第六章 お人好しで上等。それがアタシの商店街だ!

        1

 ミヤコは藍色に《おおとりい》と白く染め抜かれた暖簾を潜った。

 カウンター前に置かれた二個の四角いおでん鍋から注文を受けたおでんをよそう母親に声を掛ける。

「ただいま、母ちゃん」

 母親は、よそったおでんを客に渡し、手に付いただし汁をエプロンで拭い、ミヤコに向き直った。

「ああ、お帰り。太公望釣具店の会長さんに聞いたわよ。ミヤコ、あんた、楽器を修理して、人助けしたんですって? きったなぁい作業着姿は、伊達じゃないわねぇ」

 母親はミヤコの背中をバシンと強く叩き、続けて店に入ってきた鎌倉、煙水中、辻村、アイロン・ワークスを招き入れた。

 仕込みを終えた店内は、大祭の準備の一通りを終えた顔馴染みの商店街の住人でごった返している。カウンターに積み重ねたマイルドセブンの灰皿が綺麗さっぱりなくなっており、店内には紫煙が漂い、煙と暑さを吹き飛ばすために柱に取り付けられた扇風機が一斉に回っている。客席は二〇席しかないことを知っている商店街の住人は、各自、アウトドア用の椅子やクッション、風呂用の椅子を持ち込んでいた。店内に座るスペースがないと知るや否や、店先にビニールシートを広げ、道路を挟んで斜め向かいに在る《Vゼミ進学塾》から机を運び、ちょっとした宴会場を拵える。おでんの盛り付け用の器が足りないとなると、隣の《市川屋陶器店》が気を利かせて、店頭に並ぶ器を提供する。

 毎年の大祭前日の、決起集会に託けた飲み会の風景だ。

 二つの四角い鍋の中で黒いだし汁でぐつぐつと煮詰められる静岡おでんを堪能し、缶ビールやラムネでカチンと、来客があるたびに乾杯する。

 ミヤコが帰ってきたことに気付いた四番街の《魚しず》の赤ら顔の板前たちが「おう、ミヤコちゃん、ここ座んなぁ!」と缶ビールとおでん皿を持って、店の中央の席を空けてくれた。

「おう、悪ぃな。今度また来たとき、おでんサービスするからよぉ」

 つうかあんたら、店はいいのか? 板前いなくなっちまって、誰が寿司を握るんだよ。勝手に捌いて食えってわけじゃねえだろ。ったくよ、店ぇ潰れても知らねえぞって、ああ、ここにいる奴ら、全員に言えることか。

 ミヤコは店内の雰囲気に落ち着かない様子のロイド、ダニー、エリックに「靴を脱げ」とジェスチャーで伝え、座敷席に座らせた。ロイドは畳に興味を持ったらしく、畳を指差してワモワモと英語でミヤコに尋ねる。

 ああ、うん、へえ、全然、分かんねえ。清々しさ全開ってほど、分かんねえ。

 ミヤコは煙水中に通訳を頼もうと振り返った。ところが、そこに煙水中の姿はない。当の本人は、店先で振興組合の組合員たちに捕まり、挨拶がてらに持ち掛けられた明日の大祭の相談事に耳を傾けていた。辻村も手前のテーブル席からビールを持ってきてと注文され、いそいそと働いている。

「おい、お前ら、集合、集合、集まれってんだ、集まれっ!」

 ミヤコは大声で叫ぶ。

 ったく、なにやってんだよ。アタシは、てめらをバイトで雇った覚えはねえぞ。つうか、なんのためにここに来たんだよ。アイロン・ワークスの事情とやらを話すためだろうが。中や辻村、よりによって鎌倉は、その事情とやらに見当がついてるみたいだけど、アタシは、からきし分かんねえ。分からなすぎて、十円ハゲができそうだっ。いいから、働いてねえで、席に着け。

 鎌倉が席に座りながら、手前の席から貰ったおでんに早速がぶっと齧り付き、ミヤコを睨む。

「デケエ声なんぞ出すな。耳がキーンとなるじゃねえか。俺は、とっくの前から席に着いてるぜ」

 鎌倉、てめえは働け! 清水港からマグロ漁船に乗って、ついでに発展途上国に渡ってトンネル掘って、どっかの地雷原の地雷を全部すっかり撤去してからものを言いやがれってんだ。

 ミヤコの母親が針山のようにおでんを盛った皿を両手に持ち、一つをミヤコの座るテーブルへ、もう一つをアイロン・ワークスの座る座敷の卓袱台へと置く。

「はい、おまちどう。ミヤコ、たんと食べな。そこそこ高い振興組合費を払ってんだから、沢山食べて、そのぶんウチに還元してよね」

 鉛筆立てのような形状のおでんの串入れをテーブルの中央に置き、エプロンのポケットから取り出したチューブ状の練り芥子を、皿の縁に擦り付けるようにして絞り出す。最後にプラスティック・ケースに入った粉末状の鰹節と青糊をたっぷりと振り掛ける。おでんからはホカホカと湯気が立ち上り、黒色のだし汁からは、醤油の香ばしい匂いが広がった。

 うおお、美味そう。やっぱ静岡人は静岡おでんだよなぁ。きっと、静岡人の血液の六割が黒いだし汁で、残りの四割が緑茶か三ヶ日ミカンの汁で作られてるに違いねえ。

 注文されたビールを渡し終えた辻村が、ようやく席に着く。苦笑いを浮かべながら、いそいそと水を注いだコップを配る。煙水中も振興組合の相談事が片付いたのか、何事も無かったかのように平然と腰を下ろすと、ミヤコの母親に丁寧に礼を言って、静かに口を開く。

「アイロン・ワークスは……」

 ミヤコは右手を素早く繰り出して、煙水中の口を塞ぐ。

 おい、おいおい、中さんよぉ、ちょいと待ちやがれってんだ。座ったと思った次の瞬間、開口一番にそれかよ。ったく、せめて、コップに水を注いでよお、カンパーイってするくらい、待ちやがれ。

        2

 アイロン・ワークスには、借金があった。その額、日本円にして約三百万円。

 今年の三月にアルバムを製作する際、所属するインディーズ・レーベルの経営状況が悪く、五十万円の負担を余儀なくされた。アイロン・ワークスはインディーズで、ある程度の人気が有り、週に一度はライブを開催し、客もそこそこ入っていた。そこで、五十万円なら返せると考え、ロイドのワゴン・カーを抵当に入れ、アイロン・ワークスは契約書にサインをした。

 翌日、インディーズ・レーベルの事務所は、跡形もなく綺麗に消えていた。

 事務所が入居していたマンションの一室は蛻の殻で、売り払える楽器は全て売り払われていた。当然ながら、アルバム発売はできず、ロイドのワゴン・カーは戻ってこない。

 それだけではない。借金の保証人が、いつの間にかアイロン・ワークスになっていた。

 ダニーとエリックが書類を調べた結果、先日サインした契約書が保証人を兼ねるものだと知り、インディーズ・レーベルの借金を全て背負うことになった。借金は、最初はバイトやライブの収入、貯金を切り崩して、分割して返済していた。だが、返済が滞ると、たちまちガラの悪い借金取りたちがアイロン・ワークスに付き纏うようになり、地元のライブハウスでの活動は断られるようになった。

 遠征してライブを行うほど金もなく、なにより楽器を運ぶためのワゴン・カーがない。

 八方塞がりの中、アイロン・ワークスに舞い込んだのが、浅間通り商店街からの依頼だった。依頼はロイドの友人が勤務するタレント管理会社に、聴き取り難い英語で「アイロン・ワークスに出演の依頼をしたい」と電話が有ったことから始まる。友人はロイドのメールアドレスを教え、メールを見たアイロン・ワークスは、投げ銭で少しでも借金の返済になればと、渡航準備を開始した。借金取りたちは、アイロン・ワークスが渡航する情報をどこからか嗅ぎ付け、逃げられることを恐れて、ロイド、ダニー、エリックが三人で居住するアパートを襲撃した。

 渡航の前日の夜のことだ。抵抗する間もなく、金になりそうな家財道具は全て持って行かれた。相手が大人数のため、逆らえば袋叩きは必至だ。借金取りの一人が楽器に手を掛けたとき、持って行かれるよりはと、エリックは料理用のナイフでドラムのヘッドに穴を空けた。ダニーはベースを振りかぶって、借金取りの頭を殴り付け、応戦した。やがてロイドが呼んだ警察が到着し、借金取りたちは足早に去った。

 エリックは駆けつけた警察官に対処法を相談した。だが、三人の風体を見た警察官は、まともに取り合ってくれなかった。

 ロイド、ダニー、エリックは、浅間大祭で少しの興行収入が有ることに一縷の望みを託して、翌朝、ヒースロー空港から成田行きの飛行機に乗った。

        3

「へえ、イギリスって、もっと優雅な国かと思ってたけど、大変ねえ」

 ミヤコの母親が業務用冷蔵庫から冷えたラムネを取り出し、ビー玉を掌でポンと押し込んで栓を開ける。

 ミヤコ、辻村はテーブル席に座りながら、煙水中が日本語に訳す言葉に耳を傾ける。飲食代がタダと知った鎌倉は、相変わらず疾風怒濤の勢いで、おでんに齧り付いていた。

普段ならば、ミヤコは、働かざる者は食うべからずと、四人掛け席の対角線上に座る鎌倉の足の甲に踵を落とすところだ。だが、今日はそれどころではない。

「ちきしょうめ! 今すぐイギリスに飛んで行って、騙した奴らと借金取りの奴ら全員の眼球を滅多刺しにしてやる!」

 ミヤコはアイロン・ワークスの話に涙を浮かべ、鼻水を垂らしながら、その場に立ち上がった。怒りと悔しさの余り、大根が刺さったおでん串を、大上段に振り上げる。

 許さねえっ。絶対に許さねえ。金のために人を騙して、そのうえトンズラこくたぁ、人間の風上にも置けねえ奴らだっ。ゾウリムシ以下、いや鎌倉の飼ってるインキンタムシ以下だっ。

 ミヤコの隣に座っている辻村は、飛び散ったおでんの汁を濡れ布巾で丁寧に拭き取り、隣の席に座るエリックに声を掛ける。

「楽器を傷付けるのは、さぞかし、心が痛みましたでしょうねぇ。それに、借金取りの方々が楽器に明るくなくて良かったですね。ヘッドが傷付いただけで、使い物にならないと思い込んでくれて良かったですよ」

 煙水中が訳して伝えると、エリックは歯を見せて笑い、気丈に振舞う。隣に座るダニーが舌を出してふざけながら辻村に喋り掛け、煙水中が訳す。

「ベースで相手をぶん殴ったとき、さすがに心が痛んだ。それでも、プロゴルファーの転職の希望も生まれたから、落ち込まないようにしている、だと」

 辻村は目を細くして、油断していたところでいきなり横腹を擽られたように吹き出す。

「それは良かったですね。ヤマハさんは、ゴルフ用品も作っていますよ。恐ろしく手広くて、信じられないほどマイナーなんですよね、あの会社」

 煙水中はコップの水を飲みながら、ぽつりと零す。

「五十鈴、お前みたいだな」

「ですからね、人のこと、言えませんってば」

 ミヤコは太股をパシンと強く叩き、テーブルに足を掛け、辻村を指差して叫ぶ。

「辻村、それだ!」

 煙水中はミヤコの捲れたスカートを戻しながら、首を横に振る。

「どうせ、お前のことだ。ヤマハ製のゴルフクラブで、騙した奴らと借金取りの奴ら全員のドタマかち割るしかねえらぁ、復讐だ、とでも言うんだろ」

 おう、そうだ、その通り。さすがアタシの見込んだ男、ミスター先回り煙水中だ。今すぐイギリスにひとっ飛びして、ボッコボコにしてやろうぜ!

 拳を振り上げるミヤコに煙水中は、淡々とした口調で諭す。

「ミヤコ、暴力に暴力は戦争だ。たとえお前がイギリスに行って、仮に全員をヤマハの五番アイアンで、奴らを親でも分からないくらいボコボコにしたとしても借金は消えない。詰まる所、根本的な解決にはなっていない。無駄だ。あと、座れ」

 そりゃ、分かってる。アタシが暴れたってどうしようもねえことくらい、分かってるぜ。暴力が暴力を生むってことも分かってる。分かってるけどよぉ、じゃあ、この怒りは、どうすりゃいいんだっつうの! 許せないじゃんか! 貧乏なバンドマンを騙す奴も、楽器を取り上げる奴も、とにかく人の道ってもんから外れてる奴は、天罰を下さねえと許せねえ! 死んだアタシのじいちゃんだって、エルヴィス・プレスリーを聴いてコレクションの日本刀を磨きながら「お天道様に唾ぁ吐く奴は、神様が気付いて天罰下す前に、ミヤコ、てめえがたたっ斬れぃ!」って言ってたし! あーもう、鎌倉をサンドバッグにした後、簀巻きにして、大浜海岸にぶん投げたって、半分しか治まらねえ! 

「じゃあ、どうすりゃいいんだよぉ!」

 ミヤコはどっかりと椅子に腰を下ろし、頭を掻き毟った。手の中で鼻をかみ、その手で皿の上の牛すじおでんを掴んで、芥子をたっぷりとつけて頬張る。案の定、強烈な辛さに悶えるミヤコに、すかさず煙水中はコップを差し出した。

 台所に立つミヤコの母親が、二本目のラムネの栓を開けながら、煙水中に聞く。

「ねえ、中くんさ、ゴルフパターで顔面グチャミソは無理でもさ、この子たちにいい思いをさせてやって、借金返済を手伝ってやることは、できないのかな?」

 ミヤコの母親は隣に立って、明日のおでんの仕込みを手伝うロイドの肩を叩く。ミヤコは水を飲みながら、台所に立つ母親を見た。ミヤコの母親も片方の眉を吊り上げてミヤコを見て、ウインクを投げた。

「私も英語は、さっぱりなんだけど、聞いた感じ、この子、レストランでバイトしてたんですって。バイト先まで借金取りが押し掛けるようになって辞めたらしいんだけど。それって悔しいし、泣き寝入りって、バカみたいだら?」

 さすが、アタシの母ちゃん。分かってるぜ。そうだ、泣き寝入りはバカみてえだ。つうか鎌倉とどっこいのバカだっ。せめて、どうにかして、アイロン・ワークスに、いい思いをさせてやって、借金を減らしてやることはできねえかよ。

「なんか、名案はねえか? 脱糞するくれえの名案だよぉ。お前ら、なんかよく分かんねえけど、頭がバカいいんだら? そうは見えねえけどな、考えろ。知恵ぇ出せ、捻り出せっ」

 煙水中は無表情のまま、テーブルを睨むようにして少し顔を伏せ、口元に手を当てて考える。辻村も胸の前で腕を組み、眉間に皺を寄せ、目を細めて、低い声で唸る。

 おお、弥勒菩薩と猛暑で夏バテの猫の図だ。似すぎてて気持ち悪ぃ。とりあえず、御利益ありそうだから、一応、携帯電話のカメラで撮影しとくかな。

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 いつの間にか、ミヤコたちが座るテーブル席に人が集まっている。

 アイロン・ワークスの身の上話に聞き耳を立てていた、《太公望釣具店》の会長が、目に涙を浮かべて、同情のあまり一番近くに座っていたダニーに熱い抱擁をしたのを切っ掛けに、同情した商店街の住人が次々にアイロン・ワークスに抱擁するという、奇妙な現象が起きていた。花火の準備を終え、一升瓶を担いで《おおとりい》にやって来た煙水長太郎が、この奇妙な現象を目の当たりにして、大きく笑った。煙水中の姿を見つけ、声を掛ける。

「なんだぁ、みんな揃ってぇ、わんわん泣いて、外人さんに抱きついちまってよぉ。なあ、こりゃあ、なにかの儀式かぁ?」

 煙水中は淡泊な口調で答えた。

「そうだ、儀式だ。イギリスのロンドンで流行している儀式だ。魔除けの効果があるらしく、女王陛下も、一日三回、食事の前に行っているらしい」

 おい、中。丸々全部、嘘じゃねえか。長太郎に説明するのが面倒だからって、それはねえんじゃねえの? 誰も信じねえって。

 煙水長太郎は、胸の前で丸太のように太い腕を組み「そうだったのか!」と煙水中の答えに深く頷いた。

 信じたし。

「なるほどなぁ! 女王陛下がなぁ! 外国ってえのはアレだな、奇妙な風習があるなぁ! 芋虫とか、食うもんな、外人は!」

 煙水長太郎は熊が人に襲いかかるように両腕を伸ばし、アイロン・ワークス三人を、ガバッと纏めて抱擁した。いきなり現れた巨大な男に、アイロン・ワークスはすっかり怯え、小さく震えていた。

 ったくよぉ、どうしたって賑やかになるんじゃねえか。ま、いいや、しばらく商店街の連中にギュウギュウされててくれ。アタシらは、ちーっとばかし頭を働かせなきゃならねえんだ。

 ミヤコは波状攻撃のように押し寄せる抱擁に怯えるアイロン・ワークスをよそに、椅子に座り、考える。煙水中と辻村も、テーブルの一点に視線を集中させ、思索を巡らせている。

 借金を返す手伝いってことは、金を稼ぐってことだよな。つまり、アイロン・ワークスが明後日まで浅間通り商店街に滞在している間に手っ取り早く金を稼ぐ、ってことになる。

 バイトにしたって、すぐに雇ってくれるわけでもねえし。暴走族の先輩がバイクのハンドル曲げてくれよって高校に来たときは「曲げ方がシブいぜ!」って小遣いを沢山貰ったっけ。だけど、その先輩も暴走族を辞めて、今は立派な公務員だから、伝手はねえし。ああ、金儲けのこと考えてると、なんだか、サイテーの鎌倉になった気分だ。気持ち悪ぃ、うっぷ。自己嫌悪で、吐きそうにならあ。

 ミヤコは吐き気を、コップの水を飲んでぐっと抑え、辻村に聞いた。

「辻村ぁ、名案は浮かんだのかよ?」

「アイロン・ワークスの皆さんに演奏させてあげたい、とは思いますね。せっかくのバンドなんだし」

 ああ、まあ、そりゃそうだな。せっかくのロックバンドだし。うん、なるほど、名案!

「だったらよお、ミセス・ロビンソンでライブさせればいいじゃねえか! 明日の大祭で、客がっぽり呼び込んでよぉ! チケット代を取りゃあいいら?」

 ミヤコが店の外を指差すが、辻村は首を横に振る。

「それは……難しいですねえ。ライブハウスは元々アンダーグラウンドなイメージが強いですから、どうしたって客足は遠退きますよ。それに見ず知らずのバンドに、お金を払ってチケットを買う方は稀です」

 なるほどね。ライブハウスで演奏、入場料で金儲けって案は難しいってわけだな。つうか、辻村のやつ、それが分かってんだったら、さっきまで、なぁにを考えてたっつうんだよ? 明日の朝食の献立か、明日の昼食の献立か、はたまた、なにも考えず寝てたっつうのか?

 ミヤコは辻村を睨み付ける。辻村はミヤコの表情から悟ったらしく、手で煽ぐように否定する。

「いや、それだけ、というわけじゃないんですがね」

 じゃあ、勿体振らねえで、さっさと話せっつうの。芥子で鼻の穴、埋めんぞ。芥子蓮根みてえによぉ。

 ミヤコの殺気に勘付いた辻村は身じろいで、慌てた口調で煙水中を指差す。

「ちょっと待ってください。いやね、結果、この人次第になるんですよ。この人の計算待ちなんです。なにかと物入りなんですよ」

 辻村は考え込む煙水中を指差し、ミヤコも視線を向ける。

「おい、中。黙ってねえで、ちったぁ返事しろい! なにが物入りなんだ?」

 この、ムカツクほど無表情の煙水中の計算待ちって、一体全体、なにを計算してるっつうんだよ。パッと見、ジッと見、ぐるっと一周見たって、菩薩様ごっこしてるだけじゃねえか。こういう颯爽とした野郎に限ってな、脳ミソでドスケベなこと考えてたりするんだよ!

「おい、ドスケベ、返事しろ! なにを計算してるって? 答えろ、おい!」

 ミヤコはおでん串の先で煙水中の腕をツンツンと刺し、顔を覗き込み、頬を抓る。反応がないので、黒のセルフレームの眼鏡を掴み、レンズにべっとりと指紋を付けた。

「見難くなるだろ。やめろ。あと、男という生き物は旧石器時代から、どんな聖人君主も一様にしてドスケベだ」

 煙水中が、電源が入ったロボットのように動き出す。

 うおお、動いた。死んでなかった、このドスケベ。

 煙水中は無表情のまま、顔を上げ、顎から手を外した。眼鏡を取ってシャツの裾で拭いて、掛け直す。ミヤコの持つおでん串を取り上げて、串入れへと片付ける。ミヤコを無言で睨んで叱り付ける。テーブルに右肘をつき、Vサインを作る。

ミヤコは眉間に皺を寄せ、煙水中のVサインにぐっと近づいた。

 は? なんだ、勝利のVサインか? それとも「俺は、個性的な兄と全力アホの三男の板挟みの結果、仙人のような落ち着きを得てしまった悲惨な〝次男〟でござんす」のサインか?

「二点、急ごしらえする必要がある。言っておくが、勝利のVサインではないし、俺は次男に、なんの負い目も感じていない」

 あっそ。二点って意味かよ。紛らわしいな……。って、は? 急ごしらえ? いきなり、なんだよ。ああ、辻村が言ってた計算が終わって、よく分かんねえけど、計算しまくった結果、急ごしらえしなくちゃならねえことが出てきたって意味か!

「で、なにを急ごしらえするんだよ? ものづくりなら任せろっ」

 ミヤコは煙水中のVサインを手で払い飛ばし、さらに前のめりになって顔を近付けた。煙水中は無表情のまま、左手でミヤコの鼻息を遮り、口を開く。

「野外特設ステージだ。そのためには、土地と、ステージを急ごしらえする必要がある」

「はあ? 野外、特設、ステージだぁ?」

 ミヤコは上半身をテーブルに載せ、煙水中との距離を詰めた。煙水中は近付くミヤコとの距離を測って後ろに下がり、辻村は落ちそうになったおでん皿を避難させ、鎌倉は机と椅子に挟まれてもがいている。ミヤコは目を見開き、煙水中に確認した。

「野外特設ステージって、あの野外特設ステージだよな?」

 煙水中は鷹揚と頷き、さらっと返す。

「どの野外特設ステージかは分からんが、世間一般的に認識されているものを俺は言ったつもりだ。ただし、ライブハウスが駄目なら、屋外で演奏すればいいだけの話だという単純な考えだが」

 ミヤコはテーブルの上に胡坐を掻き、煙水中の言葉に真剣に耳を傾けた。

 なるほど、屋内が無理なら、屋外ってことか。屋外なら足を止めて耳を傾けてくれるかもしれねえからな! いいじゃねえか、悪くねえ。投げ銭だって期待できるしな。

 ミヤコは今にも駆け出したい衝動をぐっと堪え、パシンと膝を叩き、グイッと背筋を伸ばして、煙水中に聞く。

「それで? 急ごしらえってぇのは、一体全体なんだ?」

 煙水中はミヤコの前に右手を翳し、人差し指と中指を折り曲げて説明する。

「土地とステージだ。土地は明日の大祭の客の流れを変えることなく、無理なく集客できて、ある程度の電源が取れる場所が好ましい。道路を専有すると警察の許可が必要になるから、できれば私有地、もしくは、県や市が管理する市民に開放している場所を探す。住宅地図で確認後、周辺住人に許可を取る」

 なるほど。この辺りなら、アタシらの庭だし、住んでる奴らは、みんな親戚みたいなもんだ。場所なら、すぐに見つかるさ。

 煙水中は平べったい口調で続ける。

「ステージは、高校時代に文化祭で設計から建築まで関わった経験がある。設計図は辻村一人が引いて、建設は俺たちのクラスの有志で引き受けた」

 ああ、覚えてる! アタシが入学した年の秋の文化祭だろ? 凄かったよな。一週間前に、体育館にロケット部の巨大ロケットが突っ込んじまってよ。ぽっかり大穴が空いた直後に大雨が降って、体育館の床が腐って、電気系統も全部イカレちまって、急遽、野外特設ステージを造ることになったんだよな! ミヤコは目を瞑り、胸の前で腕を組み、低く唸って記憶を掘り起こした。

「確か、ステージ・ライトのプログラミングは、そうだ! 情報システム科が作ったんだっ。情報システム科のデータ保管してある倉庫を漁れば、当時のプログラミング、保存してあるぜ、きっと。よっしゃ、一つ解決、一歩前進だぜ!」

 ニッと笑い、ピンと立てた人差し指を掲げるミヤコの肩を、煙水長太郎がバシバシと叩く。煙水長太郎は、おでんの串を三本、口に咥え、コップになみなみと注いだ日本酒を啜りながら、赤い顔で提案した。

「静工のよぉ、プールの横に男子便所あるだろぉ? その便所の隣にぶっ壊れたっきり使ってないシャワー室があってよ。そこに確か、カッと光る感じの照明装置、しまってあるぜ。俺が野球部のときよぉ、ナイターに使えるかなぁって、部員みんなで予算ちょろまかして内緒で買ったんだ。まぁ、内緒で買ったから、けーっきょく、使えなかったんだがな!」

 マジかよ。じゃあ、照明の件もクリアだら。つうか、マジ勿体無えな、それ。

 ミヤコはブイサインを高々と掲げるが、壁に掛かった時計を見て気付いた。

「でも、大祭は明日だろ? 間に合うのかよ」

 だって、設計図は当時のものを使うわけにもいかねえだろ? 場所を決めて、必要な材料を計算して図面を起こして……。

 あ、その前に、ステージを組み立てる材料を調達しなくちゃ、だよな? 高校の文化祭のときは、先生の許可を得て実習用の鋼材を使ったけど、学校行事じゃねえから、今回はそうもいかねえし。それに、図面を引くにしたって、材料を加工するにしたって、場所が必要じゃねえか?

 ミヤコは上半身を捩じって振り返り、おでん皿を持った辻村に視線を向けた。辻村は肩を竦め、半ば呆れた表情で、煙水中を指差した。

「そこの軍師のことなんで、きっと材料を調達する時間、僕が図面を引く時間、図面からステージ建築のための部品を作る時間等々、全部、あらかじめ頭の中で計算済みですよ。計算の結果、可能ということで、野外特設ステージを提案したんでしょうし。まあ、僕の労力は、相変わらず度外視しているみたいですけどねえ」

 煙水中が、ぽつりと零す。

「度外視じゃない。期待しているんだ」

 辻村は目を細め、鼻をピクピク動かしながら、引き攣った笑顔を浮かべた。

「あなたねえ、文化祭のステージの図面を依頼するときも、同じこと言いましたよねえ。それから一週間、風呂にも入らず、製図室に寝袋を持参だったんですよ」

 煙水中がすかさず返す。

「今回は、文化祭より圧倒的に規模が小さい。前回がフルマラソンなら、今回は短距離走だ。五十鈴、たまには錆びた体に油を注せよ」

 ああ、なるほど。辻村が言ってた「計算」って、そういうことか。なにを足したり引いたり掛けたり割ったり、殴ったり蹴ったり斬ったりしたかは知らねえが、煙水中のことだ。きっとバカみてえに正確に計算したんだろ。計算中、動かなかったもんな! 辻村は、まあ、仕方ねえよ、過労死寸前で血ヘド吐いて倒れるまで製図しろ、うん。

 鎌倉はテーブルの枠を両手で掴み、椅子をずらして、挟まれた状態から、どうにか脱出すると、すかさず横槍を入れてきた。

「そう巧くいくとは思えねえけどな」

 なんだと、鎌倉。タダ飯さんざん食った挙句、クソ生意気に、文句まで垂れようってぇのか? 性根が根腐れしたイタチかスカンクみてえな顔しやがってよぉ。

 ミヤコはテーブルの上から鎌倉を睨み付ける。

「なんだ、鎌倉、文句あるってぇのか!」

 鎌倉はミヤコの蹴りが飛んでくることを警戒し、距離を空けるところに椅子を置いて座り、嫌味に笑う。

「別に、文句はねえさ。ただ、そう巧くは行かねえかもしれねえ、って忠告だ。まず最初に、土地を見付けるにしたって、爆音を出す上に電力も食うのに、すぐに首を縦に振る奴なんて、そうそういるとは思えねえけどな」

 手伝わねえつもりのくせして、文句は一丁前に言いやがる。探してみねぇと分かんねえじゃねえか。この辺りの住人は、みーんな気心が知れてる仲なんだ。コンクリート・ジャングルの都会みたく、隣の住んでる奴がどんな奴か知らねえなんてこたぁ、ねえんだよ。

 鎌倉はミヤコと距離を空けている安心感と少しの酒が入って、饒舌に続ける。

「材料や作業する場所だって、アテがねえんだろ? 時計を見てみろ」

 ミヤコは振り返り、店内奥の壁に掛かっている丸時計に視線を向けた。鎌倉は飲みかけのビールに口を付け、肩を竦める。

「ワット・タイム・イズイット・ナウで、答は午後四時四十分だ。つまり、もう夕方。そこにおられる軍師の諸葛孔明殿がどういうお考えかは、存じねえ。だが、時間と金には、限りがある。特に金だ。材料費はどうする、場所代はどうする、楽器の搬入代は、諸々の諸経費は? 挙げたら、キリがねえ。下手に手を出したら借金塗れで大失敗だ。楽器をタダで直してやったんだから、もう充分じゃねえか」

 ミヤコは両脚に力を入れ、テーブルの上に立ち上がり、鎌倉を睨み付ける。

「なにが充分だ。充分か充分じゃないかは、てめえの判断することじゃねえし、金の問題でもねえ! アタシらが今、やらなくちゃならねえのは、信念の問題だ!」

 ミヤコは胸を張り、親指で胸の真ん中をトントンと差す。

 金じゃねえんだよ、心だ、心!

 鎌倉は残りのビールをぐいっと飲み干し、ゲップを吐く。

「見ず知らずの借金塗れの外人に、どうしてここまで金を掛けて、義理立てる必要があるのか、俺は分かんねえよ。下手ぁ打てば、火の粉がこっちまで降ってきて、大火傷じゃねえか」

 分かんねえのは、てめえだ!

 ミヤコは怒鳴る。

「困ってる奴は助けろってえのが、浅間通り商店街の教えだ! アタシらは、そう教わって生きてきた! なにをゴチャゴチャ、ほざいてやがる! 火の粉が降ってきたら、払えばいいだけのことだ! それが、ロックンロールっつうもんだ! なんか文句あっか!」

 ミヤコの大声に、店内がしんと静まり返る。ミヤコはテーブルを蹴って飛び降りた。鎌倉の首をネック・ハンギングで締め上げようと、両腕に力を込める。

 ミヤコが構えたところで、辻村が止めに入り、煙水中が周囲に頭を下げた。

 止めんな、辻村。まあ、まあ、じゃねえっつうの! 鎌倉の野郎の首を、雑巾を絞るみたく、キュウってして、圧し折らねえと、気が済まねえ! 首ぃ圧し折って、おでん串に刺して、松坂屋デパートの前で引き回しにするんだっ!

 ミヤコが辻村を押し退け、鎌倉に襲い懸かろうとしたときだ。

 静まり返った店の扉付近から、パチパチと拍手が響いた。ミヤコは動きを止めて、拍手が鳴る店先に注視し、店の客も同様に店先に視線を向けた。

 店先に、Tシャツにジーンズ姿の、初老の男が立っていた。背は低く、髪は白髪で、Tシャツにはアメリカのロックバンド《ザ・ドアーズ》のボーカル《ジム・モリソン》の写真がプリントされている。

「おい、オッサン、誰だ?」

 店先に立つ初老の男に声を掛けるミヤコの頭を、ミヤコの母親が、げんこつで殴る。

 痛ぇな。母ちゃん、いきなり殴んなよぉ。鎌倉みてえにバカになっちまうだろ。

 ミヤコの母親は初老の男に頭を下げ、ミヤコの頭を掴んで、無理矢理お辞儀させた。

「オッサンじゃないの。お浅間さんの宮司さんよ」

「ん? ぐ、う……じ? 名字がぐうじ? 名前がぐうじ? お浅間さんに住んでんの?」

「……え、あんた、本気で言ってんの、それ」

 え、なにが? ああ、もしかして、あのオッサン、外人? ポール・グージとかっていう名前? とても外人には見えねえけどなぁ。

 腕を組んで唸るミヤコに、辻村が耳打ちする。

「浅間さんの一番偉い人ですよ。御宮に、司ると書いて、宮司です。会社でいうなら、代表取締役です」

「マジかよ!」

 え、代表取締役って、社長だろ? 浅間さんの社長さんがロックTシャツ着てて、いいのかよ。ジム・モリソンだぜ? あの、色々やらかした、超ロックなジム・モリソン。あ、よくよく見りゃあ、確かに宮司さんだ。いつもは着物に袴ぁ穿いてるから、分かんなかった。けど、確かに宮司さんだ。つうか、宮司さんじゃなくて、ただの浅間神社を掃除するオッサンだと思ってた。飴くれるし、気軽に世間話するし、威張らねえし。宮司つうんだな。そんでもって、すげえ偉いんだな。

 宮司は穏やかな笑みを浮かべながら店内へ。

「オッサン、偉いんだなぁ、びっくりだぜ」と豪快に笑うミヤコを見て頷き、口を開く。

「土地なら、あるよ。電源も充分にあるし、近隣住民には迷惑が掛からない場所だ」

「え、マジかよ」

 ミヤコが大声で叫び、宮司の襟首を掴み上げた。

 どこに土地があるんだよ、おい、オッサン、早く教えろ!

 辻村が慌てて止めに入った。米搗き飛蝗のようにヘコヘコと頭を下げ、鎌倉が顔を引き攣らせながら、ビールの空き缶を落とす。

 宮司は襟首を掴まれながらも、鷹揚として提案した。

「静岡浅間神社の、大拝殿東側の舞殿前なんてどうかな?」

「今、なんつった! オッサン、今、なんつった!」

 ミヤコは宮司のTシャツの裾を強く引っ張って、問い質した。辻村が再び止めに入り、水飲み鳥のように深く頭を下げる。鎌倉は、ただ呆然として鼻水を垂らしているばかり。

 宮司は、伸びきったTシャツの裾を持ち、面長になったジム・モリソンのプリントを繁々と見て「…なかなか、男前になったなぁ」と、ぽつりと零す。

 だろ? ロックTシャツはさ、ちょっとくれえ伸びてて汚れてるくらいがカッコイイんだって! そんでもって、着てる奴の魂がロックじゃねえと、似合わねえんだな、これが。

 宮司さん、あんた、ロックだぜ。ジム・モリソンも、生きてるんだか死んでるんだか分かんねえけど「俺のTシャツ、着てていいよ。お前はロックだから」って言うよ。うん、あんがと!

 ミヤコは宮司に深く頭を下げた。

「てかよ、オッサンよぉ、マジでいいのかよ? 舞殿の前だぜ? 腐っても舞殿の前だぜ? つうか、最高の場所じゃねえか!」

 宮司は、三度へこへこ頭を下げる辻村の持って来たビールを受け取り、口を付けた。一口、ぐいっと飲む。悪戯好きの子供のように歯を見せてイッシッシと笑い、Tシャツの裾を持ち、ミヤコに見せた。

「いやね、僕もこの通り、ロックンロールが好きでね。勿論、レッド・ツェッペリンのボンゾも好きだよ。彼のモビー・ディックは、ロックンロールだ! そして、さっきの、キミが切った啖呵にも、ロックンロールを感じたぜ! だから、貸してあげる! まあ、大祭の大取りの神楽奉納が終わってからだから、夕方になっちゃうけど、いい?」

 いいとも! すげえぞ、カッコいいぞ、オッサン! それでこそ、宮司だ! ロックンロール! ヤバいぜ、バカヤロー!

 ミヤコが両手を広げて飛び付く前に、《太公望釣具店》の会長が涙を流しながら宮司に抱きついた。さらに包み込むように《魚しず》の板前たち、《佐々木桶店》の店主が続く。

 皆、一様に酔っぱらってはいるが、意識は一応はっきりしているようだ。ダムが決壊するかのごとく、一挙に押し寄せては涙を流し、ミヤコたちと宮司に拍手を送る。

 涙袋いっぱいに涙を溜めた《湯川計器》の社長が、様子を見守っていた辻村の手を握り「ウチの製図道具、持ってっていいぞ」と支援を名乗り出る。《ナガマツ・スポーツ》の店主と店員たちも、手に缶ビールを持って涙を流しながら「音楽のこと、サッパリだけど力仕事だったら……」と煙水中に話し掛けている。

 なんか、みんな協力してくれんのか? なんだか、よく分かんねえけど、そりゃ、ありがてえな! でもなんか、痒いなぁ。

 背中を掻きまくるミヤコの元に《太公望釣具店》の会長がやってくる。滝のような涙を流し、湿った声でミヤコに熱く語り掛ける。

「俺は、ミヤコちゃんの言葉に『幕末太陽傳』の佐平次の大啖呵を見た!」

 いや、そいつ、誰だよ。

《太公望釣具店》の会長は、鼻水をずるずると吸い上げて、両手でミヤコの肩を掴んで深く頷く。

「でも、融資できる予算は全然ないけど、ねっ」

 威張んな。分かってるって。浅間通り商店街の財布は毎年、火の車だ。消防車を百台も呼んでこねえと消火できねえくらい、ヤバいんだろ? 分かってる、なんとかする、なにせこっちには、静岡工業高校のシンクタンク、煙水中がいるんだからな。

 ミヤコは煙水中に向き、笑顔でバッと両手を広げた。煙水中は無表情のまま肩を竦め、携帯電話を取り出してミヤコに向ける。

「ジミヘンと、連絡がついた。静岡工業高校の工場棟を、無料で貸してくれるらしい。あと、材料の鉄材だが、学校側も予算的に厳しいから用意できないそうだ。調達方法を今から必死こいて、考えようじゃないか」

 は? 中さん、なんですって?

 ミヤコと辻村は、固まった。しょぼくれていた鎌倉が、空気が入った浮き輪のように胸を張って大股で歩きながら、ニヤニヤと笑って煙水中の肩を叩く。

「煙水よぉ、今から考えるんじゃなくて、忘れてたんじゃねえのぉ?」

 おい、チンカス、鎌倉。てめえに発言権なんぞ、ねえ。鬼の首でも取ったみてえな、えらそーな顔しやがって。てめえは黙ってウンコでも食ってろ、クソヤロウ!

 すかさずミヤコは、鎌倉の鳩尾に飛び蹴りを食らわせた。蹲ったところに、踵落としを食らわせる。

 鎌倉は「ドゥンッ!」と短く悲鳴を上げ、体を曲げたり反らしたりしながら、床をゴロゴロとのたうち回った。

 ボットン便所のウジ虫みてえに、しばらく這い回ってろ。

 ミヤコはスカートを翻し、辻村と煙水中の座るテーブルの元へ。テーブルを取り囲んで商店街の組合員が座った。ミヤコの母親が台所で三本目のラムネの栓を開けながら「まるで戦争みたいね。嫌いじゃないわ、いいじゃない」と鼻歌交じりで様子を窺っている。ミヤコは椅子にどっかりと腰を下ろし、すっかりぬるくなったコップの水を飲んだ。

「社会のゴミは放っておいてよ、その鉄材の調達方法とやらを考えようぜ。鋼材の調達だろ……調達って、なにをどんぐらいだよ」

 頭を抱え込んだミヤコに、先読みした煙水中が作業要領を伝えた。

「辻村が図面を引く。中島も高木も夏休みで静岡に帰省しているから、旋盤チームは全員揃う。旋盤チームで旋盤をブン回して、加工し終わったものを、ミヤコ、お前が熔接する」

 辻村が右手を挙げ、串入れからいくつかおでん串を取り出した。テーブルの上で「X」の字に組む。

「補足します。ステージは左右に一本ずつの主軸を設けます。鋼材をX状に組み合わせて熔接、パーツごとに分けて、搬入後、全てのパーツ同士を熔接し、ステージを組み立てます。X状に組むのは、強度と安定性を考慮した結果です」

 なるほどな。熔接部分に掛かるモーメントを分散させようって腹か。なかなか、やるじゃねえか、製図の鬼! 

 ミヤコは辻村に聞いた。

「スポットライト、二本の主柱を支えるのは、どうする?」

 辻村が向かいの席に視線を投げ掛け、煙水中が答える。

「H鋼を土台にした後に、ペグで固定。安定性を得るために、土台に近づくにつれて重くなるように、鋼材を加工する。普通旋盤で棒材を中ぐりバイトかドリルで削って、段々と鉄の比重を減らす。従って、主柱上部は、鉄パイプのような管材だ」

 段々と減らすって、普通旋盤だろ? 手作業だよな? おいおい、労力は半端じゃねえぞ! ま、中なら問題ねえな! 任せたぜ、旋盤の鬼!

 ミヤコは頷き、熔接作業を頭の中でシミュレーションしてみた。

 ガス熔接で最も適合性があるのは、低炭素鋼。つまり、一般的に使用される鋼材だ。ステンレスや鋳鉄も、適合性はある。だが、作業に迅速さを求めるのなら、避けたほうが無難だな。っていっても、選り好みできるかどうかは、別だけど。鑞接法は接合部の強度が劣るからナシ。煙水中と辻村の話からすると、調達する鉄材の直径は約一〇センチの棒状の鋼材がベスト。鉄パイプのような管材も、即行で調達するなら、選んでられねえかもな。

 ミヤコは胸の前で腕を組み、熔接のシミュレーションと同時並行で頭の中に静岡市内の地図を広げてみた。

 鉄工所は、いくつか知ってる。だが、パクッちまったら、それこそ御天道様に顔向けできねえや。

 ミヤコたちの座っているテーブルを取り巻く組合員の中から「鍋とか熔かして、鋳物にしたらどうだ」と意見が出た。

 ミヤコ、煙水中、辻村は、一斉に首を横に振る。

 鋳材は加工しにくいし、時間も掛かる。しかも、この暑さで、工場棟は冷房なしと来てやがる。鋳造なんてやったら、熱中症で死んじまう。

《太公望釣具店》の会長が手を挙げる。

「鉄筋コンクリート的な廃墟から適当に頂戴するってえのは、どうだ」

 ミヤコは首を横に振った。

「その廃墟ってやつは、どこに在るんだよ。廃墟から鉄材を頂戴するったって、コンクリを破壊しなきゃ、鉄材が出てこねえとか、労力がハンパねえ」

 しょぼくれる《太公望釣具店》の会長に代わって、今度は煙水長太郎が勢いよく手を挙げた。

「花火の筒を片っ端から切り刻んで使うってえのは、どうでぃ! 綺麗な空洞だし!」

 煙水長太郎の発言に、一拍置いてから「いやいやいや、それ、一番駄目!」と商店街の住人たちが総ツッコミを入れた。煙水長太郎は本気だったらしく、眉間に皺を寄せて、短い首を傾げている。煙水中が無表情で呟いた。

「ウチの店が今日、潰れていれば、調達できたんだがな」

 お前、それ冗談のつもりだろうけど、長太郎同様に笑えねえからな。

 いっそのことよ、小学校のジャングル・ジムみたく、全部が鉄で作られた廃墟ならいいんだけどよ。それこそ、鋼材の宝庫じゃねえか。ん……ジャングル・ジム、待てよ、小学校!

「在ったぁああぁ!」

 ミヤコは大声で叫んだ。両手で拳を作って高く振り上げ、立ち上がる。

 そうだ、《ミセス・ロビンソン》で観た昼間のニュース! 静岡市内の廃校になった小学校の解体工事が始まったって、ニュースでやってた! 小学校なら、ジャングル・ジムや滑り台や、のぼり棒、それこそ、鋼材の宝庫じゃねえか! ちょっと借りればいいだけだしよぉ、使ったあと、返せば問題ねえら? えーと、えーと、思い出せ! ありゃあ、どこの小学校だ、えーと、えーと!

「そうだ、静岡市立……大里西小学校だ!」

ミヤコは携帯電話を取り出した。クラス担任のワタセンに電話を掛ける。数回の呼び出しの後、か細い声で「は、は、はぃ、渡瀬ですけどぉ」と、ワタセンが電話に出た。

 煙水中が席を立ち、ミヤコに作業の進行を伝え始める。なにがなんだか分からないといった表情で座敷席に座っているロイド、ダニー、エリックに英語で事情を説明し、手招きして一緒に店を出ていった。

「よし、鋼材調達は任せた。鋼材調達後、詳細を辻村に連絡、それから図面を引く」

 ミヤコは煙水中に向かって、親指を立てる。電話の向こうではワタセンが子犬の遠吠えのように「な、な、なにが、あったんだよおぉおう、ミヤコくん」と繰り返し尋ねている。

 なにがあったんじゃなくて、これから起こすんだっつうの、世紀の革命行動を。

 ミヤコはグッと声のトーンを落とし、ワタセンに命令する。

「ワタセン、よっく聞け。今から超特急で熔断作業に取りかからなくちゃなんねえんだ。事情は後から説明する。静岡工業高校の工場棟に、ジミヘンがスタンバイしてるはずだからよ、熔断に必要な道具一式、トラックに載せて、浅間通り商店街まで持ってきてくれ。あ、アセチレンと酸素のボンベは運搬時、しっかりと固定してな! 前みたく、横にして運んだら、承知しねえからな!」

 電話の向こうのワタセンは「えっ? えっ?」と半ば吐き気を我慢しているかのように狼狽している。ミヤコは構わず続ける。

「あと、アタシのボンゾは熔接専用だから、キースを持ってきてくれ。浅間通り商店街の大鳥居の前で待ち合わせだ。そこでアタシを拾って、大里西小学校まで全速力! とにかく野外特設ステージ建設まで時間がねえんだ。分かったか!」

 ワタセンは涙声で「わ、わ、分かったよぉ」と返し「けど……」と続ける。

 けど、なんだよ。口があるんだから、ハッキリ言えっつうの。別に、ワタセンを取って、生皮ぁ引ん剥いで、串刺しにして炙って、醤油垂らして、食やしねえよ。アタシが言いたいのは、クラス担任なら、黙って生徒のために、ウルトラマッハでトラック運転して、来いってことだよ。担任と言やぁ、奴隷も同然だろうが!

 ワタセンは今にも消え入りそうな声で「ミヤコくんの言う、キースって、なに?」と聞く。ミヤコは舌打ちして、地鳴りのような声音で、ワタセンを威嚇する。

「切断トーチのキースだよ。この間、二時間も掛けて説明しただろうが。いいから、さっさと来い。今すぐ来い。全裸のフルチンでもいいから、二分で来い。いいな!」

 ミヤコは一方的に通話を切り、携帯電話のアンテナでボリボリと頭を掻く。

 普通、キースつったら、《ザ・フー》のドラマーのキース・ムーンって、分かるだろうが。静岡といったらお茶って感じでさ、パッと出てこないもんかねえ。

 辻村は頬杖をつき、目を糸のように細くしながら、全部すっかり熟知しているといった自信が溢れた笑みを浮かべる。

「僕ぁ、分かってますよ。ボンゾもキースも、愚か者にして王者です」

 辻村が席を立ち、床で伸びている鎌倉の前にしゃがんで、びしばし肩を叩く。

「さて、もう一人の愚か者の、鎌倉さん、どうされます? 工業高校に行けば、多少なりともお金になるようなクズ鉄は、あるかも知れませんが」

 鎌倉は辻村の足首にしがみ付き「金の匂いがするなら、行く」と浅く頷いた。

 商店街の住人たちは酒や摘みのおでんを持った手を突き挙げ、ミヤコたちを送り出した。

 

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