ジャングル・レーヌ 9


「エナさん!!」

 私はアンスリウムがいることも忘れ、エナさんの元へ駆け寄っていました。

「エナさん! しっかりしてください! エナさん!」

 体を抱き上げて揺らしても応答がありません。表情は眠っているかのように穏やかなのに、しかし腹部に目を向けてみれば、あまりに痛々しい破損が見て取れました。鉄は千切れ、配線は焼け、基板は黒焦げでした。

「……なぜだ?」

「エナさん! 起きてください! ねえってば!」

「なぜ不滅火キエナイは自爆しない?」

「冗談だったらやめてください、ねぇ、エナさん!!」

「なぜだ!」

 アンスリウムが私の胸倉をつかんで問い詰めます。私はその拍子にエナさんを落としてしまい、彼女は地面に再び崩れます。片手では支えきれなかったのです。

「なぜ不滅火は自爆しない!? 我々メトロは戦闘不能になったら自爆するはずだ! まさか、こいつはまだ戦えるとでもいうのか!」

 アンスリウムが何か言っていますが、何を言っているのかわかりません。聞こえてはいるのですが、意味がよくわからないのです。言葉ではなく、ただのバラバラな音にしか聞こえません。

「エナさん……」

「……もういい」

 アンスリウムが私を投げ捨てます。顔に土を付けたあと、無意識のうちに、私はエナさんの身体に這い寄っていました。エナさんの手を握ると、予想に反してかなりの熱を持っていました。人間が触っていたらやけどをしていたことでしょう。いえ、並みのメトロでも手が焼け付いていました。炎と熱に強い私の手でなければ、彼女の手は握ることができませんでした。

「厄介な霧だ。二度と会いたくない」

 鎌が伸びる音がします。首筋に冷たい何かが寄り添いました。応撃シリコンに少しだけ圧がかかります。頭巾越しに、鎌の刃がシリコンに食い込んでいるのです。彼女が力を込めれば、私の頭部はあっさり切断されるでしょう。

「……ひとつだけ」

「?」

「ひとつだけ、教えてください……」

 私がそういうと、鎌の圧力が少しだけ弱まりました。

「あなたが赤道砲を使えるのは……なぜですか……? 蜃鬼楼さんは、どうなったんですか……?」

「……」

 アンスリウムは少し戸惑ったようでした。思ってもみない問いかけだったのでしょう。あれだけ騒がしかった森が、嘘のように静まり返っています。

 しばしの沈黙のあと、アンスリウムは答えました。

「愚かなメトロだ、あいつは」

 吐き捨てるよう。

 しかし憎悪は感じられない、不思議なニュアンスでした。

「子供なんて、見捨てておけばよかったのに」

 それは何とでも取れる言葉でした。

 アンスリウムが子供を人質に取り、蜃鬼楼さんから光線投射装置を奪ったのかもしれません。あるいは、戦闘に巻き込まれた子供を救い出す交換条件として、蜃鬼楼さんが角を差し出したのかもしれませんでした。おそらくは、その全てを語る気はないのでしょう。どちらにせよ、アンスリウムにとっては、苦い記憶なのでしょうから。

「ああ……なんて、忌々しい、あのメトロ……」

 再びアンスリウムの腕に力がこもります。

「余計なことを思い出した。もういいだろう」

 首筋に重い殺気がのしかかります。その重みだけで体が押し潰されてしまいそうでした。

 そして彼女は宣告します。

「死ね」

 私は鮮烈に感じ取ることができました。アンスリウムが腕を振り上げ、空から落とすようにして、私の首筋に鎌を突き立てる気配を。

 だから。


 ガギンッ!


「なッ!?」

「……っっ!」

 鎌は静止していました。そしてアンスリウムは目を瞠り、その後すぐに苦々しく表情を歪めました。

 私は攻撃の刹那、仰向けになり、アンスリウムの鎌を、歯で喰らい付いて防いでいました――さきほど、エナさんがそうしたように。

「……ぷはッ。まだです!」

「!」

「貫け!!」

 森から水を呼びます。木々の葉の上や苔の上に蓄えられていた水滴が、瞬時に私の元へ集い、強烈に加圧されます。それは尋常ならざる超高圧へと至り、大岩すら穿つ水の槍へと姿を変えました。

「【ジャベリン】!!」

「ッ!」

 アンスリウムが体をひねって回避します。そして慌てて距離を取りました。

「【ディープフォグ】!」

 私の足元から森へ、白い霧が広がっていきます。先ほどアンスリウムを捉えた霧でした。私はが見つかるまで霧を広げると、そちらへ向かって走り出しました。エナさんの身体を置いていくのは心苦しいですが、今はその方が良いと信じます。

「あいつの真似事とは……所詮は不滅火の仲間ということか……なら、なおさら」

 レーダー機能を持つアンスリウムにとって、霧は戦闘の大きな障害にはならないでしょう。憶することなく、かつ精密に、こちらを追いかけてきました。

「逃がさない!」

 不安定な足場を何とか走りながら、同時に私は水をかき集めます。そして通り過ぎた木々を高圧水で切断してアンスリウムの進路を阻みつつ、目的地を目指します。

 あと少し。

 あと少し!

「! 着いた! きゃあ!?」


 ズサァアア!!


 急に足場が無くなり、私はそのまま下方へ転がり落ちました。下は砂地だったので、砂まみれになりましたが破損はしませんでした。

「い、痛たた……でも、そんなこと気にしてる、場合じゃない!」

 立ち上がり、顔を上げます。


 そこに広がっていたのは――湖。

  

 私が立っているのは、湖畔にできた波打ち際でした。霧で地形を把握できたので戻ってくることができました。


 ザッ!


「!」

 足音に私は振り返ります。相変わらず密林の女王ジャングル・レーヌモードで、その双眸に緑光を宿したアンスリウムがいました。

「開けた場所に出てくるとはいい度胸」

「……」

「この赤道砲で、すぐに貫く」

「……さきほど、おっしゃいましたよね」

「?」

 彼女が首をかしげます。

「もういいだろうって、おっしゃいましたよね?」

「それがどうした」

 私はなぜか笑みをこぼしました。どうしてかはわかりません。ただ一つだけ言えることは、私の感情が、異様に高ぶっているということでした。

「いえ、ただ」

「?」

「私も、同意見だと思いまして」


 何が良いだろうと、私は考えました。


 この、目の前いる敵をほうむるに十分な手段。

 火災斧マスターキーはすでにありません。

 私がアンスリウムに勝っていること?

 新しさ? いいえ、幼さの間違いでしょう。戦場では経験が戦力となるのです。

 ボディの性能? いいえ、運動性能は彼女の方が上です。

 優位性は一つしかありません。

 左腕に刻まれた水精の刻印、その容量と出力です。

 いまこの場所でなら、私の能力は最大限に活かすことができます。

「もういいんです。もう森で迷うこともありませんし、もうあなたの手の内も分かりました。あなたがなぜ、蜃鬼楼さんの攻撃を使用できるのかも確認できました。そして何より、もう、エナさんがいない」

 エナさんの戦いを思い出します。

 火の球、炎の鉈、炎の刃、炎の環、炎の鳥、それから――


 炎の虎。


 火虎ヒドラ


「もう、だれを巻き込むこともない!」

 目の前に佇むアンスリウム。あるいは密林の女王ジャングル・レーヌ、もしくは猛獣。それは豹か虎かという佇まいをしています。

 それに対抗できるもの。

 そう、いにしえより、虎と相対する者は決まっています。

 それは、同じ虎か、あるいは――。


 龍。


「【水龍ヒュドラ】!!」

 湖の底、その深くへ波動が響きます。左腕に刻まれた水精の刻印は眩く光を放ち、私の身体も淡く光を帯びていました。地響きが森を揺るがし、遠くで鳥たちが飛び立って空へ逃げていきます。私の背後に広がる湖は蠢き、漣のような水面の乱れはやがて大波に姿を変え、しかしそれは湖岸を襲うことなく、渦を巻いてと立ち上がっていきます。

「……待て」

 アンスリウムが私の背後を見上げてたじろぎます。

 アンスリウムは知りません。戦争が終わったあとのその世界を。

 メトロを圧倒するべく生み出された、メトロポリスという存在を!

「なんだ、この規模は……!?」


 霧の中、湖水はやがて、悠然とその巨体を起こしました。


 1つの身体に9つの頭部を持つ、異形の怪物ヒュドラとして。


「……」

 私はアンスリウムを左手で指示さししめします。それに合わせて、水龍の一匹が頭をもたげ、その体内をごぼごぼと泡立てます。

「【水龍槍ハイドラ・ジャベリン】」


 ごぼごぼ……

 ドッ!!!!!!


「!」

 【ジャベリン】と原理と形状は同じ。超高圧水流を放つ技です。

 しかし、その規模と水圧は桁違いでした。

「ぐ!?」

 アンスリウムはあの爆発的な瞬発力で、水龍槍の回避を試みます。しかしそれだけでは間に合わず、またも森に生える樹木にワイヤーを投げて空中に回避しました。

「避けないでくださいよ」

 水龍槍が衝突した湖畔から水が引いていきます。すると現れたのは、数十メートルに渡って森をえぐってできた、真新しい入り江でした。

「地形が変わっちゃうじゃないですか」

「化け物め……!」

 水龍の一匹が頭部を大きく後方へ反らします。そして右後方から頭をスイングすると、水龍の首が巨大な奔流に変わり、森の木々を扇状になぎ倒し始めました。もちろん、アンスリウムがワイヤーを穿った木も含まれていました。

 彼女はたまらずワイヤーを切り離します。間一髪のところで奔流から逃れ、水は彼女の頭上を通過していきます。水滴がスコールのようにアンスリウムに降り注ぎ、彼女はあっという間にずぶ濡れになってしまいました。

 顔に髪の毛が貼り付くのも気にせず、アンスリウムは攻撃に転じます。湖畔に危なげなく着地すると、額の一角に赤い稲妻を走らせ、赤道砲を放ちます。狙いは水龍の内の一匹でした。

 水龍の頭が赤道砲に貫かれて爆散します。しかしすぐに元の通りに復元していきました。当然です。水があり、私が無事な限り、水龍は何度でも復元できます。

 アンスリウムは再び赤道砲の発射態勢に入ります。例のインターバルの短縮です。すぐに赤道砲は発射されました。

 紅蓮の稲妻がほとんど水平方向に放たれ、水龍ヒュドラの身体と衝突しました。が、さきほどと同じように、形が崩れてもすぐに元に戻りました。

「だから無駄で――きゃあ!?」

 その時でした。

 なんと、赤道砲が数秒間消えることなく照射され続け、こちらに向かってスイングされてきたのです!

 私は慌てて回避します。が、赤道砲は私のスカートの裾を少し食いちぎっていきました。湿り切っていたせいか、発火しなかったのが幸いです。

「くっ……!」

(一筋縄ではいかない……そんなに甘くはない……!)

 ふと、エナさんの顔がよぎりました。

 初めは、なんてとんでもない方なのかと思いました。いえ、確かにとんでもない方なのですが、しかしいざという時は、そして普段から、こちらを気遣ってくれる優しい人でもありました。

(……ぅぅ……)

 涙が出ます。さっきまで笑みを作っていたはずなのに、めちゃくちゃです。

 涙を拭うことはしませんでした。

 その代わり、流れるそばから水龍に合流させ、戦力に変えていきます。

(いまだけは……涙さえも力に変えるんだ……)

 アンスリウムを見据えます。彼女はじっとこちらを睨みつけていました。まだまだ戦意は失っていないようです。いえ、むしろ燃え上がっているのかもしれません。


(帰るんだ、アユタナへ。エナさんと一緒に……!)


「帰るんだ!」


 そんな私の叫びが、湖畔にこだましていきました。




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