第8話 逃避行


 用意してある逃げ場所へと案内し、窓を開け放つ。

 風はないが、足元へと真冬の冷気が流れ込んできた。

 そこを覗き込んで振り返る茉莉花は、寒さのせいか、これからさせられる無茶のせいか、震えているように見えた。

 茉莉花は俺に訴えてくる。

「これって、用意してあるって言わないんじゃ……」

「方法は用意してある」

「そんな――」

「――やるか、やらないか。

 行くか、残るか。

 いちいち何をするにも迷うのか?

 なんなら迷わずにすむよう、いっそのこと下に投げ捨ててやろうか?」

 1歩足を進めた俺に、「――ッ、やればいいんでしょ!」と慌てて答えを返してくる。

「別に俺のためにやる必要はない。

 自分でどうするか、だけだ」

 茉莉花は俺の胸を両手でドンと突くと、窓に向き直る。

「いいか、ここは半地下の建物だ。

 ツイてるだろ? 1.5階くらいだ。

 つまり2階の窓から飛び降りる程の高さはない。

 窓のすぐ下、60センチほどのところに、足場になるはりがある」

 俺は両手で幅を示しながら言う。

「15センチかそこら、出っ張ってるはずだ。

 まずそこに降りろ。

 そして俺がその下の地面に立つから、次は俺の肩に足を乗せるんだ。

 半分ぶら下がるようにすれば、地面のかわりに俺に乗れるはずだ」

 下を覗いて固まっている茉莉花の白い顔が能面のように見えた。

 足がすくんでしまったのだろうか。


 ――しょうがねぇなあ、まったく。

「茉莉花、スカートを脱げ」

「は? 

 変態過ぎて意味わかんないですけど」

「そのタイトなスカートじゃ、足が開かん。

 安全に降りるには、脱ぐか、切って広げるか、選べ」

「そんなこと、できる訳ないでしょ!」

「いいか、これは親切だ。

 オマエは俺を変態だの何だの思ってるのかも知れねーが、それは大間違いだ」

 

 結局、茉莉花は脱ぐことを選ばなかった。

 1度脱いで下に降りてから履くのが、俺には最高に合理的な答えだと思ったが、女の身からすると考えが違うらしい。

 俺は折りたたみのナイフを取り出し、サイドにスリットを作ってやった。

「絶対に、絶対!

 上を見ないでよね」

 俺は適当に生返事をし、アドバイスする。

「いいか、さっき見たろ?

 内側から見て足場があるのは確認してんだ。

 足を下ろすのに下を見る必要はない。

 ゆーっくり足を着けることだけ、イメージするんだ。

 頭を壁際に近づけとけば、バランスは安定する」

 そう告げた俺は、先に下へと降りた。

 茉莉花はさっきスカートを脱げと言われて興奮したことで落ち着いたのか、すんなりと梁へと降りる。

「滑らないように足を掴む。

 触られて驚くなよ」

 茉莉花の上を見るなという言葉を無視し、プルプルと震えながら、おっかなびっくり下へ降ろしてくる足に合わせ、移動して足首を掴もうとする。

 白い華奢きゃしゃな足をいっぱいに伸ばしてくるが、俺の肩に届きそうで届かない。

「ああ、どうしよう?

 ヤバイよ」

 何度もトライするもなかなか上手くいかず、いたずらに時間だけが過ぎる。

 ――マズイな、茉莉花がどれだけ持つか?

「おい!

 俺が足を引いたら、手を離せ。

 そうすれば、絶対に上手くいく。

 いいか、行くぞ!」

 茉莉花の左足を下に引く。

 つかまっている手を茉莉花が離すと同時に、自分の左足を後ろへ引き、反時計回りに回転する。

 上から落ちる茉莉花を回りながら抱きとめ、抱き合ったまま勢いを殺そうと地面へ転がり込んだ。


 ――痛ッ!

 石か何かで頭を切ったか?

 それよりも――

「おい、大丈夫か?

 茉莉花?」

「足……」

「足がどうした?

 まさか……折れたか?」

「んーん、こすったくらい」


 ――大袈裟な……

 力が抜け、大の字になる。


「……上から退いてもらえると、助かるんだがな」

「え、あっ、ごめんなさい」

 慌てて飛び退いた。

「大冒険を終えたつもりかしれんが、まだまだ続きがあるぜ」

 後頭部を指で確認しながら起き上がる。

 多少湿っているが、たいした傷じゃあ、なさそうだ。

 茉莉花を「アッチだ」とうながし、玄関とは反対側へと先導する。

 が、茉莉花はなかなか追いついてこない。

「どうした?

 遅いぞ」

「ごめんなさい」

「やっぱり降りたときに――」

「――なんでもない!

 何でもないから」

 ――足を擦ったとかなんとか言ってたな

 そう思い、下のほうへ目をやる。


 ――!?

 チッ、俺のミスだ。

 頭を打ったせいか、茉莉花が裸足だということを失念していた。

 いや、頭の怪我は完全に言い訳だ。

 明らかな俺のミス。

 現代人の素足で地面を歩かされたら、たとえ誰でも、遅かれ早かれ出血するだろう。

 ましてや新月で暗い夜の地面だ。

 俺だって、願い下げだ。

 なおのこと茉莉花の白く柔らかそうな足では、もう鮮血が滲んでいるかもしれない。

 うつむき気味に立つ茉莉花の腕を取ると、前でまわりながらしゃがんで背負しょい込む。

「ちょっ、いきなり――」

「悪かった、俺のミスだ。

 ヘボな計画のせいだ。

 だから、その分の責任は取る」

 俺が誰かを背負うなど、どれくらいぶりか?

 娘が小学校の時以来だろう。

 ま、それよりいくぶんか重いが……

 はじめは嫌がった茉莉花だったが、すぐに大人しくなった。

 暴れられるとシンドイから、それは助かった。

 が、この先ずっと脱出するまで背負い続けるかと考えると、不安があることも事実だった。

 とにかくそのまま建物の東側へと向かう。

 俺としては、はじめに外壁を超えて侵入したポイントから撤退したい。

 そうすれば車が近くにある。

 そうでないと、工場の敷地から逃げても移動が難しい。

 というよりまあ、現実的にそれ以外は逃げられん。

 敷地の外でも背負って逃げるなど、到底とうてい無理なこと。

 笑えない冗談でしかない。

 万が一にそうなったら、どこかで隠れてやり過ごすよりほかないだろう。

 12月に寒空に震えてなど、茉莉花に耐えられるとも思えない。


 ストックヤードまで辿たどり着き、資材にまぎれさえすれば、時間だけかければなんとかなる。

 そこまでにある、街灯の灯る場内道路をどう超えて行くかだ。

 あそこは1番目立つからな。

 オレンジ色のぼんやりとした灯りの下、おんぶしている奴がいたら……

 デキの悪い怪談話をするにゃ、季節外れだぜ。


「茉莉花、いいか。

 これから俺たちが向かうのは、まっすぐ向こうの塀だ。

 俺はそこを越えてここへ来た。

 壁の外には車がある。

 そこへたどり着きさえすれば、逃げ切れる。

 それには正面の明るいところ、あの通路を通る必要があるって訳だ」

「あっちの方が近いんじゃ?」

「あちらは塀の手前に川がある。

 早く塀の外へ出たいのはわかるが、無理だ」

「あんなに明るいところを走るの?」

「ん、それは様子を見てになるな。

 状況によっては、悪いが少しくらいの無理は、頼むかもしれん」

「わかった、できることはする。

 だから遠慮はしないで」

「ほう、そりゃ頼もしいね。

 期待しちまうな」


 茉莉花を背負って10分も歩いたろうか?

 暗い夜の闇の中。

 舗装されていない建物裏を40キロ以上の荷物を背負って歩くのは骨が折れる。

 おまけに平らとはいえない地面の上だ。

 不安定な場所を前屈みになって歩くから、1度よろけてしまえば転びかねない。

 1人の何倍もしんどい。

 ――もしもこいつがかつての妻、死んだ毱花にそっくりでなければ、今ごろどうしていただろうか?

 見捨てたろうか?

 同じように連れ出したろうか?


 いや、スリルを楽しもうとした俺が、どっか壊れているだけのことか。

 この状況を最大限に楽しむなら、負担は大きい方がリターンもデカいはず。

 きっとそれだけのことだ。

 なら、ゲームは最後まで楽しまなきゃならん。

 ボイスチェンジャーを通した幹部の声が、頭の中でリフレインする。

 ――『スリル』ダケヲ求メテモ、終ワリハナイゾ――

 忠告されて、意に介さなかったのは俺だからな。

 俺は忍び笑いをこぼす。

「どうかした?」

「いや、順調だよ。

 ここまではな」


 俺は足を止め、それからいったん腰を折る。

「聞こえないか?

 何か音がする」

「……」

「……」

「車?

 エンジン……かしら?」


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