第23話触れ合い

 河野ちゃんの葬式が終わって、四日が経った。その間、僕は学校に行かなかった。

 面倒だったからだ。無気力だったからだ。学校に通う情熱というものがまったくなかったからだ。

 どうしようもなく虚しくてたまらなかった。

 河野ちゃんが居なくなって、僕の心にぽっかりと穴が空いてしまったみたいだった。


 だから家でずっと眠ってばかりいた。

 何もする気がなかった。ベッドで眠って、お腹が空いたら適当に冷凍食品を解凍して食べた。そしてまた眠った。

 地堕落な生活を送っていた。というよりこのまま死にたかった。

 思うだけで行動しなかったけど。


 僕は夢の中で河野ちゃんに会いたかったのかもしれない。だけど河野ちゃんの夢は見なかった。それどころか夢も悪夢も見なかった。

 そんな僕を正してくれる人は居なかった。梅田先生もあきらくんも、義父さんも義母さんも何も言わなかった。そのほうがありがたいけど、自分が腫れ物のように感じられて、ツラいと思ってしまった。


 だけどどうしようもないじゃないか。

 守ると決めた大切な人が死んでしまったのだから。




 そして、四日後。

 僕はいつもの通り、ベッドで惰眠を貪っていた。今日も夢は見なかった。


 ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。

 宅配便の人かなと思ってほっといたけど、何度も何度も鳴らすものだから、気になって起きてしまう。

 僕は起きて、階段を下り、玄関の様子を見えるカメラを覗いた。

 そこには久しぶりに見る顔が居た。何か決意を込めた表情だった。

 僕は玄関を開けた。


「あ、田中くん、久しぶりだね」

 ぎこちない笑顔で立っていたのは、吉野さんだった。

「ああ、吉野さん、久しぶり。学校どうしたの?」

 僕は玄関に掛けてある時計を見た。まだ十時半くらいだった。

 吉野さんは呆れた調子で「今日は日曜日だよ」と言った。そういえばそうだった気がする。曜日の感覚がとっくの昔に無くなってしまったようだった。


「学校、来なかったね」

「うん。面倒だったから行かなかった」

「……お風呂、入ってる?」

 これも気づけば何日も入っていない。


「いつまでもパジャマじゃみっともないから、着替えてきなよ。ついでにお風呂に入って。結構臭うよ」

 女の子にそう言われてしまったら、なんとかするしかない。僕は自室から着替えを持ってきて、シャワーだけ浴びて、身体を綺麗にしてから、自室に戻った。


「おまたせ。それで何の用なの?」

 僕は吉野さんに訊ねると「用がないと来てはいけないの?」と逆に問われた。


「それはそうだけどさ」

「嘘だよ。ちゃんと用はあるんだ。でもまず安心したよ」

 吉野さんはホッとした顔を見せる。

「学校に来なくて、ケータイにも出ないし、もしかして、と思って」

 もしかしての後を具体的にしなかったのは僕への配慮だろう。


「大丈夫。死んだりしないよ」

「そう。それなら連絡の一つぐらいしてよ」

「誰とも話したくなかったんだよ」

 そう言ってから、何か飲み物を持ってくれば良かったなと後悔した。


「その気持ちは分かるよ。私もここ数日はショックで笑うことができなかった。でも人間の慣れって怖いね。今ではすぐ笑顔になれるよ。本当に残酷だよね」

 人間は慣れる動物だ。というより環境に適応できる動物と言い換えるべきか。

「ちゃんとご飯食べてないでしょ。何か作ろうか?」

 吉野さんは僕を気遣ってくれているみたいだけど――


「大丈夫だよ、吉野さん」

「大丈夫に見えないけど」

「僕は気遣いを受ける資格のない人間なんだ」

 この言葉に吉野さんはぴくりと反応する。

 次第に怒りを孕んだ目つきに変わっていく。


「それって、どういう意味?」

「だって、人一人守れなかった人間が、優しくされる資格なんて、ないでしょ」

 僕は無理矢理笑顔を作った。

「僕は駄目な人間だよ。一人の少女を守れなくて、目の前で死なせて。本当に最低――」

 最後まで、言えなかった。


 顔を思いっきり叩かれてしまったから。


「――馬鹿っ! 田中くんの馬鹿!」

 吉野さんは怒っている。同時に泣いてもいた。

「自分だけ背負わないでよ! 守れなかったのは君だけじゃない! 私だって、梅田先生だって、守れなかった! なんで一人で抱え込むの!」


 僕はひりひり痛む頬を撫でた。

 痛みがある。僕は生きている。

 ならどうして、河野ちゃんは死んでしまったんだ?


「僕がもう少し早く学校を出ていれば、父親が――」

「やめて! 聞きたくない!」

 吉野さんは僕の肩を掴んだ。

「君はできることをしたじゃないか。それを悔やんでも仕方がないでしょ! 自分を責めないでよ!」

 僕はどうすれば良いのか分からなくなった。


「じゃあ、僕は、どうすれば、いいんだ?」

 僕は足掻くように自分を責め出した。

「あの日、どうして河野ちゃんが死んでしまったんだ? 誰がいけないんだ? 河野ちゃんが悪いのか? それとも僕がいけなかったのか? 誰も悪くないなら、どうして河野ちゃんが死ななければいけなかったんだ?」

「……それは分からないよ」


「だったら! 僕はこれから何をすればいいんだ!」

 僕は怒鳴るように大声で叫んだ。


「どう償えばいい? どう謝ればいいんだ? 河野ちゃんのためにしてあげられることは一体なんなんだ? 教えてよ、吉野さん……」

 僕は吉野さんに縋った。

 吉野さんはふうっと溜息を吐いて、持っていたバックを開いて、中から手紙みたいなものを取り出した。


「それは、なんだい?」

「静ちゃんの、手紙だよ」

 吉野さんは僕に手紙を差し出した。

「中身は見ていないよ。まず田中くんから見るべきだと思ってね」


 僕は手が震えていた。河野ちゃんの、最後の言葉が詰まっている、手紙だった。

 僕はゆっくりと手紙を受け取った。

 表紙には『田中くんへ』と書かれていた。


 僕は手紙を開いて、便箋を取り出した。


 そこには、河野ちゃんの想いが書かれていた。


『田中くんへ。私は口下手だから、自分の想いを伝えるのは上手にできないから、手紙を読むことにしました。私の想いが田中くんに伝わればいいなあって思います。私は田中くんに初めて出会ったとき、淋しそうな人だなと思いました。私と一緒で何か大きな秘密を抱えていて、人に話すわけにもいかないから、いつも一人でいるようにしているんだろうと勝手に思いました。でも同時に優しそうな人だとも感じました。人のために動ける人だと勝手に思ってしまいました。でもそれは当たっていて、田中くんはいつも私のためにいろいろと動いてくれました。お父さんのこと。勉強のこと。これからの将来のこと。いつも真剣に親身になってくれました。それがたまらなく嬉しかった。私のために動いてくれる人が居るなんて思いも寄らなかった。どうしてそんなに優しいのか分からないくらいだった。でも田中くんは私と一緒なんだと思うと助けてくれる理由もなんとなく分かる気がしました。だから私は田中くんのことが好きです。大好きです。田中くんの秘密に触れたとき、私はこの人なら一生守ってくれると信じられました。歪んでいると思われても仕方がないけど、田中くんのことがますます好きになりました。できることなら一緒に生きたいと思うようになりました。改めて言います。私は田中くんのことを愛しています。お嫁さんになりたいくらい、愛しています。田中くんは迷惑に思うかもしれないけど、私は本気です。田中くんは一人で生き残ってしまったって言うけど、責任を感じる必要はないんだよ。もしも責任を感じるのをやめられなかったら、私も一緒に背負わせてください。田中くんは私のことを好きじゃないかもしれません。でもそれでもいいんです。私は一方的に田中くんのこと、好きでいます。愛し続けます。いつか私は田中くんに私と出会えて良かったと思わせるような立派な女性になります。その努力を怠ることのないように頑張ります。勉強もこれまで以上に頑張ります。なんだかまとまりもない文章になってしまったけど、最後にこれだけは言わせてください。どんなに田中くんが悪い人間になっても付いていきます。どんなに田中くんがかっこ悪くなっても愛し続けます。私のことを一生守ってくれると約束してくれたこと、涙が出るほど嬉しかったです。そして、あのとき好きだって言ってくれて、本当にありがとう』


 僕は何度も手紙を読み返した。


 河野ちゃんの想いが詰まった手紙を何度も読み返した。


「河野ちゃん、ならどうして、死んじゃったんだよ……」

 思わず零れた言葉。だけど、それだけじゃなかった。

 ぽたぽたと涙が溢れてきた。

 僕は知らず知らずに涙を流していた。

 河野ちゃんが死んだとき、泣けなかった。

 だけど想いを載せた言葉を読んで、僕は河野ちゃんと触れ合うことができたんだとようやく実感できた。


「田中くん……」

「吉野さん、僕は泣けなかった。河野ちゃんが死んだって実感できなかったから」

「……うん」

「でもようやく実感できたんだ」

「……うん」

「河野ちゃんは、死んじゃった」


 僕は大声をあげて泣き出した。

 心が痛くて。胸が張り裂けそうで。

 頭がおかしくなりそうだった。


 そんな僕を優しく包んでくれる人が居た。

 吉野さんだった。

「大丈夫だよ。田中くん。大丈夫」

 吉野さんはぽんぽんと背中を優しく撫でてくれた。

「静ちゃんは決して死んだりしない。こうして田中くんの心の中で生き続けるんだよ」

 僕は吉野さんの言葉に救われる心地がした。

「だって、思い出さえあれば、静ちゃんは死んだりしないんだから」


 僕はそのまま泣き続けた。吉野さんに抱きしめられながら、ずっと泣き続けた。

 こうして僕はようやく河野ちゃんの死を受け入れることができた。


 その晩、僕は夢を見ることができた。

 あのお気に入りの高台で僕は河野ちゃんと向き合っている。

 河野ちゃんはにっこり微笑んでいた。


 僕は何か言おうとして、喋れないことに気づく。

 だから一生懸命、手を振った。

 さようならの代わりに、手を振った。

 すると河野ちゃんはあのときみたいに、何かを呟いた。

 何度も何度も三文字の言葉を繰り返した。

 僕はやっと気づいた。


 河野ちゃんが言ってたのは『生きて』だった。


 それに気づけた僕は夢の中でも涙を流せた。

 そして目覚めたときも、涙を流せることに安堵した。


 それから僕は学校に行くようになった。相変わらず大友たちは僕を敵視するけど、同じクラスの吉野さんが庇ってくれるから平気だった。

 吉野さんは僕に親切にしてくれる。今度何かお礼しないといけないなあと思ったりする。

 あきらくんとはいつも通り仲良くしているし、梅田先生ともたまに話したりする。

 今までの平凡な日常に戻ってきたようだった。


 だけど忘れてはならない。


 僕は決して、河野静を忘れたりしない。

 僕のことを愛してくれた女の子を。

 僕が守ることができなかった女の子を。

 僕に『生きて』と言ってくれた女の子を。

 世界は残酷で子どもが大人に殺されたりする。

 河野静もその一人だった。

 父親に殉じて死んでしまった。

 どんなに酷いことをされても、見返りを求めず、従ってしまった。

 僕は今更だけど、河野静のことを愛していたのだろう。だからこそ死んだとき悲しかったんだ。

 だから忘れない。


 僕が青年から大人になって、いつか心の傷が癒えてしまって、もしかすると河野静を忘れてしまうかもしれない。

 そんな大人になりたくはない。

 僕は河野静と共に自分の人生を歩んでいく。

 それが僕の決意だった。


 僕は高台で河野静のことを想う。

 はたして僕は彼女に幸せを与えられたのだろうかと。

 その答えは誰も知らない。

 それでも想うことは無駄じゃない。

 いつか河野静と同じ、苦しんでいる人を見かけたら助けようと思う。

 そしてできれば守れたら嬉しい。

 そしてたった一つだけ確信できることがあった。


 僕と河野ちゃんは心が触れ合っていた。

 互いの心が触れ合っていたんだ。

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触れ合い 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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