第7話 ハートに火をつけろ


「なっ、私だってね!

 そんな偉そうに。

 あなたに何が――」

「――わからんよ俺には。

 わからんさ、わかるわけがあるかよ?

 アンタの人生の何から何まで、まったく、ぜんぜん、俺にはわからん。

 教えてみろよ、俺に。

 『茉莉花は辛いの、苦しいの』ってな。

 そうすれば感動して、むせび泣いてやるぜ

 『えーん』とな。」


 俺はご丁寧に泣き真似までサービスしてやった。


「ふ、ふざけないでよ!

 馬鹿にして!」

 俺が馬鹿にしたのが応えたのか、茉莉花は毛布をはねのけ膝立ちで向かってくる。

「馬鹿にされる程度の人生じゃねーかよ。

 だからこうして悲劇のヒロインごっこで満足してる。

 逃げるチャンスに自分語りして、それを自分の手で掴みにいこうとしない。

 違うか?

 案外監禁されて幸せ――」

 

 パシン!

 左の頬を平手で叩かれる。

 止めることもできたが、敢えて受けた。

 

「いいねえ、その目。

 『悔しい、俺を黙らせてやる』っていう、強い意思に満ちてるぜ。

 さっきまでの、死んだ魚のようなアンタとは別人だな」

「なっ!

 そうやって人をいつも馬鹿にしてるのね!

 最低よ!」

 茉莉花は両手で殴りかかってくる。

 だが所詮はシロウトの女の攻撃だ。

 猫が殴りかかるのと、大してかわらない。

 だからそれを、気の済むように適当にいなしてやる。

 やがて疲れたのか、茉莉花の殴りかかる勢いがなくなったのを見るや、俺は両手手首を掴んで止める。

「それで終わりか?

 そんなもんか?

 いいか、アンタは自分の意思で殴りかかってきたんだ。

 手を出してもいない俺に対してな。

 だったら、今度は俺のターンだよな。

 反撃に何をしようと、正当防衛かな?」

 茉莉花は顔を歪ませ、必死に掴まれた手を離せと暴れた。

 嫌だと暴れる茉莉花をあっさり押し倒し、両手首を左手1本に持ち替える。

 空いた右手でブラウスを引き上げると、白いへそが見えた。

「やめて!

 何するのよ!」

 足をバタつかせ、ブリッジのようにして逃げようとするも、俺の体が跳ねけられるはずもない。

 余計に白い臍が露わになるだけだ。

「どうせもう、ここでも1人や2人、ヤラれてんだろ?

 いまさら経験が1人増えたところで、変わらんだろ、ええ?」

 右肘をついて襲いかかり、強引にキスをしようとする。

 茉莉花は涙を目にため、血走った目でにらみつけてくる。

「ヤラれてなんてない、私は折れてなんかないんだから!」

 殺してやる!

 絶対に!」

「こんな簡単に抑え込まれるオマエに、できる訳なかろう。

 フン、笑わせるなよ」

「私がその気になれば、警察だって動くんだから!」

「ほー、そりゃいい。

 実に面白い冗談だよ。

 で、どうすんだ?

 ここで呼ぶのか?」

 茉莉花の両のほほを右手で掴み口を開けさせる。

「ええ?

 呼んでみろよ、ほら。

 ここで叫んでも、俺と同じようなのが駆けつけて来るんじゃないのか?

 クックック」

 額に触れるかどうかの距離まで顔を近づけ、睨みつけてやる。

 なおも茉莉花は抵抗を諦めず、左右に首を振り、もがき、頭突きまでしてくる。

 ある程度動けるように力を調節して押さえ込みながら、内心でほくそ笑む。

 ――ここまで釣れたら、あとは引き上げて針を外すだけだ。


「なあ、俺と勝負しないか?

 おいおい、暴れんなよ、まあ話を聞け。

 アンタがそのお笑いの権力、おっと、本音が出ちまったかな。

 それで俺を捕まえられるかどうかってさ。

 勝負しようじゃねえか?」

 俺は答えられるように、頬を掴む手を離してやる。

 ――ッ!?

 やってくれるぜ、まったく。

 茉莉花は俺に、つばを吐きやがった。

「そりゃ、オーケーってことでいいんだな?」

 顔にかかったつばを、茉莉花の胸のブラウスに顔ごとこすり付けぬぐうと、サッと立ち上がった。

 茉莉花は突然解放されたことに、状況がつかめない様子だった。

 仰向けで上半身をよじって起こし、ただぼうっと俺を見上げていた。


「なんだ?

 何をしている、早く服を直せ。

 この工場を出なきゃ、勝負にならん」


 ノロノロと立ち上がる茉莉花。


「唾を吐いてまで、この俺に勝負を売ったんだ。

 最後まで勝負に付き合ってもらうぜ」

 早くしろとイラつき俺が腕を掴もうとすると、さっきまでノロノロとしていたのが嘘のように、サッと素早く振りほどいた。

 さっきまでの組み敷かれていた屈辱を思い出したのかもしれない。

 ほどかれ虚空こくうを掴む腕を見て、俺は笑みがこぼれてしまう。

 ――そうだ、怒れよ、今は他のことを考えなくていい。

 すべては外へ出てからだ。




        ◇




 散々手を焼かされ、なんとか茉莉花をあおって動かした俺は、部屋を後にした。

 溢れる黄金を掴むはずが、とんだお荷物を抱えている。

 先を急ぎ、茉莉花を先導して暗い廊下を早足で進む。

「いいか、いちいちキョロキョロしたり止まったりするな。

 ただ俺のうしろをついて来るだけでいい」

「あなたが信用できるの?」

「オマエはバカか?

 監禁されてんのを逃すんだぞ。

 俺はオマエと違って、捕まれば殺されて終わりだ。

 アンタとは、必死さが違うんだよ」


 俺は文字通り必死な状況に、最高にハイになる。

 これがたかぶらずにいられるかってんだ。

 いつもなら1人で味わうスリルだが、今回は女のギャラリー付きだ。

 コイツは最高のショータイムに違いない。

 ――連れがいるなら、帰りは3階から外壁を伝うような芸当は無理だな。

 廊下の真ん中を通り、最短ルートをズンズン進む。

 あの角を曲がると、出口か?

「止まれ、誰か監視がいる。

 ここで待ってろ」

 振り返り告げると、茉莉花は袖を掴んで「こんなところで1人にするの?」と言った。

 抵抗したり、疑ったり、ビビったりと、まあなんとも忙しい奴だ。

「格闘経験があるのか?」

 期待ゼロだが、説得のためにカタチだけ問いかける。

 何も言わずに茉莉花は手を差し出す。

 意味がわからず、戸惑ってしまう。

「ん、なんだ?」

「……あなた。

 闘った経験」


 一瞬の間のあと、俺は慌てて自分の口の中で頬を噛み込み、笑いを堪える。

 ――ヤバイ、最高の冗談だ。

 さっきのじゃれあいが、経験だと?

 まるで空気が読めてない。

 1度かるく咳払いをして自分を落ち着ける。

 

「いいか、真っ暗な廊下だ。

 壁際の柱の影で小さくなってれば、安全だ。

 痛い思いをするのと、暗がりで1人。

 どちらがいいか、わかるよな」


 俺は返事を聞かずに背を向け、ソロソロと歩き出す。

 廊下は暗く長く、玄関だけが明るく照らされている。

 見張りは外を警戒している向きだ。

 うしろから近づくに障害はない。

 そのまま闇にまぎれ、躊躇ためらいなく5mの距離まで近づく。

 あいも変わらず外だけを警戒している。

 カタチだけの警戒で、入り込まれるなんて考えていないのだろう。

 俺は一気にダッシュで距離を潰し、男の背後につくと、膝裏を蹴りおろす。

 いきなり支えを失い、カクッと崩れる男の手を引き込んで俺の方へと向けさせると、みぞおちへ1発喰らわせた。

 あっさりと無力化した男を背後から抱え、手近な部屋へと引き込む。

 男の上着をいで口に噛ませた。

 それから結束バンドを取り出し、両手を後ろへ回して親指同士をロックして自由を奪う。


 男を排除した俺は再び玄関へと向かい、様子をうかがう。

 玄関を出てすぐに1人いることは確認できた。

 しかし、扉を開けた先、1人を片付けたあとの安全が確認できない。

 5mほど進むと下り階段になるため、先が見通せないのだ。

 計画のない騒ぎは、ただのバカ騒ぎだ。

 リスクが高過ぎる。

 そう考えた俺はいったん諦めて、先ほどの男を隠した部屋まで戻る。

 あいかわらず男はうなだれて動かないままだった。

 それから窓際へと寄り、外を見回す。

 暗くて詳しくはわからないが、ちょうどその窓付近は樹木が植えられ、周囲からは視界がさえぎられるているようだ。

 窓を開け、下を覗き込む。

 ――微妙に高いな。

 俺は簡単に下りられるが……

 窓から地面まで、3〜4m程ある。

 女の素足では、一息に飛び降りることは無理。

 かといって配管をつたうような器用なことは、あの女に期待できない。

 そう思案しながら俺は窓を乗り越え、いったん外へ出る。


 回り込んで玄関を伺うと、外に3人いることがわかった。

 玄関前の男たちはクズの一員であるにも関わらず、真面目に仕事をしているようだった。

 玄関前に1人、そこから降りる階段の踊り場に1人、階段を降りきったところに1人。

 それぞれが油断なさげに当たりを見回していた。

 近づいて片付けるのは骨が折れそうだ。

 この3人だけならどうにかなっても、3人同時に相手にしたら大騒ぎになっちまう。

 いきなりここで消耗したくもない。

 玄関から出たかったが、窓から出すしかないか?

 先ほどの窓下に戻り、外壁面に伸びる鋼管を掴んで登る。

 ――クソッタレが、中途半端な高さにしやがって。

 あんなビビりの女に、果たしてできるのか?


「待たせたな」

 俺は茉莉花の元に戻り、声をかけた。

「行こう」

「もう大丈夫なのね」

「ん、玄関は使えん。

 この先にいい場所がある。

 そこの窓から出る」

「ここって、1階?」

「……」

「ねえ?」

「用意してある、安心しろ」


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