第19話、『 楽しさ 』の定義

 休憩後は、その他の曲を一通り練習した。

 何とか止まらずに演奏出来る程度ではあるが、しっかりしたリズム隊と、リード奏者が入ったおかげで、部員たちの曲に対する理解度は、格段に向上した。


「 Fの旋律の入り、テンポ、おかしいでしょ? せっかく、オブリガードが、いいカンジにリットしてるんだから、それ聴いて、もっと慎重に入らなきゃ! 」

「 そこ! テンポ・プリモよ。 最初のスピードに戻して。 チューバのテンポが決め手よ? 遅れないで。 アウフ・タクトのテンポに合わせて! 」

「 変拍子後の転調、楽譜をよく見て! 誰か、音、間違ってる 」

「 クラ、慌てないで! 16分音譜と言ったって、そんなに速くないわよ? サックスの裏打ちを、よく聴いて! 」


 足りないパートの、穴埋め的指示がほとんどだった合奏練習も、いつしか、より良い演奏に向けての、実践的な指示となっていた。

 知らず知らずのうちに、部員たちの演奏技術も向上している。 ・・もっとも、まだまだ未熟なものではあるが、未知の可能性を秘めた部員たちに、杏子は期待し、感動していた。


 やる気さえあれば、何でも出来るのだ・・・!

 仲間さえいれば、自分の許容範囲以上の事が出来る・・!

 それを、この音楽を通じて学んで欲しい・・・


 杏子は、切に、そう願うのだった。


 3時頃に、休憩をとった。

 さすがに部員たちも疲れたようで、皆、開け放たれた体育館の扉辺りに座り込み、買って来た清涼飲料水などを飲んでいる。

 杏子も、風通しの良さそうな扉脇に座り、旋律を他のパートに代吹きしてもらう為の楽譜を書き始めた。

「 クラだと、このあたりの音域、吹き難そうねえ。 どう? 吹ける? 」

 杏子は、代吹き担当者になる1年の香野に聞いた。

「 ・・う~ん、仕方ないよね。 アルトだと音色的におかしいもんね。 頑張る 」

「 よしっ、じゃあこれ、お願いね。 レガートでいいけど、あまり叙情的に吹かないでね? テンポが遅れちゃうと、アルペジオをやってるサックスが吹き難くなって、バラバラになっちゃうから 」

 杏子は、書き上げたばかりの手書き譜を香野に渡すと、額に浮いた汗をハンカチで拭いながら続けた。

「 香野さんは、まさに即戦力ね・・! 助かるわ。 中学の時も随分、頼りにされたでしょう? 」

 受け取った譜面を、楽譜ファイルに入れながら、香野が答える。

「 そんなコトないですよォ~ 他の子たちも、それなりに吹けてたし・・ でも、こうやって譜面以外の旋律や、足りない音を吹くのって、楽しいね 」

 香野は続けた。

「 あたしの行ってた中学・・ 地元じゃ結構、強豪で有名だったんですよ? 朝練・昼練・・夏休みなんか、ほとんど無かったし、祝日も練習やってたんです。 でも、コンクールでは、いつも県大会 ダメ金止まり・・・ 強くなりたい、あの学校には負けたくない、この学校よりは上になりたい、って・・ 必死に頑張ってたんですけど、今、思うと・・ 全然、楽しくなかった。 その時は、気が付かなかったんです。 まるで義務のように練習してたから・・・ 」

 ファイルを閉じ、傍らにあった手提げの中から、うちわを出して、あおぎ始める香野。

 軒先を見上げ、言った。

「 青雲学園に入って部活を決める時も、ホント何も考えず、ポスター見て、『 あ、行かなきゃ 』って・・! 」

 香野は、杏子に笑って見せた。

「 ・・でもね、杏子先生。 今、あたし、すっごく楽しいの・・! 人数少なくて大変だけど・・ その分、あたしは必要とされてる。 その事が、すっごい実感できるの。 あたしの音が演奏に貢献してる、って感じるの・・! 今だから思えるんだけど・・・ 相手に勝とうと思って演奏したって、感動は伝わらないよね? 力でねじ伏せちゃってるんだもん。 強制的からは、何にも生まれて来ないと思うの。 あたしの中学で足りなかったのは、練習じゃなくて、『 楽しさ 』なのよ・・・! それって安易なコトかもしれないけど・・ 自分たちが、まず楽しんで、その楽しさを表現する、っていうか・・ う~ん・・ だめだっ、うまく説明出来ない~・・! 」

 頭をかきながら、香野は笑った。

「 理屈じゃないのよ、香野さん・・・ 一生懸命練習して、尚かつ、楽しければ、それが最善ね。 実際、楽しそうに演奏してると、自然と音も、そう聴こえるものよ? 見てる方も楽しいし、勝手に楽しそうな音を想像して、その音が出ているものとして聴いちゃうの 」

 杏子は、写譜ペンを小さな布製のペンケースに入れながら言うと、続けた。

「 でも・・ そこまで練習させるのも、考えものね。 まあ、それぞれ顧問の先生のやり方ってものがあるから、否定は出来ないけど・・ 」

 杏子を見つめる、香野。

 夏空に、むくむくと立ち上る、真っ白な入道雲を見上げ、杏子は言った。

「 本番前になると、臨時練習ってあるでしょ? あれも、入れ過ぎると、返って逆効果よ? いつも来ない人は、臨時練習だって来ない確率が高いもの。 常に来てる人は、やっぱり来る・・・ その人たちに負担を掛けるだけなの。 臨時練習っていうものは、日数を減らして時間を増やした方が効果的よ? その日に来ないと、もう後が無い、ってプレッシャー掛けるの。 なまじ日数があるから今度行けばいいかな、って気にさせちゃう。 要は、本番までの練習回数を数えさせる、状況作りよ? それが分かれば、遅刻してでも練習に来るようになるものなの 」

 香野の隣で、うちわをあおぎながら、2人の話を聞いていた遠藤が言った。

「 あたしのイトコが、一般のバンドに入ってるんですけど・・ おんなじようなコト、言ってました。 練習場所を借りると、お金も掛かるし、演奏会前の臨時練習は、2回しかやらないって 」

 遠藤の後ろに座っていた吉井も、話の輪に入って来る。

「 あたしも、親戚の叔父さんが一般バンドに入ってるんだけど・・ 合宿、やってるって聞いたよ? ねえ、杏子先生、ウチは合宿、やらないの? 」

 吉井の隣にいた垣原が、身を乗り出して言った。

「 合宿っ? やろう、やろうっ! 何か、楽しそうじゃん! 」

 香野が、垣原に聞いた。

「 理香、合宿をリクリエーションか何かと、カン違いしてない? 」

「 ・・う~・・ かもしんない。 でも、キョ~ミあるなあ・・! 練習だって、時間、いっぱい取れるんでしょ? 」

「 理香、ダメだってアンタ。 ゼッタイ遊ぶもん 」

 遠藤が、冷めた視線で垣原を見ながら言った。

「 ナニよォ~、早苗。 ウチワあおぎながら、ヤケにつんけんした言い方じゃ~ん? あんただって「 暑っつ~い 」とか言って、ロングトーン、さぼりまくりなんじゃな~い? 」

「 だぁって、亜季センパイ、汗びっしょりにしてると、ムサ苦しくしてたらダメって言うんだも~ん 」

 杏子が、笑いながら答える。

「 まあ、今からじゃ、宿泊施設を予約出来ないし、実現させるなら冬のアンサンブルコンクールに向けて、秋過ぎね・・ やる気があるのなら、先輩たちと話し合って検討しなさい 」

 吉井が、思い付いたように言った。

「 ・・ねえ、ねえっ、宿泊するってコトは、おフロ入るよね? 理香の胸の真実が、明白になるじゃん・・! 」

「 なによそれ! あたしの、この・・ 豊満な胸のドコに疑惑があるって~のっ? ちゃんと、春の身体測定での実数値よっ 」

 垣原が自分の胸を、制服の上から抱えながら言った。

 遠藤が追求する。

「 理香・・ ゼッタイ、思っきし、息吸って測ったでしょ 」

 垣原は、額に手をやり、ため息をつきながら答えた。

「 はああ~・・ これだから、貧乳の子は困るわぁ~・・! 認めたくないのね・・ うん、分かるわ、そのキモチ・・ 」

「 失っ礼ねええ~っ、ダレが貧乳よっ! ・・そりゃ・・ あんまし大きくないケド・・ 」

 吉井が、腹を抱えて笑い出した。

「 いいわ、じゃ、あたしが立会人ってコトで、実測しよう! メジャー、持って来るから 」

 香野まで、その気になって会話に入って来た。

 垣原が言った。

「 OK! じゃ、由美、お願いね。 ・・ふっふっふ・・! 事実を目撃し、驚愕するみんなの顔が、目に浮かぶわぁ~ 」

 垣原と同じように、額に手をやり、ため息をつきながら杏子は言った。

「 ・・騒がしい夜になりそうね・・・! 」


 半日を費やした、戸田たちのバンドとの合同練習は、実に、内容の濃いものとなった。

 メンバーとの交流も深まり、特に、陽気なデイブとは、練習後半、パーカッションの3人とトロンボーンの神田らが、デイブの太い腕にぶら下がったりして、大いにはしゃぎ回る姿が見られた。


 練習後、彼らは、来た時と同じように楽器を積み込み、1ヶ月後の再会を約束して帰って行った。

「 何か、長い1日だったね、杏子先生・・! 」

 遠ざかる戸田たちの車に、手を振って見送りしている部員たちを見ながら、沢井が言った。

「 ・・そうね・・! でも、いい経験になったわ。 みんな、プロってものが、どれだけ凄いか、良く分かっただろうし 」

「 あたしは将来、プロとして活躍出来るかどうか分かんないケド・・ もしそうなったら・・ 今日、感じた感動を、忘れないようにして演奏するね 」

 沢井が、杏子に言った。

 杏子は、無言で頷くと、微笑みながら答えた。

「 プロであろうと、アマチュアであろうと・・ 感動を伝えようとする事が、大切なのよ? あたしたちは、それを楽しさで表現しようとしてるの。 一番、分かりやすい道だから・・・! 」

 杏子の言葉に、沢井は大きく頷き、言った。

「 綺麗な音を出す・・ ピッチの合った音程を出す・・・。 それ以前の・・ もっと、根本的な定義ですね 」

 杏子は、沢井の方を向くと、笑顔で頷いた。

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