第8話 パンドラの筺

 冬の空は真っ青に澄み渡り、雲のカケラひとつ流れてはいなかった。

 アサシンは少しばかり眉を顰めて自身のわき腹辺りを撫でさすった。服の下では古傷の一つとなった件の痕跡が今も時々痛む。トドメを刺された経験は、さすがに無かった。ゆっくりと息を吐き出す。白くなった吐息が風に流されていった。


 アリーシャとの付き合いもほぼひと月となる。

 空を見上げた姿勢のまま、アレンは肩をぐるりと回す。視線を巡らせれば、遠く枯れた木々の合間に目指す首都の全容が臨め、逆に向ければ山頂の針のような木々の連なりが見える。

 幌馬車隊は立往生のまま、雇われの兵団は臨戦態勢で物陰に潜み、自身もまた身を低くして車輪の影で敵の出方を窺っている。すっかりと取り囲まれているが、賊そのものは数が少ないと認識していた。

 傭兵たちがきっちりと仕事をこなしてくれたなら、一人頭で二、三人の相手をすれば良い程度の数だ。


「そろそろか、」

 呟いた後に再び息を吐く。煙草を吹かすように白い息をわざと風に乗せた。

 随分と慎重な賊だ、こちらが事故で立ち往生していると解かったなら、すぐにでも行動を起こすべきだと考えるのがセオリーだ。時が経てば経つほどにこちらは状況を把握し、態勢を立て直してしまう。襲撃にもっとも適した時間は、事故で動けない馬車があると知ったその瞬間のはずだった。

 悠長に構えているこの賊は、よほどに戦力が優れるのか、あるいは完勝の見込みがあると踏んでいるかだ。

 用心に越したことはなく、同様に考える傭兵団の連中もアレンと同じく動かない。互いに相手の正確な位置を知らず、先に手を出した方が不利となる。緊張の時間が流れていた。

 痺れを切らしたのは、賊の方だった。


 一発の銃声が合図となり、重い響きが終わりきる前に激しい銃撃戦が開始された。アレンはまだ動かない。陰に潜み、撃ち合う敵味方の銃声に耳を傾けている。

 音の方向、発射の際に微かに見えた発光、それらを手掛かりに敵の位置を目算する。タイミングを測り、半身を馬車の影から出して狙った場所を正確に撃ち抜いた。素早く身を返す。短い悲鳴が微かに耳へと届く。目蔵滅法に撃ち合っているように見えて、無頼の輩と訓練された傭兵たちとでは格が違いすぎる、四半時の間に山賊の側から撃ち出される銃弾はごく僅かとなった。


 アレンは微かに眉を顰めた。技量の差のみで開いたものとは考えにくい不自然さを感じ取った。

「コンラッド! 敵が回り込んでくるぞ!」

 アサシンの耳は、多くが異常な性能を誇る。銃撃戦の激しい応酬の最中に、移動する際に枯葉を踏み散らす音を聞き分けていた。叫ぶと同時にアレンは車輪の影へと身を躍らせた。風を切る幻聴、追って跳弾の鋭い音響が場に響く。鉄製の車軸カバーに当たって、凶弾は跳ね返る。即座に応戦に移り、樹の影に居た賊を一人片付けた。これで二人目。


 こちらの位置を把握した賊の一人が銃を乱射しながら突っ込んできた。鉛玉の応酬をする代わりに、アレンは自身の銃を素早く仕舞い込んで細身の剣に持ち変える。戦闘時には複数のウェポンを切り替えねばならない、その理由がここにあった。数秒後には両者が斬り結んでいる。狙い撃ちを避けるため、隙を窺う余裕はない。

 二度ほどの鍔迫り合いの後、賊の若い男がのけぞり倒れた。アレンは再び身を翻して物陰へ潜む。頭上を跳弾が飛び越えていった。


 いつからか魔物が世界に徘徊するようになった。それと同時期に、人間の肉体にも強弱の差が出来た。鉛玉一発で動きを止められてしまう者と、数十発を受けても平然としている者まで、その差は激しかった。銃というウェポンは接近されてしまえば脆弱だ。必然で、剣と銃器を合わせて使わねばならなくなった。

 手足を撃たれた程度では動きを鈍らせることも難しく、腹や胸では怯みもしない。脳を破壊されてもなお動く化け物の噂さえ聞かれた。


 殺した賊を引きずり上げ、障壁代わりに車輪の前へ座らせた。自らはその陰へ飛び込み、敵の狙撃を封じた。

 商人の持つ不思議な能力と同じ、賊には賊が使うに適した能力持ちが居る。風を切る微かな音を、アサシンの異常な聴覚が聞き捕らえる。後は勘だった。剣が敵の渾身の一撃を受け止めた。


 空気のゆらぎ、輪郭部分のほんの僅かな色調の違い、ノイズのように景色に混ざる違和感は人のカタチをしている。カメレオンのように周囲に同調する人間も居れば、新たに襲い掛かったこの賊のように、自らを透明化してのける人間も居る。並外れた膂力を活かし、アレンは敵の剣を受けたまま片手を放した。支える右腕の上腕筋が目に見えて増大した。素早い動きで左手はホルスターから銃を引き抜く。

 賊の横っ腹に連続で銃弾を撃ち込んだ。


「ぐあぁ!」

 透明な敵がその正体を現した。たたらを踏んで尻もちを着く賊の男にアサシンの反撃がするりと決まる。背後を取り、喉元に剣を銜えさせた。まっすぐに引けば要らぬ場所に穴が開くだろう。

 アレンは賊の背を片膝と左腕でホールド姿勢に捕らえ、右手の剣を少しだけ浮かせた。呼吸を解放された男の喉が激しく上下した。

「ち、ちくしょう! 話が違うじゃねぇか!」

 上ずった声で、賊は叫んだ。まだ若い男だ。恐らくは傭兵崩れと見て、アレンは男を背後から締め上げる。引き攣るような呻きを賊の男が漏らした。

「何か訳有りのようだな、お前の知る話とやらを聞こうか。」

 声と態度で威圧を掛けつつ、アサシンの瞳は探るようにこの賊の出で立ちを観察していた。


 若い男だ。枯れ草色の髪はまだ小奇麗で悪臭もない。傭兵の好む上下セットの服も揃いのものだった。賊の生活が長くなれば、必然で服装はちぐはぐとなる。男が身を持ち崩した時期が測れる。同時に奇妙な時間経過の謎にも幾らかの目鼻が付けられるようになるだろう。この男が口を割らなくとも。

 銃声が響いた。同時に拘束した男の身体がひといきに重くなった。固定された標的だが、見事に眉間を撃ち抜かれている。即死の状態だった。

 アレンは舌打ちをし、顔を上げる。コンラッドの拳銃から白い硝煙がたなびいていた。

 いつの間に来たものか、大男は山腹の斜面に立っていた。隊長格のこの男の傍に賊と思しき死骸が複数転がっている。彼が居なければどの道捕らえた賊を盾にする羽目にあったらしい。それでもアレンは不満げに眉を寄せた。派手目のアクションでコンラッドは拳銃を腰のホルダーへ収めた。くるくると回転してから銃はなめし革のケースへ飛び込む。


「なんだ、余計な事しちまったか?」

 筋肉の鎧が重そうだ、男は左右に身体を大きく揺らしながらでアレンに近付いてくる。大方の賊は始末がついたらしく、銃声は止んでいた。代わりに、この男の部下達が鋭い声で互いの確認を取っていた。

 コンラッドは歪めた笑みを貼り付けている。アレンは憮然とした表情を崩さない。


「いや、」

「不服そうなツラしてんじゃねぇか。」

 僅かばかり寄せられた眉間を指差して、傭兵団の隊長はこの暗殺者よりもさらに不服げに眉根を寄せた。

 アレンはため息と共に首を左右に振った。

「黒幕の名を知っていそうな口ぶりだったんでな。惜しい事をしたと思っただけだ。」

 皮肉の混じった言葉には無反応に、コンラッドは気安くアレンの傍へ腰を落とした。屈伸の姿勢のまま、いつでもすぐに立ち上がれる用心がある。同じ目線になり、改めてチラリと横目でアサシンを見た。

「そうかい、こっちはホレ、こういう状況が見えたんでな。親切のつもりだった。」

 死んだ男の左手を掴んで捻る。その指先に金属の煌めきが一瞬見えた。

 落ちた極細の針をアレンが地面より探り、摘まみあげる。コンラッドはユーモラスな仕草を添えて、死体の腕を手放した。ボールでも放り出すような手軽さがあった。

 軽く弾みをつけて、傭兵の隊長は膝を伸ばして立ちあがった。

「ま、こっちはお前さん達の事情は知らねぇんでな、悪かったよ。」

「いや、助けられたようだ。礼を言う。」

 光にかざせば、薄く塗り込められた液体がカラーコーティングにも見えた。緑がかった銀色に輝く針だ。


 コンラッドは立ち去ることなく、その場で棒立ちになっている。

「ずいぶんと物騒なことだな。今回はやたらと障害が多いが、もしかせんでもお前さん達のせいだったか?」

 咎めるような色彩を帯びた声だ。即座にアレンが返す。

「そう言ってきたはずだ。面倒事に巻き込まれるかも知れんと、先もって話は通してある。」

「商人ってのはアレだ。金の計算には抜け目がないが、命の危険を図るにゃずいぶん甘いところがあるんだぜ?」まるで他人事の世間話でも聞かせようという口調で、男は自身の禿げ頭を撫でながら言う。「俺達はいい迷惑だってのにな。」ペタペタと男の頭頂部ではコミカルな音が響いていた。


 幌馬車隊に紛れ込む時の交渉は、この商隊のオーナーと直接話を付けている。あの男の便利な袋の能力は、長い旅程の間中、我がの財産を仕舞い込んでおくには不向きであったらしい。長く生き物を閉じ込めておくと死んでしまうのだろう。

 商隊は、乗り合せる商人を集める事から始まる。数名の商人が隊列を組んで行くほうが安全だ。

 専門の賃貸業者に馬車と馬を借り、馬を操る御者を雇い、護衛の為の傭兵団を雇い、掛かる費用を折半する。商工ギルドでは商隊移動のリスクに合わせて、簡易の保険も用意されていた。全ての手続きで代表となる商人をオーナーと呼び習わした。

 今回はあの奴隷商人一人の為の隊だ、用意はすべてあの奴隷商が一人でやった。


「雇い主の決めたことだ、文句があるならあっちへ言え。それに、道中、思わぬことで良い目にも遭えたはずだ。」

 含みを持たせた言い回しで、アレンは大男の出方を待った。

 コンラッドは舌なめずりの後ににやりと笑った。


 奴隷は、商人の大切な財産だ。通常ならば、護衛の傭兵などに貸し与えたりはしない。ぞんざいに扱って構わないものならば、わざわざ大金を掛けて商隊など組まないだろう。健康を損ねるだけで価値が暴落してしまう、繊細な商品だ。流れ者の提示した大金に目が眩んで欲を掻いたことを、彼自身が激しく後悔している事だろう。

 奴隷は虐げられる短命な者たちではない。高価な品は貴重品だ。貴重品は貴重品の扱いを受けている。

 持ち主に従う限りは恵まれた境遇を享受出来る奴隷という存在よりも、社会の底辺に住まう者たちの方が何倍も苦しい生活を余儀なくされている。彼らはただ自由なだけで、何の保障もありはしない。日々の暮らしを僅かでも楽にしようと彷徨い歩く。


 土砂降りの雨は夜通しその街に降り続けた。

 いつしかアレンの思いは過去へと遡った。

 寂れた炭坑の小さな街は、他に何の産業も持たず住民は出ていくばかりだった。

 行政の不備、打つ手もないまま寂れ廃れていく街を、せめて内側から見守っているしかない。


 酒場の二階は酔い潰れた客のために、いつしか簡素な宿屋を兼ねるようになった。ガラス工芸で発展した領地に相応しく、こんなオンボロ宿の窓にまでガラスが嵌め込まれていた。多少は割安になるからだ。

 小さな窓は顔半分ほどの大きさしかない。窓枠は壁にしっかりと埋められて、開くことさえ出来ないタイプだ。庶民には決して安価と言えないガラス窓は、多く開閉など出来ない造りになっていた。それでもガラス工芸で栄える土地に住まう者たちは皆、無理をしてでも我が家の窓にはガラスを入れたがった。例え一枚きりでも。

 ガラス窓の隣にはぴったりと閉じられた木の開閉窓がある。天井から吊るされたランプがゆらりゆらりと揺れていた。


 外を眺めているのか、ガラスを流れ落ちる雨のしたたりを眺めているのか、アレンは気だるげに目を伏せて壁にその身を持たせかけて立っていた。

 かび臭い室内は、これでも毎日マスターと一人娘のシャロットが綺麗に雑巾がけを欠かさない。毎日毎日、早朝から階下の酒場と二階の客室を掃除して回り、一日中立ち働いても暮らし向きは楽にならない。

 長年の、拭き磨かれて黒光りするまでに至った柱や窓枠は独特の艶を湛えて鈍い光沢を放つ。壁の漆喰はクリーム色に変色していた。床に敷かれたカーペットは四方が擦り切れて色褪せていたが、定期的な洗濯のおかげで清潔だ。小さなクローゼットは扉の立て付けが悪くなっている。サイドテーブルの天板はよく見れば傷だらけだった。

 少女の持ち物は僅かだった。レインコートとハンカチに包んで隠し持っていたらしい小銭が幾らか。それだけだった。隙を見て逃げ出したのだろう、帰るための馬車賃にさえ満たない。


 無意識に腹をさすって、その手を止める。忌々しく己の手を見つめてアレンは舌打ちを鳴らした。

 魔法を使うこと、特に回復魔法を使うことは少女の身に大きな負担を与えるようだった。この数日の緊迫した状況もあって、アリーシャの体力は限界だったのだろう。部屋の角にベッドが収められていて、少女は静かな寝息を立てていた。やつれてしまった頬が哀れに見えた。


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