第10話 白いシルクの花が咲く



 俺が服を寄越せと言うやいなや、茉莉花は俺の肩を遠慮なく殴りつけた。


「話が理解できたのに、その反応は理不尽だ」と俺は抗議するも、「理論と気持ちは別だ」とかなんとか説教をされた。

「離れて、絶対に振り向かないで!」と言いつけられて追いやられるも、渋々の茉莉花から、どうにかブラウスとブラジャーを手に入れた。

 本当はスカートもその下も、あからさまで下品な1つのストーリーをつくるために欲しいところだが、シルクのハンカチで替わりにする。

 茉莉花の許可が出て再び近づいたときには、俺の貸したフライトジャケットの前は1番上までビシッと閉められていた。

 わずかでも見せたくないということなのだろう。


 経過はともかくだ、おとりとして仕掛けるための餌は手に入れた。

 これを撒き餌にして、車に乗っている奴を引き剥がしてやる。

「茉莉花、車は?」

「乗れるわよ。

 でも、たぶんあなたが要求するような運転は無理ね、きっと。

 とんでもなくひどい運転するんでしょ、どうせ」

「フン、なかなか俺を理解してるじゃねーか。

 ここを出たら、ペアでも組んで、ひと稼ぎするか?」

「バカ!」


 ――さて、どうするかな?


 場内道路の近くで隠れる場所か……

 車を奪ってすぐに、茉莉花が飛び乗れる場所に隠れなきゃならん。

 俺は車から降りた奴の相手をしなきゃならない可能性もある。

 茉莉花を車まで走らせるにしても、彼女は素足なんだ。

 長距離じゃ、慌ててコケる心配もある。

 無理はさせたくないし、させるような計画はギャンブルと同じだろう。

 宝くじの1等ってのは、夢見るもんであって、狙いにいくもんじゃあ、ない。


 壁を乗り越え侵入し、隠れながら茉莉花のいた建物まで、場内はどんなだったっけな?

 思い出せ……

 場内道路近くに、何があった?


 ……たしか、雨水の側溝がふたなしのオープンだったな。


 今は12月。季節は冬だ。

 水路を流れる雨水はないはず。

 渇水期で、ツイてるな。

 雨水とはいえ、ドロドロの側溝にかわいい女が隠れるような無茶は、してくれないだろうからな。


 ――フム、茉莉花の白い肌に泥のコントラストも……

 頭を振ってくだらん妄想を振り払う。

 ま、それぐらいの余裕があるなら、俺も調子が出てきたってことだな


 探し回る車のライトを見極めながら、罠を仕掛けられそうな場所へ急ぐ。

 道路の側で、木陰のある場所で、隠れられる側溝のある場所だ。

 場内道路の脇にある側溝。

 そのサイズはおよそ60センチ角。

 これなら十分隠れられる。

 水の勾配の関係か、道路の方がかまぼこのように、側溝よりも10センチほど高くなっている。

 真っ昼間なら丸見えの間抜けで見つかってしまうかもしれないが、この程度の明るさなら識別されまい。

 これならイケる。


 そうして俺は茉莉花を連れに戻り、タイミングを計りつつ側溝に隠す。

 安全を確保してから、俺は奴らの探し求める餌を撒いてやった。

 道路と草むらの境にブラウスを置く。

 ボタンをいくつか引きちぎり、脇を破く細工までしてある。

 そこから探せそうな距離で、道の向こうの木陰に近づくようにブラジャーを投げ捨てる。

 さらにその向こうに、シルクのハンカチを泥に擦り付けて汚して置いた。

 

 ――これだけ離せれば、時間は十分なはずだ。

 もっと餌の数が欲しいのが本音だが、これ以上の贅沢は言えないな。


 ジリジリとしながら、側溝に身を寄せて待つ。

 だんだんとコンクリートの冷たさがしみてくる。

 やがて、1台の車が南側からやってきた。


 ――さーて、陸釣おかづりの時間だ。

 上手く喰いついてくれよ。

 オマエらだって、早く仕事を終えたいだろ?

 その希望を、俺が大失敗という形で叶えてやるぜ。

 さあこい!


 白いライトが俺たちの隠れる側溝を超えていく。

 もう少しだ、右に注意しろよ、右だ……

 ――よし、そこだ!

 気づいて止まれ!

 

 3、2、1……


 ――ハァ?

 オマエらは馬鹿か?

 クズなだけじゃなく、馬鹿なのか?

 華麗にスルーか?


 クソッ!

 もう1度通過するのを待つのか?

 位置が逆になると、仕掛けか隠れる場所を変えなきゃならんぞ。


 手掛かりを見逃すバカどもに悪態をついていると、急にスキール音を立てる乱暴な運転で猛烈にバックして戻ってくる。

「シャッ! 掛かったか?」

 思わず小さく叫んでしまう。

 踏み過ぎでフラつきながらバックで後退し、ブラウスを置いた場所を再び通り過ぎ、車が停車する。

 ライトをつけたまま、運転席と助手席のドアが開いて、男が飛び出した。

 その様子を一瞬でも見逃すまいと、俺は必死に目を凝らす。

 自慢じゃないが、俺はいい歳こいて、いまだに2.0の視力がある。

 ――何人乗っている?

 2人だけで十分だろ、頼むぜ……

 果たして俺の祈りが届いたか、車のルームランプを頼りに凝視した限り、車内に人はいないように見えた。

 降りた2人の人影は車から離れ、茉莉花の着ていたブラウスへと駆け寄って行く。

 それを見た俺は茉莉花の背中を軽く叩いて合図し、音もなく車へと急ぐ。

 いったん車の後部に張り付き、中を覗き込む。

 やはり、誰も残っていない。

 おまけにこの車、ハイブリッドだ。

 ゆっくりならば、エンジンの音なしで逃げられる。

 この流れ、さては俺にツキがきてるな。

 もう絶対にこの流れを離さん。

 俺が開けっ放しの運転席に滑り込むと同時に、タイミングをズラして遅れてきた茉莉花が助手席に乗り込む。

「音を立てずそっと閉めろよ!

 そっとな」


 ――バタン!

 思ったよりも大きな音がして、俺と茉莉花は顔を見合わせてから男たちのいる方を見る。

 気づかれていないようだ。

 2人して大きなため息をついた。


「オイ、冷や汗をかかせんなよ」

「しょうがないでしょ、気をつけたけど鳴ったんだから」

「鳴ったらな、しょうがなくねーんだよ」

 文句を言いつつ、俺はドライブに入れて動かす。

 ノンビリ止まっている時間など、俺にはない。

 ハイブリッドの車は音もなく、滑るように走り出す。

 幅の広い場内道路で転回すると、ライトをすべて消した。

 それでも奴らは気づいて戻ってくる様子はなかった。

 ブラウスに次いでブラジャーを、シルクのハンカチを順番に見つけている頃だろう。 

 ――森に落としたパンくずを追いかけるように、木陰に誘導されて行っちまえ!


「どうだ?

 粗末な罠でも、喰いついたろ?

 俺の言った通りにな」

「ふん、私が脱いだ服にも、オーラがあるのよ。

 可愛らしくて、魅力的なやつがね」

「自分で言うとは、恐れ入るね。

 じゃあ、アンタの着てる俺のジャケットには、どんな加護があんのかな?」


 茉莉花はそれに、答えなかった。


 そのまま無灯火で東を目指して走り、ストックヤードのエリアにやっと入る。

 『おんぶ』じゃウンザリする距離も、助手席に乗せて車で移動ならあっという間。

 もはや勝負ありだ。

 焦ってグンッとアクセルを踏み込みたい気持ちと戦いながら、東の壁を目指し資材の影をすり抜けて行く。

「来るなよ、来るなよ、来るなよ……」

 俺は呪文のように繰り返し唱えると、いつしか隣に座る茉莉花まで、「来ないで」と繰り返していた。

 位置的にはあと1つ角を曲がれば、はじめに侵入した場所、ブロック造の建物が見えてくるはずだ。

 あの建物の外壁面を伝っていけば、茉莉花でも壁を越え、晴れて外に出られるに違いない。


 ――人質奪還てのも、悪くないねぇ。

 カリオストロに、ドルアーガに、ドラクエ、マリオ……

 最後のやつは、縁起が悪いか?

 あの姫はいったい何回捕まるんだってギャグだしな。


 祈るように繰り返しながら曲がる最後の角。

 ――ツキは俺にあるはずだ!


 そして、そこで見たものは……


「こりゃあ、な。

 やるしかないぜ!」

 乾いた笑いが漏れてしまった。


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