第7話

「かつては商工ギルドと運輸ギルドの窓口があったんだがなぁ。この街が廃れちまった頃合いで閉鎖されたんだよ。」


 カウンターの内側で、マスターは手にしたダスタータオルをもてあそびながらそう言った。調理台を拭く目的の麻布は少し汚れのシミが目立った。

 マスターの視線はちらちらと意味ありげに少女の隣に陣取る男を盗み見る。そして時々アリーシャを見据えて、言葉を繋いだ。


「一番近い所でも、村を一つ通り越した向こう側の街になる。ここと同じ鉱山都市でな、こっちが涸れちまって、皆そっちへ移って行ったんだ。そこなら、幾つもギルドはある。この街のギルドはみんなそっちへ移転したんだよ。」

 この時、アリーシャは自身がどんな表情を浮かべたものかを感じ得なかった。けれど、マスターが次に発した慌てた声で、よほどに酷い顔をしたものだろうと察知した。


「ああ、いや、とにかく隣街まで行ってしまえば何とかなる。馬車を使えば半日も掛からん距離だ。」

 マスターはカウンターから僅かに身を乗り出し、少女の耳元へ口を寄せた。告げ口を囁くような声で言う。

「それに……大きな声じゃ言えんが、アサシンのギルド支部もあるから大丈夫だろう。ここ、ヴェルトーク領じゃ、アサシンズギルドは幅を利かせた存在だからな、直接飛び込めばいいさ。他の土地じゃ伝手を見つけるだけでもひと苦労するって話だが、ここじゃ堂々とギルドが窓口を構えている。」

 視線でアレンを盗み見ながら、意味深な笑みを口元へ浮かべ、マスターはアリーシャから離れた。大きな力を持つ組織だと言外に仄めかし、肩をそびやかすような仕草で屈めた背を伸ばす。


 次に出た言葉は元の声量に戻っている。

「多くは商談、あるいは観光と見せかけて、依頼したい奴等はこの領内へ入ってくる。言い換えりゃ、商工、運輸、職種の違いはあれど、すべては公爵の息が掛かっているって事だ。だから、何処でも受理可能なんて話になってんのさ。」

 アリーシャが既に公爵の正体を知っている事を前提で、マスターはぼやかした言葉を使った。

「親書を持ってんだったら、おおかた大丈夫って事だ。なんせ、御領主様本人が……てな。」

 そして、更に意味深な言葉を告げて、アリーシャにウィンクしてみせた。


 マスターの軽口は続く。今度ははっきりとアレンの方を向いて、この男に声を掛けた。

「カルタナって街だ。おい、アレン。そこくらいなら連れてってやっても構わないんじゃないのか? 山ひとつ越えた程度だ、マケてやれよ。」

「口が過ぎると災いを招くぞ、マスター。」

 ぴしゃり、と冷たい返答が返ってきた。


 一瞬だけアレンはマスターと視線を合わせ、また何もないテーブルへと戻した。

 ワイングラスを上から塞ぐように手をかぶせ、ふちを三本の指先が支えて持ち上げている。奇妙な持ち方だ、どうやって飲むつもりなのだろうかと訝る間に、男はグラスを口元へ運び、器用に指の間から口内へと酒を流し込む。マスターは言い訳の代わりに肩を竦めてそっぽを向いた。暗殺者は舌打ちを一つ、それからまたワインを舐めた。


 声を潜めて話すような事柄が、そもそもで大っぴらに話せるような話題ではない。アサシンズギルドは、組合というよりは結社だ。秘密厳守とまでは行かずとも、都合の悪い相手を抹殺する事に躊躇などない組織だった。


 アレンは吐き捨てるように、独り言を絞り出した。

「アサシンの掟は絶対だ。その首領ですら、自身で決めたはずの掟に縛られる。おいそれと変更出来るようなものじゃないんだ。」

 誰が、誰に向けてボヤいているのか、クダを巻く男の言葉はどこか辻褄が噛み合っていない気がした。

 今にもカウンターの台木を枕にしてしまいそうな姿勢で、アレンが続ける。

「何度言われようが、ギルドを通さない依頼は受けるわけにいかない。……シルバードーンがカルタナになった所で同じようなものだがな。」

 アリーシャはこれを譲歩と受け止めた。


「それで充分です。カルタナという街で何処かのギルドを通して、改めて貴方を雇わせて貰います。」

 アリーシャは安堵の滲む声で、続けて礼を言おうと口を開いた。だが、それより先にアレン・ストレンジが遮って喋る。

「おい、勘違いするな。」

 続けようとしていた言葉を、アリーシャはこれで呑み込んだ。

 鋭い視線をアサシンは少女へ向ける。


「言ったろう、"掟は絶対"なんだ。俺が無条件でお前を送って行ける場所はシルバードーンだけだ。送り返す、と言ったほうがいいな。もしカルタナへ行きたいのなら、条件のクリアが必要になる。隣街だろうが、隣の家屋だろうが同じこと、ギルドを介さずに済む方法は一つきりだ。」

「おい、アレン!」

 マスターが声のトーンをいきなり上げて叫んだ。


 聞くとなしにでも耳をそばだてていた周囲が、突然、水を打ったように静まった。幾つもの視線がこちらに注目している気配を感じて、アリーシャの内心にも不安が湧き上がる。

 無言の応酬を交わしていたマスターとアレンの顔を交互に見て、アリーシャは身じろいだ。

 気付いたように暗殺者が少女を見据える。いやに説明調の言い回しで、アレンはゆっくりと言葉をつなぎ始めた。


「アサシンが個人的に依頼を受けるケースは稀にだがある。本来、そんな事は万が一にも起きえないが、レア・ケースだ。依頼人が危険な人物であり、ギルド全体に及ぶほどの影響があると見なされた場合のみ、個人の判断で相手に従うという行為も許される。依頼を断ることでギルドに損失を与えかねない相手なら、むしろ依頼を受けなければ取り返しのつかない事になりかねない訳だからな。」

「え……、それは、どういう……?」

 少女は目を見開いていた。冷め始めたミルクはまだ白い湯気を上げている。


 両手でしっかりと木のカップを握り締め、アリーシャの視線は途惑いながらゆっくりとカウンターの中へ向かった。目が合ったマスターは肩を竦めて首を横に振っていた。


 アレンの声は少し機嫌を回復したようだった。

「俺と戦って勝てばいいという話だ、お嬢ちゃん。ギルドを通す必要も、ましてや今から隣街まで行く手間も省ける。」

 意地の悪いガキ大将が無理難題を提案するような響きが、その言葉にはあった。酒の勢いだけではない高揚が滲んでいる。言葉の意味も、機嫌の良い理由も、少女の理解には及ばない。


 絶句したまま、アリーシャは微かに首を左右へと振った。

 言っている意味が解からなかった。アリーシャが自身の危険さを証明すれば護衛の依頼を受けても良いと言っているのだろうが、根本的に矛盾している。言葉の意味は解かる、けれど意図が解からなかった。

 守って貰いたくて依頼に来たのだ。自身の方が強いのなら、護衛など要らない。

 内心に憤りの小さな灯が燈った。


 勝手なことを並べ立てるアサシンは、やはり相応には酔っているらしい。饒舌になった口元が歪んだ形で開かれ、一度に言葉を吐き戻した。

「仮にも女王候補だ、強力な魔法技の一つくらいは持っているはずだ。おいそれと他人に見せてはならないと言われて、隠している力ならばあるだろう? それを使って俺と戦えばいい。どうしてもアサシンを雇いたいなら、その覚悟を示せと言うことだ。」


 とても良い考えだとでも言いたげに、アレンは少女に向けて笑みを浮かべた。少女には皮肉で笑ったようにしか見えない。信じられない、という意思表示で、アリーシャは男を見つめたまま首を左右に振り続けた。

「無茶です、そんな……。貴方に勝てるようなら、それこそ、貴方を頼って来たりはしません!」

 アリーシャが反論すれば、暗殺者は眉を顰めて不機嫌な顔を作る。


 どういう意図で、そのような提案が思い浮かんだものなのか、さらに詳しい説明が欲しいとアリーシャは思った。幾ら何でも説明が大雑把すぎると。今聞いた話の内容だけでは、意味がまるで通じない。

 その時、誰か別の者の笑い声が聞こえた。


 アレンがちらりと視線を流し、釣られてアリーシャも声のした方向へと振り返る。

 皆の視線が一人に集まっており、その笑いが誰のものかはすぐに解かった。

「お嬢ちゃんよ。アサシンを雇いたいならもう一つ、イロになっちまうって手もあるぜ。」

 すぐ後ろのテーブルで、酒に酔った男が頭を揺らしながらでそう言った。だらしなく開かれた唇の端からは、涎か酒か、あまり触れたくはなさそうな液体が垂れていた。


 小男は、身長に比例したよりも幾分重そうな身体をして、四肢は細かった。蓮の葉に乗った蛙を思った。

 笑い顔はまるで魅力がない。若草色のシャツなど着ているから、なおさら蛙に見える。革のチョッキはサイズが小さい、両扉のように男の腹が上下するたびにパタパタと開閉した。ジーンズのバックルは腹の下で見えない。


 下卑た声には冷やかすような響きがあり、その言葉の中には嫌らしさが含まれている。男の傍の、連れらしき者の表情がサッと凍りついた。そちらはまだ酔いが浅かった。酔って命の価値すら忘れ果てた男が、危険と知らずに軽口を続ける。

「情婦になっちまえば、そりゃあ、どんな敵からでも守って貰えるってもんよぉ。げへへへ。」

 男は上機嫌で、ついには腹を抱えて笑い出す。


 アレンが動いた気配に、アリーシャは再び首を回した。無表情な男の横顔が視界に映った。

 無言でアレンはカウンターの上部に置かれていたワインボトルを取り上げる。振り向きざまの一投で、酔った男の顔面をボトルが直撃した。鈍い音を響かせた後に、派手な騒音を立てて男がひっくり返る。

「げぇぇ!」

 男の悲鳴は潰されたカエルのようだ。椅子と絡まったまま、しばらく床で暴れていたが、ようようにして立ち上がり、アレンを睨みつけた。


「アレン、てめぇ!」

「酔っ払いは引っ込んでいろ。余計な首を突っ込めば、その鼻同様、命の保障も無くなるぞ。」

 アレンの言葉で、酔った男は自身の鼻が盛大に血を噴いていることに気付いたらしい。ふがふがと意味不明の言葉を呟き、慌てて店の出口へ走り寄る。鼻血と共に激痛にも気付いたようで、よろめきながら出て行った。


「酔っ払いのタワゴトだろうに。何を熱くなってんだ。」

 少しばかりの釘刺しでマスターが言った。さして咎める風でもない。

「俺だって酔っ払いだ。で、お嬢ちゃん。どうする?」

 口を尖らせたアサシンの顔はまるで拗ねた幼児のそれだった。詳しい事情や理屈の辺りに関しては、説明するつもりもない様子だ。規則だから、そうなるらしい。


 アリーシャは、手にしていた木のコップをそろりとテーブルへ戻した。何と答えたらいいのか、意味も解らないのに質問すら許されずに途方に暮れる。

 アレンが自己申告で酔っ払いだと言った言葉は真実のようだ。実際、目の前のアサシンは少々目が座っている。やぶ睨みに睨みつけられ、アリーシャの手は意味のないゼスチュアを繰り広げた。


 一見ではまるで酔っているとは見えないのだが、なるほど目のふちは少々赤みが差している。まっすぐに見つめる顔は、それでも印象が薄く、思い返すことが出来ないままだ。

「俺を雇いたいんだろう?」アサシンは据わった目をして少女を睨む。

 どうやら急激に酔いが回り始めているらしく、上半身が揺らめきだした。

 ふんぞり返るように背を逸らし、見下す視線でさらに続けた。


「……だが、ギルドの仲介は経ていない、街へ戻るのはお断り、どうしてもここで引き受けさせたい、だったら方法は一つきりだ。ギルドが、お前を失うことを惜しむほどの力を示せ。候補に選ばれたことで命を狙われたのなら、それに見合うだけの価値があるって事だろう。逆に言えば、それ以外の理由で狙われるはずなどない。」


 一息に話し切って、盛大なため息を吐き出した。息が、酒臭い。深く項垂れたような姿勢になって、そろそろと指がカウンターの上を探る。ピアノを弾く仕草に似ていた。やがて武骨な指はグラスを探り当てた。

 ひったくるような乱暴さで、手にしたグラスを一度に傾げ、残った赤い液体を一息に飲みほしてから、男はいきなり立ち上がった。一、二歩、よろめいたところを見るとやはり相当に酔っているらしい、強く左右に首を振った。


「おいおい、アレン。大丈夫か、お前。」

「ハンデだ、心配ない。」

 気に掛けたマスターの声を即座に否定して、アレンはおもむろに上着を脱いだ。

「きゃ、」


 男の上半身が露わになり、アリーシャが小さな悲鳴をあげた。レディの目の前で服を脱ぎだすなど、少女の常識では考えられないマナー知らずだった。それでもついつい好奇心が指の隙間を広くしてしまう。

 細い指の間に見えたアサシンの裸は均整の取れた肉体で、どこかのお屋敷で見た彫像のようだった。腹筋が、六つのブロック状に分かれてへこんでいる。ある種の猟犬を思わせる筋肉は引き締まり、脂肪のカケラもないように見えた。ごつごつと荒く削り出された白い彫刻を思った。

 左腕の上腕部分と肩に大きな傷跡が白く浮き残っていて、目を引く。


「ウールは保温性に優れる代わりに、雨には弱いんだ。一張羅だ、台無しにしたくない。」

 脱いだシャツを丸めてマスターへと投げよこし、アレンはそう言った。雨に降られたせいでこの店に逃げ込んでいた者は、この男の他にも何名と居た。繊細な羊毛製品は、丁寧に扱わないと縮んでしまう。今のアリーシャと同じくらいに濡れ鼠となれば、その後の洗濯で駄目になるだろう。


 カウンターの最奥に陣取っていたアサシンは、得物の剣を自身と壁との間を隔てるように立てかけていた。無造作に見え、また呪術的にも見えた。そこに意味など無かったように男の手は無造作に剣の柄を握る。

 両手で捧げ持つ仕草ののち、鯉口を切った。中ほどまでを引き出し、僅かの時間、目を落とす。酔いは醒めているように見えた。視線が離れて前を向くのとパチリと小気味よく音が響くのとは同時だった。


 アレンは少女の返答も聞かずに店の出口へと歩み寄っていく。戸の前で振り返った。

「アサシンは秘密厳守だ。お前の魔法がどういったものかを含め、他言はしないと誓おう。そっちは元からずぶ濡れだろう、さぁ、表へ出ろ。」

 顎で指し示し、続けてマスターに視線を向ける。

「マスター、観客は要らん。この連中に釘を刺しておいてくれ。」

「あいよ。」

 暗殺者は剣を手に、先にドアを開けて外へ出た。


 手を止めて見送ったマスターが、改めて店内を見回して声をあげた。

「おう、テメェら、聞いた通りだ。そんな命知らずが居るとは思わねぇが、一応、注意はしたぜ? 観戦するのは自由だが、生きて帰れる保証はしねぇ。」


 マスターの、口から出る言葉とその後の行動とはちぐはぐだった。言い終えるなり身を屈めて、ふたたび伸ばした時にはその手に大口径の銃が握られている。シリンダーが拳大ほどもありそうな大型の拳銃だった。手首を捻ればシリンダーが弾き出され、勢いよく回転する。もう一度、逆へ捻った手首の動きで装填され、重い金属音が店内に響いた。


 思いもしない流れに、アリーシャは焦り、声を上げる。ほとんど叫び声に近い。

「止めてください! そんなつもりじゃなかったのに! お願い、あの人を止めてください、わたしはそんなつもりで来たんじゃありません!」

「俺が言って聞く奴じゃない、お嬢ちゃんが自分で説得してみるしかないな。」

 太った胴を揺らして、マスターは両手を上げるゼスチュアを見せた。くるくると、リボルバーがその太い指を軸にして回る。続きの言葉を吐き出そうとしていたマスターの口を無視して、アリーシャは背を向けて戸口へと走った。


 誤解だと、説得は当然に言葉で為されるものだと信じ込んでいた。

 少女が生まれ育った貴族社会ではそれが当然だったし、野蛮なルールとは無縁で来た為に扉を開くことで何が起きるかを考え得なかった。遮ろうという者は一人も居ない。皆が道を開けるように、ある者は椅子を引き、ある者は足を引っ込めた。障害物のない一本道をアリーシャは駆け抜け、勢いよく外へと続く扉を押し開けた。 


 まぁ、殺しはしないだろう、とマスターが苦笑を浮かべて言った。


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