第6話 暗殺者の首領

 貴族たちは遠くからやって来る。仮面舞踏会は深夜遅くまで続き、そのうちに一人、二人と離宮内の、用意の客室へ引き上げて自然な形でお開きになった。上位貴族の宿泊する場所は、それとはまた別に用意され、宮殿敷地内の別邸一つに一人の上位貴族が泊まる事と決められている。四人の公爵たちもまた、多数の従者を従えてこの別邸へと引き揚げていた。


 前日のパーティは華やかに終幕し、翌日まだ早いうちから少女は公爵に謁見を願い出ていた。両親には市内見物に出かけると偽って、メイドの一人を伴っていた。このメイドは、兼用でアリーシャのボディガードを務めてもいる。つかず離れず、一日中傍に居る女だ。


「お嬢様、本当にお一人で行かれるのですか? 旦那様や奥様に御相談なさった方が……、」

「いいの。今朝のお父様の話を聞いていたでしょう? まるで取り合って貰えなかったじゃない。お父様は権威に弱いのよ、公爵ともあろうお方が嘘など吐くものかと思ってらっしゃるの。」

「お嬢様は、そう思ってはいらっしゃらないのですか?」


 アリーシャの顔を覗きこむようにして、メイドの女は口元を僅かに上げて問いかけた。瞳には悪戯を仕掛ける直前の妖しい光が湛えられている。少女よりもかなり背の高いこの女は、仕える主に問いかけるのに少し背を丸めて屈んだ姿勢を取っていた。上目遣いの含みをもった微笑でアリーシャを見ていた。

「メリーアン。そういうあなただって、わたしの方が正しいと思ってるんでしょう?」

「そうですね、少なくとも私の知るヴェルトーク卿は、旦那様ほど良い方ではありませんね。」

 頷いて、メリーアンがそう答えた。


 同じアサシンである彼女が、首領のことを悪く言うことはなさそうで、口数は少なかった。父や母に相談しろという言葉にしても、単なる義務感が言わせているものだ。責任の範囲で、娘の行動は逐一報告の義務がある。


 何の変哲もないメイドの衣装を着て、何の変哲もない仕草で、それでいて彼女は訓練されたアサシンなのだ。行く当てがないと言って拾われた彼女が、アリーシャの専属に付いたのは一年ほど前だった。アサシンと言っても落ちこぼれだったらしく、まるで役には立たなかったからもっぱら身の回りの世話役だ。

 ならず者に絡まれても、主を逃がすだけで精一杯、散々やられた呈で帰ってくる始末だった。アリーシャの方で揉め事には気を遣ってやらねばならかった。


 紺の質素なエプロンドレスにメイドのカチューシャを付けて、明るい茶色の髪は後ろで一つに束ねているが本来は長い。動きやすいショートブーツは茶色で、編み上げ紐でさらにきつく縛り付けて固定している。ぬかりのない身支度は腕利きの職人に通じるものがあるのに、なぜか実力が伴わない事を常々アリーシャは不思議と感じていた。メイドの仕事はソツなくこなすが戦闘の方はからっきし、という評価だ。

 容貌の美醜についての話は聞かない。アサシンという人種はみな、顔を覚えられないものだった。アリーシャも彼女を他のメイドと区別するには、もっぱらその立派な胸元を見ていた。


 離宮の敷地は広く、幾つもの館が点在していて、そのうちの一つに公爵は滞在している。

 森林公園のように、広い離宮の敷地は大部分が林で、ほぼ等間隔に間引かれた木々の根元は芝で覆われ、緑の絨毯を敷き詰めたようだ。手入れの行き届いた離宮の森林は白亜の建物を引き立てて、美しい景観を造り出していた。遊歩道のように砂利道が伸びて、両脇には木の杭が打たれて道には紙屑一つ見えない。見回りの近衛騎士の馬と時々行き違った。


 鉄で出来た頑丈な門構えに、四階建ての大きな建物が見えた。白い壁は日差しを反射して眩しいほどで、青い陶磁器マイセンの屋根瓦が鮮やかな波のように光っていた。広い前庭はとりどりの花で彩られ、中央の池には石像の噴水がある。白い彫像が捧げ持つ壺からは日に煌めきながら清涼な水がとめどなく流れ落ちていた。

 これだけの館を維持しようと思えば、どれだけの資金が必要になるだろうかと、まったく無要の心配でアリーシャは眉根を顰めた。少女の実家にある池では晩御飯のフナが泳いでいる。


 門の前には衛兵が控えていた。

 フナの鱗と同じような鉛色のコートを着て、肩をそびやかして立っている。

 青と白のエプロンドレスの裾を気にしながら、少女は用件を伝えた。馬と行き違った時に砂利を撥ね掛けられた気がしていたが、汚れはなかった。

 鮮やかな青の生地は細かなストライプの柄で、職人の芸が光る分、普段着よりも高価だ。夜会に着ていたドレスよりもアリーシャはこちらの方が気に入っていたから汚したくなかった。


 門が開かれ、件の噴水を横切り、樫材の重厚な二枚扉の玄関が開かれる。いきなり、高い天井から釣り下がった豪華なシャンデリアが視界に飛び込んで息を呑んだ。広い玄関ホールの床は色違いの大理石が嵌め込まれ、チェック柄になっている。床が一面の大鏡のように天井を映していた。

 扉の傍に控えた執事に導かれてさらに奥へと進む。

 先程よりは少し小振りな二枚扉が開かれると、真紅の絨毯が長く廊下の向こうまで続いていた。


「お嬢様、私はここまでしか進むことを許されていませんので、後はお一人です。どうぞ、お気を付けくださいませ。」

 執事と入れ替わりでメリーアンは下がらされ、儀礼的なお辞儀をした。離れる際にこっそりとアリーシャに耳打ちして、控室であろう廊下の横に開かれていた一枚扉を潜って退出した。


 ごくりと喉を鳴らす。独りきりになってしまうと、やはり少しばかり心細かった。

 公爵閣下はほとんど人前には姿を現さないと聞いていたのに、こんなに簡単に謁見を許されるとは思いもしなかったし、なにかの企みのようにも感じる。

 すんなりと通されたことを意外に思いながら、アリーシャは豪奢な館の中央廊下を進み、最奥の執務室へと辿り着いた。「どうぞ、」ノックをする前に返事が返る。

 執事は扉の前で少女に向けて会釈したきり、不動の構えを取っている。後は一人で行けという態度だった。


 アリーシャは、軽くスカートの裾を手で払った。髪型を整え、背筋を伸ばし、喉の調子を確かめる為に少しだけ咳払いをした。息を吸い込んで、「失礼いたします、」取り澄ました声は少々上ずってしまった。

 それからドアを開けて中を覗くと、重厚な執務用テーブルに片肘を付いて公爵が笑いを噛み殺している姿を見つける。少し、むっとした。


 ヴェルトーク公爵は、昨夜に見た銀髪ではなかった。漆黒の髪は後ろへ撫でつけられ、膏で固めた光沢が見える。前髪のひと房が緩く落ちかけていた。仮面を外しているというのに、やはり相貌は朧になる。

 軽く手の平を差し向けて、公爵は少女を招く。人を小馬鹿にするように片方の眉を動かした。

 巧い切り返しが思いつかなかったから、アリーシャは何も言わずにテーブルの前まで歩いた。甘い香りがしてふと気付いたが、テーブルの雑多な書類や道具類の中に焼き菓子が紛れていた。


「そろそろ来るだろうと思っていたところだ。口約束など容易に信じるものではない、少し頭の回る者ならば確約を取りに訪れる。」

 やはりこの方には見透かされていているとアリーシャは深く頷きを返した。


「わたしを助けてくださると、父にもお約束下さいました。けれど、わたしには勿論のこと、父にも確かな約束の品などは下さらなかった。公爵様ほどのお方が、一度口にされた事を反故になさる事などないと父は言っておりますが、わたしは、申し訳ありません、信用が出来ないのです。」

 自身の見たものが、それほどに重大な秘密であったならばなおさらに。


 底冷えのするような、冷たい視線を向けられた。アサシンの首領は、目ばかりがやたらと印象に残って、その他の一切が曖昧になってしまう容貌を持っている。猛禽のような両の瞳がアリーシャを捕らえていた。

「わたしに助力を求めるならば、見返りが必要だ。お前は何を差し出すというのか?」

 抑揚のない静かな低い声が、ゆっくりとした口調でアリーシャに契約の条件を述べた。


 父はきっと社交辞令を真に受けてしまったのだろうと、この時にアリーシャは感じ取った。暗殺者を動かすのには、女王選考の違約金よりもなお大きな金が必要となるはずだ。そうでなければおかしい。アサシンに無償の人助けを期待した少女の父は、お人好しだと言えるのか。公爵はただ単に派閥の末席に名を連ねることを承諾したに過ぎない。娘を守ってやるなどとは、一言の約束もしていないに違いない。アリーシャ本人にしても、困ったら尋ねて来いと言われただけだ、守るという言葉は聞いていない。手出しはしないと、取引をしただけの事と知らされた。

 父を嗤う気持ちにはなれない。けれど、自然に微笑が浮かぶ。お人好しだけれど、愛すべき家族だった。


「わたしの家には違約金を支払うだけの余裕もありません。以前にお話しした通りです。」

「金以外の何を差し出そうというのかね?」

「わたしを差し上げます。実験にでも何にでも、好きにお使いくださって結構です。」

 不思議なほどに落ち着いていた。


 伏せた瞳を上げて、公爵の姿をその目に映す。なんの意味なのか、柔らかな微笑を浮かべてアリーシャをじっと見つめていた。

「よかろう。腕利きを紹介しよう、以前に教えたその男なら間違いなくお前を王宮へ送り届けるだろう。」

 公爵は視線を逸らし、執務机の脇に据えられていたインク壺より白い羽ペンを取り上げた。

「一筆書いておく。これを私と同じ名を持つ男に渡すがいい。どの受付でも、提示するだけで即座に受理されるはずだ。」

 言い置いて、公爵の手は流れるようなスムーズさで便箋を折り、封書に仕舞い、蝋を落として印を押した。



 ――ああ、あの時仰っていた受付という言葉は、ギルド窓口のことだったんだ。


 痛恨のミスだった。アリーシャは手にしたコップをぎゅうと握り締めて、悔いた。直接本人に渡すべきものと勘違いしていた事を嘆く。厚手の木のコップは湯気をたてるミルクの熱をほどよく保ち、握り締めるという愚かな真似をする者が居ても火傷をしない程度には熱伝導が低い。天然の保温ポットだ。

 俯いてしまったアリーシャに、心配げな表情を浮かべてまたマスターが声をかけた。


「どうした、お嬢ちゃん。寒くなってきたか? 風邪ひいちまうぞ、弱ったなぁ。」

「だ、大丈夫です。わたし、見た目ほどか弱くはないです。」

 以前にも言ったと思いながら、頑健に育ってしまった自身のしっかりとした足をちらりと見て、アリーシャはため息を零した。美少女というものはもっと、儚げな体つきをしているものだ。

 ふるりと頭を振る。唇を噛みしめ、コンプレックスを追い出した。


「あの、この街にはギルドの支部はないのでしょうか? 何処のギルドでも良いと言われたんです、商工ギルドでも、冒険者ギルドでも。公爵様に縁のギルドがあるなら、教えてもらえませんか?」

 ミスを挽回するために、少女は即座に動き出した。何処の街にも何かの職業ギルドの窓口はあると考えた。

 マスターの眉がハの字に下がる。気の毒そうな顔をしているように見えた。

「いや、お嬢ちゃん。この街は廃れちまってな、あらかたのギルドは引き揚げちまったんだ。」

 まるで自身の責任であるかのような情けない声で、マスターが答えた。


 相互扶助の組合組織は、どんな職業にも備わっている。そして、それらの組織は領主の許可を得て運営が為されており、ルール一つも、自分たちだけで決める権限は持ち得なかった。全ての決済は、領主の許可が建前となっている。手続きを煩雑にしているのは、単純に権威付けの為だ。しかし、権威が絡むが故に、そのルールを破ることはルールを作った本人にすら許されなかった。


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