第14話 きざし




 強烈な衝撃を左頬に受けた森永は、背中を壁にぶつけて地面に崩れ落ちる。

 殴り付けたのは彼の仲間で、午後の授業では徒党を組んで都古を嵌めようとした、機甲科二年男子のリーダー桜井だった。彼一人だけでは無く、倒れた森永を取り囲むよう、他の面々も顔を揃えていた。

 桜井はチッと舌打ちを鳴らしてから、蹲る森永の脇腹を蹴り飛ばす。


「オラぁ! こんなモンじゃ済まねぇぞ森永ぁ」

「ぐはっ!? ……げほ、げほ。ちょっ、桜井……なんで……?」

「なんでだと? 馬鹿にしてんのかテメェ!」


 今度は反対側から、別の男子生徒が蹴りつけた。

 底辺とはいえ、彼らも近衛教導学園で訓練を受ける、ギア操縦者の候補生。鍛えられた身体から放たれる蹴りは、内臓に響くような鈍痛を森永に与えた。当然、彼も鍛えてはいるだろうが、的確に脇腹の筋肉が薄い部位を蹴りつけているので、衝撃は諸に臓腑へと響き渡る。これも訓練で教えられた、的確に相手を痛めつける技の一つだ。


「躑躅森に目を付けられたんだぞ! その所為で丸め込んだ教官が俺の下から外れやがった。あの教官が今までの事を暴露したら、俺達は学園に入れなくなるんだぞ!」

「テメェが転校生をしめようなんて言い出さなけりゃ、こんな事にはならなかったんだよ。森永、全部テメェの所為じゃねぇか!」

「そ、そんな……うぐっ。お前らだって……」

「うるせぇ! 口答えじてんじゃねぇぞ、オラッ!」


 反論しようとする口を塞ぐよう、桜井が爪先を倒れる森永の口に蹴り込むようねじ込んだ。


「あが、がが……やめ!?」

「巻き込みやがってこの疫病神が!」

「――がッ!?」

「なんだその目は、文句あんのか、ああッ!」

「――んぎッ!?」

「丸まってねぇで土下座しろよ土下座ぁ!」


 口々に怒声を張り上げながら、人目の付かない校舎裏で森永に暴行を加える仲間達。制服は見る間に土と泥で汚れていき、まともに蹴りを受けた顔面は鼻血と涙でぐちゃぐちゃ。腹部に受けた蹴りの衝撃で反吐を撒き散らすも、怒りに浮かされた桜井達が暴行の手を緩めるような事は無かった。

 訓練を受けているとはいえ基本、森永はお坊ちゃん育ち。手加減の無い痛みに、あっさりと心が折れ反撃する気すら削がれていた。


「あ、ああ……う、ぐぅ……か、勘弁、ゆるしてくれぇ……」


 か細い声で必死に土下座をしながら許しを請うも、桜井達は耳に届いて無いかのよう殴る蹴るを繰り返す。

 やがて土下座した態勢のまま、ぐったりと動かなくなった頃、ようやく溜飲が下がり我を取り戻した荒い息遣いで暴行する手を止めた。


「はぁはぁ……動かねぇな。死んだか?」

「おい、それは流石に不味いんじゃないのか?」

「ふん、構うモンかよ……行くぞ」


 一瞬、戸惑ったモノの、森永が僅かにうめき声を漏らした事に生きている事を確認した桜井は、最後にペッと倒れる姿に唾を吐きかけ身を翻す。


「森永。テメェは次からパシリだかんな」

「そりゃいいや。転校生の分までこき使ってやろうぜ」


 桜井の言葉に下品な笑い声を上げながら同意しつつ、倒れたまま動けずにいる森永を介抱する事無く校舎裏から立ち去ってしまった。

 ようやく暴力の嵐から開放された森永。しかし、立ち上がるどころか顔を上げる事も出来ず、僅かに身じろぎだけすると、土下座をした体制からゴロンと横に倒れるのが精一杯だった。


「うう……げほ、がほっ!」


 呼吸するだけで胸が痛み、激しく咳き込むと激痛から全身が引き攣る。

 痺れるような痛みは時間が立つにつれ、燃えるような熱を持つようになる。骨が何本か折れているかもしれない。もしかしたら、折れた骨が臓器を傷つけ、あるいは肺に刺さっている可能性だってある。だが、それ以上に森永が恐怖に身を震わせているのは、連れ添った仲間達に見限られた事だ。仲間だった森永だからこそ理解出来る。見捨てられた自分は、明日からどういった処遇を受けるのか。


「う、うう……なんで、なんでおれが、こんなめに……」


 自らが吐いた汚物に塗れる事も構わず、森永は身を丸めさめざめと泣いた。

 森永は大手製薬会社重役の一人息子ではあるが、それはノーブルが集まるこの近衛教導学園にとって、特別高いカーストを得られるアドバンテージにはなりえない。彼がこれまで勝手気ままに振る舞えたのは、教官を後ろ盾にしていた桜井の傘下に入っていたから。そこを抜けるという事は、彼を守っていた壁が取り払われるという事。そうなれば今まで彼に虐げられた生徒達が、どのような手段に出るのか、想像するだけで森永は痛みすら忘れる恐怖を呼び覚まされる。


 どれくらい、そうしていただろうか。

 日が暮れ、頬の付着した胃液が渇き始めた頃、何処からかコツコツと地面を歩く足音が、此方に向かって近づいてくるのが聞こえた。

 痛みの記憶が無意識に、恐怖から身体を強張らせる。


「おやおや、これは酷い……何とも哀れな姿だ」


 聞き覚えのある男性の声。

 しかし、頭を強く打った影響か、耳鳴りが酷く誰の声なのか上手く思いだせない。ただ、声を聞いた瞬間、森永は何故だか安堵していた。この人物なら自分に危害を加えない。記憶の隅に引っかかる安心感が、森永から警戒心を取り払った。

 それはある種、声をかけた男性には好都合だっただろう。


「可哀想に。痛かっただろう」


 優しくそう言って手を伸ばす男の姿に、森永は耐え切れなくなって涙を零した。

 視界が滲む所為で、此方に手を差し出す男の姿を、シルエットでしか確認出来なかったが、恐怖と痛み、そして孤独に支配されていた森永は、そんな事が気にならないくらい、安心感が内心を支配する。

 心の隙間に入り込むように、傷口に擦り込むように、男は優しく諭すよう語りかけた。


「苦しいかい? 悔しいかい? さぞ、屈辱だっただろうね」

「う、ううっ……うううっ。なんで俺がこんな目に……俺は、俺は何も間違った事はしてないのに。アイツらの所為で、あの転校生の所為で……」


 嗚咽を漏らしながら、この後に及んで恨み言を口にする森永。けれど、男はそんな森永の身勝手な理屈を窘めるような事はせず、蹲る彼の背中を優しく撫でた。


「そうだね、君は何も悪く無い。君はただ、学園のルールに忠実だっただけだ」


 男はそう森永の妄言を肯定した。


「悪いのは君じゃない。君には何も責任は無い。君はただ物事を正そうとして、理不尽に打ちのめされただけさ……例え学園中の全員が君を否定しようと、僕は、僕だけは君の正しさを理解している。君は正しかった。間違っていなかった。そうだろう?」

「そうだ。俺は正しい、間違っちゃいない」

「うんうん、そうだよそうだよ」


 繰り返し、繰り返し、男は耳元に近づけた口から甘言を脳裏に擦り込む。


「君が間違っていないのなら、間違っているのは誰だい?」

「それは……それは……」


 脳裏に浮かぶのは桜井とその仲間達。だが、彼らは違い。彼らとの諍いなど、些細な結果に過ぎない。ならば、直前で裏切った教官だろうか。いや、それも違う。ならば切っ掛けを作った躑躅森揚羽か。それも違う。次々と浮かんでは消えていく人物像の中で、最後の一人が頭の中に浮かびあがった瞬間、身体の奥がカッと熱くなる。

 怪我による発熱とは意味が違う。

 これは怒り。とてつもなく深く、暗い怒りの熱だ。


「雪村……雪村ッ……ゆきむらみやこッッッ」


 噛み締め過ぎた奥歯が、ガリガリと削れるよう音を立てる。


「あの転校生ッ、雪村の所為で俺は……俺はッ!!!」


 喉を震わせるのは仄暗く重い恨み言。第三者が聞けば身勝手極まりない逆恨みだろう。しかし、全身に傷を負い、友人を失い、学園に置いての立場と未来を失った森永に、正常は判断が出来る余裕は無かった。

 何よりも森永の言葉を全て肯定する男の存在が、彼の妄執に拍車をかける。


「何も悪く無い君に、全ての責任を負わせようとする愚か者がいる。そんな悪行を許すわけにはいかない。そうだろう?」


 言いながら男は森永に向かって、再び手を差し伸べる。

 森永は僅かも悩む事無く手を伸ばし握り返すと、涙の所為でハッキリと認識出来ない顔付きに優しげな笑顔を張りつけた。


「さあ、立ちなさい。そして立ち向かうんだ……君を悪しざまに罵り、陥れた雪村都古に罰を下す為に。心配ない、迷う必要も無い。君には僕がいる、僕だけが君の味方だ。僕の力を君に貸そう……森永君、君が正義を執行するんだ」


 日が堕ちる。太陽が海へと沈む。

 誰かにとっての悪夢が、極東の島国に舞い降りた。




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