第6話

 〈ミスリル〉作戦部の基地内を、珍しく肩を落とした宗介が、とぼとぼと歩いていた。


 マオの兵舎を出てすぐ、衝動的にテッサを探しに来た所をマデューカスに捕まり、「艦長はお疲れだ、彼女の貴重な休息の時間を邪魔することは何人たりとも許さん!」と一喝された上、何故か日頃の食生活や交友関係についての説教が始まり、ようやく解放された時には日が沈みかけていた。


(今日は縁がないようだな……)


 これほど時間が経過しても、テッサは基地内に姿を現していない。マデューカスによれば、順安事件以降、相当の激務をこなしていたらしい。きっと、疲労が溜まっているのだろう。そう考えると、テッサを元気づけるどころか、逆に今会いに行くべきではないのではないか、と思えてきた。


 第一、今テッサに会って、一体何と声をかけるつもりだったのか。テッサには、正式に友達宣言を撤回されているのだ。そもそも、誰かを元気づけるようなことが、自分に出来るのか?


(やはり、今日は帰ろう)


 そう思い直すと、宗介は小さく嘆息してから、今来た道を引き返そうとする。だが、真っ直ぐ伸びた廊下の向こうから、カリーニンが歩いて来るのに気付き、その場で敬礼をして待った。


「どうした」


 カリーニンが問うているのは、なぜ将校用の区画にいるのか、ということだろう。宗介は答えに窮した。


「いえ、特には」

「特に用事も無いのなら、夕食でもどうだ」

「は?いえ、それは……」

「何かあるのか」

「そういうわけでは……」

「なら遠慮するな。どうせ食材は十分ある」


 誘いを受けた宗介は、額にびっしりと汗を浮かべ、しばし沈黙する。カリーニンと夕食を共にすること自体は問題ではない。だが、だった。


 しかし、特に用事が無いと答えている以上、上官の誘いを無下に断るわけにもいかず、結局宗介は、「では御馳走になります」と言って、カリーニンについて行くことにした。

 

 そうして、カリーニンの自室までの短い間、AS用近距離散弾砲のより効果的な使い方だとか、市街地におけるASを用いた戦闘において、被害を最小限に留めるための戦術だとか、何とも味気無い会話を続けていた二人の前に、曲がり角からふらりと、憔悴した様子のテッサが現れた。


「大佐殿」


 カリーニンに一拍遅れて、宗介も敬礼する。


「カリーニンさんに……サガラさん?」


 テッサの目にも、「なぜ宗介が将校用の区画に?」という疑問が、ありありと浮かんでいた。しかし、テッサが質問するよりも先に、カリーニンが口を開いた。


「随分お疲れの様子ですが」

「え、ええ……。少し」

「本日はオフだったのでは?」

「そうなんですが、野暮用があって」


 そう答えたテッサの、腹の虫が「きゅるっ」と可愛い音を立てた。先程まで青白く見えたテッサの頬に、僅かに赤みが差す。


「あ、その、今日は朝から何も食べていなくって、それで……」

 それを聞いたカリーニンは、ふむ、と唸った。

「でしたら、これからご一緒に夕食はいかがでしょうか。丁度我々も、今から夕食にする所だったのです」

「えっ」


 テッサにしてみれば、あまりに意外な提案だったのだろう。目を丸くしてから、暫く考える素振りを見せた。その間、ほんの一瞬だけ、ちらりと宗介に目線をやったが、宗介はテッサの視線には気付かなかった。


「では、お邪魔でなければ、お言葉に甘えようかしら」

「もちろんです。では、どうぞ」


 相変わらず無表情だが、どこか満足げに頷いたカリーニンが、テッサを先導するように、先程に比べ歩調を緩めて歩き出す。カリーニンの隣にいた宗介は、テッサを間に挟むように、後ろに下がって追従した。


 間もなく三人は、カリーニンの自室に着いた。カリーニン自らが手料理を振舞うとは思っていなかったのか、テッサは少し驚いていたが、カリーニンに続き、遠慮がちに部屋へと入っていった。


 全くと言って良いほど飾り気の無いリビングは、広さや造りの違いはあれど、宗介の部屋と良く似ていた。しかし、そんな中、唯一キッチンだけは、様々な調理器具や調味料が置かれており、生活感を醸している。


 二人を部屋に招き入れ、カリーニンが早々にキッチンに立ったため、宗介とテッサは所在なさげに部屋をうろついた。カリーニンに促され、ダイニングチェアに腰かけた後も、何と話して良いものか分からず、結局二人の会話は、M9で〈デ・ダナン〉から緊急射出ブースターで発進する際のリスクを低減する方法だとか、体格や筋力に勝る相手を怯ませ、その場から離脱を図るための護身術だとか、何とも味気無いものになった。


「あの……ところで、サガラさん」


 会話の区切りがついた所で、テッサは声を潜めた。


「カリーニンさんは……一体何を作ってるんですか?」

「それは……」


 宗介も声を潜める。


「ボルシチ、です」

「ボルシチ?でも、それにしては随分と、色々なものを入れてる気が……。あと、数秒おきにアラームが鳴るのは何故です?」


 カリーニンは、アラームが鳴る度にきっちり一周、おたまで鍋をかき混ぜている。その真剣な表情と機械的な動きは、さながら爆発物を扱う怪しい科学実験のようだ。


「とにかく、まともな食べ物が出来上がることを祈るしかありません」


 何やら悲壮な覚悟をたたえた宗介の表情を見て、テッサも息を呑む。


 そうして、とてつもなく不吉な予感を纏ったボルシチが、完成した。


 カリーニンが、人数分のボルシチと小さく切ったバゲットを運ぶ。少なくとも、見た目や匂いからは、そこまでの異変は感じなかった。だが、宗介は以前に一度、既にこのボルシチを味わったことがある。ゆえに、見た目や匂いに騙されてはいけない、と自分に言い聞かせた。


「お口に合えば良いのですが」


 そう言って、グラスに水を用意した所でカリーニンも席に着いた。


 テッサとしては、この怪しい雰囲気をこれでもかと放つボルシチを、最初に食べるのは非常に抵抗があったが、カリーニンも宗介も、どうやら自分が口をつけるまで、スプーンを手に取る様子が無い。


 仕方なく、テッサは小さくスープを掬い、そっと口に運んだ。




 そして、夕食の誘いを受けたことを、激しく後悔した。

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