第19話 殺されたふたり

「【何を探すにしても、まずは、通行証をどうにかしないとね――】」

 そう言って一歩踏み出した映の足が、ふいに止まった。何かに引っ張られているかのように、左足が動かせないでいる。形のいいくちびるから漏れ出るのはため息だ。

「【……ウィルマー、あなた子供じゃないんだから】」

 と、映が思わずまゆをひそめ、見下ろした視線の先。ウィルマーが依然いぜんとして木床の上でかすかな寝息を立てていた。その指は、ぎゅっと映のすそを掴んでいる。

「(――きれいな顔)」

 そう映が思うほど、ウィルマーはやすらかな顔で眠りについていた。

 赤い髪が寝息をたてる度、暖炉の火のようにゆるやかに揺れる。時々むずがるような口元は、大きな赤ん坊のようにも見えた。

 あきれたように肩を下げながら、映は、近くの床に座り込む。腰をおり、じっと、ウィルマーの顔を眺める映。

「(……こうやってじっくり見ることも無かったわね)」

 人なつっこさが先に立つ顔立ちだが、それなりにパーツは整っており、肌ツヤも良い。そこそこにまともな暮らしをしている事が分かる。映は、少し安心した。

 でも、と目を伏せる。

「(私が慣れ親しんだ面影は、微塵みじんもない――)」

 別人と言えば別人なのだ。仕方がないとは思うが、少し寂しいとは思う。

 昔は、良くお泊まり会をしたものだ。

 誠治せいじは、『お前等! 今日はおもいっきり遊ぶぞ!』と、はしゃいでるわりに、一番先に寝始めるタイプだった。

 私は、誠治せいじともう一人の幼なじみがぎゃあぎゃあ騒いでいるのを、やれやれと見つめている方で、なんだかんだでみんなの寝顔を見るまで起きている方だったけれど。

「【あき……ら……】」

 ウィルマーが寝言でつぶやくその名前。そう……、その子の名前はあきらだった。昔は、何をするにも3人でいたなと、映は懐かしく思う。私が案を出し、誠治せいじが盛り上げて、あきらが待ってよー! とついてくる、いつもの日常。

「【……本当に、幸せな日々だったわ】」

 遠くを見るように目を細め、幼なじみの生まれ変わりの頬を撫でる、白くほそい指。

「【ウィルマー、それだから私は――】」


       ◆


 目の前が徐々に明るくなっていく。口をついてでてくるのはあくびだ。若干の眠気がまだまとわりついている中、ウィルマーは目を覚ました。部屋に差し込む日差しは、早朝のものではなく、随分ずいぶんと位置が高くなっている。昼過ぎと言ったところだろうか。

 思考と気持ちが大分すっきりとしていた。気分はかなり良いのだが、さて、自分は何をしていただろうかとウィルマーは考えを巡らす。――ふと、床の紋章陣が目に入った。

「……セバさん!」

 脳裏のうりにあの奇妙な光景がよみがえり、ウィルマーはあわてて身を起こす。

「おはよう」

 声が聞こえた方へ急いで振り向く。

「【映!】」

「……何かしら」

「【何かしただろ!? 俺何で眠って……!】」

 じっと、こちらの動向を見守るような視線を送ってくる映。

「(――ん?)」

 ウィルマーは、眼前の状況に、何かしらの違和感を感じていた。なんだろう……、何がおかしい? まじまじと映を見つめてみる。嫌そうな顔をされるが、知った事ではない。服や顔におかしなところは無いようだ。しいて言えば、少し距離が近いくらいだろうか。映は、寝ていた自分のすぐ脇でこちらを向き、足を崩していた。

 届きそうで届かない餌を目の前にぶらさげられている馬のような気分だ。頭を抱えてうんうんとうなる。そんな哀れな馬の姿にため息をつくと、映は、自分の膝上へと視線を落とした。白いローブの隙間から見える、少し赤みの差した膝頭。その膝に、ウィルマーの視線が引き寄せられる。ごくりと、のどが鳴った。

 ――決してつやつやとした生足にかれたのではない。違和感の正体に繋がるものが、崩した足の上に広げられていたからだ。

 なめし革の装丁そうてい箔押はくおしされた題字。小口こぐちに施された金箔きんぱく。場所が場所であれば鎖で固定されて保管されているだろう財産の一つ。

 それは――、この世界の辞書だった。

「【映、それ――!?】」

 形のいいくちびるが、いたずらげに開く。

「”読める”わよ」

「は――!?」

 ウィルマーは、思わずのけぞった。そして、今更に気付く。読める読めない以前に、先ほどから映が喋っているのはイルミンスク語だ! この世界の言葉を喋れる……。映が、この数時間で!

「【――難しい文章は無理よ。正確な聞き取りも無理。でも、簡単な文章なら……ご覧の通りよ】」

 事も無げに言って、髪を片耳にかける映の表情はどこか得意げだ。

 辞書のかたわらには、ウィルマーが書いた、漢字イルミンスク文字対応表が転がっている。

 いや、素直にすごいとウィルマーは思った。賞賛しょうさんの眼差しを送っていると、さすがに照れてきたのか、映の唇がとがり出す。

「【……一度聞いた言葉は覚えているのよ。あなたたちの講座のやりとりは覚えているし、発音を元につづりを探したの】」

「【えぇ……いやいや飲み込みが早すぎるだろう……】」

 本当に、どういうスペックをしているのか。

「【でもなんで――、】」

 と、突然の言語勉強の理由をウィルマーが聞こうとしたその瞬間。樹上の家ツリーハウスの玄関が、勢いよく開いた。

 ぱっと顔が明るくなり、反射的に振り向くウィルマー。

「……っ!」

 しかし、残念ながらそこにいたのは、ウィルマーが望んでいた人影では無かった。

「――お、なんだおまえ?」

 ドワーフの子供たちが、きょとんとした目で見つめてくる。

 どうやら、なかなかにやんちゃな子供たちのようだ。きょろきょろと部屋の中をのぞいている。ウィルマーは、見て分かるほどに肩を落としていた。

「あ、あぁ……、セバさんに何か用かい?」

「シツモンにシツモンで返すなって母ちゃんが言ってたぞ! だれだよおまえ!」

 ずかずかと上がり込んでくる子供たち。突然の事に驚きながらもウィルマーは、ごめんごめんと子供たちに向き直る。

「セバさんの友達だよ。昨日から泊まらせてもらってるんだ。今セバさんはいないよ」

「ふーん、なんだつまんねーな」

と、辺りを見回していた子供たちが口々に不平をたれる。

「何か用?」

 ウィルマーの背後から顔を出し、ごく普通に会話に混ざってくる映。

「えーーー、どうしようかなーーーー」

「やめよっかなーーーー、教えようかなーーー!」

 会話が出来ている……! とウィルマーは驚愕するが、今重要なことはそこではない。

「えー、いいじゃなーい……?」

 と、凄み始める映を背に隠すように、子供たちの視界にカットイン。

「――なんだか面白そうだから教えてよ!!」

 と、張り付いた笑みでほがらかに問う。ちょっと、と背中を小突かれるが、子供相手に神様が凄んでどうする。

「えーーーー、しょうがないなーーーー」

 ぴっと、子供たちの一人が指を立てる。

「もうすぐ山教会にすっげー人が来るんだよ!」

「だから俺たち一目見に行こうと思って!」

 どうだ、知らなかっただろう! と言わんばかりにふんぞり返る子供たち。なんというか、可愛らしいな、ウィルマーは思った。

「それでセバさんを呼びに来たんだ?」

「そうそう!」

「誰が来るの?」

「すっごいありがたい人!」

 ……ちょっと、とウィルマーの背中を小突く映の声に深刻さが増す。ウィルマーも、嫌な予感がし始めていた。それでも笑顔を張り付けて、子供たちに問う。

「……それはどんな人だろう?」

「聞いて驚け!」

「見て騒げ!」

 腕を組んでふんぞり返る子供たち。

「その人とは――、神様さ!」

 とキメたそばから、子供たちの一人が

「ってか神様って人じゃなくね?」

 と茶々を入れ始め、内紛が始まる。思わずウィルマーは笑ってしまった。むっとする子供たち。

「ほ、ほんとだぞ! 地下迷宮のマモノを、ばったばったとなぎ倒した年神様が、俺たちに会いに来てくれるんだ!」

 その後も子供たちは、なんやかやと騒いでいたが、ウィルマーの意識は、すでに別のことに向いていた。肩越しに、背後の映に語りかける。

「【映……聞こえたか?】」

「【しっかりと】」

「【俺、もう頭がパンクしそうだよ】」

「【もともと容量が少ないものね】」

「【天才の映様と比べれば、びん幌馬車ほろばしゃほどの差が……っておい!】」

 振り向くウィルマー。え、なんのこと? とばかりにまし顔で肩をすくめる映。この野郎……、と思うが、これ以上は言うまい。

「【でも、おかしいわね……。教会に行くなんて予定、聞いてないわ。それとも、これから聞くのかしら?】」

「【いいや、これからも聞くことは無いと思う。俺たち、殺されたんだ・・・・・・】」

 半笑いのウィルマーの声が、低くなる。

「【……映、昇降機しょうこうきで話していた話だけど】」

「【ええ】」

 そう言ったっきり、ウィルマーは次の言葉を喋らない。がしゃがしゃと荒く髪をかき上げる。

 何かをさとった映は、軽くあごをあげ、口のはしをゆがめた。

「【言いなさい】」

 観念したかのように、ウィルマーは、一度深く息を吸った。

「【……あぁ。しょうがない。これはしょうがないんだ。今しか出来ないことをやろう】」

 そう言いながら、いまだにウィルマーの歯切れは悪い。

 映は、表情の落ちた顔で小首をかしげる。

「【それは、何?】」

 考える隙間すきまを与えず、言葉をにごすことは許さず。本性をさらけ出せとあおるその様は、善人を堕落だらくさせていく悪魔のようだ。人の形をした黒い髪の悪魔。

 善人は、意を決したかのように口を開く。

「【神が来るなら、必ず祭司もわきひかえているはずだ】」

 軽く息を吸う。

「【――通行証を書いた祭司おとこを、脅そうか】」

 悪魔は、その切れ長の瞳を満足そうにすがめる。

「【あらあら、良いの? 立派な証書偽造しょうしょぎぞうよ? 詐称さしょうしたのがバレたら、釜茹かまゆでで死刑になるのでしょう?】」

「【体面のために神すら詐称さしょうする集団に、裁ける権利があるとは思えないな】」

「【言うようになったわね、優等生】」

 ウィルマーは肩をすくめると、おふざけは終わりとばかりに真面目な声を出す。

「【……それに、もしかしたら、年神に会いたがっていたセバさんがやってくるかもしれない】」

 そう、今のところ、セバさんを探すとしても取っかかりはそれぐらいしかないだろう。二人しかいないのに山狩りをするわけにも行かないし、定住人でもないセバさんの捜索に手を貸してくれる人は、おそらく非常に少ない。

 その教会に行けば会えるかもしれない。今は、それをよすがとしていれば、不安に押し潰されずに済む。

「【ま、もし捕まったとしても、きっと氷の権能を持った神様が助けてくれるさ!】」

 油断すると付け入ってくる不安を吹き飛ばすかのように、ウィルマーはまた軽口を叩く。

長いこと湿っぽく、真面目くさっているのは、性に合わない。

 その軽口を、映は鼻で笑ってくれるとウィルマーは思っていた。しかし、返ってきたのは、

「【……ええ、そうね】

 という、かげのある声。予想外の反応にウィルマーはたじろぐ中。映は、口の中でなんらか、その言葉の続きを転がした。

 様子をうかがうウィルマーに、なんでもないとかぶりを振ると、映は部屋の中に視線を移す。

「――ねえ、物知りなドワーフさん」

 話し込む二人に相手にされず、ふてくされた子供たちは、しかしまだ部屋の中にいた。助けてくれとばかりにか細い鳴き声を上げる火土竜サラマンドの幼態が、子供たちの輪の中から顔を出す。

「その神様が来る教会に私たちも連れていってくれない?」

 映の方を振り向いた子供たちの顔は、ぱっと花が咲いたように輝いていた。

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