第9話 陸釣り



 ――やっぱり、そうだよな。

 建物の陰だから、正確な音の位置の特定は難しい。

 けれど北側、つまり塀を越えた敷地外ではなさそうだ。

 あるいは工場の業務か?

 いや、こんな時間に搬入なんて、あり得ん。

 そもそも夜間は操業していないのだから。

 これ以上、ゲームを盛り上げてもらう必要は、ないんだがな。

 定時の巡回なんかも可能性としては……


「降りるわ、しばらく様子を見るでしょ」

「ああ、助かる」

 背中から降りた茉莉花は、胸の前で腕組みをする。

 それからその場にしゃがんだ。

 俺はフライトジャケットを脱ぎ、掛けてやる。

「運動したから、多少汗をかいたかもしれん。

 我慢してくれ」

 それから一瞬迷ったが、向かいに腰を下ろす。

 休憩だ。

 どうせ確認できなければ、闇雲に動けないのだ。

「疲れたか?」

「ずっと何日も休んでたのよ。

 平気だから」

「板で目張りしたあの部屋じゃ、巡回があるかどうかなんて、わからんよな?」

 茉莉花は視線を落とし、首を振った。

「ごめんなさい」

「謝る必要なんてないさ。

 顔を上げろよ」


 ――音が動き出したか?


「この状況だ。

 女の身でそれだけ気を強く持てれば、上等だ」

「……ボロクソにののしるだけじゃないのね。

 驚いたわ」

「フン、どうだったかな?」


 ――これはバレたな、間違いない。

 1台じゃ、なさそうだぜ。


「寒くないの?」

「いや、暑いくらいだな。

 これまでも……これからもな」

「どういう意味――」

「――アレを見ろ」

 ストックヤードへ向かって光りが動いて行く。

 続いてもうひとつ、途中で別のルートへ別れて行った。


 ――最悪だな、車と『おんぶ』じゃレース外だ。

 ツレがせめて走れるならば……クソッ!

 万策ばんさく尽きたか?


「なあ、こういうとき、どうするのが正解かわかるか?」

「……あるの?

 そんな方法……」

「ある。

 ないと思ったら、あるものも出てこないぜ」

 茉莉花にハッタリをかましてみる。

 半分ヤケクソの愚痴ぐちで、半分は自分に言い聞かせるためだ。

 俺がノーアイデア故の、時間稼ぎだ。

 俺と茉莉花しか、この場にはいないんだ。

 俺が不安になれば、その不安は必ず茉莉花に伝染する。

「わからない……どうしよう」

「そうじゃない。

 いいか、こう考えろ。

 きっとこの方法なら上手くいく、だ。

 この方法なら上手くいく。

 その上手くいく方法は、〇〇だってな」

 何か方法は、手段は……

 余裕のフリを見せつつ、心の中で必死に俺も考える。

「上手くいく。

 この方法なら上手くいく。

 この方法なら上手くいく。

 アッ、そうよ!

 車だ。

 奪い取るんでしょ、車を!」

「……ほーぅ。

 上出来だ。

 そのためには――」


 こうして俺は『はじめから、もちろんわかっていた』という体を装い、自信満々に茉莉花の案に乗っかった。

 肝心の案だけあれば、あとはコーディネートするだけだ。

 そしてそれを、俺が考えて実行すればいい。

 

 まあ、相手のチカラを利用するってのは、発想の基本中の基本だ。

 俺は何を焦っているんだ?

 それをこんな娘に思い知らされるとはな……

 そうと決まれば次は、情報の整理、現状の確認、相手の見極め……


 茉莉花に乗っかって冷静さを取り戻した俺は、「ここで小さくなっていろ」そう声を掛けると、小走りで建物の影に張り付いた。

 そこから奴らの動きを観察するに、探し回っているのは3台の車。

 徒歩で哨戒しょうかいしている奴は、いないように見える。

 車のライト以外には懐中電灯のような光も、チラチラ反射するものも見当たらなかった。

 となれば、1台に何人乗っているのか。

 できればそれが知りたかった。

 3台だろうが4台だろうが、奪って乗れるのは1台だけ。

 全部を相手にする必要はまったくない。

 散開して俺たちを探す1台を上手く奪い取ることができれば、それで逃げ切れるはずだ。

 1台に2人なら、願ったり叶ったり。

 3人乗っていると、かなり厳しいが……

 近くを通過するのを待つか、どこかで仕掛けるか……

 鏡かライトか、どちらもない。

 目くらまし、あるいはおとり

 代わりになりそうなものは……

 いっそ何か投げつけてやろうか?

 絶対に何か方法があるはずだ。

 考えるんだ。


 しばらく奴らの動きを見ながら思案するも、なかなか思いつかない。

 ――茉莉花をずっと1人にするのも心配だ。

 いったん戻ろう。


「変わりはないか?」

 茉莉花は俺の声を聞くと、わずかにほほを緩めた。

 ただし、ほんの一瞬だけだが。

「あいつらは?」

「3台に分乗して、ぐるぐる回っているぜ」

「3台も?

 どうするの?

 何かいい方法があるの?」

「ああ、もちろん用意してあるさ。

 俺は1人でこういうバカなことをやって、金を稼いでるんだ。

 肝心なときに何にも思い付かないようになったら、俺は廃業しなきゃならんからな」


 茉莉花の白い足が目に入ってくる。

 足の裏など、可愛らしい女に不似合いなほどに、黒く汚れてしまっているのだろう。

 工場外の車に戻りさえすれば、12月の寒さに震えて凍えるようなことはないはずだ。

 少しでも、早く温めてやりたい。

 そう思った。

 やはり寒いのだろう、小さく丸くなって座る茉莉花は、群れない孤独な白猫のように見えた。

 隣へスッと近づき、片膝を立てて腰を低くする。

 この位置ならストックヤードの方も観察できる。


「私にも、できることがあるの?」

「ああ、ぜひ手伝ってもらいたいね」

「どうしたらいい?」

「奴らは今、何をしているかわかるか?」

「えっ、私を……探しているんじゃないの」

「そうだ。

 その通りだ。

 ならば簡単なこと。

 欲しがっているものを与えれば、必ず喰いつく。

 それを探しているんだからな」

 それを聞いた茉莉花は、わずかにうしろへ体を傾けると、足を強張こわばらせた。

「フフッ、勘違いするな。

 茉莉花自身を差し出すときってのは、俺がアンタの安全を守れないと、諦めたときだけだ。

 アンタは面倒な監禁をしてまで、大事に取っておく価値のある女なんだろう?

 最悪連れ戻されたって、奴らにひっぱたかれるくらいのことはあるかもしれないが、まあ命までは取らんだろ。

 俺は全く逆で、奴らにとって一銭の価値もない。

 だから、どうあっても逃げなきゃ命がないってことだ。

 アンタを逃がそうとしている以上、マジでヤバいのは俺の方なのさ。

 だから、そんなにビビる必要はないんだぜ」

 俺の話の意味を理解しているのかいないのか、茉莉花の表情からは伺えなかった。

「話がれたな。

 いいか、想像してみな。

 こんな夜中だぜ、奴らはぐっすり寝てたところを叩き起こされてんだ。

 そりゃあ、不機嫌になるわな。

 誰だってそうなる」

「俺もだ」と親指で示し、「オマエも叩き起こされりゃ、そうだろ」と同意を求める。

「で、叩き起こされてどうしたかと思えば、『監禁した女が逃げた。場外に逃げられたら責任取らされるぞ』だぜ。

 イライラしながら、慌てて必死で探す訳だ。

 とにかく探さなきゃ、それだけ。

 そこへ手掛かりになりそうなものを見つけたとなれば、そこへまっしぐら。

 そうなったら、横も後ろも見ちゃいないさ。

 こうだよ、こう」

 そう言って俺は両の掌を顔の前で立てて前後に動かし、ジェスチャーで『それしか見えない』と補足する。

「だから普段だったら気づかないような、無視しちまうような、それこそくだらんようなことでも反応しちまうのさ、悲しいほどにな。

 アンタが彼氏にプレゼントをしようと思えば、メンズの服や雑貨の店が目につくだろ?

 けど、そういうときでなかったら、まず店に入ろうなんて思わないはずだ。

 その違いは何か……

 そりゃ必要があって、探しているかどうかってことよ。

 それしかない」

 茉莉花はウンウン、へぇー、なんてうなずきながら話を聞いていた。


 これだけやれば、準備はオーケーだろう。

 言いにくいことだが、わかってもらえるはずだ。

「理解が早くて、助かる。

 ということで、ブラウスと下着をもらおうか」


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