44話 覚醒

 かつてない敵。

 生命の危機を生まれて初めて、鮮明に強烈にそして絶望的に抱いた。

 止まっているとそのまますくんで動かなくなってしまいそうな足を叩いて無理矢理動かして、帝は最悪の戦場へと向かう。

 無造作に転がる同僚たち。助ける。そんなことをしている暇も、そしてその有用性も希薄だ。無意味なのは歴然としていた。一体この中の、何人が生きているというのか。

 雪原は紅に染まる。血だ。自分が足跡をつけるこの雪の赤色は誰の血か。見ていられなくなって、視線を上に向けた。戦火が目に入る。


 人払いはされてると言うが、ここまで大規模な戦闘が行われて、それがどこまで効果があるのかは甚だ疑問だが、いらぬ好奇心を働かせる人間がいないことを切に願う。


「サラド、行くぞ」

「よしきたる。つかさ、頑張るる」


 相棒の名を呼んで、帝は自らに、そして冷気につられるようにして凍りつきそうな闘志に火を灯す。その焔は雪を溶かし、めらめらと揺らいで周囲を照らした。突き進む。


 そこは、地獄だった。

 戦いの爆心地。あらゆる命の存在を真っ向から否定する死の空間。傷つき倒れていく仲間たち。常識の埒外の力を振るい、歴戦の猛者達をまるで塵でも払うかのように容易く薙ぎ払ってみせる妖精、いや精霊か。

 目を奪われるような美麗なその姿は同時に、対峙する者を深淵に誘うような魔性を宿す。そして、精霊パンドラは、近づいてくる帝に気づいて振り向いた。


「あら? 貴方も死にに来たの?」

「ぬかせ、妖精」


 己が最強の妖精師の一角であるという自負が、自分が守るべき側だという子供らしい正義感が、彼を支えている。吹雪、紅音。この世界で唯一心を許した大切な人たち。

 彼女らを危険に晒すような真似は絶対にしたくない、たとえ自分の命を賭けても。身命を賭しても。


「お前は俺が倒す。それだけだ」

「あらあら、威勢がいいわね」


 不意打ちの一撃、焔をまとった回し蹴りは闇によって阻まれた。地面から生えるように伸びてきた壁が焔を受け止めていたのだ。


「ちっ」

「そんなものかしら? なら、こちらからいくわね」


 優美に微笑んで、次の瞬間には帝の体は宙を舞った。闇を凝縮した槍が帝を吹き飛ばしたのだ。

 喉奥からこみ上げる嘔吐感を舌を噛んで堪えると帝は空中で体勢を立て直し、次撃に備えつつ迎撃の形を取る。来た。

 闇色の風が逃げ場のない広範囲に襲いかかる。それに対して帝は手の平から上向きに焔を噴出した。地面に叩きつけられるように、多少強引だが身を低くして風をしのいだ。

 風が弱まったタイミングを狙い、駆け出す。焔をまとった拳による右ストレート。それはまた闇の壁によって防がれた。

 二度目の舌打ちをして、それでも攻撃の手は緩めず連打を叩き込む。


「絶対に・・・・・・倒す!!」

「好きにするがいいわ。貴方は他の人間どもよりは少しはやるようだけど・・・・・・でも、貴方も足りないわね。私に挑むには・・・・・・私を楽しませるにはね!!」


 焔と闇が衝突し、破壊の嵐を生んだ。




 ★  ☆  ★




 油断が無かった、そう言い訳をしても遅い。間に合うはずだった。スローモーションのように、それは網膜に焼き付く。

 目の前で、自分を突き飛ばした女性が槍に貫かれた。貫いた、と表現するのはなまやさしいだろう。穿った。生命を根こそぎ刈り取る一撃。


 悔恨は刹那に押し寄せ、冷静さを押し流していった。心臓の拍動は不規則なリズムを、不気味な旋律を奏でた。それは、崩壊のメロディ。自我の壊れる音。


「おい・・・・・・何してんだよ・・・・・・なんで俺なんかを庇ってんだよ・・・・・・ふざけんなよ」


 戦いが始まってから一日、二十四時間以上もの時間が経過して、そこに立っていたのは三人。であったが、その頭数はほんの一瞬でひとつ減った。

 帝の腕の中で、一人の人間の熱が失われようとしているのがはっきりと分かって、帝は悲痛な声を上げる。胸元を貫かれ、今にも絶命寸前の女性、紅音は息も絶え絶えに帝の頬に手を当てた。

 傷口から溢れた鮮血が、押さえても止めきれずに血溜まりをつくる。帝の着ていた服は、自分と紅音の血が混ざって赤黒く染まっている。

 致死量、死ぬのは時間の問題。

 それでも、紅音は帝に笑みを見せた。


「・・・・・・お、前、が、無事・・・・・・なら、いい・・・・・・私、のこ、と、は、わす、れ・・・・・ろ・・・・・・」

「もうしゃべるな! お前は・・・・・・お前は・・・・・・」

「あり、がと・・・・・・な、つか、さ・・・・・・わた、しは・・・・・・わた、しは・・・・・・おま、えが・・・・・・」

「馬鹿野郎! 馬鹿・・・・・・や、ろぅ・・・・・・。なに諦めたような面してんだよ、死ぬんじゃねえ、死なせねえ。俺が・・・・・・」


 紅音は涙を流しながら、そこに帝の頬を伝って落ちた雫が重なる。帝もまた、泣いていた。

 

 大好きだ。


 声には出せず、口の動きだけで紡がれたその一言を遺して、紅音の手は力を失ってダラリと重力に引かれていった。瞼がゆっくりと閉じていくのを、実質の数十倍のように体感しながら、帝は歯噛みした。ひとつの、しかし何者にも変え難い人の生命が消えて・・・・・・何かが、音をたててその殻を破っていく。心の奥深くから、何かが目覚めようとしている。


「・・・・・・ふざけるな」


 その怒りは、命がけなんてくだらないことをしてくれた亡骸へと。


 そんなことをするのは、自分だけで十分だ。帰るところと綺麗事をほざいてみても、満たされない空虚を内に抱えたハリボテがあっただけ。家族を事故で亡くし、孤独の喪失を妖精という仮初に添加しただけの自分に、居場所を与えてくれたのは、間違いなくお前だった。

 もう直接に言う機会は永遠に無い。どれだけの恩を感じたことか。何度感謝の気持ちを抱いたことか。だから、俺に恩を返させてくれ。

 本当に救われていたのは、俺だ。

 依存していたのは、俺なんだ。


「・・・・・・ふざけるな」


 その怒りの矛先は、己へと。

  

 とっくに彼我の力差は分かっていたのに、こんな死地に持ち込むべきでない自尊心が、判断を遅らせた。どうにかなると、楽観視を知らず知らずのうちにしていた。彼女が自分を援護しに来た、その時点で察するべきだったのに。

 守るべき人を前にして、守られてしまった愚かで弱い自分を罰するには、どんな言葉をもってしても足りない。

 

「ようやく死んだわね。本当に鬱陶しかったわ。回帰属性の出来損ないみたいな力だけど、思ったより手間取ったわ。・・・・・・で、どうするの? 貴方を助けてくれる人間はもういないわよ?」


 喜悦に肩を揺らして、土煙を払いながらパンドラは姿を見せる。もう残るは帝だけだ。やつの中ではもはや現状は体の周りをハエが飛んでいるくらいにしか思っていない。

 

「ふざけるな」


 そして最後にその怒りは元凶へと。

 その激情の正体は、殺意。妖精に死という概念があるのかは知らないが、それでもやることは変わらない。徹底的に壊してやる。

 この感情を律することができるのが大人なら、俺は一生子供のままだ。ここで諦めるという選択肢を考えようものなら、やつに殺されずとも死んだも同然だ。


 遂に燻っていた疑念は晴れ、その全貌を明らかにしたのは、文字通り身を焼くような煉獄。絶望に対する希望ではない。それ以上に、俺のそれは歪み、独善的で、虚無的だ。

 殺意と言えば早いが、そんな二文字に落とし込めないほどにそれは根が深い。

 深淵から帝という器を通して顔を覗かせたのは、そんな無限大の破滅の兆候であった。


 パンドラでさえ、畏れを抱いたと言えば早いか。


「・・・・・・お前を殺す、パンドラ」


 身を焦がす焔の象徴であった魔装は、帝を喰い破って現れた邪心を体現するかのように濁り濁ったものに変わっていく。

 身を焦がすは身を滅ぼすに昇華され、何か、という対象を選ばない無差別の破壊を振り撒く魔炎へとその様相を呈していった。


 その現象の名称は不確定。

 後に、遥か遠くの未来にて《覚醒》と呼ばれる妖精師の力の局地。死と隣り合わせの終末の領域。


 自身の肉体すら変質させる、神すら恐れぬ所業。


 緋色に染まったその髪は、黄金色の魔眼は。契約妖精と人体の境界を曖昧にした具現。


 ここからが、殺し合い。 

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