ジャングル・レーヌ 11

 私は走っていました。

 そしてつくづく、私が人間じゃなくて良かったと思っていました。

 人間じゃないから息切れしません。

 人間じゃないから酸素がなくても活動できます。


 人間じゃないので、この火の海を駆けることだってできるのです。


「エナさん……!」

 また詰めが甘いとエナさんに笑われてしまう状況でした。

 私は生死不明となったエナさんからアンスリウムを引き離すため、また大量の水を確保するために、エナさんの元から離れました。

 しかし失念していました。エナさんが戦闘で撒き散らした炎をです。

 その残り火は消えることなく、まさに不滅の火であるかのように、雨すらも焼いて森に燻ぶっていたのです。やがて炎は、勢いを増して再び燃え上がりました。

「この熱じゃ霧は使えない、水も遠い……エナさん……!」

 記録を辿って、エナさんの元へ急ぎます。炎のせいで木々の配置が変わっていて、エナさんに近づいているのか、いまいち確証が持てませんでした。しかし一方で、進めば進むほど勢いを増す炎が、エナさんはこちらにいると主張していました。

 と、その時です。

「! エナさんッ!!!」

 炎の波間に沈みかけている、エナさんの姿を捉えました。

 自力で多少は動けたのか、今にも燃え上がりそうな木の幹に寄りかかっています。

「エナさん! しっかりしてください! エナさん!」

 巨大な炎の壁が、エナさんと私を隔てます。

「エナさんってば!」

 エナさんの名前を何度呼んだか分からなくなったころ、エナさんに動きがありました。薄っすらとまぶたを開け、こちらに顔を向けたのです。

「! エナさん! よかった!」

 そして彼女は――優しく微笑んだのです。

「……へぇ」

 人の気も知らないで。

「どっちが来るかなって、思ってた……お前で良かった」

 それが安堵の微笑みだとでもいうのでしょうか。

「オレのことはいい。ようやく死に場所を得られたんだ」

「なに言ってんですか!」

 エナさんの周囲は完全に炎に囲まれています。ここまで来た時に通った、炎の切れ目や抜け道が一切ありません。彼女に近づくためには、燃え盛る炎の中を突っ切るほかありませんでした。

「姉妹がみんないなくなって、自分の名前も呪ったくらいだ」

「今助けますから! 熱ッ!?」

「バ、バカ! 来るな!」

 私が炎に足を踏み入れた瞬間、エナさんは血相を変えて怒鳴りました。

「早くアユタナに帰れ! お前も死ぬぞ!」

「エナさんは嘘が下手なんですよ!」

「……!」

「私を逃がそうったって、そうはいきませんから!」

 炎が熱いのは本当です。実際かなりの熱で怯みました。

 ですがもう大丈夫。慣れました。

「今行きますよ、エナさん」

「お前……よ、よせ! 来るな!」

 いかに炎に強いエナさんとはいえ、破損した状態で長く炎の中には留まれません。破損部分から内装が焼かれてしまいます。

「こんな骨董品置いてけ!」

「うるさい!!」

「!?」

「一つ教えて差し上げます!」

 頭巾をぎゅっとかぶりなおして、私は炎の大海に突っ込みました。

「やめろ! おい!」

「炎の赤ずきんというのは、後付けの称号なんです」

「……っ?」

 熱い……ですが、私の体はまだ耐えられます!

 焼け焦げた地面を蹴り、赤熱する枝を踏み折って前に進みます。纏わりつこうとする炎は振り払い、熱ははるか後方へ置き去りにする勢いでした。視界の限りが炎と火の粉、焦げた木々と焦げた地面で覆われます。

「このずきんを炎で焼きながらも、炎の中から戻ってくる我々を見て、人間の人たちが作った、後付けなんです」

「新入り……っ」

「我々は、炎の前に立ち尽くさない……どんな炎にも立ち向かい、どんな炎の中からでも立ち上がる!」

 もう少し……もう少しで、エナさんに届く。

「このずきんが、炎に包まれ燃え上がろうとも!」

 

 ダッ!


「……ばかやろう」

 炎の海を抜け、私はエナさんの元へたどり着きました。

 エナさんがいたのは木の幹の下は下でも、大きな岩の側に根を張った木の下だったようです。そのおかげで炎に包まれるまでの猶予を得られました。

 なんだ、やっぱり、エナさんも全然諦めてないじゃないですか。

 私はそっと、エナさんに手を差し出します。

「さあエナさん、帰りましょう。私たちのアユタナへ」

 エナさんの瞳に光が揺れます。たぶん、私がかぶっている頭巾が炎上しているからでしょう。炎の揺らぎに合わせて、光がちらつきます。

「……おまえもよっぽどヤバいやつだ、まったく。うはは」

「エナさんには言われたくありませんよ」

「あとで覚えとけ」

 エナさんの伸ばした手を、私は喰い気味につかみ取りました。貯水していた水で頭巾の炎を消してから、エナさんを背負って立ち上がります。

「【ヴェール】!」

 水の球体が私たちを包みます。これで帰りは大丈夫です。

「いや、始めからこれで来いよ」

「片道分しか無かったんですよ! 湖も遠いし!」

「戻ったら胸部タンク増量してもらえよ」

「余計なお世話です!!!! あとバランスが大事なんですよバランスが!!!! もうっ、行きますよ!」

「ヨロシクー」

 まったくホントにこの人は!

「あーでも、どうすんだよこれ」

 炎の中を歩き出した頃、エナさんが背中でこぼしました。

「うぅ……今は言わないでください」

「めっちゃ燃えてる。さすがオレの火。まあ3割くらいだろうけど。残りの7割はアンスリウムの赤道砲のせいだろうけど!」

「……エナさんはご自分の力を過小評価されていますね」

「えー? オレってそんな強かった? 照れるなー☆」

「ほとんどあなたのせいだって言ってんですよ!」

 相変わらず周りは火の海です。私たちの戦闘は、この森に大規模な森林火災を発生させてしまっていたのです。おそらくこの火災は衛星からも確認できるでしょう。

 この森には貴重な動植物がたくさんいます。この国が守り抜いてきた宝は、一つたりとも炎に飲まれるべきではありません。

(早く消し止めなくっちゃ……! でも、どうやって……!)

 延焼面積の推定はおよそ2キロ四方。私の能力でもカバーしきれません。湖から近いところならともかく、奥の方は……。

「あっ! 着きました! きゃあ!?」

「ぎゃああああああ!!!」

 私たちは湖に到着しました。段差にひっかっかってエナさんを放り出しちゃいましたが、さっきのお返しということで。

「痛たた……」

「おい! いま受け身取れないんだぞ! ったく、次から気を付けろよな!」

 などと地面に仰向けで寝ころんだまま叫ぶエナさん。全く迫力がありません。ていうかこんなの二度と御免です。

 私はのろのろでも立ち上がります。炎は待ってくれませんから。

「ううっ……それじゃ、ちょっと消火してきます」

「は? いやいや! 無理だろこの規模は! 少なくとも一人じゃ!」

「で、でもっ、黙って見てるだけなんてもっと無理です!」

 と、そのときでした。


『ここからあとは任しとき!』


「え!?」

「……この声は!」

 背後。

 風が吹いていました。

 とても強い風です。湖面を荒く波立たせ、炎すらも吹き消してしまいそうな風でした。湖の上でホバリングする、輸送ヘリのローターによるものでした。

 ヘリのハッチが開きます。見覚えのある、イエローのフードがのぞきました。

 あ……あれは……!

「首都消防局メトロ消防隊【イエローフード】! 参上や!」

「チャオさん!!」

「チャオ! なんでここに!?」

 私たちの反応を見て満足したのか、チャオさんはニッと笑いました。コックピットの方に合図を送ると、ヘリは岸によって高度を下げました。そしてヘリが地面に降り切る前に、チャオさんはこちらに飛び降りてきたのです。

「チャオさん! 来てくれたんですね!」

霹靂姫ライカから要請があったんや。炎の赤ずきんもいるっていうから、速攻で駆け付けたったで。いやぁ、無事でよかった!」

「はわぁ!?」

 と、チャオさんは私にぎゅっと抱き着きました。

「あーやっぱりライカは頼りになるぜ。どっかの水鉄砲野郎とは違って。どっかの水鉄砲野郎とは違って!」

「ずいぶんなやられようやなぁ、エナ。へへへ、木の枝でつついたろ。ほれほれー」

「おまっ、ちょ、やめ、やめー!」

 木の枝でエナさんの頬をツンツンするチャオさん。とても楽しそうです。

「それにしても、赤道砲で撃墜されるかもしれなかったのに、よく来てくださいましたね」

「赤道砲の射線が通らないダムの下で、輸送ヘリで待機してたんや。渓谷の谷間に合わせてグネグネ飛んでて、人間だったら3回くらい吐いてたと思うわ」

 その時、耳をつんざくジェットの音に顔を上げました。戦闘機のような挙動の飛行物体が、私たちの頭上を通過していきました。

 ですが、すぐに湖上でUターンして戻ってきます。それは巨大で、人に近い形をしていて、中央にはダイヤモンドスターさんの姿がありました。鉄の巨人の腕にはライカさんが抱えられていました。

 鉄の巨人は次第に速度を落とし、ホバリングへと移行。湖畔に着陸しました。

「ダイヤモンドスターの飛行ユニットだ……久しぶりに見たぜ」

 飛行ユニットは高さ4メートル程度。重量を支える太く短い足と、武器を持つためだけの腕(大型のガトリング砲を右腕に1門持っています)、背中には可変翼と推進器があり、あとは中央にレーダーと思われる頭部を模した部品と、コックピットがありました。全体的な印象としては「鉄骨の骨組み」でした。ダイヤモンドスターさんが搭乗して操縦しており、遠隔操作ではないようです。

 とん、と、ライカさんが地面に降ります。

「無事でよかったわ、エナ」

「これは無事とはいわねーって」

「それもそうね」

 ダイヤモンドスターさんも飛行ユニットから降りてきました。

「セラさん、おつかれさまでした」

「はい!」

「ダイヤモンドスター。エナの様子はどう?」

「自爆装置が赤道砲で撃ち抜かれています。貫通力が非常に高く、対象を瞬時に焼滅しょうめつさせる分、逆に周辺への破壊力が制限されてしまうという赤道砲の特徴が、幸いしたというべきでしょうか」

「あ、あの! エナさんは直りますか!?」

「はい――人格以外は」

「んだと!? 人格は直す必要ねーだろ」

「ふふっ。またこんなやり取りができて嬉しいわ。ダイヤモンドスター、エナを先に連れて帰って」

「承知しました。セラさん、すみませんが、エナさんをこちらへ」

 ダイヤモンドスターさんは飛行ユニットに飛び乗り、ユニットの腕を差し出します。私はエナさんを抱えて、その腕に差し出しました。

「よろしくお願いします」

「はい」

「悪いな、面倒かけて」

「良いんですよ。はやく直してもらってください」

 

 ……え?


「エ、エナさん? いま私のことせせらぎって……?」

「それでは行きます」

「おう」

「え!? あ! ちょ! ちょっとエナさん! いま、せせらぎって! 新入りじゃなくてせせらぎって! エナさん!? エナさああああああん!!」

 そんな私の叫びも虚しく、エナさんとダイヤモンドスターさんは、空の彼方に消えていきました。

「……ぬあー! 言い逃げされたー!!」

 周囲にライカさんたちがいるのも忘れて、私は地面にうなだれてしまいました。思い返すと、ライカさんやイエローフードの皆さんに笑われていたような気がします。

「さて! 出火元もいなくなったし、消火開始や!」

「セラさんはどうする?」

「あぁ……それじゃあ、手伝い、ます……」

 他にやることもありませんから。

「それじゃあみんな、配置に着きぃ!」

 チャオさんの号令で、イエローフードの方々が森の中に展開していきます。

 なるほど、森の中に点在して、水を中継して消火にあたる作戦のようです。

「ウチらは湖畔で一次揚水や。頼むで」

「はいぃ……」

「おー、さすがの出力やなぁ!――って、あああああちょい待ち! こっちの容量も考え……ひいいいい!? 洪水みたいになっとる!?」

 炎は消し止めるもの。

 そう思っていました。そしてそれは正しいのでしょう。

 でも……署長、どうやらそれには例外もあるようです。

 このアユタナで、わたしはそれを見つけました。

 見つけたのです。

 食いしん坊で、寝癖で、天然パーマで、だらしなくて、非常識な放火魔。

 だけど、熱くて、強くて、勇敢で、迅速で、優しくて、頼れて、経験に富み、人を奮い立たせることができる、そんな存在。


 消えることのない、不滅の火を。


 いつか、あんなふうになれるかな。

「……なれるといいな」

 私もいつか、エナさんみたいに。

 だれかの心に、火を灯せるように。

 消えない炎を胸に秘めて。



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