第18話、コラボレーション ( 2 )

「 最近の吹奏楽譜は、かなり難易度が高いね。 さっきやったジャズ系の曲なんか・・ あれ、市販されてるんだろ? 中学生なんかには、無理なんじゃないかい? 」

 休憩時間、体育館の軒下に座り込み、ペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら、戸田は、傍らに座っている杏子に言った。

「 そうですね。 年々、カッコいい編曲になって行くんだけど・・ 完璧に吹きこなせる学校は無いんじゃないかしら。 一般バンドでも、ポップスが苦手な団体は苦労してると思います 」

 部員が買って来てくれたアイスバーをかじりながら、杏子は答える。

 戸田が追伸した。

「 譜面通り吹く事は出来ても、微妙なノリやフェイクは無理だろうなぁ・・・ ジャズはセンスだからね。 ・・それにしても、あのトロンボーンの神田ってコは、イイね・・! 自然に、あそこまでメロディーフェイク出来たのには、驚きだ 」

「 センパイの指示が良かったからですよ 」

「 いや・・ 基本的に、あのコにはセンスがあると思うな。 将来、プロになるまでとは行かないにしろ、ジャズ系分野の方面に関しては、意外な才能を発揮すると思うよ? 」

 杏子は、小さく笑いながら答えた。

「 本人は、全然、気付いてないと思います。 センパイとセッションするって事が分かった時から、必死に練習してましたけど、けっこう楽しそうでしたね 」

 ペットボトルの蓋を閉めながら、戸田が言った。

「 練習が楽しいのは、いい事だ。 僕も、プロになってからも、まずは自分が楽しむ事をスタンスとしているよ。 ・・本番ステージの出来は、練習して来た過程の、単なる結果に過ぎない。 それよりも、毎日・毎週の練習が楽しい事の方が、何倍も大切なんだ 」

 杏子は、頷きながら答えた。

「 取り方によっては・・ ただ遊んでいるだけ、と考える人もいるかもしれないけど、そうじゃないんですよね。 何となく、分かります 」

 ホルンの藤沢が、楽器を持って2人の所へやって来た。

「 なあに? どうしたの? 」

 杏子が尋ねる。

「 あの・・ あたし、ハイトーンが苦手で・・・ 戸田さんのハイトーン、凄いし、何かヒントみたいなものあれば教えて下さい 」

「 ハイトーンかあ・・・ 」

 戸田は、腕組みをしてしばらく考え込んだ。

「 杏子先生に、まずは基本のアンブッシュアを確立して、中音域をロングトーンしろって言われたんですけど・・ 」

 そう言う藤沢に、戸田は少し微笑むと答えた。

「 ・・うん、それでいい。 急にハイトーンは、出るようになるもんじゃないよ? 毎日の練習の積み重ねなんだ。 僕だって、ハイトーン音域ばかり練習してるワケじゃない。 ・・むしろ、今言った、中音域をフォルテで吹くな。 リップスラーしながらね。 リップスラーのコツが分かれば、意外とハイトーンは出やすくなるよ? 」

「 リップスラーですか・・ そう言えば、あたしリップスラー、ヘタだもんなあ・・! 」

 杏子が付け加えた。

「 ハイトーンが出なくてイライラするより、逆転の発想をしなさい。 ホルンは、管体を真っ直ぐ伸ばせば、何メートルもあるの。 そんな長い管体の楽器を、トランペットと同じくらいの、そんな小さなマウスピースで吹くのよ? 吹き難くて当り前よ。 音が当たらなくて、ミストーンだって出やすいわ。 出なくて悩むより、初めから出難い楽器なんだ、って思いなさい。 その方が、デイリートレーニングの励みにもなるでしょ? 」

 少し、吹っ切れたような表情を見せながら、藤沢は言った。

「 う~ん・・ 何か慰められたってカンジ。 そうだよね、もう、アセるの辞める! これからは、リップスラーに重点を置いて練習するね! 」

 体育館の中に戻ろうとする藤沢に、戸田が声を掛ける。

「 フォルテだよ、フォルテ! 」

「 はい! ありがとうございました! 」

 小走りに、藤沢は、体育館の中へ入って行った。

「 ・・みんな、とっても真面目なの・・・ 高校時代のあたしと比べたら、恥かしくって・・! 」

 足元の校庭の砂を、食べ終わったアイスバーのスティックでいじりながら、杏子は言った。

 戸田は、汗をかいたペットボトルに巻き付けてあった、濡れたハンカチを取ると、体育館の軒下を見上げるように上を向き、ハンカチを額に当てながら答えた。

「 みんな、アンコを慕ってるじゃないか。 立派に指導してると思うよ? 今の、ホルンの彼女への指導内容も、適切だ。 それでいい。 指導者として・・ 最初の取っ掛かりとしては、上出来だと思うよ 」

 小さく笑う杏子に、戸田は続けた。

「 どんなにうまい学校でも、どんなにヘタな学校でも・・ 生徒は、同じなんだ。 技術の差が出るのは、生徒のせいじゃない。 指導者のせいなんだ。 しいては、勉強も同じだし、家庭においては、親だって一緒だよ。 やる気を出させてくれる、希望を持たせてくれる指導者・先生・先輩・上司・親・・・ 友だちもそうかな? そんな人には、強制しなくても、自然に人はついて行くし、閉じていた心の扉も開いてくれるものだ 」

 小さなため息をつくと、杏子は言った。

「 ・・ホントは、とっても不安なんです。 求めて来るあの子たちに、あたしは本当に応えてあげてるのか・・ とか、間違ったコト教えてたり、ヘンな・・ 余計な方向へ導いていないか、とか・・ 」

「 考え過ぎだよ、そんなの。 現にみんな、やる気出して、一生懸命練習してるじゃないか 」

 額のハンカチを取り、杏子の方を向きながら、戸田は一笑した。

 笑顔を返しつつも、杏子は真剣な表情で続ける。

「 ここだけの話し・・ 時々、よく同じ夢を見るんです。 ある日、部室に行ったら・・ 誰もいないんです。 楽器ケースも譜面棚も、ホコリをいっぱい被ってて・・! 大切な、あの子たちの存在も、今までの過程も・・ 全て夢だったんだ、って・・! そんな・・ 心底、がっくり来る夢なんです。 『 何で~ッ? 』って、夜中によく飛び起きるんですよ? 」


 ・・・いつも明朗活発。

 少々、強引なところもある気丈な杏子も、それなりに悩んでいたのである。


 初めての顧問。

 しかも廃部寸前で、どちらかと言えば、無理やりに活動を続けていると表現した方が良い状況の中、人知れず苦労をしていたのだ。

 思春期の、不安定な難しい時期にいる生徒たちを引率していくのは、精神的にもかなりの負担が掛かる事だろう。

 戸田は、そんな杏子の心情を察した。

「 ・・そうか・・ 」

 夏の太陽が照りつけるグラウンドを、じっと見つめながら一言、戸田は、そう呟いた。


 ・・2人の間には、しばらくの沈黙が流れる。


 ペットボトルに手を伸ばし、蓋を開ける戸田。

 飲み口を近づけ、飲もうとしたその手を止めると、静かに、杏子に言った。

「 勝手に見た夢の事なんか、忘れちまえ・・! 本物の夢は、あの子たちが見せてくれる 」

 ペットボトルのミネラルウォーターを、一気に飲み干す、戸田。

 杏子は、下を向いたまま、少し笑みを浮かべると、小さく頷いた。

 開け放たれた体育館の入り口から、アルトの星川が、ひょっこりと顔を出して言った。

「 杏子先生~っ! もう、休憩時間過ぎたよ。 早く練習やろうよ~ 」

 杏子は、弾かれたように立って答えた。

「 ごめん、ごめん! 今、行くね 」

 戸田も立ち上がると、言った。

「 ・・さあ、やりましょうか、杏子先生! 生徒たちが待っている・・! 」

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