第五章 馬っ鹿じゃねえの? お人好しで飯が食えるかよ

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 鎌倉は浅間通り商店街を徘徊していた。

 商店街は、明日の大祭の準備に余念がない。アーケードには無数の紅白の提灯が吊り下がり、午後になって、露天商の姿も、ちらほらと見え始めた。街区ごとに建つ鳥居を模したゲートには《祝! 浅間大祭!》と丸い文字で書かれた看板が掲げられている。アーケードに流れるBGMも、陽気な洋楽ばかりだ。

 首にタオルを巻いて、Tシャツを汗でぐっしょり濡らした《太公望釣具店》の会長が、すれ違いざまに「おお、鎌倉くん。今日はアレかい、ライブハウスで歌うのかい?」と声を掛けた。

 歌わねえよ。先月までの出資元が、報酬を渋ったからな。俺は上手く聴こえる歌い方は知ってるけど、歌うことは、これぽーっちも好きじゃねえんだ。儲けが発生すれば別だけどよ。無料で、誰かのために、ピーチクパーチク歌うのは、相当の聖人君主か、てめえの歌がこの世で一番上手いと思ってる平平凡凡のナルシストだ。

 鎌倉は、適当な愛想笑いを浮かべて答えた。

「あ、いや、歌わねぇっす。今日はちょっと別件でぇ」

《太公望釣具店》の会長は丸い顎を撫でて「ふぅん、鎌倉くんは、歌がとびきり上手だから、また聴いてみたいなぁ」と何度も浅く頷いた。

 ああ、はいはい、一円の儲けにもならねえ、お世辞をどうもぉ。

《ナガマツ・スポーツ》の従業員が、道路を挟んだ向かい側のアーケードから声を掛けた。なにか聞きたいことがあるらしく、《太公望釣具店》の会長は鎌倉の肩を叩き「まあ、頑張ってね!」と声を掛けて、道路を横切って行った。

 頑張るって、俺は、もう充分に頑張ってんだっつうの! 頑張った結果が、東奔西走の挙句に泥だらけの水浸しの、股間に剛速球だ! くそったれ!

「あーあ、金になる話、どっかに転がってねえかな」

 鎌倉はアーケード脇の石造りのベンチに腰を下ろす。横殴りの日差しを左手で遮りながら、周囲を見回す。店員は誰もが明日の大祭のために忙しく働き、話しかけたところで相手にされないことは目に見えている。買い物客の姿も見えるが、この時刻になると夕飯の買い物で忙しいので、声を掛けたところで、煙たがられるのが関の山だ。

 かといって、大学に戻っても岩上教授の、怒るでもなけりゃあ諭すわけでもない中途半端な説教が待ってやがるし、アパートに戻ったところで、小切手がポストに入ってるわけは……ねぇわな。

 鎌倉は、周囲に漂う料理の良い匂いに気付き、目の前の四番街お惣菜・オーバンエリーに視線を向けた。買い物客でごった返す店先に、茶色い柴犬が行儀良くチョコンと座っている。どうやら買い物客の飼い犬のようだ。結び付けて置いた紐が解けて、地面にだらんと落ちている。

 ったくよぉ、舌ぁベロベロ出しやがって。店頭の総菜に食い付くでもなく、逃げ出すでもなく、飼いならされてんなぁ、ワン公。

 鎌倉は舌をチチチと鳴らして、柴犬を呼んだ。柴犬は黒目を光らせてトコトコと鎌倉に歩み寄って、尻尾を振る。鎌倉は柴犬の顔を両手で挟み込んで、指を立ててワシャワシャと撫でた。

 あー……すげえ獣臭え。毛も、油とフケでベタベタじゃねえか。よう、ワン公。お前のその嗅覚でよぉ、ここほれワンワンで、大判小判がざっくざくっ。俺ヒャッホー! ってならねえかよ?

 鎌倉が柴犬に顔を近付けると、柴犬は顔を五番街に向けて、甲高く「ワン!」と甲高く鳴く。

「おっ、大判小判か?」

 鎌倉が柴犬同様に五番街に顔を向けると、目の前にミヤコが立っていた。急いでいるらしく、細い顎から汗を滴らせながら肩で息をしている。

 なんだ、大判小判じゃなくて、生ゴミのほうか。

 鎌倉はミヤコから視線を逸らし、柴犬を睨む。

 おい、ワン公っ、俺は性悪ジジイじゃねえから、生ゴミを掘り当てなくてもいいぞぉ。

 ミヤコは、汗でべっとりと額にくっついた前髪を横に流し、ショートカットの髪をバサバサと掻いて作業着の袖で汗を拭った。と見るや、鎌倉の脇腹に、ドスッと重い回し蹴りを入れる。鎌倉は体を「く」の字に曲げ、脇腹の痛みに悶絶する。

「なんだ、象のでけえ糞か、生ゴミかと思って蹴ったら、鎌倉かよ」

 このクソアマ、ふざけやがって。どこの世界に、ベンチに座って犬と会話する糞や生ゴミがいるかってんだ。つうか、俺は人間だ。あーもう、ちっくしょう、すんげえ、痛え……けど、痛すぎて、声が出ねえっ。

 鎌倉は痛みでプルプルと震えながら顔を上げる。

「て、てんめぇ……このションベン女ぁあぁ」

「うるせえ。退け。テメエが短い足なぞ伸ばしてやがるから、アーケードが狭くてしょうがねえや。あ、そこの可愛いワンちゃんも、悪いけど、ちょっと退いてくれな」

 ミヤコは柴犬の頭を撫でて担ぎ上げ、店舗側に退かす。足を開いて踏ん張り、紐を握り、肩を滑車代わりに、背丈ほどの大きさの白い布袋を担いで、鎌倉の前を通過する。白い布袋の表面には、中身のゴツゴツが浮き出ていた。ミヤコが歩く度に、振動でゴツゴツと形状を変える。

 鎌倉はミヤコに聞いた。

「おい、なにを運んでいやがる。金目のもんか?」

「鎌倉、うるせえ。車輪がイカれちまったエアー・コンプレッサーと、オービタル・サンダー、はんだごて、だ!」

 エアー・コンプレッサーね。どうりでデカイわけだ。担いで持ってくヤツの気が知れねえや。つうか、担げるって、どんだけ怪力だよ。そもそも、エアー・コンプレッサーなんて、何に使うんだ。それこそ、タイヤの空気入れか、釘打ち、塗装くらいだぜ。塗装……ああ、なるほど。あの謎の外国人三人組の壊れた楽器の塗装に使うってわけか。そういや、あの外国人ども、結局のところ、大道芸人だったのか、それとも、バンドだったのか、気になるな。どの道、金になりそうなヤツらだったら、逃す手はねえってもんだ。

 鎌倉はベンチから立ち上がり、《ミセス・ロビンソン》の在る一番街に向かうミヤコを早足で追いかけた。鎌倉は、地面に杭を打ちこむような調子で歩くミヤコの前に先回りして、尋ねる。

「なあ、あいつら、金になりそうか?」

「金、金って、うるせえなぁ。手伝わねえなら、退きやがれってんだ」

 眉を吊り上げて怒るミヤコに、なおも鎌倉は食い下がる。

「いいじゃねえか、教えろよ」

「糞にたかるハエか、テメエは」

 ミヤコは眉間に皺を寄せ、牙を剥いて、飛び回るハエを叩き落とすような尖った口調で鎌倉を威嚇する。が、しかし鎌倉は、なおも食い下がる。

「俺がハエだとしたら、大鳥居、てめえが糞だぜ」

 ミヤコは鎌倉を睨み付けると、右足を軸に、ぶん、と左足を回転させて、鎌倉の太股を蹴った。ミシッと音が響き、鎌倉は思わず「パウッ!」と奇妙な悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちる。

 チクショウ、油断したっ。荷物を背負ってるから手出しできないと踏んだが、大鳥居の攻撃力は、俺の想像を遙かに上回っていやがった。うおお、痛え、ファッキン!

 ミヤコは、地面の上で太腿を抱えてのたうち回る鎌倉の尻に、もう一発、蹴りを食らわせて先を急ぐ。

 待てよ、大鳥居……か、金になり、そう、なの……か?

 鎌倉は腹這いになり、痛みと戦いながら、どうにか腕の力で、ずるずるとミヤコの後を追いかけた。

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《ミセス・ロビンソン》の前までやってきたミヤコは、白い布袋をゆっくりと地面に置き、ひょこひょこと歩く鎌倉を呼びつける。

「やい、鎌倉。どうせ手伝わねえ気だろ? せめて邪魔すんじゃねえぞ」

 ミヤコは勝気な目で鎌倉を睨み付け、強気な口調で訴えた。

 むやみやたらと吠えて噛みつく命知らずの小型犬か、てめえは。

 鎌倉は太股を擦りながら、浅く何度も頷く。

「へえ、へえ、そうだよ、手伝わねえよ。報酬が出たら別だがな」

得体の知れない他人の楽器を修理して、店まで閉めるたぁ、一文の得にもならねえ、見上げた助け合いの精神だぜ。めでてぇもんだ。

 鎌倉は、エアー・コンプレッサーを調整しに店から出てきた辻村に「よぉ」と挨拶をして、店内へ。

 店内の床は一面、《魚しず》と金色の文字でプリントされたビニールシートが敷き詰められ、バンドのフライヤーやステッカーが貼られた壁は方眼紙で覆われていた。カウンター・テーブルにはパーツを全て取られた状態のギター、その隣の背の高い円筒状の灰皿を脚にした仮設テーブルには、ベースが寝かせられている。鎌倉は、ぐるっと一周、店内の様子を確認して、頭を掻く。

 こらまた、派手に人助けしてるようだな。気が知れねえぜ、ったく。開発途上国に送る救難支援のガラクタ物資の店開きみてえだ。

 鎌倉は壁に寄せられた大小様々なドラム・ケースを覗き込む。スネアから始まり、バスドラムに至るまで、綺麗にヘッドが張り替えられ、フープも、シェルも、バスドラムを鳴らすための道具であるフット・ペダルまでもピカピカに磨き上げられている。鎌倉はおもむろにフット・ペダルを手に取り、顔に近づけ、カムとベアリングと呼ばれる、フット・ペダルを踏み込む際の支点を担うパーツを観察した。

 確か、社務所でざっと見たときは、この部分のチェーンがイカレポンチで、お陀仏、鉄屑まっしぐら! だったはずだ。が、見事に直っていやがる。この短時間で、メンテナンス完了ってか? マジかよ。

 鎌倉はギターの修理に取り掛かるミヤコに聞く。

「おい、大鳥居、このフット・ペダル、お前が直したのか?」

 ミヤコはエアー・コンプレッサーの電源を入れ、ツンと澄ました表情で保護眼鏡を装着しながら頷く。

「そうだ、なんか文句あっか。せっかく踏み具合を調節したんだから、触んじゃねえぞ」

 へえ、へえ、言われなくても、そうしますよ。腕がちぃとばかし良いから、いっちょ前に威張りやがって。まあ、いいや。ドラムの壊れた部品は鉄屑屋に売っても二束三文、マクドナルドのハンバーガーのピクルス一枚だって買えねえだろうしな。

 鎌倉は「イッ」と歯を見せてミヤコを睨むと、フット・ペダルを置き、ベースを修理する煙水中の元へ足を向ける。煙水中は英語で、華奢で背の高い男と、仮設のテーブルの上に寝かせたベースを指差して、これからの作業工程を確認している様子だ。

 鎌倉は二人の間に割って入る。

「よう、博識。作業は捗ってるか? 一応、断っておくが、邪魔しに来たわけじゃねえぜ?」

 って言っても、手伝いに来たわけでもねえけどな。儲けがあるかどうか、見学だ、見学。えーと、まずはベースの型や状態は、っと。

 鎌倉はカウンター・テーブルの上の視線を向ける。白色のボディーに、黒色のピックガード、ボリュームノブ部分の銀色に光るメタルプレートの対比が美しいベースだ。型は《ダブル・カッタウェイ》と呼ばれる、鬼の頭のように二本の角が生えたような形状、ネックとヘッドの部分が四個の万力で板を噛ませた状態で固定されているのみで、ギターと比べて比較的損傷箇所が少ないようだ。

 鎌倉が煙水中に尋ねる前に、煙水中は顔色一つ変えず、平べったい口調で説明する。

「ヤマハのBBシリーズです。損傷箇所は、ヘッドとネックの繋ぎ目のみ。完全に折れたわけではなく、亀裂が入った程度なので、埋め木を二カ所と、接着で対応しました。側面の塗装が衝撃でかなり剥げているので、五十鈴がこれから対応します」

「あっそ」

 鎌倉は肩を竦める。

 優等生だなぁ、煙水中くんはよぉ。完全にジャンクだったら、部品を取り出して売ろうと思ってたけど、その隙すらありゃしねえ。駄目だな、まるっきし金にならねえ。下手に運んだら、足代でアシを出しちまわあ。

「となると、やっぱり金脈は、腐ってもギブソン、レスポール様だな」

 鎌倉は踵を返し、オービタル・サンダーでギターのボディーとネックの接着面を慎重に削っているミヤコに近付いた。パリパリと木片が薄く剥がれる音と、ジジジとオービタル・サンダーが細やかに振動する音が、綯い交ぜになって周囲に響いていた。ミヤコは接着面を大きな目でぐっと掴むように睨んだまま、静かに口を開く。

「邪魔するんじゃねえぞ、鎌倉。今、ちょっとでもギターに触れたら、てめえの鼻を、根こそぎ削り取ってやる」

 鎌倉はカウンター席にどっかりと腰を下ろし、大袈裟に身震いする。

「おお、怖ぇこった。まるで、Vシネマに出てくる悪徳商会だな。言っただろ、俺は邪魔をしに来たわけじゃねえ」

 鎌倉は上半身を捩じり「なぁ」と煙水中に同意を求める。だが、煙水中はベースの修理に集中しており、返事はない。

 聞こえねえのか、聞こえねえフリしてんのか。はたまた、否定も肯定もできねえから、はなっから黙ってるのか。どちらにしろ、むかっ腹立つくらい、殊勝なこった。

 ミヤコはオービタル・サンダーの電源を切り、削った接着面を左手の指の腹で触って確認している。真一文字に結んだ口元がフッと緩み、口の端がキュッと持ち上がった。

 どうやら、成功したみてえだな。良かったじゃねえか。本来なら、金がふんだくれるレベルなのに、そこをあえて無料で請け負って、喜びを見い出せりゃあ、お人好しも大したもんだぜ。んでもって、俺の出番だ。金目のもん、レッツ探索。年代物のコンデンサーは高く売れるからな、不必要なもんは、全て鎌倉さんによこしやがれってんだ。

 鎌倉は席を立ち、大袈裟に手を叩きながら、まるっきり感情の通っていない口調でミヤコの肩を叩いた。

「はいはい、ブラボー、ハラショー、エクセレンツ、えーっと、コングラッチュレーション」

 払い除けようと、腕にぐっと力を入れる。ミヤコは重心を前に取り、鎌倉の手を渾身の力で抓り上げ、逆に払い除けた。

「チンコ弄りまくってる手で触んな、粗チン野郎。まだ作業がたーんと残ってんだよ」

 鎌倉は抓られて赤く腫れた手の甲を擦りながら、牙を剥く。

「はぁあ? 誰が、粗チン野郎だぁ? 見たことあんのか、俺の、鎌倉・ザ・ジュニアをっ」

 ミヤコも負けじと、両手を顔の前に突き出し、爪を立てて鎌倉を威嚇する。

「テメエの汚えナニなんか、誰も見たかねえよ!」

「見たことねえのに、知ったような口、利くんじゃねえってんだ」

「見なくても分かんだよ。心根が腐った野郎は、チンコも腐ってるって、煙水長太郎が言ってたからなっ」

 ミヤコが煙水中を指差し、鎌倉が瞬時に振り返り、睨み付ける。

 なんだってえ、あのハチャメチャ喋る熊野郎めっ。

 煙水中は小面の能面のような無表情で、黙々と片付けを進めている。

「彼岸の火事だ。花火屋に火の粉を飛ばすな」

 鎌倉はジリジリと、煙水中に詰め寄っていく。

 彼岸も此岸も、安倍川の河川敷も関係あるかよ。俺はなぁ、確かに性根は腐ってる! でも、チンコは腐ってねえ! お前の破天荒な兄貴のせいで、俺があらぬ疑いを掛けられているんだ。今すぐ、嘘だと言って、俺の身の潔白を証明しやがれ。

「目的の無い言い争いは、不毛、時間の無駄です」

 煙水中は平然と、カウンター席に並んで座る鎌倉とミヤコに説く。

 普段と変わらない平べったい口調で宣教師みたく不毛とは何かを説明しやがる。眠い。

 ミヤコが「不毛って、シモの話だけにか」と、ふざける。だが、煙水中のウルトラ弥勒菩薩沈黙無表情攻撃に首を引っ込め、背中を丸めて、ばつが悪そうに押し黙った。

 けっ、ざまあみろってんだ。

 辻村はエアー・コンプレッサーを点検し、塗装の準備を終えると、場の空気を和ませようと気を使って、人数分のコーヒーを淹れ始めた。鎌倉はニヒヒと笑い、カウンター席で頬杖をつきながらアイスコーヒーを啜ると、視線を扉側のパイプ椅子に座る、外国人三人組に向ける。

 煙水クソ眼鏡の説明だと、こいつらはイギリスのロックバンドらしいな。で、名前は……えーっと……ジョン、ポール、リンゴ、だっけか?

「金髪がギターのロイド、背が高いのがベースのダニー。耳にピアスを空けているのが、エリック」

 煙水中が三人を手で指して、紹介する。

 うん、そうだ、そう。ロイド、ダニー、エリックだな。うんうん、知ってた。

 ミヤコと辻村が目を細めて、じとっとした猜疑の視線を鎌倉に向ける。

 だぁかぁら、知ってたんだっつうの。分かってたの、余裕で、そんな疑いの目で、俺を見んなっ。

 鎌倉は手をシッシッと動かして、向けられた疑惑を払い除ける。苦し紛れにアイスコーヒーを飲み干し、偶然、目が合ったロイドに声を掛けてみた。

「よう、パーシー」

 鎌倉が言うパーシーとは、《レッド・ツェッペリン》のボーカルのロバート・プラントの愛称だ。ミヤコが右足で鎌倉の左脛を強く蹴る。弁慶の泣き所だ。

「全然、似てねえ。おちょくってるなら、どっちにも失礼だ」

 鎌倉は膝を抱え込み、痺れる足首を擦り、痛みでぷるぷると体を震わせる。

 ロックバカの大鳥居め。工業とロックのことになると、普段より百倍増しで凶暴になりやがる。ただの、冗談だっつうの。若かりしときのロバートはセックス・シンボルで、ジジイになったらカリスマ・オブ・ロックだぜ。この、田舎の牧場の羊飼いみてえな、どことなく田舎臭い雰囲気のロイドとは、似ても似つかねえことくらい、本人だって分かってらぁ。分かってなきゃ、ただの自惚れか、もしくは白痴だ。残り二人にも同じことが言えるぜ。

 煙水中は鎌倉の冗談を訳さず、ロイドの言葉に耳を傾けながら、鎌倉を見る。

 ん? なんだよ。ああ、もしかして自己紹介ってやつか? めんどくせえなぁ。乳のデカイ、スケベな女ばかりのコンパじゃあるまいし「俺の名前は、鎌倉ですぅ! 今日はぁ、可愛い子ばかりでぇ、緊張してまぁす!」的なテンションで言えるわけもねえし。

 鎌倉が首の後ろをボリボリと掻いて、だんまりを決め込んでいると、ミヤコと辻村が鎌倉を指差して、勝手に始める。

「臭い、汚い、金に汚くて、カッコ悪い――の、Kが四つ並ぶ男――4Kの鎌倉だ。ロイド、舐めて懸かっていいぞ」

「いえいえ、ミヤコ君、違いますよ。足が臭い、頭が少し阿呆、悪鬼羅刹の振舞い、の4Aの男にして、てんで鼻の利かない一匹狼、鎌倉さんですってば」

 そりゃ、自己紹介じゃなくて、ただの悪口だ。言わしておけば、好き放題ばっかし言いやがって。だぁれが、臭くて、足が臭くて、汚くて、頭が少し阿呆で、金に汚くてカッコ悪くて、悪鬼羅刹で、ケツの穴が針も通らねえほど小せぇ男だっつうんだ。

 煙水中は「鎌倉、平良さん」とだけ英語に訳して伝える。

 さすがは検閲官、煙水中。どうせなら、女にモテまくりで、一円玉でも拾ったら交番に届ける善人の極みとでも脚色しといてくれねえかな。

 ロイド、ダニー、エリックは煙水中の説明に何度も頷き「キャバクラ」「キャバクラ」と鎌倉に向かって手を挙げ、挨拶をする。鎌倉は清々しい笑顔を浮かべながら、三人に向かって中指を立てる。

 キャバクラじゃなくて、鎌倉だ、か、ま、く、ら。小学生レベルのベタな間違い、するんじゃねぞ、この、外人。

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 楽器の修理が一段落すると、ミヤコはビニールシートを手に巻き付けて回収した。掃除機を掛け始める。辻村は壁に消臭スプレーを吹き掛けながら、壁の汚れを、固く絞った濡れ雑巾で丁寧に拭き取っていく。ロイド、ダニー、エリックは、煙水中の工具の片付けを手伝い、店内には達成感に満ちた空気が漂っていた。

 鎌倉はカウンター席に胡坐を掻き、テレビ画面右上に表示されている時刻を見る。

 時刻は午後四時五分。社務所に行って、変なロックバンドを背負い込んで、約二時間が経過か。

 鎌倉は視線をテレビから、ヘッド、ネック、ボディーと繋がったギターへと移す。たった二時間で、ドラムとベースとギターの修理の殆どをやってのけちまうなんざ、マジで大した腕をお持ちなこった。特に、ギターは見た感じ、絶対スクラップだと思ったけどな。コンデンサーとか、高く売れるんじゃねえかって期待してたのによぉ。まあ、ギターの形が戻ってきただけで奇跡だぜ。工業高校、恐るべし。そして、俺の金儲けをあっさりとぶった切りやがった、工業高校め、憎いぜ。

 鎌倉は舌打ちして、ミヤコを睨みながら席を立つ。扉近くの壁に寄り掛かり、窓の外を眺める。陽が少し陰り始め、空の低いところは、ぼんやりと橙色に輝き始めていた。

 ミヤコは掃除機を掛けながら呟く。

「しっかし、なんで、こんなに派手に壊れちまったかなぁ」

 辻村が床に膝をついて、バケツで雑巾を洗いながら、首を傾げる。

「さあ、僕には、さっぱり。可能性としては、安い航空会社でも使って、荷物の輸送量を節約……まぁ、言い方は悪いですが、ケチって破損した、とかではないでしょうか」

 掃除機を掛け終わったミヤコは電源を切り、コードを抜いて、シュルシュルと巻き取りながら肩を竦める。

「まさかぁ。鎌倉じゃあるまいし。それにドラムのヘッドの破れ方は、たとえ砲丸投げの選手が航空会社に就職して、荷物をぶん投げる係になったとしても、ありえねえ破れ方だったぜ。バーンだぜ、バーン」

 ミヤコは手をパッと開いて、ヘッドが破れた感じを表現する。床の拭き掃除を手伝っていたエリックが、ミヤコのジェスチャーを見て眉を顰め、俯いた。悲しくて俯いたというよりは、防御反応の反射的な行動と形容するほうが近い動作だ。鎌倉は、視線を伏せたままのエリックの反応を注視した。

 どうも穏やかじゃねえな。穿り出されたくねえ大穴を、てめえが必死に腹這いになって「ここには、なーんにもねえよ」って隠しているようにも見えるぜ。残念ながら、ちっとばかし、隠し切れてねえけどな。神経が細かい辻村は薄々ながら勘付いてるようだし、俺は、楽器が派手に壊れたことから、大よその見当はついてる。日本人でも外人でも「そういうやつ」は、目を見れば分かるぜ。

 俯いたままのエリックの背中を辻村が擦り、ミヤコが心配そうな表情で肩を叩く。

「おい、大丈夫かよ。どうしたエリック、食あたりか!」

 食あたりだったら、吐いて下せばスッキリ治る。だが、残念ながら、そうじゃねえんだな、きっと。

 鎌倉は壁を、拳でコツコツと叩いた。エリックが反応したところで、顎をしゃくって「顔を上げろ」とジェスチャーで伝え、聞く。

「よう、エリック。お前らのバンド、いってえ、いくら、借金を背負ってやがる?」

 ミヤコが鎌倉に尋ねる。

「借金?」

 そう、借金だ。分かるか、金を借りる行為のことだ。そんでもって、こいつらは、俺の勘だと、借金をこさえて、首が回らねえ状態だ。

 ミヤコは鎌倉を怪訝な表情で睨む。

 なんで、お前にそんなことが分かるんだ? って言いたそうだな。

 目を見りゃ、分かる奴には、分かる。船が沈没して、海に放り出されて、流木にしがみついて必死にバタ足して、救助が来るのを待っている。そのうち、誰も助けに来ないんじゃないかと疑うようになる。そんな、脆弱な希望と強い不安が、ごちゃ混ぜになった、虚ろな目だ。だから、俺は分かる。こいつらには借金がある。どうしてかって? 俺の親父が、そうだったからだ。

 エアー・コンプレッサーを《湯川計器》の倉庫に帰し終えた煙水中が、ロイド、ダニーを連れて戻ってきた。エリックの鬱ぎ込んだ様子で、全てを悟った煙水中は、抑揚の無い声音で提案した。

「説明が長くなりそうだ。立ち話もなんだから、少し移動しよう」

 ミヤコは事情がさっぱり飲み込めない様子で、口の先を尖らせて、少しばかりイライラしながら窓の外を指差す。

「移動って、どこにだよ?」

「湯川計器の倉庫から帰ってくる途中に、太公望釣具店の会長さんに声を掛けられた。これから、毎年恒例の、おおとりいでの決起集会に託けた飲み会だから、来ないか? だと。少し早い夕飯を食いながら話すのも、悪くないだろ?」

 ミヤコの表情が、ぱっと明るくなる。

「おお、あの飲兵衛ども、まぁた、ウチで宴会か。仕方ねえな、ウチのおでんは、激ウマだからな。無理もねぇよな。それに、大祭の前日の飲み代はぜーんぶ商店街振興会持ちでタダだしなぁ」

鎌倉は凭れ掛かっていた壁から素早く離れた。背中を伸ばし、三回転半の軽やかなターンを決めて、店の外へ軽やかに踊り出した。

「ほら、モタモタしてんじゃねえぞ、ゆとり教育の被害者ども! 超美味しいおでんがタダで食べれるなんて、夢のようじゃねえか! しかも、タダで! 俺ら、いーっぱい、働いたしな!」

 右手で拳を作って高く挙げる鎌倉を、ミヤコ、辻村、煙水中は無表情で見る。

 おい、なんだ、そのこの世で最も愚かな露出狂を見るような目は。ああ、もう、露出狂でもパンツ泥棒でも、股間ど腐れ貧乏武士でもなんでもいいや。タダなら許せる。

 鎌倉は再び扉に手を掛ける。

「いいから、さっさと、おおとりいに行くぜ!」


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