩一こうさんが、私の姿を見かけて瞳を煌かせた。


「聞いてくださいよお嬢!! こいつが、朝からラジオ体操するなんて、非常識だって言うんですよ!! おかしいですよね!!」


「いや、うん、ラジオ体操事態は悪くないと思うけれど……」


「ほら!! 氷室、お嬢もそう言ってるじゃないか!!」


「馬鹿が。僕は、ラジオ体操をすることに怒ってるんじゃない。寝ている人がいるのに、その隣で大音量でラジオ体操をし出す、非常識さを非難しているんだ」


 実際、氷室くんの言っている通りだと思う。

 寝ている人間が隣にいるというのに、大音量でラジオ体操を始めるなんて、非常識極まりないとしかいいようがない。

 浩一こうさん、そういう周りのことを考えない所があるからなぁ。

 まぁ、長いこと一緒に居る、私や香奈ちゃんなんかは、そういうのもう、慣れっこになってしまっているところがあるけれど。


 しかし――。

 そうだろう、と、いつもだったら、私に氷室くんが同意を求めてくる所だった。


 けれど、どうして今日は、彼は何も言わずに、ふんと私たちに背中を向けた。

 まるで他の文学部メンバーに対して、拒絶するような素振りで。


「あんだぁ、氷室、その態度は!! お前、ほんとそういうクソ生意気なところどうにかしたらどうなんだよ!! その調子で社会人やっていけるのか!!」


「お前に関係のあることか、駄目太郎亭だめたろうてい


「その言い草もやめろやコルァ!! それだと一門全体が駄目人間の集まりみたいになるだろうが!! つーか、気比学園からの助っ人だからって、図に乗りすぎなんだよ、ちったぁ身をわきまえろってんだ!!」


「だったら自前で水系の影縛術師を用意したらどうなんだ――」


 これはもう、収拾がつかなくなる。

 そう思ったその時だ。


 ふと、肉の焼けるいい匂いが、廊下の奥から漂ってきた。

 それと同時に、ぐぅ、と、寮室に集まったメンバーの胃が一斉に鳴り響いた。


 あらためて、この部屋の中に、こういう時頼りになる調整役の姿がないことに、私は気がついた。そして、同時に、こんな事態になることを予想していたのだろうかと、そのあまりに気の回る行動に、声を失った。


 同室の高木くんに、その気遣いの達人の同行について尋ねる。


「高木くん、今更だけれど、馬崎さんはどうしたの?」


「え? あぁ――なんか起きたら、もう部屋に姿がなくって。先輩たちを一足先に止めに行ってくれたのかと思ったんですけれど」


 と、言った彼の背後に、ぬっと、緑のパーカー姿に、黄色いエプロンをつけた、白髪の大男が現れる。

 今日も今日とて、その強面を一切変えない彼は、右手に、茶色いウィンナーがたっぷりと入ったフライパンを持っていた。


「……朝食ができている。冷める前に食べよう」


 その提案を断る人間は、文化部メンバーの中には居なかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 ウィンナー三本に、目玉焼きが一個、レタスの上に盛りつけられた卵サラダ。トーストは斜めに切られており、ちょうど切れ目の真ん中に四角のバターが溶けていた。

 アツアツの、これまた手作りだろうコーンスープが添えられている。


 高級ホテルの朝食と言われても十分通じる気がする。

 いったいこんな調理スキルを、どこで手に入れてきたのだろう。

 元ボクシングジュニアチャンピオンにして、寡黙な馬崎さんの料理の腕前は、今更だけれども驚かされるものがあった。


 とまぁ、そんな感じに、いい塩梅の朝食を前にして、私たちは手を合わせる。

 ご飯が冷めると聞かされれば、流石にその手を止めざるを得ないし、口論するよりも違うことに口を使わなくてはならない。


 浩一こうさんと氷室くんは、いったん矛を収めると、食堂のテーブルへと着いた。

 相変わらず、氷室くんは、こちらに視線を向けようとはしなかったけれど。


 もしかして、昨日の出来事を引きずっているのだろうか。


「いやしかし、馬崎、お前ほんと料理するの上手いよな」


「……そんなことはない、普通だ」


「いやいや、普通ってレベルじゃないですよ、馬崎先輩!! 金取れますって!!」


「そうですよ英二ちゃん先輩!! これ、掛け値なしにご飯でお嫁さんが貰えるレベルの腕前ですよ!! というか、英二ちゃん先輩なら、私、お嫁さんになってもいいかもです!! 心はお姉さまのものだけれど!!」


「……遠慮しておく」


「ガーン振られた!! ショック!! 慰めて、お姉さまぁ!!」


 なんでもないやり取りだというのに、私に抱き着いてさめざめと泣く香奈ちゃん。

 そんなやり取りに苦笑いをしながらも、私の意識は氷室くんの、なんだかそっけない態度の方にばかり気が行ってしまっていた。


 皆は気がついていないみたいだけれど。

 氷室くんは、何か腹に一物抱えているみたいだ。


 そしてそれは、浩一こうさんとのやり取りが原因という訳でも、どうやらなさそうに感じた。

 おそらく、昨晩の私とのやり取りが原因だろう。


 香奈ちゃんを引きはがして、私は、うぅん、と、考え込んだ。


 これから、大事な任務だというのに、メンバーの足並みが揃わないのは正直困る。

 なんとかして、氷室くんとの仲を修復することはできないだろうか。


「……ごちそうさま」


 そう言って、皿の上に、ナイフとフォークを載せて、キッチンの方へと向かう氷室くん。

 つい、そんな彼の姿を、私は目で追ってしまうのだった。


 そんなことをすれば、彼もまた、天眼の衛士だ。


「なんだ、天崎」


「え?」


「何か言いたいことがあるのなら、はっきりと言ったらどうなんだ。さっきから、人のことをじろじろと見て」


 私の視線に気が付いて、咎めるような言葉を発する氷室くん。

 しかし、その足は昨日と違って止まらない。

 そのまま、答えなんて求めていないという感じに、キッチンに入ってシンクに食器を下すと、彼はすぐさま、食堂から出て行ったのだった。


 あぁ。

 またやってしまった。

 また、言葉が足りていなかった。


 いったい、彼は、何に怒っているのだろう。

 昨日のやりとりの何を、気にしているのだろう。


 ふと、その時、ひとつの可能性が頭の中を過った。

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