第36話 決着


 東田は被っていたパナマハットを取って前髪を掻き上げると、一拍ためて言った。

「いいかい、凜々花君。

 君にはとてもショックなことかもしれないけど、君の父親はね……

 何を隠そう!

 この僕なんだよ!

 女をさらい、娘を攫い、娘の育ての親に危害を加えようとする。

 そうすることに、まったくもってためらいのない……

 そんな僕の娘なのさ、君はね。

 クックック」


 芝居がかった声が、がらんどうの部屋に響く。

 俺はこれまでの自分の選択に、過去に、激しく後悔していた。


 ――無理矢理1度でも、2度でも……

 いや、何度も何度も重ねて会わせていたなら、欠片でも親娘の情が生まれたかもしれん。

 そうであったならこんな結果には……

 あるいは、遥か遠くの地で凜々花を育てるべきだったのだ。

 こんなクズと袖振り合うことさえないような、当てのない遥か遠くのどこかで。


 すべては、俺が自分の娘として凜々花の面倒を見続けたこと……

 それ自体が間違いなのかもしれない。


 なぜに、いったいどうして?

 間違っていない凜々花が、間違っているものの悪意に、傷つけられねばならないのだ?




 束の間の沈黙が、おそろしく長く感じられた。

 シャツの内側で、嫌な汗が流れているのを感じる。

 さっきまで激しく戦ったせいなのか。

 間近で燃え盛る林の熱のせいか。

 はたまた悪意の悪寒か、油汗か……



「ふーん……で、それがどうかしたの?」

 予想外の答えに、誰もが、再び沈黙した。



 まるでここが自宅であるかのような、この場に不似合な凜々花の声だった。

『そんなにお菓子を食べてばかりいたら、太るぞ?』

『ふーん……で、それがどうかしたの?

 ちゃんと運動するから平気ですー』

 そんな自宅での、何気なにげない会話の一部であるかのように思えてしまう。


 部屋中に広がった沈黙を、火事場のパーンとぜる音が壊した。


 我に返って東田が再び告げる。

「いや、どうしたかも何も……だから僕が、君の、父親なんだよ」


 凜々花はフーッと盛大にため息をついた。

 わざと聞こえるよう、大げさについたのかもしれない。


「呆れた頭の悪さね、もう……

 そんなふうだから1度目も、2度目の今回も失敗する。

 それが、わからないのね

 詰めが甘いし、考えが浅すぎるもの」


 たしかに今も、東田は娘の凜々花の言葉に動揺し、目をギョロっとムイていた。

 端正な顔立ちなど、見る影もない。

 たとえ時間稼ぎでも、ハッタリでも、ここは何かを言わねばならない場面なのだ。


 沈黙は負け以外の何物でもない。

 それにも関わらず、東田は言い返すことさえできないままでいた。


「そもそもパパが育ての親だっていう事は前から知ってる事だし、いまさら動揺することじゃない。

 つまり血の繋がったお父さんがどこかにいるっていうのも、まぁそれはそうよね。

 コウノトリがホントに連れてくるわけじゃないんだし。

 ねぇ、そもそも血が繋がっていたら、どうだと言うの?

 あなたは今日これまで、私に何かしてくれたの?

 そーんな記憶、私にはありませんけど。

 あのさぁ、そうだとするとね、何を信用するかっていうのは関係だと思うのね。

 関係? 関係性?

 どっちでもいいか。

 ようは何もしてくれない人との繋がりと、育ててくれた人……

 どちらが信用あると思います?

 そんなので『えーっ!』と驚いて戸惑っていたら、詐欺でも何でも、みーんな引っかかっちゃいますよ?

 この場合は詐欺では無いかもしれないけど、動揺を誘ってつけ込む……

 まあ同じでしょう。

 だいたいね、北見に育てられているのに、そんな純真無垢な少女なわけないでしょ。

 北見の娘よ、私。

 思い違いも甚だしいわ」


「黙れ、黙れ黙れ!

 子供のくせに!」

 凜々花と茉莉花についている女が動かない、いや、動けない東田に成り代わり、ピシャリと平手を打つ。


 それでも凜々花は止まらずに続けて叫んだ。

「血のつながりなんてどうでもいい!

 私が何を思っているかが、大事なの!」


 力強く言い返してにらみつける。

 ひるまない凜々花に、女の動きが止まる。


 不意に女のうしろから茉莉花が突っ込み、床へと押し倒した。

 崩れて落ちた2人は、揉み合って転げまわる。

 髪を掴み、引っ張り、頭をぶつけ、床のホコリが舞い上がった


 ――ここしかない!!


 俺は目の前の事態に対応しきれていない東田に飛びかかり、トレンチコートのえりを掴んで引きずる。

 東田は倒れまいと抵抗し、咄嗟とっさにコートから腕を抜いた。

 抵抗がなくなったコートを強く引っ張ってしまい、その勢いで空振りするようになり、転げる。

 すかさず倒れた俺へと、東田が上から被さるように飛び込んできた。

 激しく降りかかる雨のような東田の拳を、いまだ掴んだままだったコートで受けるように防御する。

 さらに逆に拳を包んで絞り込み、腕の自由を奪う。

 そのまま力比べのようになるも、位置が下の俺が圧倒的に不利だ。

 両腕が痺れ、冬だというのに汗が目にしみる気がした。

 俺は下から押し上げながら抵抗していたが、プルプルと震え、徐々に腕が下がりはじめてくる。


 ――クソッ! このままでは……

 俺は上へと跳ね除けようとする力の向きを、突然に変えて一気に下に引き込む。


 勢いのついた東田の拳が、コンクリートの床に叩きつけられ鈍い音を出す。

 東田の顔が、俺の顔の間近で苦痛に歪む。

 さらに続けて何度も何度も引っ張り込んで叩きつけると、隙をみて横に転がって上下を入れ換えた。

 遂に上になった俺は、ここぞとばかりに決めにかかった。

 コートから手を放し、勝負を掛けた。

 素早く繰り返して掌打しょうだあごへ打ち下ろす。


 ――早く動きを止めて、2人を……

 だが東田も必死に抵抗してくる。

 なんとか腕を絡めようと、拳を痛めていない方の腕を突き出して抵抗する。

 俺はさんざん顎を狙ってから、変化をつけた。

 突然こめかみに狙いを変え、横から頭を打ち抜いた!


 ――よし、これで!


「そこまでよ!」


 茉莉花ともつれあっていた女が鋭い声を上げ、俺を制止した。

 ゆっくり振り返ってみれば、女が凜々花を捕らえ、サバイバルナイフのようなものを喉元へ突きつけていた。

 少し離れたところには、茉莉花がうつ伏せになっていた。

 ここから表情はうかがえないが、意識が飛んでいるのかもしれない。


 ――数の不利を、ひっくり返せなかったか……


 東田に時間をかけすぎた。

「わかった、わかった。

 降参だ、降参。

 まず落ち着けよ、アンタが今1番有利なんだ。

 慌てるこたーないだろ」

 東田の上で馬乗りになったまま、両手を上げて女をなだめる。


「その人から、降りなさい」

「オーケー、降りる。

 俺が降りたら早くコイツをつれて逃げな。

 外には野次馬が集まっているだろうからな。

 早くした方が――」

「――黙れ!

 時間を稼ぐな!」

 

 自暴自棄な女は何をするか、わからない。

 東田はともかく、俺はコイツのことは知らない。

 性格も何もわからないなら、どうにも想定しようがない。


 俺は仕方なく、立ち上がろうとした。

 そのとき――


 ――パリーン!

 ガシャーン!!


「凜々花――!!」


 女たちの上。

 3人の上にあった窓ガラスが、突然甲高い音を発した。


 まるでスローモーションのように、キラキラと細かな輝きを残しながら……

 ガラスの雨が降っていた。


 炎の熱で割れたのか、爆ぜた何かが当たったのか……

 それはわからない。

 

 たしかなこと、それは窓ガラスが割れ、凜々花と女に降りかかった。

 それだけだ。


 鉄骨造の建物内で、ガラスが床を叩く残響が消え、音のない音がキーンと耳を貫く。

 一瞬の呆然のあと、もう1度凜々花の名を叫んだ。

 依然、2人はうずくまったままだ。


「大丈夫か?」と叫んで立ち上がりかけるとそれを、茉莉花に制される。

「来ないで!

 あなたはそいつをどうにかして

 わたしが!」

 うつ伏せていたはずの茉莉花は、いつのまにか立ち上がり俺に指示する。

 茉莉花の表情は逆光で伺えないが、俺は思わず従ってしまう。

 その声には、有無を言わさぬ鋭さがあった。


 ――結局東田を自由にすれば、同じ事の繰り返しかっ。


 東田を強引かつ乱暴にひっくり返し、ナイロンバンドをポケットから取り出し拘束する。

 手早く終えて凜々花の方を見れば、茉莉花は女の髪を掴み上げ、血が流れるほほを打っていた。

 上から振り下ろすように、何度も、何度も……


 俺は崩れたように座ったままの凜々花の元へと急ぐ。

 コンクリートにバラかれたガラスで滑り、よろけ、膝をつく。

 支えるようについた指先が、ガラスで切れた。

 わずかな距離が、どうにももどかしい。

「凜々花、しっかりしろ!」

「ん、うーん。

 大丈夫……平気…みたい。

 へへ、ビックリしちゃって」

 目元が滲み、涙が浮かんでいた。

 見たかんじでは、たいした怪我はないように見えた。

 あくまでもパッと見だから、あとで確認すべきだろう。


 俺は歩いて茉莉花の背後に立つと、いまだ容赦なく打ち付ける腕を右手で掴んで止める。

 そのままうしろから、抱きしめて止める。

 茉莉花の体は力が入ったままで、ブルブルと震えていた。

 女の髪を掴んだままの左手を、俺が左手を重ね、ゆっくり剥がしていく。

「もういいんだ、凜々花も無事だ」

 女はガラスを頭部に受けたのだろう、血が顔に流れていた。

 それを茉莉花が何度も叩いたものだから、顔中に血の赤が広がり、見るも無残な醜さだった。

 茉莉花を俺の胸に引き込んで、正面から強く抱きとめる。

「ありがとう。

 ありがとう、終わったよ」

 茉莉花の肩越しに見る女はグッタリとしたままだ。

 けれど腕の中の茉莉花は、痛いほどに俺の体を締めつけていた。


「なあ、どう思う?

 あんなに口が達者でさ、凜々花のヤツ、男と付き合えると思うか?」

「ああ、凜々ちゃんね。

 きっと、あなた以上に面倒な人、連れてくるわよ。

 覚悟しなさいな」

「じゃあ、俺の味方にしないとヤバイな。

 敵対したら、きっと勝てんぞ」

 茉莉花は俺を見上げ、イタズラっぽく笑って、「そうね」と答えた。


 俺は茉莉花の指についたままの、女の血をシャツで拭ってやる。

 それから凜々花の手を取り、慎重にガラスの床を越えて部屋から出、2人を連れて青い建物をあとにした。


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